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第7話

◇◇


 『最高のハッピーエンド』には『奇跡』がつきものさ。


 そして人が人を想う気持ちには、僕たちには想像もつかないくらいな力があって、時にはその力が『奇跡』を起こすものだってことは、君もよく分かっているはずだよ。

 

 だって僕たちは、とある『奇跡』を目の当たりにしたのだから……。


◇◇


 食事の片付けを終え、美しが島で過ごした初めての一日が終わった。

 いろいろなことがあったからだろうか。自分の部屋に入ったとたんに、僕はぐっすりと眠りについた。

 そうして朝日が昇るとともに、気持ちの良い朝を迎える……はずだった。

 しかし……。


――ドタドタドタッ!


 廊下に響くけたたましい足音で、僕は目を覚ました。

 ベッドの近くにあるデジタル時計を覗くと、時刻は5時。

 窓の外はまだ暗いし、起床は6時半と聞いている。


「もう少し寝かせて……」

 

 僕はもう一度布団をかぶった。

 だがすぐ部屋の外まで迫ってきた悪魔は、僕が再び眠りにつくのを許さなかった。


――バンッ!!


 ドアの開く強烈な音とともに耳に飛び込んできたのは、メイの甲高い声だった。


「おっはよー!! ジュンペイ!! 朝がくるよぉ!!」


「のわああ!!」


 思わずベッドのはしの方まで飛び起きると、掛け布団で体を隠した。

 寝起きのパジャマ姿を他人に見せるなんて、中学の修学旅行以来で恥ずかしかったからだ。

 一方のメイは昨日のようなワンピースではなく、白いシャツの上に青色した薄手のパーカーを羽織り、短めのパンツにカラフルなレギンスをはいている。そして靴もサンダルではなくて、スニーカーだ。

