第9話
………
……
プレゼントはモモカさんの提案で「大きな花束」と決まった。
シュンスケさんは花をこよなく愛しているから、すごくピッタリだと思う。
そこで昼食後に3人で手分けをして、ホスピスの周囲で生えている花を摘みにいったんだ。
ところが2時間後……。
摘んだ花をひとまとめにしたメイが、天を仰いで嘆いた。
「うーん……。これじゃあ、大きな花束を作るのは無理だよぉ」
集まったのはソフトボールを少しだけ大きくしたくらい。
ホスピス周辺には、驚くほど花が咲いていなかったのである。
「困ったな」
3人で顔をしかめていると、大きなだみ声が聞こえてきた。
「おうっ! どうした3人とも。しけた面しやがって。またメイがなにかやらかしたのか!?」
僕たちがはっとして顔を上げると、そこには手にいっぱいの野草を持ったゲンさんの姿が……。
すぐさま顔を見合わせた僕たちは、何も言わずとも「うん」と大きくうなずきあう。
そしてメイが底抜けに明るい声をあげたのだった。
「草オタクのゲンさん! 手伝って! 一生のお願いっ!!」
………
……
モモカさんから事情を聞かされたゲンさんは、涙を流しながら何度もうなずいていた。
前日から感じていたことなのだが、彼はかなり情にあついタイプなのだろう。
言うまでもなく二つ返事でプレゼント作りを手伝ってくれることになったんだ。
だがプレゼントが花束であると書かれた途端に、難しい顔をした。
「まあ、確かにこの辺りだと、大量の花を摘むのは難しいな。だからと言って、裏庭に咲いているのはシュンスケが手入れしているものだしな。うーむ……」
やっぱり別のプレゼントにした方がいいのか……。
そんな予感が僕の頭をよぎる中、しびれを切らしたメイがゲンさんにつめよった。
「ねえ、どうにかならないの!? あたり一面にパァっとお花が咲いてる場所を、草オタクのゲンさんなら知ってると思ったのにぃ!」
「なんだ? その草オタクってのは? そもそもそんな都合のいい場所が……」
そう言いかけたところで、ゲンさんは大きく目を見開いた。
そして耳をつんざくような大声で言った。
「ある!! 一箇所だけ花が一面に咲いているところがあるぞ!!」
急に目の前の視界が開けた感覚がする。
どうやらそれはモモカさんも同じのようだ。
彼女はくりっとした目を大きく見開き、頬を桃色に染めていた。
彼女の興奮が伝わってきて、僕の鼓動も早くなっていくのを感じていた。。
メイにいたっては、ぴょんぴょんと跳ねあがって喜びをあらわにしている。
「あはは! やったわ! さすがは草オタクのゲンさんだよ! あはは!」
「だから、その草オタクってのは、やめてくれよ。……ったく」
そして、はしゃぐメイを尻目に、ゲンさんは詳しいことを教えてくれたのだ。
………
……
それは僕とメイが登った岩山のふもとなのだそうだ。
僕らはホスピス側……つまり岩山の西側から頂上を目指したのだけど、目的の場所は北側にあるらしい。
「たまたま去年見かけたんだよ。この時期に、あたり一面に咲く野生のスズランを」
スズランって、白くて小さな花が釣鐘のように咲くと記憶している。
とても可愛らしい花だから、モモカさんのイメージにぴったりだ。
「スズランってああ見えて毒があるから、間違って調理したらたいへんだなぁとか、そんな風に考えながら横を通り過ぎたのを覚えていたんだよ」
「さっすが、草オタクのゲンさんね!」
「だからその草オタクっていうあだ名をだな……」
「あはは! じゃあ、決まりだね!! さっそくレッツゴー!!」
ゲンさんの言葉に耳も貸さずに、メイは右手を上げながらずんずんと進んでいく。
だがゲンさんは彼女の背中に向かって鋭い声をかけた。
「ちょっと待て! あそこにいくまで山をぐるりと迂回しなくちゃなんないから、往復で3時間はかかる。今日は無理だ。やめとけ」
ピタリと足をとめて、恨めしそうな目をしながら振り向くメイ。
だがゲンさんは「ダメなものはダメだ」と首を横に振っている。
今は午後3時前だ。もし往復で3時間なら、ここに戻って来るのは夕方になるだろう。
帰りが少しでも遅くなって真っ暗になったら、小さな島の中でも危険が伴うと、ゲンさんは真面目な顔つきで警告した。
ましてやモモカさんは声を発することができない。
万が一彼女だけがはぐれてしまったら、大きな事故になりかねない……。
こう言われてしまったら、さすがのメイでもぐうの音も出なかったようだ。
「じゃあ、明日の朝ごはんを食べ終わったらすぐに行こうね!」
彼女は眉をひそめたまま、すごすごと引き下がったのだった。
………
……
しかし、僕たちは運に見放されてしまう。
