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アラシの真価

 プリトンとは名前からわかる通り、家畜として改良されたバリトンのことである。バリトンの肉が使い物にならないのは、森に生えている毒性の強いキノコを主食としているからだ。このキノコは人間が食すとただちに昏倒、胃を中心に壊死させていくほど恐ろしく、“死のキノコ”なんて呼ばれ方もする。


 毒に耐性のあるバリトンの体内に入ると発酵し、非常に臭いガスを発生させ、それが血液を通って全身に巡り、やがて筋肉や臓器に定着する。なので家畜として食事を管理すればなんてことはないのだ。


 ちなみにバリトンの体内に充満したガスは空気よりも重い。結果肺の位置が下がって声帯が伸び、声が“バリトン”のように低くなることからバリトンと名付けられたそうだ。


「私、足の速さにはそこそこ自信があるんだよね」


 ルシノはひざを屈伸させたりと、準備に余念がない。彼女の気配にてけてけと逃げていくプリトンの背中を見定め、まるで風のごとく駆け出した。肩ほどで切りそろえた髪が空気をはらみ、甘い香りを残した。


「最初からトップギアなら逃げられないだろ!?」


 ルシノの身体は猫のように伸び、俺は彼女が尻尾を掴むことを確信した。しかしいよいよ手が届くという瞬間、プリトンは恐るべき加速を見せた。人間の場合は最高速度に達するまでおよそ二十メートル必要だというが、プリトンはたった三歩で最高速度に達した。

 それでも、一瞬で突き放されていたケインに対して、なんと彼女は数秒間追いすがってみせた。しばらく粘ったが動物の無尽蔵のスタミナの前には敵わなかったらしい。


「はぁはぁ……やっぱり私の足でも追いつかないか……」

「驚いたな……。で、トレーニングって何をさせるつもりだ?」

「まあ見てなって。おーいダンテ! プリトンをこっちに追い込んでくれ!」


 ダンテが重々しく頷き、大きな身体をさらに広げ、数匹ルシノの方に追いやった。二匹は彼女の横を通り過ぎていったが、一匹が砂塵を巻き起こしながら彼女に突っ込んでいった。


「おいっ! 危ないぞ!」

「大丈夫だって!」


 うなりを上げて凄まじい勢いで突っ込んでくるプリトンを、ルシノは姿勢を低くして待ち受けた。彼女は少しも目を離さず、ぎりぎりまで引きつけた。あっけなく吹き飛ばされる未来が容易に思い浮かび俺は思わず目をそらしかけた。

 そして激突する直前、彼女はプリトンをすれすれで避け、背後に身体を滑り込ませてしっぽをわしづかみにした。まさしくその動きはギルドでボルタを相手取った時に見せた動きだった。


「よっしゃあ! どんなもんよ!」

「うおおお! まじかよ! ありえねえって!」


 空いた手を突き上げてかちどきを上げるルシノの下にケインが駆け寄った。ケインは凄技すごわざに興奮を隠せない様だ。ダンテも珍しく口をあんぐりと開けて拍手をしている。


 確かに凄い。圧巻だった。実のところ鳥肌も立った。だが……。


「まさか、今のを俺にもやれって言うんじゃねえだろうな」

「そのまさかさ」

「無茶言うなよ! あんなのできるわけないだろ!」


 彼女は無言でプリトンを馬車に押し込み、泣き言を言う俺を睨みつけた。


「できるさ」


 ルシノはまっすぐに俺を見据え、曇りのない眼で言い切ってみせた。そう言い切るものだから俺は何も言えなくなった。


「というよりも、やってもらわなければ困るんだよね」

「困る……? それ、どういうことだよ……?」


 俺から三メートルほど離れた場所で立ち止まり、彼女は俺と正対した。


「バリトンと戦っていた時に見たけど、確かに君は速い。だが単純な“スピード”はモンスターや知性のない者にしか通用しない。人間を相手取った時に直線的な動きはご法度だ」

「なんだと……?」


 ルシノは挑発的に手をこまねいてみせた。あまりにも軽く見た態度に思わず頭に血が登った。


「おいで」

「後悔するなよ!」


 そっちがその気なら俺だって容赦はしない。持てる力を足に込め、ルシノめがけて突っ込んでいく。彼女を捕まえる直前、やはり彼女は身体を横にずらそうとした。悪いが俺だって考えなしに突撃しているわけではない。その動きは既に学習している。彼女が地を蹴る直前、手を大きく横に広げた。