 まるでハイキングへ行く格好にしか見えない。

 そんな彼女が腰に手を当てながら、頬を膨らませた。


「ちょっとぉ、何してるのよ! 早く用意してよ!」


「用意? 何の?」


「一緒に探しに行くんでしょ!? 自分だけの『風景』を!」


「こんな早い時間に!?」


「こんな早い時間にしか見ることができない『風景』もあるの! さあ、早く着替えて! 後ろ向いてるから!」


 くるりと背を向けたメイの気迫に押されるように、僕はゆったりめの黒のワイドパンツをはき、白いシャツの上から紺色のスウェットを着た。


「用意できたよ」


 ぼそりと告げた僕に、再びこちらを振り向いたメイはニカっと笑みを浮かべた。


「うん! よしっ! じゃあ、しゅっぱぁぁつ!」


 メイが右手を大きくあげる。

 まだ半分眠ったままの僕の脳は、短く問いかけるより他なかった。


「ってどこに!?」


「行けば分かるさ! ついてきて!」


 そう言い終わるやいなや、彼女は部屋を飛び出していった。


「ちょっと待って!」


「ダメ、待てない! もう時間がないんだもん!」


 もはや何を言っても聞かなそうだ。

 僕は考えるのを諦めて、メイの背中を追いかけていく。

 廊下を真っ直ぐ進み、玄関のそばにある事務所の横を通りぬけた。


「こらぁ! 二人とも! こんな時間になにしてるの!!」


 途中、飛び出してきたレイナ先生の怒声が聞こえてきたが、メイが止まるはずもない。


「朝ごはんまでには帰ってきますからぁ!」


 と大声で返しただけで、そのままホスピスの外に出た。

 見上げた紫色の空には小さな星がいくつも輝き、見下ろす海は黒く、船着き場に建てられた小さな灯台の光が白く反射している。

 とても幻想的な雰囲気に、思わず見とれてしまった。

 するとメイが僕の背中をパンと叩いてきた。


「西の空から日は昇らないよ!」


 目の前に広がる海とは逆の方向を向いているメイにならって、僕も体の向きを変える。

 すると目に飛び込んできたのは、うっそうと茂る大きな森と、その先にある小さな岩山だった。

 すごく嫌な予感がよぎる……。


「まさか……」


 さっと顔を青くした僕の手をメイがぐいっと引っ張った。


「日の出を見る特等席を目指して、わたしたちは風になるんだよ!」


「えええええっ!!」


 驚きの声をあげているうちに、僕はメイに引っ張られて森の中へと入っていった。

 星のあかりさえも届かないその場所は、黒一色に染まっている。

 でもメイは迷いなく、一直線に進んでいた。

 その背中を逃すまいと僕も必死に手足を動かした。

 時折、木の根につまづく。

 一瞬だけメイから視線が足元に移ると、漆黒の闇に包まれて不安と恐怖が胸を覆ってくる。

 ひとりでに足がすくみ、メイとの距離がわずかに開く。

 それでもメイは止まらなかった。その代わり、僕に鋭い声をかけてきたんだ。


「立ち止まってる暇なんてないの! 残された時間は少ないんだから!」


 その言葉は、日の出までの時間だろうか、それとも僕たちの余命のことだろうか……。

 どちらかは分からない。

 分からないけど、僕の手足を再び動かす力になった。

 いつの間にか森を抜ける。

 空が少しずつ白くなってきた。


「この山のてっぺんが特等席だよ!」


「うん!」


 僕の力強い返事が意外だったのか、メイは目を大きくした。

 でも直後には目を細めながらニコリと微笑んだ。


「じゃあ、行こう!」


 かけ声とともに彼女は器用に岩場を登っていく。

 僕は必死にその背中を追いかけた。

 ひんやりした夜明け前にも関わらず、ひたいから一筋の汗が垂れてくる。

 にわかに息遣いも荒くなっていった。

 心臓はバクバクと音を立て、踏み出す足には乳酸がたまっているのが分かる。

 でも不思議と「きつい」とは思わなかった。

 弱音など入り込む隙もないくらいに、僕の全身を包んでいたのは、


――僕は今生きている!


 という『当たり前の事実』だったのだ。


「はぁはぁ」


 前を行くメイの吐息とともに、髪がふわりふわりと揺れる。

 

――彼女もまた生きているんだ。僕とともに生きているんだ。

 

 そう思うだけで鼻の奥がツンとして、汗とともに涙が出てきそうになる。

 もちろんこんなところで意味もなく泣くわけにはいかない。

 僕は歯を食いしばってメイの先を見た。

 ぐんぐんと近づいてくる岩山のいただき。


「もう少しだよ! もう少しだよ!」


 メイが声をあげる。


「がんばれ!」


 僕の口からもひとりでに声がもれた。

 そうしていよいよ空が白で埋め尽くされた時……。


「ついたぁぁぁ!!」


 僕とメイは岩山の頂上に到着した。

 大きく両手を広げているメイの隣で、両ひざに手をついて息を整えている自分が情けない。


「ジュンペイ、見て!」


 メイの声に弾かれるようにして僕は視線を前に向けた。

 その瞬間に、あれほど荒れ狂っていた心臓の鼓動が、一瞬だけ止まってしまったような錯覚に陥ったんだ。


「うわぁ……」


 思わずため息が漏れてしまうほど、圧巻の光景だった。

 

 山のふもとに広がる緑の森。

 その先の真っ白な砂浜。

 青い海。

 白い空。

 そして、顔を覗かせた太陽。

 

「これが、わたしたち二人だけの『風景』だよ」


 メイの穏やかな口調が、一滴のしずくとなって僕の心に落ちる。

 その直後に止まっていた時が一気に動きだした。

 心も体も感動に打ち震え、自然と涙があふれてくる。

 そしてひとりでに出た言葉も震えていた。



「キレイな今を……ありがとう……」



 メイは天使のような優しい顔で微笑んだ後、天を震わせるほどに大声をあげた。


「キレイな今を、ありがとぉぉぉ!!」


――カシャッ!


 彼女は朝日に向けてシャッターを切った。

 だが次に彼女がカメラを向けたのは、涙を流したままの僕の顔だった。


――カシャッ!


 ピタリと涙が止まり、みるみるうちに顔に熱がこもっていった。


「ちょっとやめろよ!」


――カシャッ!


 顔を真っ赤にして怒った僕の顔も容赦なくカメラにおさめたメイは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「あは! ジュンペイの笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、ぜぇんぶが『風景』なんだよ! あはは!」


「そんな風景なんていらない! 今すぐ消してくれ!」


「やぁだよ! あはは!!」


 メイはまるでウサギのようにぴょんぴょんと跳ねながら僕から逃げていく。

 彼女を捕まえるのを諦めた僕は、もう一度だけ岩山の頂上から臨む光景に目を戻した。

 そこにメイが並んでくる。

 何事もなかったかのように、きらきらと瞳を輝かせている彼女を見ていると、何もかもが許せる気がした。

 そして大きな自然を僕たち二人で独占しているのが、もったいなくて、でも幸せだった。

 ふとズボンのポッケの膨らみに意識が向く。

 それはそっとしのばせておいたハーモニカだった。

 

「吹いてくれるの?」


 人に聞かせるような代物ではない。

 幼い頃、あまりに内気な僕を心配した父さんがくれたもので、一曲しか吹けない。

 でもここで吹かないといけない気がしたんだ。

 

「うん」


 僕は両手にハーモニカをおさめて、ゆっくりと口につけた。

 青と白が入り混じった空に一筋のメロディが吸い込まれていく。

 隣に立つメイにちらりと目をやると、彼女は目をつむって顎を上げている。

 

「きらきら星……」


 彼女が曲名をつぶやいた。

 朝で星なんて見えなくなっているのに、この選曲はおかしいと思われても仕方ない。

 しかし彼女は馬鹿にすることなんてなかった。

 

