第10話
◇◇
今の君はがらにもなくすごく悩んでいるだろうね。
でも僕は信じているんだ。
君なら絶対にこのプレゼントを受け取ってくれると。
なぜなら僕たちは大輪の花火の前で誓いを立てたからだ。
死神にあらがおうって。
◇◇
美しが島ヤングホスピスで過ごした日々は、本当にはちゃめちゃで……。
でも、すごく楽しかった。
毎日が刺激的で、「明日は何が起こるのだろう」とワクワクしながら眠りについたのだ。
そして僕の日々の中心には常にメイがいた。
彼女は僕の想像を遥かに超えていたんだ。
野生のウサギを見つけた時は、脇目も振らずに追いかけて森の中で迷子になったこともあった。
辺りはすっかり真っ暗。でも彼女はあっけからんと言ったんだ。
――じゃあ、今日はキャンプだね! わたし火の起こし方を知ってるから任せてね!
けっきょく煙に気付いたゲンさんが僕たちを見つけてくれた。
そして深夜にホスピスへ戻った僕たちは、レイナ先生からこっぴどく叱られたっけ。
あの時のレイナ先生はまさに鬼のように怖かったな。
今でも思い出すだけで身震いがする。
またある時は、
――大航海にでよう!
メイが宣言したこともあった。
そんなムチャな……、とも言おうものなら、
――ジュンペイくん、大志を抱け! だよ! あはは!
と、けらけらを笑いながら僕の手を引っ張るんだ。
そうしてメイのいかだ作りを手伝っているうちに、僕もワクワクした。
もしかしたらすごい旅ができるかもしれない、そんな風にありえない妄想をしていたのは彼女には内緒だ。
でも手作りのいかだは見た目と同じように不格好で10分もたたずに沈んでしまって……。
でも彼女はまったくめげなかった。
――あはは! 失敗は成功の母だよ!
ただ3回とも同じ場所で沈んだ時は、さすがの彼女でも少しだけへこんでたな。
それでもすぐにケロっとして、大きな口を開けて大笑いするんだ。
――あはは! 楽しかったから、これでよかったんだよ!
こうして僕たちは、文字通りに朝から晩まで一緒に過ごし、一緒に笑った。
自分がこんなにも笑う人だと、自分でも知らなかったと思えるくらいに毎日を笑顔で過ごした。
そしていつの間にか、僕の視界は彼女で埋め尽くされていったのだ。
ケーキが大好きで、生クリームをほっぺにつけながらたいらげて。
洗濯が苦手で、なぜかいつも洗濯物を泡だらけにして。
カエルが大っきらいで、一目見ただけで一目散に逃げ出して。
毎晩、僕の吹くハーモニカのメロディーに合わせて歌う……。
そんな彼女の新しい一面を見つけるたびに、僕の心に『風景』として刻まれていったんだ。
でもなぜだろう……。
小さなしこりはいつまでも残ったままだった。
このしこりがなんなのか、僕には見当もつかなかった。
いや、『今』が楽しかったから気付こうともしなかったんだ。
そんな中、シュンスケさんが亡くなった。
直後は本当にショックだったし、まともに食事すら喉を通らなかった。
それでも時とともに哀しみは消え去っていくから、不思議なものだ。
ところが哀しみの奥から姿を現したのは『死神の鎌』だった。
すなわち死神の定めた未来からは絶対に逃れられぬという冷酷な事実を、あらためて認識させられたのだ。
だけど僕は見えないふりを決め込んで、『今』を全力で生きていたんだ。
………
……
10月のある日のこと。
一人の男性が定期便に乗ってホスピスを訪れてきた。
よく日に焼けた筋肉質の体の持ち主で、風がひんやりし始めた季節でも半袖のTシャツを着ている。
歳は20代後半くらいだろうか。
白い歯が似合う、いかにも『お兄さん』といった風貌だ。
そして夕食の時間の前にレイナ先生から彼の紹介があったのだった。
「紹介するわね! ……って言ってもジュンペイくん以外はみんな知ってると思うけど、彼は屋島鉄士」
「よっ! テッチャン!!」
明らかに年上にも関わらずメイが何の遠慮もなく屋島さんをあだ名で呼ぶものだから、隣に座っている僕はヒヤヒヤしてしまう。
でも彼は気にする様子もなく、ニカっと笑うと、明るい声をあげた。
「メイちゃんか! 相変わらず元気でなにより! うん、俺のことは『テッチャン』って呼んでくれ!」