なんとこの日を境に雨が降り続いたのだ。
今日でもう3日たつが、まったく止む気配は感じられない。
元よりこの島は4月後半から5月にかけて雨がもっとも降りやすいようだから、例年どおりと言われればそれまでのことなのかもしれない。
でもメイは納得がいかないようで、この日の朝食後もぶすっとしながら食堂の窓を眺めていた。
『仕方ないよ。もう少し待とう』
モモカさんがメイに微笑みかけている。
僕もメイの気をちょっとでも落ち着かせようと、人数分のコーヒーをもってきた。
彼女はちらりと僕らの方を見たが、すぐに窓の外へ視線を戻してつぶやく。
その声は彼女らしくない焦りがにじんでいた。
「だってさ。早くプレゼントを渡したいじゃない。最近あまり良くないようだし……」
最近あまり良くない、というのはシュンスケさんの体調のことだ。
彼は昨日から自室で静養しているらしく、食事にも姿を現してない。
彼の様子を見ているレイナ先生からは「1週間もすれば顔出せるようになるから、心配しなくていい」と言われているが、実際のところはどうなんだろうか……。
もし体調を崩して起きあがることすらできない状況であれば、プレゼントを受け取る余裕なんてないだろう。
そう考えるとメイが焦る気持ちも分からなくもない。
しかし、テレビでは南の離島の天気予報など詳しく報じてくれるはずもなく、僕たちはただ灰色の空に祈りを捧げるより他なかった。
そうしてようやく雨があがり、雲のすきまから初夏の太陽が顔を覗かせたのは、さらに二日たった後であった。
………
……
空に青さが戻った日の朝食後。
「まだ足元が悪いかもしれねえから、無理せずに明日にした方がいいと思うぜ」
と慎重な姿勢を崩さないゲンさんに対し、メイは「今日を逃したら、また明日から雨かもしれないじゃない」と言ってきかない。モモカさんもメイと同じ気持ちのようで、ぐっと目に力をこめてゲンさんを見つめていた。
そのギラギラと光った瞳から、とてつもない想いが伝わってくる。
――絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ。
そんな彼女の気迫を目の前にすれば、誰でも首を縦に振らざるを得ないだろう。
それはゲンさんも同じで、彼は渋い顔をしながら小さくうなずいた。
そして満足そうに大きな笑みを作ったメイは、力強い声で号令をかけたのだった。
「じゃあ、すぐに出発だよ!」
すでにレイナ先生とハルコ先生には事前に許可はとってある。
――どんなに遅くても午後1時には戻ってくること。
今は午前8時すぎだ。往復で3時間の道のりだが、途中で何が起こるとも限らない。
僕たちは気を引き締めて、岩山の前に広がる森の中へと入っていった。
………
……
岩山の北に回り込むには、森を抜けたのち、ふもとに添って時計回りに進んでいくルートだそうで、僕たちは縦一列になって目的地を目指すことにした。
先頭はメイ。その後は僕、モモカさん、ゲンさんと続いていく。
「だいぶぬかるんでいるな。足元に気をつけろよ」
森に入るなり最後尾のゲンさんからの注意が飛ぶ。
僕はすぐ背後にいるモモカさんの方を振り返り、彼女と顔を合わせてうなずきあった。
彼女の瞳からは、変わらぬ強い決意が感じられた。
――絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ。
相手を想う強い気持ちが、泥を踏みつける力となっているのだろう。
なんとしても彼女の想いをかなえてあげたい。
彼女の情熱の炎が僕にも乗り移っていく。
「いこう」
小さく声をかけた僕はメイの背中を追い始めた。
すぐに靴は泥で真っ黒になり、大きな水たまりを避けるたびに疲労がたまっていく。
でも息を荒くしながらも真剣な眼差しで僕の背中を追いかけてくるモモカさんの顔を見るたびに、こんなところで弱音なんて吐いてられないと、自分を奮い立たせていた。
「森を抜けるよ!」
前を行くメイから快活なかけ声が聞こえてきた。
自然と目線が地面から前方へと上がっていく。
その直後、視界が白い光に包まれていった。
たまっていた疲れが一気に吹き飛び、腹の底からぐわっと熱いものがこみあげてくる。
「がんばろう!」
自然と僕も声をあげた。
みんなのペースが上がり、びちゃびちゃという泥をはねる音が大きくなっていく。
そしてホスピスを出発してからおよそ1時間後。
僕らは森を抜け、岩山のふもとにたどりついた。
悪路だったせいもあってか、全員の息が荒い。
「ひと休みするか?」
ゲンさんがモモカさんに声をかけたが、彼女は水筒に口をつけただけで、ぶんぶんと首を横に振った。
