第14話
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……
僕とメイが「恋をする」と周囲に宣言してから、早一週間がたった。
でも僕たちの関係は、今までとあまり変わらないままだ。
一緒に島の中を駆け巡り、よく笑い合った。
ちょっと違うところがあるとすれば、スキンシップが増えたことくらい。
手をつないだり、木の影でこっそりキスをしたり……。
でも、「これが恋の成就なのか?」と聞かれれば、僕には首を縦に振る自信はなかった。
たぶんそれはメイも同じだと思う。
でも少なくとも僕にとっては、メイの存在がさらにかけがえのないものになっていくのを感じていた。
それから僕たちは『未来』について話をするようになっていった。
――ねえ、ジュンペイ。わたしには夢があるのだよ!
――へえ、なに?
――へへ。ちょっと恥ずかしいかも。
――なんだよ? 今さら恥ずかしがることもないだろ。絶対に笑ったりしないから言ってごらん。
――うん……。あのね。クリスマスイブの夜にね。好きな男の人に『好きだよ。恋人になって欲しい』って言ってもらいたいの。
――えっ……。うん。
――ねえ、ジュンペイ。言ってくれるかな? 今年のクリスマスイブの夜に。
将来の夢とか、なりたい職業とか、そんなずっと先の未来ではない。
すぐ近くの未来の話だ。だから普通の人にしてみれば、たいしたことではないと思われても仕方ないと思う。
でも死神のそばにいる僕たちにとっては、すごく勇気のいることだった。
それでも未来を話す時のメイの顔は、きらきらと眩しく輝いていたんだ。
その横顔を見るのが、僕はたまらなく好きなんだ。
そんな中だった。
僕にとって二回目の死神チェックの結果を聞く日を迎えた。
事務所に呼ばれた僕は、渋い顔をしているレイナ先生と、普段通りの澄まし顔でお茶をすするハルコ先生に向かい合うように座った。
「単刀直入に言うわね」
そう切り出したのはハルコ先生の方だった。
僕はゴクリと唾を飲み込む。
そして次のハルコ先生の言葉に、僕は気を失ってしまいそうになるほどの衝撃を受けることになるのだ。
「死神チェックの結果が変わったわ」
「え……」
さらりと流れるような口調のハルコ先生に対し、僕は一瞬で固まってしまった。
――死神にあらがおう。
と強い気持ちでメイと誓い合ったはずなに、いざ「結果が以前と変わった」と告げられた途端に何も考えられなくなってしまった自分が情けない。
けど一方で、強烈な『欲求』が芽生えたのも確かだった。
ただでさえこれ以上悪い結果はありえないんだ。
絶対に良い結果に変わったに違いない。
そう考えたのも当然の成り行きだったと思う。
にわかに呼吸が荒くなってきた僕に対して、ハルコ先生はお茶を差し出してきた。
「ひとまず落ち着いて」
「……はい」
ごくっとお茶を飲む。喉にぬるい感覚が通り抜けると、いくらか気分が落ち着いてきた。
そんな僕に対して、ハルコ先生は小さく微笑みかけた。
そしてはっきりとした口調で告げたのだった。
「3年だった寿命が少し縮まって、2年とちょっとになったの。死亡予定日は来年のクリスマスイブ。12月24日よ」
まさか……。この後におよんでさらに余命が縮まるなんて……。
悔しさと悲しさが同時にこみあげてきて目頭が熱くなる。
しかし僕が嗚咽をもらす前に、ハルコ先生は口を開いた。
「未来の恋愛成就の回数が『1』になったわ」
その言葉は地獄に叩き落とされた僕に差しこんだ一筋の光だったのは言うまでもない。
腹の底からわき上がってきた熱い感情が、濁流のように押し寄せてくると、あっという間に抑えきれなくなった。
涙が溢れ、嗚咽が止まらない。
「うわあああああ!!」
部屋の外にも赤ん坊のような泣き声は響いているに違いない。
でもそんなことは関係なかった。
僕とメイは勝ったんだ。
