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第16話

………

……


 きっと神様はどこかで僕たちのことを見てくれていて、僕たちが未来に立ち向かっているかどうかを試しているのだと信じていた。

 そして誰でも全力で挑戦さえすれば、『最高のハッピーエンド』を迎える人生を送れるのだと、勝手にさとっていたんだ。

 

 でも僕のような若造が考えているよりも、人生はもっと残酷でドラマチックなのだ。

 そして僕たちは常に試されている。

 

 最後の最後まで立ち向かっていたのかって――。

 

 

………

……

 

 メイの部屋の中は、想像よりもずっと綺麗だった。というよりも物がほとんどなく、あるのは小さなテーブルとカメラくらいだ。

 窓から映る月がベッドの上で静かにただずむメイを青白く照らしていた。


「そこ、いいかい?」


「うん」


 僕は彼女の横に座った。

 そし泣きはらした目をした彼女が、消え入りそうな声でぽつりぽつりと話し始めたのは『二つの死神チェックの結果』だった。

 

「そんな……」


 思い描いていた『最高のハッピーエンド』が、がらがらと音を立てて崩れていく。

 そして昨日と今日の二日間で、彼女が味わった地獄の苦しみを思うだけで涙が止まらなかった。


「なかないで……。お願い……」


 彼女が白くて細い指を僕の頬に当てて、懇願してくる。

 僕は即座に彼女の希望にこたえられなかった。

 様々な感情が溢れだして、僕には止めようがない。

 そして苦しそうな彼女の顔を見るのが辛くて仕方なった。

 

 だから僕は……。

 強く彼女を抱きしめた――。

 

 互いに目を合わせないように。

 それでも互いの胸の鼓動だけは聞こえるように。

 

「メイ……」


「ジュンペイ……」


 名前を呼び合うだけで二人の想いが絡み合う。

 

 強く抱きしめたら折れてしまいそうなほどに華奢なメイ。

 そんな彼女のことを、死神はどこまで冷酷に、執拗に追いかけ回す。

 僕はただ見ていることしかできないのか。

 

 悔しい。

 悲しい。

 そして、愛おしい。

 

 しばらく抱き合った後、ゆっくりと僕たちは離れた。

 そしてメイは小さな笑みを浮かべ、自分の決意を口にしたのだった。

 

「ジュンペイ……。わたし……。死神チェックにあらがえない」


 聞いているだけでも辛そうな声だ。

 でも僕は彼女から目をそらさなかった。

 彼女の言葉を最後まで聞くのが僕の使命だから……。

 

「わたしはジュンペイとずっと一緒に過ごしたい! それが叶うなら、余命なんかいらない!」


 部屋の空気を切り裂く鋭利な刃のような声だ。

 一点の曇りもない、透き通った彼女の決意が、僕の心を強く震わせた。


 

 ああ、僕たちは今、恋をしているんだ――。



 すごく単純明快な事実だけがそこにはあった。

 僕は優しく彼女と唇を重ねた。

 

 彼女の肩の力が、ふっと抜けていく。

 すべてを僕に委ね、彼女は僕と一つになろうとしている。

 

 僕たちの恋が成就する瞬間が間近に迫ってきたのを、僕とメイは確かに感じていた。

 メイは『未来の余命』ではなく、『今の恋』を選択した。

 死神も彼女ならそうするだろうと予測している。

 

 けど僕は……。

 

 ゆっくりと彼女から離れると、柔らかな口調で告げた。

 

 

「ごめん、メイ。僕はこの恋を手放さなきゃならない……」



 僕は『今』ではなく、『未来』をとって欲しいと願ったんだ。


 メイの瞳がたちまち大きく見開かれ、止まったはずの涙がこぼれ落ちてくる。

 苦しそうに顔を歪める彼女を、今度の僕は目を離さなかった。

 

「いや……。ジュンペイと離れるなんて……。いや!!」


 金切り声がぐさりと胸の奥に突き刺さる。

 しかし僕は引けない。

 

「死神から逃げちゃダメだ。メイ」


「やめて! わたしはもう一人になりたくない! 一人になるくらいなら死んでしまいたいの!!」


「そんな簡単に死にたいなんて言わないでくれ!!」


 爆発したような僕の声を聞いたメイの表情が固まる。

 僕は彼女が何か言い出す前に続けた。

 

「君も散々知ったはずだよ。この世界は理不尽で、残酷な未来で溢れているって。でも……。だからこそ、僕たちは未来から逃げちゃダメなんだ。生きている限り、前を見て命を輝かせなきゃダメなんだ。それが死神にあらがうって誓いなんだよ。メイ。逃げないでくれ。僕の知っている君は、強くて美しい。君なら絶対に立ち向かえると信じてる」


