第六話 戦
遂には荒々しく蹴り壊された扉が倒れ、恐るべき何者かが姿を現す。
外は夜、だと言うのに敵は灯り一つ持たずに、暗闇の中に立っていた。
屋内のランプに照らされ浮かぶその姿は、騎馬民族敗北の地で見た聖騎士と呼ばれた者に良く似ていた。
白銀の要所甲冑、鍛え抜かれた鋼の剣、屋内に一歩入ってくる所作は一流の身のこなし。
顔は兜の影になりよく分からないが、まだ若いようだ。
若さに似合わぬ所作と、身のこなしを鑑みるに、相当の場数を踏んでいると思われた。
こんな連中の一員になったロズワグンの弟御は、かなりの使い手だったのだろう。
私の背後にいるロズワグンが何やら怒鳴った。
そりゃ、いきなり、刺されそうになったり、扉を破壊されれば怒るのは道理だ。
しかし、侵入してきた聖騎士は意に介さず、低くはあるが若い男の声で何かを返す。
言葉は分からんが、なんとも不穏な響きだ。
その間も私は相手を見据えて、如何に打ち掛かるかを算段した。
一歩、二歩と慢心なく歩いて来る聖騎士。
互いの間合いに入っても、私は手斧を構えたまま、動くことが出来なかった。
聖騎士とは、これほどの物か……。
腰を落として、一歩前に踏み込みながら腕を弓なりにしならせ手斧の一撃を聖騎士の頭に叩きつける!
そう意識し、動き出した時には遅かった。
聖騎士が手にしていた剣を何の予備動作も見せずに、私に突き立ててきた。
くそ、先を取られた……っ!。
無造作とも思われる突きは、絶好のタイミングで繰り出されている。
私は時の流れが凝り、非常に緩やかに流れるように感じながらも、致命の一撃を避ける術を閃く事は無かった。
ただ、私が無為に倒れればロズワグンが危ない、それだけは理解していたので、その時間を稼がねばと、それだけを考えた。
故に私は逆らわなかった。
カウンターで私の腹に刺さった剣は、想像を絶する痛みを与えてくれた。
手斧の一撃は慣性に従って振るわれたが、虚しく宙を切り、力無く相手の銅鎧に当たったのみだ……くそったれっ!
ただ、腹を突かれて痛みが迸る最中でも、為すべき仕事は分かっていた。
赤い血で汚れていく剣を片手で握り、腹筋に力を籠める。
私とて片腕で人を斬る程度には鍛えている……ここでこいつの武器を絡め取ってくれる……っ!
流石に予想外だったか、聖騎士は驚き剣を抜こうと力を籠める。
その瞬間、手斧を持っていた腕に力を込めて、今一度その頭を目掛けて振り上げて、打ち下ろす。
微かな金属音が響いたが……手応えは薄い。
聖騎士は鋼の剣から手を放して背後に逃れていた。
それでも、側頭部に多少の傷は残せたか。
「逃……げろっ!」
血を吐き出しながら、私は叫ぶ。
思いの外、声は出ない。
それでも、ロズワグンには届いただろう。なれば良い。
傷つけられて、怒りの眼差しで私を見る聖騎士が何かに気付き迫ってくる。
漸く気付いたか。
突き立てられた刃を捻ればそれで私は終いだと言う事に。
だが、そう動くことは予測済みだ!
剣の刃を強く握り、相手が柄に手を添えるのを待つ。
ほんの一瞬の後に聖騎士が柄を掴むと同時に、私は突き立てられたまま、一歩前に動き、ヘルムに守られた頭目掛けて頭突きを放つ。
鈍い音が響き、視界に閃光がちらつくが、今一度、頭突きを放つ。
この痛みから逃げ出したい、楽になりたいと言う思いはあるが、それは出来ない。
伊田中将、我が上官が進んで受けた痛みを思えば、この程度で根を上げられぬ!
二度目の頭突きで兜はズレ落ちて、驚愕に歪む若い男の素顔が露になった。
ざまを見よ! そうせせら笑う私の額はざっくりと裂け、血が鼻梁を伝い、口元に垂れてきた。
ごぶっと変な音が響き、私が血泡を吐き出す。流石に、これ以上は無理か。
そう考えた矢先、不意に死臭が濃くなる。
そして、私たちの傍らに異様な影が現れた。筋肉質な体、それでありながら生きている者とは思えぬ無機質さ。
苦悶に歪む現れた者の顔は、力無くだらりと垂れ下がり、異様な恐怖を与えるが、その顔は何処かロズワグンに似ていた。
ロズワグンが何かを叫ぶ。
相変わらず言葉は分からない。
切羽詰まっている様だが、何故に逃げなかったのかと私には不満が残った。
私の思惑を余所に、ロズワグンの弟御と思われる恐るべき存在は、右手に力を籠めるのが分かった。
そして、恐るべき拳を聖騎士へと放つ。
残像しか見えぬような速度で放たれた拳は、兜を失い意識を私に向けていた聖騎士の顎を捉えた。
骨が砕けるような音を響かせて、打ち抜かれた拳。
宙を舞うのは、私より僅かに背が高い鍛え抜かれた若い騎士。
体を回転させて、壁に叩きつけられた彼は、そのまま起き上がる事は出来なかった。
体を痙攣させて、今にも事切れそうな若い騎士に若干の憐憫を覚えながら、私は床に崩れ落ちた。
これは……余計な事をしてしまったかな。
いやはや、情けない……。
だが、ずるずると死の淵に追いやられる私の眼前で、信じられぬ事が起きた。
致命の一撃を食らったはずの若い騎士が、体を大きく痙攣させながら立ち上がろうとしていた。
すかさず、ロズワグンの弟御は苦悶の為に歪めた表情のまま、更に拳を叩きつけようとする。
が、信じ難い事に死に掛けだった若い騎士は、その一撃を腕を振るい、弾いた。
腕と腕のぶつかり合いでしかないのに、何とも恐ろしげな音が響く。
……まずいな、垣間見えたその瞳には理性の色が既にない。
もし、ロズワグンの弟御が自分の判断のみで戦うのならば、互角だったのだろうが、今はロズワグンが制御している。
彼女が其処までの武術の達人とは思えない以上は、早々に弟御は破れるだろう。
何とする?