森を抜けたとはいえ、足元が悪いのに変わりはない。
むしろここからは大きな岩や石が行く手をはばんでいることも考えられるので、より厳しい道のりになるだろう。
でもモモカさんは「絶対に負けるものか」という覚悟を映した瞳を輝かせている。
4人とも小さくうなずいたところで、メイが力強い声をかけた。
「じゃあ、行こうか! わたしたちの『風景』を見つけに!!」
こうして前進は再開された。
想像どおり、森の中よりもさらに厳しい道で、何度もつまずきそうになる。
それでも僕たちは互いに励ましあい、時には手を取り合って進んでいった。
――絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ。
その想いはもはやモモカさん一人のものではなく、ここにいる全員が抱えていたんだ。
雨に濡れて滑る岩を駆けあがり、大きな水たまりを飛び越えていく。
顔にも泥がはね、靴だけでなく着ている服もこげ茶色に染まっている。
少しでも油断すれば座り込んでしまいそうになる疲労を感じていた。
「絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ!」
そう叫んだ僕にメイが大きな声で呼応する。
「届けるんだ!」
ゲンさんからも「おうっ!」と声が聞こえてきた。
声に出せずともモモカさんもずっと心で叫んでいるに違いない。
――絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ。
と……。
そうして出発から2時間。
ついに僕たちは目的の場所にたどりついた。
そこに広がっていたのは、見渡す限り白い花が咲き誇る幻想的な空間だったんだ――。
「うわあ……。すごい」
目を輝かせているメイの隣に全員が並んだ。
白い絨毯のように一面に広がるスズランをうっとりとしながら見つめていると、ゲンさんが一歩前に出た。
「悪りいが、もたもたしている場合じゃねえよ」
彼がくいっと上空を見上げると、いつの間にか灰色の雲で覆われている。
もし雨が降ってきたら帰り路はさらに険しくなってしまうだろう。
僕たちは疲れた体に鞭を打って、花を摘み始めた。
ゲンさんが担いできた大きな籠に花をそっと入れていくと、あっという間にいっぱいになったのだった。
「よし、これでいい。じゃあ、帰るか」
ゲンさんのかけ声とともに、来た道を戻っていく僕たち。
本来ならば疲労困憊のはずだ。
しかし、胸の中に溢れる達成感のおかげだろうか。
前に出る足がまるで羽のように軽い。
それは背後を行くモモカさんも同じのようで、行きよりも息遣いが落ち着いている。
――シュンスケさんは絶対に喜んでくれるはず!
誰も口には出さなかったが、みんなそう考えていたのだと思う。
しかし……。
死神はどこまでも残酷な現実を押しつけてくるなんて……。
この時の僕たちのいったい誰が想像できただろうか――。
………
……
その日の午後。
昼食後に巨大な花束を完成させた僕たちは、さっそくシュンスケさんの部屋へ届けにいった。
モモカさんが小さな手で部屋をノックすると、透き通った声の返事が返ってきた。
「はい」
彼が体調を崩して静養を初めてからもう3日たつ。
久々に耳にした声で、モモカさんの顔はすでに真っ赤だ。
そして彼女に代わって、メイが声をあげた。
「モモカがシュンスケのためにプレゼントを作ったのよ。入っていいかしら?」
一瞬だけ間が生じた。
この時点で妙な胸騒ぎを僕は感じていた。
しかしそれをシュンスケさんの弾んだ声がかき消す。
「どうぞ。何かな? 楽しみだよ」
モモカさんはぐっとドアの手すりを掴む手に力をこめた。彼女の顔がこわばっているのは、緊張からか、それとも彼女も僕のように嫌な予感で胸がいっぱいだったからだろうか。
しかし彼女は逃げることなく、ドアを横に引いた。
――ガラガラ……。
次の瞬間、ベッドから体を起こしているシュンスケさんが目に映ってくる。
彼は春の陽射しを思わせる微笑みを浮かべていた。
そうして彼は言ったのだ。
「やあ、モモカにメイ。よくきたね」
たった二人だけの名前を……。
彼女たちの背後に立つ、僕とゲンさんの名前は聞かれなかったのである。
「え……。うそ……」
メイが唖然とした声を発する。
この時点でみんな頭に浮かべたに違いない。
彼が発症する病のことを……。
――一つずつ五感を失っていく病気にかかるの。
そう……。
シュンスケさんは既に失ってしまったのだ。
その目に光を――。
――バサッ……。
モモカさんの手から作りたてのスズランの花束が落ちた。
