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第5話

◇◇


 別に今の君を責めているわけではないんだ。

 でもこれだけは分かって欲しい。

 あの頃の君はいつだって最高のハッピーエンドを演出しようと、必死に『今』を生きていた。

 『余命3年』なんて言葉にとらわれてなんかいなかった。

 いつだって君が見ている風景は輝いていた。


 一方の僕は、たとえクラスメイトや家族に「未来を諦めるな」と強く背中を押されても、僕の未来が何も変わらないのは分かっていた。だから僕の立つ絶望の淵には暗闇しかなかったんだよ。

 

◇◇


「新入りくん。ここはビシッと、男らしく断ったっていいんだぜ」


 ホスピスの広い厨房にメイとともに入ったところで、僕は『ゲンさん』に、そう告げられた。

 だが迷うことなく「いいえ、やらせてください」と答えたのは、メイのことをもっと知りたいという下心があったからだ。

 しかしそんな本心など告げられるはずもなく、壁にかけてあった割烹着に身を包んで、メイの横に並んだのだった。


「あはは! ジュンペイはおおらかな人ね! それに比べてゲンさんときたら……」


 やれやれと言いたげに首を横に振る彼女に、ゲンさんは顔を真っ赤にして彼女へ掴みかかろうとしている。僕は慌てて彼を抑えた。


「と、とにかく今は喧嘩している場合ではないでしょ! 7時になったら、みんなが食堂に集まってきちゃうんですよね!?」


 今は6時過ぎ。しかし並べられた食材は手つかずのまま……。

 このままだとマズイことになるのは、新参者の僕でもすぐに理解できる。 

 なお食事当番は入所者による輪番制がここのルールで、朝、昼、晩の三食を担当することになっているそうだ。

 今日の当番は言うまでもなくメイ。

 献立とレシピは、栄養バランスや調理者の経験などを踏まえてAIが考え、壁に備え付けてあるタブレットから音声と映像で指示されるらしい。


「あは! じゃあ、三人で手分けして、ちゃちゃっと済ませちゃおうか!」


「さ、三人って俺もかよ!?」


 ゲンさんが目を丸くして自分を指差している。彼の反応は当たり前だと思うが、メイは眉をひそめた。


「だってそのためにここに来てくれたんでしょ? まさか冷やかしにきたの?」


「違う! 俺はおまえの世話係としてだな……」

「ねえ、AIさん! 三人でカレーを作るから、作業を指示してちょうだい。作業者はメイ、ジュンペイ、ゲンの三人ね」


 ゲンさんの言葉の途中で、メイは壁にかけてあるタブレットに話しかけている。

 口をパクパクさせているゲンさんを僕が抑えていると、タブレットから無機質な女性の声が聞こえてきた。


――まずゲンさんが玉ねぎ、メイさんは野菜、ジュンペイさんは豚肉を切ってください。玉ねぎはみじん切りに……。


 こうなってしまえばゲンさんも降参せざるを得ない。

 がくりと肩を落として割烹着を手に取った彼を見つめながら、メイは嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべていたのだった。


………

……


 新田芽衣は僕と同じ17歳。東京で生まれた彼女は日本の中学校を卒業した後、父親の仕事の関係でロンドンに移り住み、現地のハイスクールに通っていた。

 ところが昨年の夏に受診した死神チェックで『余命3年』と宣告されてしまい、本人だけ帰国してこのホスピスにやってきたらしい。


「わたし、ずっと都会で暮らしてきたから、最後ぐらいは自然に囲まれた場所で過ごしたかったの」


 というのが彼女がここへやってきた理由だそうだ。

 なお、彼女が未来に発症する病気は、脳細胞が突然死滅するもので、特定のホルモン分泌量の増加が起因しているのだそうだが、詳しいメカニズムは解明されていない。


「だから脳みそに爆弾を抱えているようなものだって、お医者さんが教えてくれたの! それってすごく怖くない!? 一刻も早く爆弾処理班の出動を頼むって感じだよね! あはは!」


 ともすれば暗くなりがちな話を、包丁片手にあっけからんと話す彼女に、僕はただ口をぽかんと開けていた。

 なぜこんなにもさっぱりしているのか。

 そこで思いきって彼女に聞いてみた。

 ……が、その答えすら、僕の理解におよぶものではなかった。


「人間いつかは死ぬもんだし、それがちょっぴりだけ早くなっただけだよ。それなのに、3年もこんな素敵な自然に囲まれて過ごせるんだよ! ご褒美タイムを与えてくれた死神さんに感謝しなくちゃ!」

 

 僕がネガティブすぎて彼女についていけないのか、それとも彼女が普通の人とは違う感性の持ち主なのか、どちらなのだろう……。

 その答えは、呆れた顔をして首をすくめているゲンさんを見れば一目瞭然なのかもしれない。


「さあ、いよいよ材料を鍋にぶちこんでかき混ぜるよぉ!」


 嬉々としてカレー作りを進めていく彼女を置いておき、今度は配膳の支度にとりかかったゲンさんに話を聞くことにした。


「俺は時田源次ときたげんじ。おまえさんたちよりも六つ年上の23歳。余命は……、まあ、内緒ってことにしておいてくれや」


「ゲンさんはいっつもそればっかじゃん」


 巨大な鍋の中を大きなへらでかき混ぜている僕の横から、メイが口を尖らせた。


「うっせえ! 俺はおまえと違ってデリケートなんだよ!」


 きっとゲンさんの反応が普通なんだと思う。

 自分の余命をメイに話してしまったことを、ちょっとだけ悔んだ。

 

