第13話
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翌朝。
食堂がいつになく賑やかなのは、テッチャンをはじめとした屋島花火工房の職人さんたちも一緒に朝食をとることになっているからだ。
食事を用意する数がいつもの倍以上であるため、この日ばかりは食事当番は一人ではなく、入所者全員で担当することになっているのだった。
「おっはよー! ジュンペイ!」
廊下で顔を合わせたメイは、何事もなかったかのように明るい調子で挨拶してきた。
一晩たっても僕には交わしたキスの感覚が頭を離れず、彼女を見ただけで顔が真っ赤になっているのが自分でもよく分かる。
「おはよう、メイ」
震えそうになる声をどうにか抑えて、つとめて穏やかに挨拶を返す。
するとメイは満足そうにニンマリと笑みを浮かべて、僕の左手をさっと握った。
「一緒にいこっ!」
「えっ? ちょっと恥ずかしいよ」
僕の制止など聞く耳も持たず、メイは僕と手をつないだまま廊下を歩きだした。
すれ違った職人さんたちは僕たちの手元を見て口ぐちに冷やかしてきたが、メイはますます上機嫌になっていく。そうしてついには弾むようにスキップしながらキッチンへと入っていったのだった。
「みんなぁ! おっはよー!!」
僕と手をつないだまま、メイが声をこだませた。
レイナ先生、ゲンさん、モモカさん、それにハルコ先生まで、穴が開くほど僕たちを凝視している。
文字通りに顔から火が吹くほどに恥ずかしくて、みんなをまともに見ることができない。
そんな僕のことなどお構いなしにメイは続けたのだった。
「わたしたち、死神さんにあらがって恋をすることに決めたの!」
「マジかよ……」
ゲンさんが顔面蒼白でつぶやくと、メイがニコニコしてうなずいた。
「うん! マジマジ!」
しかしゲンさんの意識は、メイには向いていないようだ。
なぜなら彼は僕の肩をがっしり掴みながら叫んだのだから……。
「マジでメイなんかでいいのかよ!?」
………
……
朝食後、テッチャンたちはすぐに定期便で島を発った。
「また来年!! それまで元気でいろよー!!」
白い歯を見せながら笑っているテッチャンに対して、僕は大きな声で言った。
「ありがとうございましたぁ!!」
テッチャンが教えてくれた花火作りは、僕が一歩だけ前に進むきっかけだった。
だから、たった一言では言い尽くせないほどに感謝していたのだけど、けっきょく出てきたのは「ありがとう」だけなのが情けない。
「幸せになー!!」
でもテッチャンは言葉足らずの僕に対して、最後まで屈託のない笑顔を向けてくれたまま、海の向こうへと帰っていった。
こうして『俺たちの日』は僕に大きなプレゼントをして終わりを告げたのだった。
………
……
船着き場までテッチャンたちを見送った後は、掃除の時間だ。
僕とゲンさんの二人は担当する男子トイレに入った。
そこでゲンさんは、左の頬をさすりながらつぶやいたのだった。
「おお、いてえ……。ったく、メイのやつ。グーで殴ってくるとは思わなかったぜ」
指の隙間から赤く晴れた頬が目に入ってくる。
僕は思わず眉をひそめた。
「大丈夫?」
「ああ、余命は短けえが、体だけは頑丈でな。メイのパンチ一発くらいなら唾をつけておけばすぐ良くなるさ」
唾をつければ良くなるって、ずいぶん古い迷信って聞いたことがあるけど、本当なのだろうか……。
変なことに僕が気をとめているうちに、ゲンさんはモップを手に持って、ぐいっと顔を覗き込んできた。
「しかし、本気か? メイと恋するなんて」
奇襲のようなつっこみに、顔がかっと熱くなり言葉がとっさに出てこない。
そんな僕を見たゲンさんは、モップで床を拭きながら大きなため息をついた。
「はぁ……。まあ、人の恋路をとやかく言うつもりはないけどよぉ」
そこで一度言葉をきったゲンさんは、グッと表情を引き締めた。
「それなりの覚悟は必要だぜ。なにせ俺たちには『余命』がつきまとってくるんだからな」
腹に響く重い言葉だ。
自然と口もとが真一文字に締められていく。
ゲンさんは僕から目を離し、拭いている床を見つめながら言った。
「来週には全員で死神チェックを受ける。そこでジュンペイとメイも『死亡予定日』が分かるはずだ」
「死亡予定日……」
「ああ、余命が迫ってくると日付までしっかりと分かるようになるんだよ」
その話は入所した日にレイナ先生から聞かされている。
小さくうなずいた僕にちらりと視線を向けたゲンさんは、さらに続けた。
「二人とも同じ日が告げられるなんて『奇跡』はまずないからな。どっちかが先にその日を迎えることになる。もしメイの方が先にその日を迎えたら、お前さんは彼女の死を受け止めなくちゃなんねえ。その覚悟は絶対に必要になってくるぜ」
言われてみればその通りだ。
これからは『メイの死』も受け入れなくてはいけなくなる。
自分一人の死ですら、受け入れるのに苦悩してきたのに、果たして二人分を受け入れる余力が僕には残されているのだろうか……。
「それはモモカの様子を見てきたお前さんなら、よく分かっているはずだ」
シュンスケさんと愛を育んできたモモカさんは、彼の死後、深い哀しみにくれて1ヶ月以上も自室で療養していた。
今でこそ元通りの彼女に戻ったが、それでも隠れて涙を流しているのを何度か見たことがある。
もし僕の方が先にこの世を去ったなら、メイを深く傷つけることになってしまうのだろうか……。
自然と暗い気持ちになって、下を向いてしまった。
するとゲンさんはそれまでの重々しい雰囲気を吹き飛ばすような大声で笑いだした。
「がははは!! そんな暗い顔するな! そう言えばメイは言ってたよな! 『わたしがジュンペイを立派な男にしてみせる』ってな! だから大丈夫! お前さんは立派な男になるから! がはは!!」
立派な男か……。
そう言えば、立派な男ってどんな男なんだろう?
そんなことに頭を巡らせていると、あの時のメイの真っ赤な顔が浮かんできた。
思わず笑いが込み上げてきて、抑えきれなくなる。
「ぷっ……はははは!!」
「そうだ、そうだ! なんでも笑い飛ばしちまえばいいさ! がははは!!」
二人で大笑いしていると、遠くからメイのどなり声が響いてきた。
「ちょっと! またわたしのことで笑ってるんでしょ!? 男子が掃除をさぼってたってレイナ先生に言いつけてやるんだから!!」
「おっと、そいつはやべえ」
ゲンさんが舌を出して、モップで床をごしごしとこすりはじめる。
僕もまたぴたりと口を閉ざして、雑巾で便座を拭き始めた。
「まあ、なんだ。色々と言っちまったが、俺はお前さんとメイのことを応援してるからよ。二人が幸せになってくれればそれが一番だよ」
互いに背中を向けたまま、ゲンさんがしみじみと言った。
その口調から彼が僕たちのことを本気で想ってくれているのがよく分かる。
僕の口からは自然と感謝の言葉が出た。
「ありがとうございます」
この時の僕はゲンさんの言う『覚悟』を、ゆっくりと身につけていけばいいとばかり思っていた。
でも、それでは遅かったんだ。
なぜなら僕とメイはこの後すぐに『覚悟』を試されることになるのだから……。