親と子の溝
*
「やあ、君が『フロントラインの悪魔』エレインくんだね?」
「誰だ、あんた?」
宿の1階の食堂で昼食を摂っていたイライザの元に、ケイトの父がにこやかな様子で1人訪ねて来た。
正確にはボディーガードも来ていたが、警戒されたくないから、と同行を断っていた。
そのせいで店の入口では、屈強な男達がオロオロしながらのぞき込む、という異様な光景が繰り広げられていた。
「おいあの人……」
「新聞で見た事あるな……」
「本物だ……」
その気配とお客のざわめきで、イライザは目の前の初老の男が、ただ者ではない事を察知していた。
「あー、すまない。諸君、私がお代を払う代わりに、今から貸し切らせて貰いたい」
手にしていたアタッシュケースから、札束を2つ店主に渡しつつ、ケイトの父はお客達にそう呼びかけた。
彼らは急いでかき込んでから、あるいは、持ち帰る事が出来る物を持って退店していき、あっという間にお客はイライザとケイトの父のみとなった。
「自己紹介が遅れたね。私はケヴィン・バーンズ・ハーベスト。ここと君の故郷の北海岸商工会を取り仕切らせて貰っている」
イライザの対面に座ると、ケイトの父――ケヴィンは、朗らかな表情で帽子をとって丁寧に挨拶をした。
彼はその背後に、イライザから同席させてもいい、と許可を得て、連れてきた護衛を立たせていた。
「そんな人が傭兵なんぞに何の用だ? 私兵ってなら安くはねえぞ」
彼の羽振りの良さを見て、イライザは普段より多少上乗せしようか、と顎に手を当てて考えていた。
「いやね、君を娘のメイド兼ボディーガードとして雇いたくてね」
「……。……は?」
予想の斜め上の事を言われて手が前に滑って、イライザは頭がガクリとなった。
「ボディーガードなら分かるが、メイド? あんた気は確かか?」
「ああ、大真面目さ」
「おい待てよ。私がどこ育ちか知って訊いてんのか?」
「もちろん」
「じゃあ止めとけ。ボディガードならいくらでも引き受けるが」
「ふむ、やはりそう言うか」
予定通り、といった様子で、着ているジャケットの裏地を見せつつ、懐のポケットを探る。
「言っとくが、金積まれてもメイドはやんねえぞ」
「まあ、これ見てから決めて貰いたい」
そこから出てきたのは、何か高価な物などではなく2枚の写真だった。
「それがなん――」
目の前に並べられたそれを見たイライザは、目を見開いて息を飲んだ。
その左側は、本宅にある庭園の噴水前で、母親と共に屈託の無い笑顔を見せる、イライザを助けたときのケイトの様子が映っていた。
しかしその反対側の写真では、彼女は同じ場所でつまらなさそうな表情を浮かべていた。
「報酬を弾むのは当然として、メイドとしての教育も一からサポートさせてもらうよ」
アタッシュケースから万年筆と契約書を取りだして、ケヴィンは写真を手にして見入るイライザの目の前に並べた。
「では引き受けてくれるかな?」
「おう。……でもなんで私なんだよ?」
写真を返したイライザは、育ちが良くて腕の立つヤツもいるだろ? と訊きながら、契約書を手に取ってその内容を読む。
「君はケイトに恩があるだろう? 8年前の北海岸州中央市場で」
「……良く、知ってんな」
「まあね。長たるもの、相手のことを知るのは当然だからね」
その話を持ち出されて警戒するイライザへ、もうあのときの事は時効だよ、と言ってカラカラと笑った。
「単なる傭兵だと、金次第で乗り換えてしまうからね。かといって、どっちかの専門ではお硬すぎてケイトは嫌と思うだろうし」
だから君が適任だと思ってね、と、続けたケヴィンは、イライザが読み終えてサインした契約書を護衛に渡した。
「そういや、契約書で1個気になったんだが」
「うん?」
「私の仕事の最重要項目が愛を注ぐこと、ってなんだよ。そりゃ親の仕事だろ」
「いやあ、ごもっともだ」
そう言いつつ俯き加減でため息を吐き、顔をしかめる彼の表情から、イライザは何か彼に負い目がある事を感じとった。
「この写真を撮った後すぐ、後妻は亡くなってしまってね。なのに私は仕事の忙しさにかまけて、前妻との3人兄弟とケイトへ愛を注いでやれなかったんだ」
要するに、父親としての責務を放棄してしまってね、と言い、ケヴィンは膝の上で拳を握る。
「つい最近、上の子達がケイトをいじめているのを見て、やっとその事に気がついたよ。――妻に全て任せていた私には、愛の注ぎ方が分からない事にも」
彼の負い目の正体は、激しい後悔と自身への怒り、そして、子ども達と夭逝した妻2人への謝罪の念だった。
「分からないなりに考えて、ひとまず別宅を買い戻してケイトを避難させたんだ。だけど、自分が嫌われたから追い出された、と思ったようでね」
私の前では、笑ってくれなくなってしまった、とケヴィンは自分の不甲斐なさを噛みしめつつ言う。
「それが決定打になって、もう完全に心を閉ざしてしまった様で、愛情を伝えようにも聞く耳をもってすら貰えないんだ」
「そこで私が、ってことか」
イライザは頼もしい笑みを浮かべて、任せてくれ、とケヴィンに手を差し出すと、
「ああ」
まさしく藁にもすがる思い、という表情で彼はその手を握った。