懇願
「絶対にあり得ないんですよ!」
西成署の生活安全課のカウンター前。
市民相談窓口で声を上げる若い女性の姿があった。
担当している内勤の署員はやれやれと言った感じで。
「しかし、ホームレスの男性なんですよね?」
姿が見えなくなって数日経つから捜索して欲しい、相談の内容はそんな感じだった。
「今は確かにホームレスです、でも昔は腕の良い職人だったんですよ!」
若い女性が言うには、昔は腕の良い左官屋だったのだが、不況の煽りを受けて仕事にあぶれて収入が無くなり、ドヤに泊まる金も無くて路上生活を送って居たらしい。
「うちの実家の簡易宿泊所の常連客だったんです、ヨシさんは西成以外に行く所なんて無い人なんです!」
その時、2人の間に割って入った男が居た。
「あ〜、すみませんお嬢さん」
声のした方を見ると、聞き込みから帰って来た署員が2人の視線を浴びながら。
「向こうで詳しく教えて頂きたいです、その…ヨシさん?の寝てた場所は」
やっとまともに話を聞く人が現れたせいか、若い女性は笑顔で。
「はい!閉鎖された、あいりんセンターの近くです!」
それからカウンターの中で、机に座って事情を聞いていた。
女性の実家の簡易宿泊所は1日千五百円、テレビもエアコンもWi-Fiもあると言う。
「ウチはお風呂もあるし、最近は外国人の長期旅行者なども泊まってるので」
店自体はそこそこ儲かっているらしい。
ヨシさんの本名はわかるか?っと尋ねると。
「ヨシさんが使っていたダンボールハウスの中にありました」
白手帳、日雇労働被保険者手帳を取り出して見せる。
これは西成で昔、発行していた物で今は手に入らない、1日仕事をすると印紙を貼って貰う、今はその印紙を持つ企業自体が無い状態だ。
中を見ると名前の欄に吉田修一とあり、生年月日なども書かれていた。
「ヨシさん…この手帳だけは肌身離さず持ってたんです」
だから置いて行くのもおかしいと言い。
「最近、あいりんセンターの近くからホームレスが消えてるんです」
事情を聞いていた署員が、消えてるとは?そう聞くと。
「ダンボールハウスは残ってるのに、人が居ないんですよ」
皆んな何処かに行って帰って来ないんです。