「とっても素敵……」


 そうしみじみとした口調でもらした後、幸せそうに口角をあげている。

 途中までしか吹くことができない。

 だから何度も同じフレーズを繰り返していた。

 すると彼女は自然と歌詞を口ずさみはじめたんだ。

 

 僕のハーモニカと、彼女の声がシンクロして景色に溶けていく――。

 

 今まで感じていた絶望が「過去」になり、僕は「今」の幸せを噛み締めていた。

 そして僕はこの時から、胸の中に一つ小さな光をともしたんだ。

 もちろんそんなことを口には出せない。

 だからハーモニカの奏でる音に、心をこめた。

 

――僕はメイが好きだ。


 未来の恋愛成就の回数は「0」。

 しかも彼女とは出会ってからまだ二日目だ。

 だからきっと恋心とは違うのだろう。

 でも、僕の最高ハッピーエンドには『メイ』という風景なしではありえない。

 そう思ったんだ。

 そうして朝日が完全に空におさまった頃。彼女は弾むような声で言った。


「そろそろ帰ろっか!」


「うん、そうしよう」


 来た道を今度は下り始めるメイ。

 僕は再び彼女を追いかけはじめた。

 そしてその背中に向かって、小さな声でつぶやいた。


「ありがとう、メイ」


 それは心の底から湧きあがってきた混じり気のない言葉だった。


「えっ? なにか言った?」


 メイは少しだけ振り返って問いかけてくる。

 でも僕は小さく首を横に振った。


「なんでもないよ。お腹空いたらから早く戻ろう」


 本心を伝えるのは、もう少しだけとっておこう。

 そしていつか、しっかり言うと決めたんだ。


 『君と出会えてよかった』と――。


………

……


 僕たちがホスピスに戻ってきた頃には、白かった空は青く変わっていた。

 食堂の窓から流れてくる魚の焼けた匂いにお腹が鳴っている。

 膝が笑うほど疲れているが、それにも増した充実感に浸っていたのは、隣のメイも同じようで、彼女から楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。

 そうしてホスピスの裏手にある庭を横切ろうとした。

 ……と、そこに一人の青年がじょうろを片手に立っているのが見えたのだ。

 こちらに目を向けているが、気づいていないのだろうか。

 誰だったかな……。

 たしか昨晩の食堂で見たような気がするんだが……。

 僕が名前を思い出せないでいると、青年の存在に気づいたメイが明るい調子で名前を言った。


「あ! シュンスケ!」


 メイがたったと青年のもとへ駆け寄っていくと、彼は穏やかな微笑みを浮かべた。


「おはよう、メイ。今日も元気だね」


「あは! 元気があれば何でもできるからね! シュンスケは今朝もお花に水やりしてるの?」


「ああ、日課だからね。もうすぐカーネーションとバラの季節なんだよ」


「へえー!」


 メイが目を丸くしたところで、シュンスケさんが僕の方に柔らかな視線を向けてきた。


「ああ、その声は新しい仲間だね」


 声? 目の前に立っているのに?

 そんな違和感を覚えているうちに、彼は言葉を続けた。


「僕は根元峻介ねもとしゅんすけ。みんなからは『シュンスケ』って呼ばれているんだ。よろしくね」


 とても物腰が柔らかで、見た目は女性と見間違えてしまうくらいに綺麗な顔立ちの持ち主だ。細やかで優しい性格が口調からも見た目からも滲み出ている。


「滝田順平です。よろしくお願いします」


「うん、ジュンペイくんの世話係はメイなんだってね。正直言って驚いたけど、メイはとても楽しい子だから、きっとここでの生活が楽しくなると思うよ」


「はい! ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、彼の手元が自然と視界に入る。

 すると彼は少しだけ顔を赤らめた。


「はは、男が花好きっておかしいよね」


「いえ、そんな……」


「いいんだ。僕の実家は花屋でね。幼い頃から花に慣れ親しんできたから。こうして花に水やりしていると、実家で過ごしていた頃を思い出せて、幸せな気分に浸れるんだ」


「そうだったんですね」


「それに……。もうすぐ僕は花を愛でることができなくなってしまうから」


 シュンスケさんの湿った声が、春の風を呼ぶ。

 背後の森から聞こえてくるさらさらと木々のこすれる音が、一抹の寂寥感となって、メイと僕の顔に小さな影を作った。

 そんな僕たちを見たシュンスケさんが、ぎこちない笑みを浮かべて手を振った。


「ははは、しんみりさせちゃってごめんね。あ、そろそろ朝食の時間だね! 一緒に行こう! 今日はモモカが食事当番だから、とびっきり美味しいお料理が出てくるはずだよ!」


「あは! モモカは料理上手だもんね!」


 気をきかせたメイが明るい声で場を和ませる。

 一度は冷めた場に温もりが戻ってきたところで、僕たちは連れだって食堂へと向かったのだった。

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