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第2話

………

……


 僕はどこにでもある普通の家庭に生まれ、何不自由なく育ってきた。

 妹の面倒見もいい、手のかからない普通の子。

 幼い頃からちょっと内気なところがあって、父さんからもらったハーモニカが趣味だった。……と言っても『きらきら星』のワンフレーズしか吹けないし、最後に鳴らしたのはいつだったか、もう覚えていない。

 そうして当たり前のように高校に進学した。

 あまり人当たりがよいとは言えない僕だけど、陽太や夢美をはじめとして多くのクラスメイトは、いつも親しく接してくれた。

 今思えば何気ない高校生活が、とてもかけがえのない時間だったのかもしれない。

 高校はわずか1年半しか通えなかったけど、本当に楽しい場所だった。

 一番自分らしくいられた場所だったと思う。

 

 でも僕はその場所を捨てることにした。

 高校生活だけではない。

 友人も、家族も、故郷も……。

 

 なぜなら死神によって未来を奪われた者には、それらを持つ資格がないからと思っていたからだ。

 こうして僕に残されたのは、たった一つのハーモニカ。

 こいつだけは過去に生きていたものだ。

 もう僕にはあらゆる未来を描くことは許されない。

 

 だから僕は自分の未来を諦めたんだ――。

 

………

……


 『ヤングホスピス』とは、僕と同じように死神チェックで余命が5年以内と診断された若者たちが入所する施設のこと。

 余生を穏やかに過ごせるように、という目的で作られたらしいが、僕には「未来のない若者たちが暴走しないように閉じ込めておく監獄」としか思えない。

 そして僕が入所することになったのは『美しが島ヤングホスピス』で、その名のとおり『美しが島』という島にある。

 東京湾からはるか南に浮かぶ小さな島で、すべてホスピスの敷地らしい。

 

「じゃあ、いってきます」


 桜が散り、若葉の緑が映える4月の終わり。

 ついに我が家を出る時を迎えた。

 まだ夜明け前に、僕は見送りにきた母さんに別れを告げると、白のセダンの助手席に乗り込んだ。

 これから父さんの運転で東京湾のフェリー乗り場まで送ってもらうことになっているからだ。

 

「なにかあったらすぐに連絡してくるのよ」


 母さんが涙ながらに言った。

 なお見送りにきたのは母さんだけだ。

 妹の美香は高校に進学したばかりで、今頃はぐっすりと夢の中だろう。

 そして陽太や夢美をはじめとするクラスメイトや友人たちには、何も告げていないから見送りにこなくて当たり前だ。

 でもそれでいい。仰々しい見送りの方がかえって気が重かっただろうから。

 

「うん、わかってる」


 淡々とした口調で答えた後、運転席の父さんに目で合図した。

 静かな住宅街にエンジン音が響く。

 そして肩を震わせながら泣いている母さんを残して、僕を乗せた車は離れていった。

 

「トイレは大丈夫か?」


「うん」


 父さんとの会話はただ一度きり。

 あとは移りゆく景色をただ眺めていた。

 その間は自分でも驚くほどに、静かな心持ちだった。

 静か、というよりは、冷めたと表現した方が適切かもしれない。

 そうしてぼけっとしているうちに、東京湾のフェリー乗り場に到着した。

 東の水平線には昇ったばかりの太陽が眩しく輝いている。


「気をつけて行ってくるんだぞ」


「うん」


 車のトランクから荷物を受け取りながら、短く返事をした僕は、父さんに背を向けて、一歩足を踏み出した。

 死神に定められた未来からは逃れられない。でも現実からは逃げられる。

 それだけでも、だいぶましだ。

 この時の僕は逃げることだけしか頭になかったんだ。

 だから、いってきます、の一言すらかけずに、フェリーの方へ早足で向かっていったのである。

 だが、その時だった……。

 

「順平。一つだけ謝らなくちゃいけないことがある」


 父さんの声が背中にかけられたのだ。

 

「え?」


 僕は意外なその言葉に振り返った。

 すると父さんから差し出されたのは大きな紙袋だった。

 

