第8話
………
……
「ごちそうさまぁ! 美味しかったよぉ! モモカ!」
メイが大声をあげながら食器を持ってキッチンに入っていった。
『世話係』の彼女の後を、自分の食器を持ってついていく僕をキッチンで迎えてくれたのは、先に片付けを始めていたモモカさんだ。
『ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい』
小柄な彼女は小さな指でタブレットのホワイトボードにそう書きこむと、その画面をメイに見せた。
実は彼女はしゃべることができない。
ここにやってくる前に受けたショックが原因で、言葉を失ってしまったらしいのだ。実際に何があったのかは知らないけど、かなり辛い目にあったのだろうことは、いくら鈍い僕でも容易に想像がついた。
だがメイはモモカさんがタブレットでコミュニケーションをとっていることなんて、さらさら意に介していないようだ。まったく違和感のない調子で続けた。
「やっぱりモモカの作るタマゴサンドは最高だよぉ!」
そんなメイの様子にモモカさんは嬉しそうに目を細めている。
ショートボブカットで丸顔の彼女は、僕とメイよりも二つ年上だと言うが、とてもそうは見えない幼なさがある。
ちなみにゲンさんよりちょっと前に入所したらしい。
つまり彼の世話係だったそうだ。
そのゲンさんいわく、非常に世話好きで、よく気が利くのだそう。
誰かさんとはまるで正反対だ……。
「ちょっと、ジュンペイ! 今なにかよからぬことを考えていたでしょ?」
「そ、そんなことないよ!」
鋭い視線で睨みつけてきたメイに、僕はぶんぶんと首を横に振った。
しかし彼女は眉をしかめて僕の顔をのぞきこんでくる。
そこで僕は誤魔化すようにモモカさんに問いかけた。
「た、食べ終わった食器は食洗機に入れればいいんですよね?」
『うん! よろしくね!』
笑顔で答えてくれたモモカさんの指示に従って食洗機の中に食器を入れると、みなも続ていく。
そうして一番最後に所長のハルコ先生が食器を入れたところで、
「スイッチオーン!」
と、機械のボタンをメイが押した。なぜそんなに気合いを入れたのかは分からないが、とにかくこれで食器洗いは完了だ。
鍋や調理器具はシンクに備え付けてある自動洗浄機が洗ってくれる。
残りは食事当番のモモカさんが、食堂のテーブルを布きんで拭けば、あと片付けは終わり。でもテーブルは大きく、小柄な彼女が一人で拭くのは大変そうだ。するとメイがニンマリと笑って、僕の背中をポンと叩いた。
「ジュンペイ! モモカを手伝おうよ!」
断る理由は何もない。僕もメイと同じ顔をして、大きくうなずいた。
「うん!」
大きなテーブルも三人で拭けばあっという間だ。
そして、すべてのあと片付けを終えた後、僕たちはコーヒーを飲みながら一息つくことにしたのだった。
………
……
『ゲンちゃんったら、すごくおかしいの! だってそこらに生えている草を食べちゃうんだよ!』
「ええ!? マジでぇ!?」
『うん! マジ、マジ! この野草は生でも大丈夫、とか言ってね』
「ゲンさんって草オタクだったんだね! あはは!」
『ふふ、草オタクってなぁに?』
「草オタクは草オタクだよぉ! あはは!」
見た目は大人しそうなモモカさんだが、意外なことによくしゃべる。
いや、『しゃべる』というのは、少しだけ語弊があるかもしれない。
実際は器用にタブレットに指を走らせて言葉を書くのだ。
しかも驚くほど上手な字だ。そこにも彼女の繊細で美しい心根が見てとれる。
もし彼女が話すことができたなら、きっとこの食堂はメイと彼女の明るい声で、都会のカフェのような雰囲気になっただろうな。
いつの間にか三人ともコーヒーカップの中は空だ。
それでも止まらないガールズトークを、僕は微笑ましい目で見ていた。
するとメイがいやらしい目つきでモモカさんに問いかけた。
「んで、シュンスケとはどうなの?」
――カチャンッ!
コーヒーカップが音を立ててモモカの手から落ちる。
そして顔を真っ赤に染めた彼女は、ぶるぶると首を横に振った。
「ふーん、そうなんだぁ。去年の『俺たちの日』で二人がイイ感じだったから、進展があったのかと思ってたよ」
「俺たちの日?」
耳慣れない言葉に首をかしげるた僕に、メイが早口で教えてくれた。
「毎年、11月の終わりに花火大会をすることになっているんだよ。花火職人さんを呼んで、みんなで打ち上げ花火を一から作るの」
「へぇ、すごいな」
そう言えば、ここに来る前に父さんから手渡されたパンフレットに花火の写真があった気がする。でも自分たちで打ち上げ花火を作るなんて知らなかった。今年は僕も参加できると思うと、今からちょっと楽しみだ。
そんな風に考えを巡らせていると、モモカさんがタブレットに文字を書き込んだ。
『シュンスケさんは、わたしの世話係なの。ただそれだけの関係』
最後の「ただそれだけの関係」の部分が走り書きで読みづらいのは、きっと彼女の複雑な心境を表しているからだろう。
『わたし未来の恋愛じょうじゅは0だし。それに』
「それに?」
モモカさんは何かに気付いたのか、はっとした顔となる。
タブレットの文字をリセットした彼女はきゅっと口を結んで、うつむいてしまった。
どこか気まずい空気が流れる。
そろそろ解散した方がよさそうだな。
ちらりと掛け時計に目をやると8時半を指している。
10時から菜園の手入れをみんなでやることになっているから、部屋に戻ってシャワーを浴びる時間はありそうだ。
僕が三つのコーヒーカップをキッチンへ片付け終わったのを見計らって、メイも立ちあがった。
「じゃあ、そろそろ行くね! わたしたち廊下掃除しなくちゃいけないから」
廊下掃除? いったいなんのことだろう……。
「え? そんなの聞いてない」
目を丸くする僕に、メイは眉をひそめる。
「そりゃ、そうよ。今言ったんだもん。昨日、食事当番をさぼったバツだってさ」
僕は口を尖らせた。
「なんで僕が……」
「いいから、いいから!」
僕の言葉をさえぎったメイは強引に僕の腕を引っ張って食堂を後にしようとした。
……と、その時だった。
――ガタッ!