死神の定めた未来に打ち勝って、恋愛を成就させることができるんだ。
寿命が縮まってしまった哀しみを遥かに上回る感動が、涙と声になって溢れ続けた。
「もちろんジュンペイくんのお相手がメイちゃんとは限らない。もしかしたらレイナかもしれないわ」
「ちょっと、おばあちゃん! こんな時に冗談を言っている場合!?」
「あら、私はマジよ。だって死神チェックでは恋の相手までは予測できないのだもの。ただね、ジュンペイくん。これだけは言わせてちょうだい」
そこで言葉をきったハルコ先生に対して、僕はぐちゃぐちゃのままの顔を向けた。
すると彼女は満面の笑みで続けたのだった。
「あなたは自分の手で死神チェックの結果をくつがえしたの。それは誇っていいことだわ」
………
……
新田芽衣の耳にも順平の大泣きする声は届いていた。
それもそのはずだ。彼女は順平の結果をこっそり盗み聞きするために、事務所の扉に耳をあてていたのだから……。
そして彼の未来の恋愛成就の回数が『1』になったことも、しっかりと聞こえていた。
中にいる順平と同じように大泣きしたいのを必死にこらえたが、どうしても涙だけは止められなかった。
「よかった。本当によかった」
彼女は感動と喜びに包まれたまま、そっとその場を後にして自室へと戻っていく。
次に検査結果を告げられるのは自分だ。
それまでに赤く腫れてしまった目をどうにかしなくちゃ、そんな風に考えながらベッドに身を投じた。
枕に顔を押しつけると、視界は黒に染まる。
すると浮き上がってきたのは順平がハーモニカを吹く姿だった。
自然と口をついてでてくる『きらきら星』のメロディー。
かつてない幸せが、彼女を心地良い眠りへといざなっていった。
そして彼女は夢を見た。
それは幼かったころの自分の夢だった。
――自動調理器が夕飯を作ってくれるから。それを食べたら寝てなさい。
この頃の先進国の都市は労働人口の深刻な減少により、夫婦がフルタイムで働くのは『常識』となっていた。
世界的な食糧難により物価は高騰し、とてもじゃないが一方の収入では暮らしていけないからだ。
だから彼女は両親と会話をかわしたことはほとんどなかった。
両親だけではない。日本人である彼女は学校でもなじめず、通信教育で学校の単位をとっていた。
先生といえる人間はおらず、AIと検索エンジンが彼女の教師だった。
そうした中、死神チェックの結果を告げられた。もちろん目の前に迫った『死』が怖くないわけはないし、恋愛ができない苦しみも受け入れがたかった。
しかしそれ以上にショックだったのは、様々なことに疲れきっていた両親が「仕方ない。これも運命だ」と無表情で首を横に振ったことだ。
――早くこんなところから逃げ出してしまいたい。
そう願っていた彼女は『美しが丘ヤングホスピス』への入所を迷わなかった。
世界中のどこにでも行けたが、できる限りロンドンから離れた場所に行きたかった。
そして順平と出会った。
彼はいつも自分のことを受け止めてくれた。
いつも一緒に笑ってくれた。
いつも手を差しのべてくれた。
彼のハーモニカを耳にするたびに、もう死んでしまってもいいくらいの幸せを噛みしめた。
――ありがとう。
彼女が毎晩ベッドで漏らした感謝の言葉は、順平と死神チェックに向けられたものだ。
だから「死神にあらがおう」と順平から告げられた時は、正直に戸惑った。
でも、もしそれが順平の生きる力になるのなら……。
そして、決して抱いてはならないはずの恋心を抱いてよい理由になるのなら……。
――ねえ、ジュンペイ。恋をしよ。恋をして自分たちの手で未来を作ろう。
「……メイ。メイ!」
「ひゃっ! ひゃい!!」
突然聞こえてきた名前を呼ぶ声に、彼女は飛び起きた。
「死神チェックの結果を伝えるから今すぐに事務所にきなさい」
麗奈の言いつけに弾かれるようにして、彼女は部屋を飛び出した。
――きっとわたしも恋愛成就の回数が『1』になっているんだわ!