「抱きついたとしても、そりゃ事故だよな!?」

「くっ……!」


 予想だにしていなかったのか、慌てた様子のルシノは尻もちをついた。その瞬間勝利を確信した。あれほど意気揚々と挑発しておいてあっさりと負けるのはさぞかし悔しいだろう。どんな罵声を浴びせようかということを考え始めた。


 しかし次の瞬間、彼女は地面を手で押して、俺の股ぐらに身体を滑り込ませた。俺は勢い余ってつんのめり、すぐさま体勢を立て直したルシノに腕をめられあっけなく勝負が決まった。俺は愚かだった。なんてことはない。こけたように見えたのも全ては彼女の作戦だったのだ。


「嘘だろ……!? あんなの並の運動神経じゃできねえぞ! どんな人生送ってきたらそんなことができるんだ……?」

「ふふ。惜しかったね」


 乱れた呼吸もそのままにそんなことを耳元でささやかれ、怒りもすっかり霧散した。


「でも足の速さは中々だったよ。もしかしたら私といい勝負なんじゃないかな?」


 慰めのつもりなのか、彼女は俺を見下ろし《・・・・》ながらそんなことを言った。


 そういえばずっといいあぐねていたが、ルシノは俺よりも背が高い。これは決して俺の背が小さいわけではないこと、そんな“小さな”ことを気にして(“小さな”というのは事実が大したことではないという話であって、俺の背が低いことではない)こそこそと隠していたわけではないことは俺の名誉にかけて誓おう。


「なはは。情けないなアラシ」

「うるさいぞケイン。次はお前がやって見るか?」


 ケインは手をひらひらさせ、「そりゃ勘弁な」と言った。


「動きは覚えたでしょ? 今のをプリトン相手にやってみるんだ。……おおい! ダンテ! 頼んだ!」

「えっ、ちょ、おい! だから無理だっての!」


 彼女は俺の言うことには全く耳を貸さず、すっかりプリトンをよこす機械となったダンテに指示を出す。わずか三歩で最高速に達したプリトンが俺をめがけて突っ込んでくる。土を蹴り上げ、地響きを鳴らし、百キロ超えの怪物が俺を吹き飛ばそうと突っ込んでくる。

 遠目では俺の腹ほどまでしかなかった。そんなのは錯覚だ。実際に相対してみると奴は三メートルをはるかに超えていた。


 そしてプリトンが激突する瞬間、俺はなりふり構わず身を投げだした。身体をしたたかに打ち、みっともなく地面を転がった。怪物は俺がいた場所を駆け抜けていった。


 ルシノは息を荒げる俺を叩き起こし、一向に目を合わせようとしない俺の顔を両手ではさみ、無理矢理に目を覗き込んできた。


「どうした!? なぜ逃げる!」

「はあはあ……。……無理に決まってるだろうが! あんなでかいやつに勝てるわけがねえだろうが!」

「大きくなんてないって! 君の恐怖がそう見せているだけさ!」

「嘘つけ! 三メートルをゆうに超えていただろうが!」

「そんなわけがないだろ! いいから落ち着いて見てみなよ!」

「うるせえ! 俺はもうかえ――――」


 彼女は無言で俺に口づけをした。頭の中が真っ白になる。ケインのからかうような口笛を聞こえた。永遠にも感じられるような時間のあと、彼女は顔を離した。


「ふぅ……落ち着いた?」

「あ、ああ……」


 錯覚だった。改めて見たプリトンは確かに小さかった。あれほど巨大に見えた怪物は、そこにはいなかった。全ては俺の恐怖が見せた幻だったのだ。


「落ち着いたならもう一回行こう。こういうのはテンポよくやるべきなんだ。ダンテ!」


 ダンテがプリトンを追いやった。いまだに夢の中をさまよっているような気分の俺をめがけてプリトンが突っこんでくる。


「いい? 怖いからって絶対に目をそらしちゃダメだ。寸前まで見定めて、一気に動くんだ」


 言われた通りに目を凝らしてみる。プリトンがいななきさらに加速した。


「大丈夫だから、絶対に恐れないで」


 言われるまでもなく、恐怖などちっとも感じなかった。そして迫るプリトンに合わせて身体を滑り込ませた。だが思ったよりもタイミングが早く、俺の気配に気付いたプリトンが大きく横に逸れていく。


