山葬
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、秋分の日の前後にお墓参りへ行けたか? 俺はちょっと無理だった。世間様じゃ四連休とかいってたが、俺の仕事にはとんと縁のないことだったわ。
ま、働こうと働くまいと、生まれりゃ、いつかは死ななきゃいけねえ。お墓はそれらの死を、特に意識して積み重ねた場所だ。けれども、ここのいずれにも入れず、土に還った御仁もたくさんいるだろう。
もはや俺たちが踏みしめる地面のどこを探しても、人の血肉を吸わずにいる場所なんてないんじゃなかろうか? そう考えたら、この地球全体が命の墓だ。
アスファルトなんかで道路の舗装が続くのも、その真理への抵抗かもな。
歴史の新しい「地面」。それをもって、死者の多く吸われた土に別れを告げ、新しい自分たちの歩みを残そうとする。
もちろん利便性その他の理由が強いとは思うけど、路上の事故とかで命を落とす人が出るたび、その血がアスファルトの新しい歴史になっていくんじゃないか……なんて、考えちゃうんだよな。
それでも、土の積んだ歴史はアスファルトに比べりゃ、まだまだ長い。その長い歴史の中では、不思議な命のやりとりも存在したらしくってな。
どうだ。ひとつ聞いてみないか?
いまをさかのぼること、はるか昔。大陸より稲作が伝わるか否かといった時期で、人々の狩猟が生きる糧であった時期のこと。
俺の住む地元には、「神の山」と噂される山が存在した。いわゆる「霊峰」のイメージとは少し違う。周りの低山に溶け込むほどの高さしかなく、ゆえに、富士山のような雪を積もらせる姿を見せることもない。
しかし、その山の中では一年中、脂の乗った獣が取れたんだ。見た目にも大きい手合いはもちろん、その子供などに至っても、さばけば質の良い肉が手に入ったらしい。
話が広まり、事実が重なってくるにつれ、じょじょに狩人たちはその山一本に、日々の狙いを定め始める。
狭い山に多くの人がひしめくんだ。やがて獲物が少なくなり、誰も見向きしなくなるだろう。かつて獲物の少なさから、この地へ移り住んできた者の中には、そう考える人もいたのだとか。
だが大勢の人が奪いに入ってきても、神の山は神の山であり続けたんだ。
獲物は減ることなく、獲れていた。むしろ、わずかながらにも数を減らしているのは、人間たちの方だったんだ。
崖からの滑落を中心とした事故が、ちらほらと報告されるようになったんだ。千尋の谷に呑み込まれてしまった彼らを、当時の狩人たちは救える術を持っていなかった。
ただその者が帰ってくるのを待つ。生きていることを信じて。
いつ彼らが戻ってきてもいいように、とむらいの儀式は行われなかった。墓も作られることなく、そのままにして置かれた、はずだったんだ。
危険があるのは、狩りでは当たり前。得られる見返りを考えれば、神の山以外に考えられない。
そう信じる若者の一人が、今日また神の山のふもとへ向かう。
その日はまだ山に登らないうちから、周囲に霧が薄くかかるような、嫌な天気だった。完全に視界が遮られるほどじゃなかったが、身体にまとわりつく水とその冷たさは、無視できない。そのうえ、道具も傷んでしまう。
やや神経質に弓や山刀の柄を拭っていた若者だが、やがて「コーン、コーン」と甲高い音が、前方から響いてくるのを聞いた。
生き物の出せる声とは思えない。木槌を使って、杭か何かを地面に打ち込んでいるものだと感じたそうだ。
――もしや、「神の山」への立ち入りを禁じようとして、柵のようなものを作っているのでは?