一飯の義理を果たさずに逝くのは皇国男子として恥ずべき事だ。
鋼の剣の一撃は、腹を破り、背骨を砕いている。
到底、生き残る事は叶うまい。
ならば、ならば、ここで死ぬるが彼女の為ではないか。
ロズワグンを生き残らせるためには、眼前の化け物を打ち砕くより他に無し!
気合を入れろ、神土征四郎三厳!
隻眼の剣豪の諱を頂いたのだ、おいそれと無様は晒せぬ!
そう自身に活を入れてた私は腹の剣を抜き放ち、血反吐を吐き散らしながら立ち上がった。
……立ち上がった? 背骨を砕かれて?
まあ、良い。
どうせ死ぬのならば、この敵を討ち取って死んでくれる!
立ち上がり、拳を打ち合い、弾きあう聖騎士に向かう。
弟御が人の物とも思えぬ叫びをあげて、拳を振るうと、若い騎士も叫び返して拳を振るおうとする。
そこに私が全く慣れぬ鋼の剣を振り上げて、その腕目掛けて振り下ろした。
思いの外、素早く美しく弧を描き振るわれた鋼の剣は、見事にその腕を斬り飛ばした。
そして、腕が飛んで無くなった事で弟御の一撃を阻むものは、何もなくなったのだ。
多分、人として備えている制限を振り切っているであろう弟御の一撃は、若い騎士の頭を叩き潰した。
凄まじい一撃だ。
その拳は、人の頭を叩き潰し、尚且つ壁にまでめり込んでいた。
だが、これで……これで私の役目も終わったと床にへたり込んだ。
もう、終わりだと思った瞬間に、それが起きた。
若い騎士の吹き飛んだ腕の筋繊維が伸び、頭の潰され、腕が吹き飛んだ体の筋繊維と混じり合いだした。
死んだ筈の聖騎士の肉体は、再び痙攣を始めたかと思えば、徐に残っている左腕を振るう
壁に拳がめり込んでいるロズワグンの弟御は、距離を開ける事も出来ず、片手で防ごうとするが、若い騎士の一撃はそのガードごと……つまり腕ごと弟御の腹を貫いた。
尋常ならざる一撃である。
事、ここに至れば、諦めるより他は無いのではないか? そんな思いが一瞬浮かんだが、それを激しく否定する私が居る。
道理など知らぬ! 可能性など知らぬ! と吼える心の声。
今蠢く目の前の悪夢を終わらせる。
……終わらせねばならぬ……。
これが、正に我が祖国で作ろうとしていた呪法であるのならば!
そう、強く思う私の脳裏に、蘇る言葉。
「神土少佐、必ず成し遂げるべし」
「我らの無念を、晴らして欲しい」
「呪術とは、原初の混沌を己の自我で従わせる事。代価は必要だ、だが、何かを成す必要がある者だけが扱える」
息を吸い、吐き出す。
血の臭いばかりの空気を吸い、血混じりの息を吐き出す。
伊田中将の言葉、被験者となった三嶽少尉の言葉……そして、幼き頃より夢で見る老人の言葉が重なる。
……許すまじ。
彼の邪法をこの世に蔓延らせる彼奴は許せぬ!
シヅ姫は、その魂ごと斬り捨てねばならぬ!
芦屋大納言志津姫を!!
この思いに呼応するようにラギュワン・ラギュの声が脳裏に木霊した。
「すなわち、この世界におけるシーズグリア・クラッサを、覇道を生きる彼の女王を討て!」
「応よ!」
脳裏の言葉に力強く応えを返した私は、四肢に怒りを込めて立ち上がる。
己の中の丹田から気が循環するイメージが自ずと脳裏に浮かぶ。
「聖騎士、皆一様に朽ち果てよ! 黄泉路への案内は、この神土征四郎三厳が承る!」
己の周囲に、体から流れ出た血が浮かび上がるのを視認しながら、それらを全て無視して、再生を続ける二人の聖騎士を見据えて私は言い放っていた。