「うああああああ!!」


 慟哭するメイを僕は抱きしめた。

 もう言葉はいらない。

 ただ彼女が疲れて泣きやむまで包み込んだ。

 

 そうして空が白み始めた頃。

 僕の腕に抱かれた彼女は、ついにすやすやと寝息をたてはじめた。

 僕はそっと彼女をベッドの上に横たわせると、羽毛のかけぶとんをかけた。

 

「ありがとう。さよなら」


 小さなひたいにキスをして、部屋を後にしたのだった。

 

………

……


 向かった先は事務所。

 ハルコ先生は寝ないで僕を待っていたようだ。

 彼女は温もりのある笑顔で僕を迎え入れてくれたんだ。

 

 

「よく頑張ったわね」



 その一言が深くしまい込んだ僕の欲望を、強い力で引っ張りだしてくる。

 自由になっていいのよ、と柔らか瞳は言っていた。

 

 だから僕は……。

 

 泣き崩れた――。

 

 大きな声は出せない。

 せっかく深い眠りに入った彼女を起こしてしまうから。

 

「うくっ……」


 声を殺しながら、ハルコ先生の胸の中で泣きじゃくる。

 しかし爆発した欲求は、口から黒い言葉となって吐き出されていった。


「僕だってメイと一緒に添い遂げたかった。僕だっていやだ。いやなんだよ!」


「ええ、分かってるわ。でも頑張ったのね。メイちゃんを愛してるから」


「ううっ……。離れたくない! 離れたくない! 好きなんだ! 誰よりも好きなんだ!」


 怒涛のように溢れる言葉と想いを、ハルコ先生は「ジュンペイくんは本当に頑張った」と何度も繰り返しながら受け止めてくれている。


「ごめんなさい。ごめんなさい……。ううっ」


 僕が謝っているのは、目の前のハルコ先生に対してなのか。

 それとも傷つけてしまったメイに対してなのか。

 僕自身にも分からなかった。

 

 でも、僕は確信していた。

 もしこの恋を成就させたら、きっと『最高のハッピーエンド』にはならない。

 僕にとっても、メイにとっても――。


 夜が明けた。

 もうすぐみんなが起きだしてくるだろう。

 だから僕には時間がなかった。

 

「ハルコ先生。公衆電話をお借りします」


「ええ、どうぞ」


 先生から100円玉を手渡され、もはや過去の遺物と言っても過言ではないグレーの公衆電話に向き合う。

 10桁の番号を押し、受話器に耳を当てた。

 

――プルルルル……。ブツッ。


「もしもし。母さん……。聞いて欲しいことがあるんだ」



 こうして僕は……。

 

 

「僕、戦うことにした。未来に発症する病気と戦うよ。だから治療できる病院に入りたいんだ」



 ホスピスを後にすることにしたんだ――。



………

……

 

 その日の朝食は取らなかった。

 少ない荷物をまとめた後、僕はペンを取った。

 手紙なんて書いたことない。

 だから作法とか、全然分からない。

 でも、これが最後だから……。

 

 ありったけの想いを込めて、ハルコ先生からもらった白い便せんにペン先を走らせたんだ。

 

「これでよし」


 僕は便せんを折りたたんで、封筒に入れる。

 そして『新田芽衣様』と書きこんだ。

 

 一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた僕は、「よしっ!」と気合いを入れて自分の部屋を出た。

 ここへやって来た時と荷物は変わらないはずなのに、右の肩に感じる重みは大きい。

 ただ踏み出す一歩は大きく力強かったのは、僕の覚悟のあらわれだろう。

 僕は事務所に立ち寄った。

 

「いくのね」


「はい、お世話になりました」


 おじぎをした僕は、ハルコ先生に書き上げたばかりの手紙を手渡した。

 先生は拒むことなく、大切そうに受け取った。

 

「しっかりと渡しますから、安心してちょうだい」


「ありがとうございます」


「じゃあ、レイナ先生。ジュンペイくんのお見送りをお願い」


 ハルコ先生に並んでいたレイナ先生が眉を八の字にさせたまま「はい」と短く返事をした。

 彼女は僕の決意に納得がいっていないようだ。

 船着き場で定期船に乗り込む前に、彼女はぼそりと問いかけてきた。

 

「本当にこれでよかったのかい?」


 僕は一つだけ大きく息を吸うと、無言のままうなずいた。

 

「メイの気持ちは置いてけぼり、だとは思わんのか?」


 レイナ先生が僕の心にぐっと踏み込んでくる。

 でも僕はもう揺るがない。

 なぜなら僕は信じているからだ。

 

「これがメイにとっての『最高のハッピーエンド』になりますから」


 と――。

 

 こうして僕は美しが島を出航した。

 見送りは、出迎えの時と同じくレイナ先生一人だった。

 



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