「そう! 失敗したけど今みたいな感じ! もっと、もっと神経を研ぎ澄ませるんだ……!」


 またダンテがプリトンをよこす。今度も尻尾に手は届かなかったが、さっきよりも着実に近づいていた。この瞬間俺は成長を実感していた。


 そして一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、三時間が過ぎた。着実に成功に近づいているのだが、あと少しのところで掴みかねていた。俺の身体はもうくたくただった。小屋から出てきた牧場長が俺のそばに近寄ってきて、呆れたような顔をした。


「頑張ってくれるのは結構だがね、私はもう出発せねばならん! あと一匹足りないが、既に馬車に積んだ分だけで十分だ。ただ足りない分は報酬から差っ引かせてもらうが、構わないかね?」

「ちょっと待ってください! あとちょっと、あとちょっとなんです!」

「……そっちの彼女にやってもらうのはダメなのかい?」


 それは最もな話だった。しかしいつの間にか俺の中に芽生えたちんけなプライドがそれを許そうとしなかった。


「それじゃあダメなんです! ここまでやって」

「……わかった。あと一回だけだ。それで捕まえられないのなら私はもう行く」


 なんとなく顔をほころばせた様子の牧場長に、俺は力強く頷いた。正面に向き直った俺は、今日一番の声を出した。「ダンテ! それじゃあ頼む!」


 深く頷いたダンテがプリトンをよこそうとした。しかしケインがそれを引き止めた。


「おいアラシ! 最後はこいつで華々しくしまいといこうじゃねえの!」


 ケインが示してる方には、他の個体とは比べ物にならないほど巨大なプリトンがいた。なぜか頭頂部にたてがみが生え、大きな身体は筋肉で膨れ上がり、顔にはなぞの古傷、おまけに反り返った立派な牙が口からはみ出ていた。

 比喩なしで二メートルあるんじゃなかろうか。遠目ではあるが、ジャスタリトルズで最も大きいダンテに比べて頭一つは大きいように見えた。


 あまりにも普通じゃないその様相に、俺の中に芽生えだした闘争心はすっかり消え失せる。


「だ、ダメだ! そんなのがぶつかってきたら吹き飛ぶだけですむはずがない! 来世の俺の身体もちぎれちまう!」

「う、うむ。奴はこの牧場の“主”みたいな存在でな。元々他の個体よりも一回り大きかったんだが、ここに遣わされて来るギルド員を片っ端から弾き飛ばして、とうとうあそこまで成長しおった。そのくせ通常のプリトンよりも足が速く、突進の破壊力は比べ物にならないぞ!悪いことは言わん! やめときなさい!」

「聞いたか! 牧場長がこう言っているんだ! 普通のやつにしてくれ!」


 ケインが不満そうな顔をした。そして牧場長が、今の俺に決して言ってはいけないことをいった。言ってしまったのだ。


「確かギルドで一番の腕利きだとかいう、“ボルタ”とかいう人もそいつには敵わなかったんだ!」


 俺は口を閉ざした。


「……なんだって?」

「ん? いや、だからやめときなさいって」

「……違う。誰が敵わなかったって?」

「……うむ。“ボルタ”という人も……」


 俺はどっしりと腰を構えた。恐怖心は吹き飛び、再びとてつもない闘争心が巻き起こっていた。


「おいケイン! そのチビをよこせ!」

「なっ!? 君! 私の話を聞いていたのか!?」


 俺の言葉にケインがにやりと笑った。ケインは背中のバカでかい剣を抜く。俺は牧場長を押しのけ、叫んだ。


「来いよ! ぽんこつ!」

「だよなあ……。男って言うものは……」


 ケインが巨大な剣の腹で、プリトンの親玉の尻を痛烈に叩いた、


「そう来なくっちゃ!」


 プリトンの主が、声だけで地面を揺らすほどの雄叫びを上げた。上半身を起こし、小さな家の屋根ほどの高さから前足を叩きつけた。そして地面をえぐるほどの脚力を持って俺に向かって迫りくる。