「俺は六人兄弟の長男。そしてうちはAIエンジニアを営んでいるんだ」


 タブレットや家電に高性能なAIが搭載されるようになってから半世紀近くたった現代において、「まちのAI屋さん」と呼ばれているAIエンジニアの存在は欠かせない。特にお年寄りたちにとってはAIによる健康管理や緊急連絡に異常をきたせば、それこそ命取りになりかねないのだ。ゲンさん一家のように、AIエンジニアが一軒一軒町内を回って機材のメンテナンスをしてくれるから、みんな安心して暮らせていると言っても過言ではないのである。


「だから辛抱強くて、面倒見がいいのか……」


 ぼそりとつぶやいた僕の脇腹を、メイがむぎゅっとつねってきた。


「いてっ! な、なんだよ!? 急に!」


「ふーんだ! どうせわたしの世話係は辛抱強くて、面倒見がよくなきゃつとまらないですよーだ!」


「そんなこと言ってないだろ!?」


「顔に書いてありますぅ!」


「がははは! そのへんにしておけ! ほれ、そろそろカレーのできあがりだろ!? メイ、味見してみろ!」


 僕とメイの間に割り込んできたゲンさんは、鍋の前に立つと小さなおたまでカレーをすくい、それを小皿にうつした。

 僕からぷいっと顔をそらしたメイが、ふぅとちょっとだけカレーを冷まし、ゆっくりと口をつける。

 彼女の薄い唇が少しだけ震えた直後、彼女はかっと目を見開いた。


「うおおおお! うまあああい!! うん、天才だよ! わたしたち三人はカレー作りの天才だよ! あはは!!」


 メイはさっきまでの不機嫌な色などどこぞに飛ばして、僕とゲンさんの手を取っておおはしゃぎしている。

 ゲンさんはにんまりと笑うと、大きな声で指示した。


「よし、じゃあ盛り付けを始めるぞ! 俺はカレー! メイはデザート! ジュンペイはサラダだな!」


「おお!!」


 ゲンさんは、大きなおたまで豪快にカレーを皿へよそっていく。

 一方のメイは鼻歌まじりに、デザートのフルーツを別の皿に盛りつけていった。

 その横顔を見てると、思わず小さなため息が漏れる。

 とても子どもっぽくて、自分の感情に素直。

 まるで気の強い猫のようだ。

 見た目は可愛らしいけど、ちょっとでもあつかいを間違えれば、とたんに鋭い爪でひっかかれそう。


 でもなぜだろう……。

 

 彼女との会話はとても心地良くて、心だけじゃなくて体もほのかに温かくなっていたんだ。

 初対面なのに、初めて会話したとは思えなかった。

 幼馴染、いや、それは家族に近い感覚かもしれない。

 僕はフルーツを一生懸命盛り付けている彼女に、穏やかな視線を向けていた。

 すると彼女がぷくっと頬をふくらませた。


「ちょっと、ジュンペイ! 何をぼけっとわたしの顔を見てるのよ! 手を動かしなさいよ! もう時間がないんだから!」


「う、うん。ごめん」


「いくらわたしが可愛いからって、見惚れてる暇はないのよ!」


 メイにピシャリとやられて、急いでサラダの盛り付けを始める。

 しかし直後に聞かされた彼女の言葉が胸に突き刺さったのだ。


「それと初めに忠告しておくけど、もしわたしを口説こうって考えてたなら、無駄だからやめておいた方がいいわ」


「えっ? いや、そんなつもりはないけど……」


 目を丸くした僕に、メイは早口で告げた。その言葉の衝撃に僕の手が再び止まってしまったんだ。



「だってわたしは『未来に恋愛成就する回数が0回』なんだから」



 今までよりもワンオクターブ低く感じられた彼女の声が、僕の胸にずしりと響く。

 僕と彼女は『立っている場所』がまったく同じだったのか……。

 

 余命3年。

 未来に恋愛成就する回数が0回。


 死神チェックの結果がまったく一緒。つまり彼女もまた僕と同じように『絶望の淵』に立たされているわけだ。

 でも、同じ場所に立っているのに、僕と彼女とでは見えている景色がまったく違うように思えてならなかった。

 その証に彼女は明るい調子で続けた。


「あは! でも『未来に恋愛成就する回数が0回』って、素敵だと思わない?」


「え? どういうこと?」


「だって、恋愛のことで悩まなくてすむんだよ! あはは! 人生は短い! 悩んでいる暇も、くよくよしてる暇もないのだよ、ジュンペイくん! あはは!」


 あっさりと言い切った彼女は、くるりと僕から背を向けた。


「よぉし! 完成だよぉ! さあ、みんなのところへ持っていこう!」


 両手に皿を持った彼女は、弾むような足取りでキッチンを出ていったのだった。



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