「テッチャンは『花火職人』で神奈川にある屋島花火工房からいらしたのよ。今日から1ヶ月。ここで一緒に暮らしながら花火作りを手伝ってもらうの。みんなよろしくね!」
レイナ先生が紹介を終え、みんなで「はい」と声をそろえて返事をしたのだった。
………
……
テッチャンはとても気さくで気持ちのよい人で、僕にも積極的に話しかけてくれたんだ。
はじめはぐいぐいくる彼に戸惑ったけど、すぐに慣れていろいろな話をした。
彼の工房はもう百年以上も続く老舗だ。
まだ彼の祖父と父親が現役の花火職人のため、十年以上たった今でも『見習い』あつかいなのだそうが、そのうち日本一の花火職人になるのが夢なんだという。
彼が自分の夢を語った時の瞳の輝きが、ちょっとだけ羨ましかった。
なぜなら夢を持つことはできない僕が同じように瞳を輝かせることができない、と知っていたからだ。
食後のおしゃべりであっという間に時間はたち、すぐに就寝の時間となる。
「さっそく明日から花火作りを始めるからな。今日は早めに寝ておけ」
そう彼に促された僕は、自室のベッドに転がった。
でも遠足前の小学生のように、興奮でなかなか寝付くことができなかったのだった。
そして翌日。
朝食を終えた僕たちは、ホスピスの隣にある作業場に集まった。
ここは今まで一度も足を踏み入れたこともなく、何に使うのかずっと疑問だったが、なんと花火を作るためだけに建てられたらしい。
花火作りはホスピスの一大イベントなんだと、あらためて実感がわき、胸が高鳴っていく。
そんな僕の顔をメイが覗き込んできた。
「ねえねえ。ジュンペイはどんな花火が作りたい?」
どんな、と言われても、僕は花火にどんな種類があるのか分からない。
困り顔で首をひねっている僕に、メイはニコニコしながら続けた。
「わたしね、作ってみたい花火があるの!」
「作ってみたい花火?」
そう僕が問いかけたところで、防塵マスクをしたテッチャンがやってきた。
「じゃあ、これから作業を始めるから、みんなついてきてくれ!」
手招きをしながら作業場へと入っていくテッチャンの背中を、僕たちはぞろぞろとついていく。
けっきょくメイが作りたい花火ってなんだったんだろう……。
ちらりと彼女の横顔を覗いたが、彼女の興味はすで花火作りに移ってしまったようだ。
僕になど一瞥もくれずに、じっとテッチャンの手元を見つめている。
そして最後にレイナ先生が作業場に入ってきたところで、テッチャンが落ち着いた声で言った。
「まずは火薬の配合から。でもこの作業はとても危険だから、俺がやることにしよう。みんなはそこでじっとして見ていてほしい。いいね?」
「はいっ!」
メイの大きな声を聞いたテッチャンは一瞬だけ目を細めたが、すぐに真剣な目つきになった。
そして白い粉と肌色の粉を混ぜていく。
時折ふるいにかけながら、均等に混ざるように丁寧に何度も何度も手でかき混ぜていた。
「この作業は今も昔も必ず『手』で行ってるんだ。機械じゃなくてね。そして静電気がちょっとでも発生しようものなら、たちまち爆発してしまう恐れもあるから、慎重に、優しく混ぜていくんだ」
そうしてしばらくした後、彼は小さな杓子で粉をすくった。
「均等に混ざっているか確認するよ。みんなついてきて」
外に出たテッチャンは、周囲に何もないのを確認してから、粉で一本の線を作る。
「危ないから、ちょっと離れててね」
離れろと言われるほど近付きたくなる性分のメイは、興味しんしんといった様子で身を乗り出す。
しかしレイナ先生が彼女の肩をガッシリと掴んで、彼女を抑えていた。
僕がその様子に苦笑いを浮かべているうちに、テッチャンは地面に書かれた線のはしに火をつけたのだった。
すると次の瞬間……。
――バチバチバチッ!
爆裂音とともに赤と白の閃光が放たれたのだ。僕は思わず目を大きく見開いた。
それはまるで花火の子どものようだ。
「よしっ、これで準備完了! いよいよ花火作りだ!」
防塵マスクを外したテッチャンが白い歯を見せる。
こうしてついに始まった。
僕にとって最初で最後の『俺たちの日』が――。