 なるほど、確かに他の奴らよりも速い。迫力は段違いで、まるで壁のようだ。牧場長はたまらず逃げ出した。わずかに緊張した様子のルシノが離れたところから俺を励ました。


「大丈夫! 図体はでかいけど、やることはおんなじだ! 見た目に惑わされず集中するんだ!」


 言われるまでもない。ルシノの言葉を遠くに聞きながら、俺の意識は今までよりもずっと研ぎ澄まされていた。草だとか空だとか、視界から一切の無駄な物がなくなり、プリトンの主しか見えなくなった。俺と奴だけの世界。奴の身体が揺れている。ゆっくりゆっくり揺れている。奴の毛のうねりすら読み取れた。

 プリトンの主が少しずつ近づいてくる。まるでかたつむりみたいにのんびりと。そして気がつくと、手が奴の顔に届きそうなほどの距離にいた。でもまだ動かない。奴のたてがみが俺の額をなでる。でもまだ動かない。奴の牙が俺の頬をかすっていった。でもまだ動かない。そして奴の口と俺の口が触れた瞬間、俺は弾かれたように飛び出した。身体をわずかにそらす、左肩がプリトンの主に擦れる、そして奴の背後に身体を滑り込ませ、尻尾に手を伸ばした。


「取った!」これはケインの言葉だ。「取った!」これはルシノの言葉だ。取った! 俺もそう思った。全ては完璧だった。


 が、手は空振った。


 確実に届くテンポだった。だがなんてことはない。奴の身体が大きすぎて、尻尾に手が届かなかったのだ。


 そしてルシノが悲鳴を上げた。プリトンの主の直線上には、牧場長がいた。


「危ない! 逃げて!」


 ルシノが叫ぶ。だが牧場長は逃げない。見ると、彼はすっかり腰を抜かして座り込んでいた。絶体絶命だ。ルシノは思わず目を覆う。俺はどうして彼女がそんな顔をしているのか、ちっともわからなかった。すかさず俺は宣言する。


「俺が止める」

「アラシが!? 無理だ! 追いつけるはずがない!」

「追いつける」


 多分だが、俺の心はプリトンの主を相手取った時の興奮が抜けていなかったのだ。心は依然として全能感に満ちていた。彼女の返答も聞かず、俺は駆け出した。


 足が地面に吸いつく。不思議といつもよりもずっと速い。思い込みかもしれないが、足を動かすテンポがいつもの倍は速かった。知覚が増したからといって身体能力が上がるわけではない。身体の動かし方がずっと上手くなっていた。


 冷静に考えたら、普通のプリトンよりも速い主に追いつけるはずなんてなかったのだ。だが俺の身体はぐんぐんと加速し、主の身体との距離が近づいていく。そして奴の寸前まで近づき、跳んだ。


 俺の手は主の尻尾を掴んでいた。牧場長まであと四歩のところだった。


「うおおお! どうだ! やってみせたぞ!」

「わ、私の心臓が持たんよ!」


 咆哮とともに、片手を突き上げてみせた。いつの間にか駆け寄ってきていたケインとダンテに背中を叩かれ、讃えられる。歓びとともに振り返ると、なぜかルシノは神妙な顔をしていた。


「私はこれでも足の速さでは負けたことがなかったんだけどね……」

「なんだよ、ルシノは褒めてくれないのかよ!」


 相も変わらず考え込んでいた彼女は、やがて疲れたような笑顔で言った。


「多分だけど、君。人類最速だ」


 褒めてくれとは言ったもののいざ褒められるとなんたか照れくさくなり、「そ、そう?」と俺は思わず頬をかいた。


「あ、ありがとな。ルシノ……」

「え? あ、うん。ところで一つだけ質問いいかな?」

「いいぞ! なんでも聞いてくれよ」

「なんでプリトンから手を離した?」


 直後、轟音が聞こえた。振り返ると無惨にも破壊された柵と、地面に転がり、股の間と頭の横に深い穴を作った牧場長がいた。牧場長はすっかり気を失っていた。

ちょっと長くなったので、今話の要約を載せときます。

\\セカンドキスは歳老いたプリトンと//

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