第2話 期待の演技
「では皆さん、グラスは持ちましたか?」
招待客の前で王妃が金の杯を掲げる。
「仮面舞踏会を、楽しみましょう!」
高らかに響く彼女の声。皆がグラスを持ち上げた。大広間が歓声に満たされ、仮面舞踏会は幕を開けた。妃が玉座へ戻ったのを合図に音楽隊が音楽を奏で始めた。
「ごきげんよう、ラウト様。お越しくださりありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ。ご招待ありがとうございます。」
白を基調とし銀と青で装飾された燕尾服を纏ったラウトがにっこりと微笑む。まるでおとぎ話から出てきた王子様のような彼をちらちらと盗み見、頬を染める令嬢は多かった。簡単に挨拶を済ませ、彼は仮面をつけて、ダンスを見守る人々の円へと消えていった。
「ごきげんよう、皆様。ご招待を頂けたこと、大変光栄に思います。」
「八重様!遠方からありがとうございます。是非、楽しんで行ってくださいね。」
しばらくして公爵家や王族に話しかけてきたのは、極東 咲耶国の若き女王、八重姫だ。傍には侍女の日和が控えている。2人ともいつもの着物ではなく、それを洋風なドレスにアレンジしたものを身につけていた。そして被った狐面の赤い両房紐の飾りを揺らしながらその場を離れていった。
「まあ、お久しぶりですね。ようこそいらっしゃいました。今夜はお楽しみ下さい、アスル殿下。」
最後に挨拶に訪れたのはごく最近に独立したばかりの国、コールドリバーの領主アスルとその騎士エイスだった。毛皮のついたマントを羽織り、中からナポレオンジャケットが見え隠れしている。
「ああ、招待に感謝する。」
「…アスル様、お言葉にはお気遣い下さい。」
軽く口をきいたアスルにエイスが耳打ちをした。
「あぁ、すみません。…では、失礼します。」
そう言って会釈した後きびきびと立ち去った。
○
「それじゃあ行ってきますわね、お父様、お母様。」
「あぁ!楽しんでくるんだよ、ブティリータ。」
ブティリータはその赤い髪をひらめかせてダンスパートナーを探しに観衆の中を歩き始めた。赤い糸で繋がれた素敵な運命の人はいるかなぁ、優しく笑いかけてくれて時にかっこいい、そんな人ーーー。中央で踊る人達を横目に見ながら、彼女は壁に寄りかかるある青年を見つけた。淡い栗毛の髪がとても優しそうな印象を与え、ペリドットのような大きな瞳は強気な性格を想像させる。
(わあっ、あの人私のこと大事にしてくれそう…!ダンスも優しくリードしてくれて、私がいじめられても絶対守ってくれるの…)
そう夢を見ながら身なりを整え、彼に近づく。
「あのぉ…私と一緒に踊って下さらない?」
上目遣いでじっと目を見つめる。言葉を聞いた瞬間彼の眉がぴく、と動き…。
「は?」
先程までの暖かい雰囲気は何処へやら、瞳は完全に冷めきっている。流石に礼儀がなってなかったと思ったのか1つ咳払いをして付け足した。
「あーいや、先程踊ったばかりでしたので。…では。」
と彼は他のところへ行ってしまった。
(最初のダンスパートナーこそ大事なのに…!あの人、見る目ないのねっ)
ぷりぷりと背中を睨むブティリータ。そんな彼女の耳に、急に女性達の歓声が飛び込んできた。
(ん?なになに?)
「アスル様ーーー!」
「きゃーー!!」
「一緒に踊って下さいませーー!!」
紺色の髪を七三に分けた男性が沢山の女性に囲まれていた。仮面越しでも顔が整っているのがよく分かる。切れ長の空色の瞳が群がる彼女達を睨みつけているが、睨まれてもむしろ嬉しいというように歓声は止まない。
「お、おいエイス!どうにかしろ!」
観念した彼がそばにいた男性の名を呼ぶ。
「楽しそうですね。では、失礼します。」
しかしその騎士はにっこりと微笑んですたすたと歩き出してしまった。
「おい、おまっ」
「きゃーー!!!」
波に飲み込まれて紺髪の青年は見えなくなった。黒髪の騎士は、目にかかった髪をさっと手で払う。その動作は何人の女性を落とすだろうか、そう思うほど魅力的だった。当然、ブティリータは彼に心を奪われてしまった。しかも彼はブティリータの方へ歩いて来ているではないか。
(もしかしたら私と踊るためにこっちに来てるのかも!)
夢見る乙女、ブティリータを侮るなかれ。騎士の歩く方向に待ち構える。横髪を指に巻き付けながら、誰にも誘って貰えず寂しそうにしている令嬢を演じた。たまに上目遣いで視線を送りアピールをする。エイスが近づくにつれ、その頻度は多くなる。至近距離になったとき、遂にかち、と目線があった。ブティリータの心臓は大きく飛び跳ねた。黒く見えた瞳は吸い込まれそうな紫を宿していることに気づき、彼女はもっと惹かれてしまった。しかし、彼がブティリータの前で歩みを止めることはなく、そのまま通り過ぎていった。ブティリータははっと我に返り、急いで追いかけ腕を掴んだ。そしてその腕にしがみつき、頬を擦り寄せて、驚く彼をよそにはにかんだ。
次回は2/9 6:30頃予定。