出来る限り足音を忍ばせながらも、男は先へ急いだ。
数十歩先。切り立った崖に囲まれた坂が見えてくる。狩人たちがよく使う、登山道のひとつ、その入り口だ。
その傾斜が始まろうかという、まさに直前で。昨日まではなかった、一体の石像が立ちはだかっていたんだ。
とはいっても背は高くない。せいぜいが男の膝小僧あたり。またぐことも踏みつけるも造作ない大きさのそれは、どこか人を模した土偶に近い格好をしていた。
ただし、かすかな山なりか、真っ平らを成すはずの頭頂部は押さえつけられたように、大きくへこんでいたのだが。
若者はむっとする。石と木の違いこそあるものの、自分たちの村では亡くなった人の形を模して、それを墓標とするのがならわしとなっていた。出来不出来を問わず、そういったものがそこにあることが、死の証明だったんだ。
だからこそ、この山からの未帰還者の生存を願う意味でも、墓は立てずに置いたというのに、この仕打ちだ。
作った輩は、村の風習を心得ている。そして皆の意向に正面から反するこれは、あざけりの意味と取ってもいいはずだ。
またコーン、コーン。今度は坂道を上った先で聞こえてくる。こちらを誘っているつもりだろうか。
望むところだ、と男は大股で音の出どころへ向かう。人相を見届けすっぱ抜き、いかなるたくらみがあるのか、問いただしてやろうと思ったんだ。
木づちの音は、若者がいくら急いでも一定の間隔、大きさを保ちながら響き続ける。
音源へ追いすがる彼は、その途中でいくつもあの石像を見つけた。造形は変わらず、人の輪郭をかたどったうえで、頭部を極端にへこませているものだ。
しかし数を経るごとに、その大きさは若者の膝の高さから、どんどん縮みつつあることに気がついたんだ。
――主の作業が追いついていない。なら、自分の歩みが確実に音の主を追い詰めている。
坂を駆けあがり、凹凸の絶えない地面を走りながら、若者はその脚力で音の元を追い続けた。
石像はようやく、男のすねあたりまでの高さになる。これなら追いつくのも時間の問題と、いまだ晴れない霧の中を急ぐ若者の耳に、幼い子供の声が響いてくる。
「やまやまやーま。ぶるり身体を揺さぶって。ころり落ち行く、地の根っこー」
歌声を聞いて、若者はピクリと耳へ手をやった。
地の根っこ。この表現もまた、自分たちの村ならではの表現だ。死した者は土の中へ埋められ、あたかも木の根と同じ位置へ身を置くことになる。
死を意味する言葉そのものが、地の根っこという表現だったんだ。
不意に若者の目の前から霧が消える。同時につま先に感じていた地面の感覚も。
いつの間にか彼は、がけっぷちに足を掛けていたんだ。先ほどまで前から聞こえていた音が、一瞬にして右方へ変わり、目の前にはほぼ垂直に折りゆく岩肌がのぞくのみ。
ころりと、かかと近くから石がこぼれて、崖を転げ落ちる。その乾いた音に肌を粟立てつつ戻りかけたところで、山が大きく揺れた。
元より、踏ん張りの聞かない足元だ。動くまいと、下手に力を入れてしまった彼のかかとを、がけっぷちは支えきれない。
ぼろりと足場がこぼれるや、あっという間に彼の身体は崖をまっすぐ落ち始めてしまったんだ。だが、彼は慌てない。
反射的に伸ばした手は、崖に絡みつくいくつかのツタの一本を握った。慣性に乗って、握ったままいくらかツタの葉をちぎり飛ばしつつも、どうにか宙に留まることができた。
ふう、と安堵のため息。そのまま崖の肌に足をかけて登りかけたところで、またも声が。
「やまやまやーま。こりゃ苦しいと息を吐き、ぐわり呑み込む地の根っこー」
直後、また岩肌が揺れた。今度は縦ではなく、横にだ。
ツタの上の部分を軸にして、若者は大きく外へ降り出される。登ることなど思いもよらず、必死に両手でツタにしがみついた。が、振り戻りで迫ってきた岩肌を見て、ぎょっとする。
いつの間にか山肌に、大きな亀裂が入っていた。若者が向かう位置から、真っすぐ巨大な刃が突き立てられたと思うその傷の幅は、若者を呑み込むには十分ある。
亀裂内部の両側の壁には、獣の歯を思わせる、無数の鋭い岩の棘がせり出していた。もし中へ突っ込まれたら、身体をズタズタにされてしまう。かといってツタから手を放せば、はるか下の地上へ目掛け、死の跳躍を遂げるだけ。
とっさに両足を大きく広げたのは、日頃の狩りで鍛えた判断力の賜物だろう。ぐっと岩肌へのけぞるように足を向け、亀裂の幅よりギリギリ外側の肌に、開脚で着地することができたんだ。
天を仰ぐ姿勢になりながら、二度目のため息。あとはツタの強度をたのみに、肌を足で蹴りながら登っていくだけ……。
そのまたぐらを、冷たい風が直撃した。急所への一撃だが、完全に閉じれば姿勢を支えられず、内股気味になりながら耐えるよりない。
風は亀裂から漏れ出ていた。穴は山の向こうまで通じているのか冷え冷えとした風は止まず、まともに足を閉じられない彼の股間を凍てつかせんと、吹き付けてくる。
「やまやまやーま。長き命のおしまいに、うぬも住みゆく地の根っこー」
三度、子供の声が頭上から響いた。同時にあのコーン、コーンという木槌の音も一緒に。
またも山肌は揺れた。足を通じて伝わる振動は、右は左に、左は右に。目の前の亀裂が閉じあわされていき、同時に股ぐらを襲う風も収まっていったとか。
今度こそと、若者はつきかけたため息をぐっと飲み込んで、ツタにすがりつつ登った崖
の端。そこには自分が落ちる時にはなかった、あの頭を大いにへこませる真新しい石像の姿があったんだ。
それから、神の山で取れる獲物はめっきり質が落ちてしまう。
獣の多くはすっかり痩せこけ、かつての肉の質は望むべくもない。ほどなく数さえ減っていき、狩人たちの足は遠のいていってしまったとか。
山には、あの奇妙な石像がいくつも残されていた。きっとあれこそが山の墓標であり、山を「地の根っこ」へ導くものだったのだろう。その時より、「神の山」は死んだのだと、彼は語ったらしいんだ。