いくつかの白い花が茎から取れて、床に散らばる。
モモカさんは、それには目を向けようともせずに、ただ涙を流しながらシュンスケさんを見つめていた。
唇は震え、立っているのがやっとなほどに膝が小刻みに揺れている。
声にならない悲鳴が、心の叫びとなっていた。
メイが彼女の肩を抱き、必死に嗚咽をこらえている。
僕とゲンさんも、あまりのことに言葉を失っていた。
美しいスズランの花束を見せることが叶わなくなってしまった。
それだけではない。
言葉を発することができないモモカさんは、もう彼と話をすることができなくなってしまったのである。
重すぎる現実に、部屋は絶望の静寂に包まれてしまった……。
……と、その次の瞬間だった。
「もしかしてスズランかい?」
凛としたシュンスケさんの声が静寂を破ったのだ。
その声色は弾んでおり、みながはっとして顔を上げた。
「ふふ、スズランは分かりにくい香りなんだけどね。でも僕はその花が好きだから。もしかしてモモカはスズランの花束を僕にプレゼントしてくれるのかい?」
反射的に声をあげたのはメイだった。
「うん、そうなの!」
メイは花束を拾い上げて、モモカに持たせる。そして彼女の背中をぐいっと押した。
「そうか。すごく嬉しいな。モモカ。申し訳ないけど、僕に花束を手渡してくれるかな?」
モモカさんはうなずくと、一歩二歩とシュンスケさんに近付いていく。
僕たちはその場を動かずに、ただ彼女の背中を見つめていた。
理不尽な現実に対する戸惑い、怒り、哀しみ……。
彼女は今、色んなものを小さな胸に抱えているに違いない。
それでも、
――絶対にシュンスケさんに花束を届けるんだ。
この一念だけが彼女の足を前へ、前へと動かしていたのだろう。
シュンスケさんは、たとえその目が見えなくても慈しみ深い視線をモモカさんに向け続けている。
二人が互いを想う気持ちが、分厚い雲から差し込む一筋の光となって二人を照らしていた。
そうしてモモカさんの心そのものである純白の花束は、シュンスケさんに手渡されたのだった。
「ああ、やっぱりスズランだ。ありがとう。とても嬉しいよ。モモカはいつも僕に優しくしてくれるね。本当にありがとう。ありがとう……」
シュンスケさんの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
きっと彼もまた自分の体に起こったことを受け入れるのに、必死に戦っているに違いない。
でも、そんな苦しみをモモカさんの前では見せたくなかった。
だから彼は微笑み続けていた。
でも、彼女の純粋な愛に触れたとたんに、ついにこらえきれなくなってしまったんだ。
「うわあああああ!!」
ついに号泣を始めるシュンスケさんを、モモカさんは優しく抱きしめた。
そして……。
二人の想いは『奇跡』を起こしたんだ――。
「目に……。な……。る……」
凪の湖面に落ちた一滴の雫のような細い声。
しかしその小さな声が部屋の空気を震わせると、全員が目を大きく見開いた。
なぜならその声の持ち主は……。
モモカさんだったのだから――。
「わたしが……目になる……。だから、泣かないで」
………
……
それから3ヶ月間。モモカさんとシュンスケさんは常に共にあった。
一緒に庭の手入れをし、一緒に食事当番もしていた。
二人ともとても幸せそうに、一日一日を大切にすごしていたんだ。
彼の耳が聞こえなくなってからは、手のひらに文字を書いて会話をしていた。
花の香りが分からなくなってからも、彼女は毎日花びんの花を変えて、どんな香りがするのか彼に伝えていた。
彼が何も感じられない中にあっても穏やかだったのは、モモカさんが彼の目、鼻、口、耳の代わりになっていたからだろう。
こうして彼らは二人ですべてを共有した。
つまりモモカさんとシュンスケさんは同じ『風景』を見続けていたのだ。
それが二人にとっての『最高のハッピーエンド』だったんだ――。
夏が真っ盛りの中、シュンスケさんは静かに息を引き取った。
生前、彼が望んだように、亡骸の周りは花びらで埋められた。
そしてご家族が見守る中、モモカさんが代表して別れのあいさつをしたのだった。
「ありがとうございました。さよなら。愛してます。いつまでも」
と――。
◇◇
モモカさんとシュンスケさんが互いのことを強く想う気持ちが『奇跡』を起こした。
そして僕は君のことを強く想っている。
だから君に起こった『奇跡』は、僕からのプレゼントだと思っているんだ。
そんなの自意識過剰だ、と君は口を尖らせるだろうね。
でも僕はただ君に受け取って欲しいだけなんだ。
このプレゼントを――。