そう思えただけで、自然と頬が緩み、足取りは軽くなった。
「失礼します!!」
いつになく丁寧な言葉づかいで事務所に入った彼女は、麗奈と波瑠子の前に跳ねるようにして座った。
そして波瑠子が口を開いた。
「ふふ、その顔は何か知ってるって顔ね」
芽衣はぶんぶんと首を横に振ってごまかす。
ただ波瑠子はそれ以上は追求せずに続けた。
「じゃあ早速検査結果を伝えるわね。メイちゃん。余命は変わらずあと1年とちょっと……予定は再来年の2月10日」
「はい!」
短い余命を告げられたにも関わらず声が弾んでいる。
波瑠子はその点も気に留めずに続けた。
「それと……。未来の恋愛成就の回数ね。ふふ、おめでとう。『1』になったわ」
芽衣の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていくと、彼女は喜びを爆発させた。
「やったああああ!! あははは!! やった、やった!!」
「ふふ、まだ喜ぶのは早いわ」
「いえ、もうじゅうぶんです!! だってわたし、恋をしてるんだもん!!」
ソファの上でぴょんぴょん跳ねる芽衣。
彼女は自分にとっての『最高のハッピーエンド』が得られる未来を両手におさめたのを確信したのだった。
……ところが、波瑠子は『もう一枚』の紙を芽衣の前に差しだしてきたのだ。
「なんですか? これ?」
「余命80年以上。未来の恋愛成就回数は0回。という結果よ」
波瑠子が告げた結果に芽衣は眉をひそめて、ちらりと麗奈に目をやった。
「もしかしてレイナ先生の……」
「それはない! 断じてない! 私の恋愛成就は……」
麗奈が激昂したところで、波瑠子が「ごほん」と咳払いをした。
そして彼女はいつになく真剣な顔つきで続けたのだった。
「死神チェックには『変数』を加えることができるの」
「変数?」
「そうよ。簡単に言えば『もしメイちゃんが成就するはずの恋愛を手放したら』とかね」
「え……」
芽衣の顔がさっと青くなった。
波瑠子は間髪入れずに、とあるWEBページを印刷した紙面を差し出す。
それは英語で書かれていたが、ロンドン暮らしの長かった芽衣には読めないものではない。
一目通すなり、彼女の目は大きく見開かれた。
波瑠子はその様子を見て続けた。
「もう理解できたようね。さすがはメイちゃんだわ」
「そんな……。もしかしてわたしの病気は治るのですか……」
「ふふ、正確には治るのではなく、予防することができるってことかしら」
そう……。
そこには、芽衣が将来発症する病気を『予防する方法』が確立された、と書かれていたのだ。
口をおさえて絶句している芽衣に対して、波瑠子は淡々とした口調で続けた。
「予防には1年の投薬。そして特定の脳内物質の分泌量が半減したのが認められた後に、手術で病気の原因となる部位を摘出する。治験とAIによるシミュレートによって後遺症はないことが分かってる」
「1年……」
「そうよ。最低でも1年かかるの。そして現在、この予防治療ができる病院はアメリカのロスにしかない」
芽衣の瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれてきたのは、波瑠子が言わんとしていることの意味を正しく理解したからだ。
波瑠子は一度大きく息を吸った。
彼女とて鬼ではない。
目の前で純真無垢な少女が涙を流している原因を知りながら、平静を保つのは難しい。
それでも強い使命感に押されるようにして、波瑠子は言葉を続けた。
「すでに先方には私から連絡してあり、メイちゃんを受け入れる体制は整っているの。だからあとはあなた次第よ」
「でも……。それだと……。もう二度とジュンペイには会えなくなっちゃう……」
芽衣が苦しそうに言い淀む。
そこで波瑠子はついに鉄槌を下したのだった。
「余命80年以上。未来の恋愛成就する回数は0回……。これは『1年間の予防治療をする』、という変数を入れた時のあなたの結果なの」
「いやあああああああ!!」
ついにうつ伏せになって慟哭する芽衣。
彼女の横に座った麗奈が波瑠子を睨みつけた。
「おばあちゃん! もうやめて!! これ以上はメイを傷つけるだけよ!」
「いいえ。これは医師としての責務です。救える命があるのに、死神チェックの結果だけを伝えるのは医師として許される行為ではありません」
凛とした波瑠子の声に麗奈は悔しそうに唇を噛みしめて、芽衣の背中を優しくなではじめた。
波瑠子は目の前で悲嘆にくれる芽衣に容赦なく言葉を浴びせた。
それも彼女の信念だったからだ。
「死神チェックは、あなたが『予防』ではなく、『他のもの』を選択すると予測したようです」
「いや! やめて!! もう聞きたくない!! いやああああ!!」
「おばあちゃん!!」
「もちろんこのホスピスでは過剰な延命治療は行わないのがポリシーよ。でもね、メイちゃん。あなたの命は救われるの。これは過剰な延命治療とは違う。だから私はあなたに『予防』を強く薦めます。いえ、むしろお願いさせてちょうだい。どうか『予防』を選択して」
「うわあああああ!!」
「メイちゃん。死神チェックにあらがってちょうだい! この通りだから」
波瑠子は深々と頭を下げた。
しかしテーブルの上に突っ伏した芽衣の目に、その様子が映ることはなかったのだった――。