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第19話

………

……


 年が明けて数週間がたったある日のこと。

 美しが島に一人の少女がやってきた。

 

「ようこそ、美しが島ヤングホスピスへ」


 真冬だというのに、薄手のシャツに黄色のパーカーを羽織っただけの麗奈が笑顔で少女を出迎える。

 

「これからおばあちゃん……。所長を紹介するからついてきて」


「はい」


「あはは! 緊張しなくても大丈夫だよ」


 少女が緊張で顔をこわばらせるのも無理はない。

 彼女はホスピスの新しい入所者なのだから。

 麗奈はそんな彼女の前をずんずんと進んでいく。

 すると目の前にほうきで玄関を掃除している人の姿が見えてきた。

 

「お、ちょうどいい。先に君の『世話係』を紹介しておこう。あそこで掃除している者だ」


「え、あ、はい。『世話係』ってなんでしょうか?」


「ああ、ごめん、ごめん。肝心なことを説明し忘れていたね。『世話係』というのは、ここで暮らすのに必要なルールや仕事を教えてくれる人さ。新入りよりも一つ前に入所した人が世話係になる慣習なんだよ」


「ということは、あの人が私よりも一つ前に入った先輩ですか?」


「うーん、厳密には、君よりも一つ前に入った男の子は、島を出ていってしまったんだけどね」


「じゃあ、その前に入った人でしょうか?」


「いや、それも違うんだが……。まあ、いつか色々と知る日がくるさ。おーい!」


 麗奈が大きな声をあげて、手を振る。

 するとほうきを持った人が彼女に気付いて、にこやかな顔で近寄ってきた。

 そして白い歯を見せながら言ったのだった。

 

「俺はゲン! これからよろしくな!」


 と――。

 

 

………

……


 ナンチケンでの暮らしは何一つとして不自由なことはない。

 好きな時にテレビを見て、散歩をして、読書をして……。

 そう、何をするのも自由だ。

 

 ただし病院の敷地の中で、という条件つき。

 

――実験的治療というのは、『変数』を嫌うんだ。だから食事や外出については制限させていただくよ。


 なのだそうだ。

 つまり自分たちの知らぬところで余計なケガをしたり、食中毒を起こされたらたまったものではない、ということなのだろう。

 言い換えれば、僕は水槽の中の金魚のようなもの。

 村元先生をはじめとした研究者たちのコントロールの中で、自由に泳がされているというわけだ。

 別に悪くはない。美しが島ヤングホスピスでの生活も似たようなものだったし。

 でも、

 

――大航海にでよう!


 手作りのいかだで島をでようと試みたメイからしたら、「信じられない!」と顔を真っ赤にして怒りそうだな。

 自分の病室から外を眺めていた僕は、頭に浮かんできたメイの姿に苦笑いを浮かべた。

 そこにちょうどタイミングよく病室にやってきた村元先生に声をかけられた。

 

「やあ、滝田くん。今日も御機嫌だね」


「あ、いや、ええ、まあ」


 なお先生にはメイや島での生活のことは、いっさい話していない。

 別に隠しているわけではないが、話したところで彼の僕に対する感情や接し方が変わるとも思えないからだ。

 僕は先生から窓の先へと視線を戻した。

 施設に併設された小学校の校庭が見える。

 多くの小学生たちがはしゃぎ声をあげていた。

 死神チェックではない予測検査で難病の発症が予定されている彼らもまた、実験治療の被験者だ。

 

「小学校の頃をなつかしんでいたのかい?」


「いえ、そういうわけではありません」


「そうか……。そうそう、たまには外に出たらいい。ここでは病院の施設内なら行動は自由だからね」


「ありがとうございます。でもまだ寒いから」


 ちらりと小学校の脇の森の方へ目をやると、薄茶色に汚れた雪が見える。

 村元先生は口元を緩めて、

 

「そうだね。もう少し暖かくなってからの方がいいかもしれないね」


 と、言った。

 いくらドアが開いてたからといって、忙しい先生がそんな与太話をするために、部屋に入ってきたわけではないことは、僕にもよく分かっている。

 僕はちょっとだけ表情を引き締めて先生と向き合った。

 

「……で、結果はいかがでしたか?」


 先生もまた緩んでいた口元を締めた。

 ただ穏やかな調子は変わらなかった。

 

「余命に変わりはない」


 それは今朝受けた死神チェックの結果だ。

 すでに実験治療はスタートしており、治療の効果を調べる意味でも毎日チェックを受けることになっているのである。

 無論、結果を聞くかどうかは自由だ。

 けど僕は毎日先生からここで聞くのを日課としていた。

 

「そうですか」


 ひとりでに出てきた声に覇気がないのは当然だろう。だが、かといって深い絶望が映されているわけでもない。言ってみれば『無感情』な声だった。

 それでも先生は励ましの言葉を送ってくれた。


「まだ始まったばかりだからね。そう落ち込む必要はないさ。発症までたっぷりと時間はある」


「はい、ありがとうございます」


 ニコリと微笑んだ先生は、部屋の外へと出ていこうとする。

 僕は慌てて呼び止めた。

 

「あ、あの!」


「なんだい?」


 先生が目を丸くして振り返る。

 僕は顔が熱くなるのを感じながら、小さな声でたずねた。

 

「未来の恋愛成就の回数を教えてください……」


 先生は何度かまばたきをしていたが、一つ息を吐いたところで答えた。

 

「残念だけど『0』回とでているね」


 あらためて口にされると、ずきっと胸が痛んだ。

 自然と顔色に出てしまったのだろうか。

 先生が優しく僕を諭した。

 

「滝田くん。余命が伸びれば、この回数も変わるかもしれない。希望を捨てちゃだめだよ」


「はい。ありがとうございます」


 先生が出て行った後も、僕は一人で窓の外を見ていた。

 

「希望を捨てちゃだめか……」


 そうつぶやきながら、校庭から冬空へと目を移す。

 一点の曇りもない晴天を見つめながら、僕は一つの疑問の答えを追い求めていた。

 

「僕にとっての希望ってなんだろうか……」


 僕はメイに言った。


――死神から逃げちゃダメだ。


 と。

 だから僕自身が余命に立ち向かうことにしたんだ。

 でも死神にあらがって生き長らえることが、僕の希望なのだろうか……。


 いや、違う。

 


「メイ……」



 彼女が死神にあらがい、自分の『未来』を切り開いてくれること。

 僕の希望は、自分の余命を延ばすことではなく、もはやそれだけなのかもしれない。


「君もどこかでこの青空を見ているのかな」


 空のキャンパスにメイの笑顔を描けば、心の奥が一足先に春の温もりに包まれる。

 僕は穏やかな気持ちで、空を眺め続けたのだった。




 




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