音を立ててモモカさんが立ち上がったのだ。
「どうしたの?」
思わずその場で動きを止めてしまった僕たちに対し、モモカさんはタブレットの画面を向けてきた。
そこには、
『手伝ってほしいことがあるの』
と書かれていたのだった。
………
……
元の席についた僕たちは、モモカさんの頼み事を聞くことにした。
そして彼女は本題に入る前に、彼女自身のことを話してくれたのだった。
『死神チェックの結果が衝撃的すぎて言葉を失ってしまったの』
そして高校2年の夏休みが終わる直前に、彼女は再び学校に呼び出されて、担任にこう告げられたらしい。
――声を失ったままでは高校生活を送るのは難しい。それに死神チェックの結果のこともある。ここは休学してはどうか?
「ひどい……」
メイが顔を白くしてつぶやくと、モモカさんは乾いた笑みを浮かべた。
『ええ、この言葉が私の心を打ち砕いたわ。私にとって高校生活こそ全てだったから。
調理部の次期部長に任命され、友だちにも恵まれ、そして淡い恋をしていて。
「休学してはどうか」の一言で、それらすべてが粉々に壊されてしまった。
いや、実際には声を失った瞬間から、高校に自分の居場所はなかったのかもしれないわね』
そうモモカさんは述懐してくれたけど、状況は違えど僕も似たようなものだ。
涙を浮かべながらタブレットを使って語る彼女の痛みはすごく共感できた。
『そして私は逃げるようにしてここにきたの。でもなんの期待もしてなかった。誰ともしゃべれない私の居場所なんてあるわけないってね』
「だけどシュンスケは違ったのね」
メイの言葉にモモカさんの頬が赤く染まる。
彼女はコクリとうなずくと、かすかに震える指先でタブレットに文字を書き始めた。
『シュンスケさんはいつだって私を理解しようとしてくれた。タブレットが使えない時は、何度も何度も声をかけて、私の考えていることを引き出そうとしてくれた。声の出せない私の代わりに、恥ずかしがり屋の彼が声を張り上げてくれたこともあった』
文字から溢れ出す感謝の想い。
まるで浮き上がって踊りだしそうなくらいに、キラキラと輝いている美しい字だ。
『シュンスケさんはわたしの声になってくれたの』
でも次の瞬間にその字が悲しみの色に染まっていった。
『でも、私……知ってしまったんです。シュンスケさんの余命のこと。そしてこれから発症する病気のこと』
そこでモモカさんの手がピタリと止まる。そして苦しそうに顔を歪めた。
メイが心配そうに彼女の背中をさすって、
「無理しなくてもいいよ。どんな頼みでも聞くから」
と声をかけている。僕も同じ思いで、口を結んだまま小さくうなずいた。
しかしモモカさんは首を横に振った。
『ありがとう。でも、大丈夫。……シュンスケさんからはみんなに話してもかまわないって言われてる。いつかは知られてしまうからって。だから……』
呼吸を荒くして、頬には滂沱として涙を流すモモカさん。
彼女は懸命に指を動かした。
『シュンスケさんの余命はあと3ヶ月なの。そして、一つずつ五感を失っていく病気にかかるの』
ぐらりと脳を揺らす衝撃に立ちくらみを覚える。
もし椅子に座っていなかったら倒れていたかもしれない。背もたれがあって本当に助かった。
それはメイも同じようだ。彼女は隣の僕にもたれかかってきた。
細い彼女の肩をそっと支えると、「ごめんね、ありがとう」と無理した笑みで彼女は返してきた。
そして僕らをちらりと見た後、モモカさんは意を決したようにタブレットに文字を書いた。
『だから私はシュンスケさんにプレゼントを贈りたいの。今までの感謝を込めて。
お願いします!
プレゼントを作るのを手伝ってください!』
その文字は、今までに僕が見たどんな字よりも力強くて、胸に迫ってくる。
そして僕が何か言い出す前に動いたのはメイだった。
――ガタッ!!
勢いよくその場を立ち上がった彼女は、モモカさんの手をがっちりと掴みながら、部屋を震わせる声で告げたのだ。
「わたしたちで最高のプレゼントを贈ろう!」
胸の奥に突き刺さるような一直線な言葉に、モモカさんも僕も目を大きくしてメイを見つめた。
きらきらと目を輝かせたメイは、語調をさらに強めて締めくくったんだ。
「シュンスケとモモカの心にずーっと残る『風景』を一緒に作るんだよ!!」
と――