「すまなかった。これを持っていってくれ」


 予期もせぬ父さんの言葉に押されて、紙袋を受け取る。

 ずしりとした重みに目が丸くなる。

 間もなく出航いたします、のアナウンスが港に響き、僕は手渡された紙袋の中身を確かめないまま、タラップを渡っていった。


「気をつけるんだぞ」


 今度の父さんの声には振り返らずにフェリーの中へと入っていく。

 そうしてチケットを船員さんに見せた後に、長旅を過ごす船室へ真っ先に向かった。


「ここか」


 一人部屋だけあってそう広くはない。

 荷物を適当な場所に置いて、ベッドに腰掛けた僕は、ちらりと父さんから手渡された紙袋に目をやった。

 

「いったいなんなんだよ……」


 父さんの口から初めて聞いた「すまなかった」との一言。

 その理由がこの中にあるのだろうか。

 出航します、という太い声のアナウンスを耳にしながら、僕は紙袋の中に手を伸ばした。


「これは?」


 一冊の分厚い冊子。まるで百科事典のようだ。

 僕はそれを1ページめくった。

 

 その瞬間……。

 雷のような衝撃が体中を駆け巡ったのだ――。

 

『A氏 死神チェックで余命3年と診断されるも、5年経過してからも健康で過ごす』


 WEBニュースの記事をプリントアウトしたものだ。

 

『Bさん 恋愛成就の回数が0回という予測を打ち破り、見事にこの春に結婚!』


「まさか……」


 そう……。

 この冊子は、死神チェックの予測をくつがえした実例を集めたものだったのだ。

 膨大な量。とてもじゃないが半年やそこらで一人では作れないはずだ。

 さらに、よく見れば紙質も少しずつ違う。

 

 一人じゃない。

 これを作ったのは一人じゃない。

 二人、三人……いや、もっと大勢によって作られたものだ!

 

 僕は急いで船室を出た。

 カンカンと高い音を立てて階段を駆け上がり、デッキに出る。

 そして港の方へ視線を向けた瞬間に、多くの聞き慣れた声が耳をつんざいた。

 

「じゅんぺえええええい!!」

「順平くん!!」

「おにいちゃああああん!!」


 陽太。

 夢美。

 それに美香まで……。

 

 いや、彼らだけじゃない。

 古賀先生もいる。

 クラスメイトのみんながいる。

 やっぱりそうだ。

 あの冊子はみんなが作ってくれたものだったのだ。

 

――死神チェックなんかに負けるな!


 というメッセージをこめて!

 

「みんなああああああ!!」


 腹の底から湧き上がる感情が声になって爆発した。

 なぜ彼らがここにいるのか、そんなことはどうでもよかった。

 

「ありがとおおおおう!!」


 みんな諦めてなんかいなかったんだ。

 僕だけが諦めていたんだ。

 

 僕の未来を――。

 

「いつでも帰ってこいよおおおお!!」

「おにいちゃああああん!!」


 船は白い波しぶきを作って進んでいく。

 見送りにきたみんなの姿が、みるみるうちに小さくなっていく。

 でも僕は、彼らの姿が見えなくなってからも、腕がちぎれてしまってしまうのではないかと思うくらいに振り続けたのだった。

 

「ありがとう! ありがとう!!」


 たった一言の感謝の言葉が届くように、と祈りをこめて――。


 こうしてヤングホスピスに向かう僕の荷物は、最低限の着替えの他に二つになったんだ。

 

 一つは過去を生きてきたハーモニカ。

 そしてもう一つは諦めない未来がつまった冊子。


 僕はそれら二つを抱えて、『普通』ではない人生を一歩踏み出したのだった。


◇◇


 僕は死神によって『普通』ではなくなってしまった。

 直後から自己嫌悪と不幸のどん底に陥ったのも仕方ない。

 君もよく知っているように、僕は君と違って楽観的なタイプではないからね。

 でも今思えば、とても幸運だったと思っているんだ。


 なぜなら僕は『普通』でなくなったからこそ、僕は知ることができたんだ。

 周囲の人々が僕のことをどれだけ気にかけてくれていたかってことに。

 まるで自分のことのように悩んでくれていたんだ。


 本当にありがたかった。

 そして僕は幸せ者だと心から思えた。

 

 だから今度は僕の番なんだよ。


 この手紙を書いている今でも、僕は君のことを真剣に悩んでいるんだ。

 出会った頃の君を思い起こしながら――。

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