第四話 出会い
朝日を浴びて再び意識を取り戻した私は、身を起こして周囲を見渡した。
そこは相変わらずケンタウロス達の、北方の騎馬民族たちの墓所となった戦場跡。
アレは夢だったのかと首を傾いで気付いた。
起き上がれているし、痛みも無い事に。
慌てて血や土で汚れた軍衣の下にある傷を確かめるが、全てが癒えていた。
……契約とやらの成果だろうか。
ともかく、クラッサ聖王国について調べ、聖騎士団とやらが神呪兵計画の成果かどうかを判断せねば……。
さて、当てもなく歩き出した私だが、もし老いたケンタウロスの手によって土を食わされて居なければ、どちらが東で西だか分からなかっただろう。
陽が昇る方が東、沈む方が西。
その様に当たり前の事すら分からない者には分らないのだ。
奇しくも元の世界でも同じ自然現象だったが、ここが同じだと言う保証が無ければ分からないのと同じ事だ。
土を食らった事により、騎馬民族の言語と常識、それにその地での生活方法を学んだのだ。
それが如何なる呪術か分からないが、非常に有益で助かっている。
とは言え、困った事は幾らでも在った。まず金銭が無い。この地は、行き交う人々は異国の古き時代……書でしか知らぬが中世から近代に掛けての年代を思わせる服装の者達ばかりであった。
一方で、十分に貨幣制度は発達している。
その為、何をするにも金銭が必要である。
そして、言語の壁である。
私が得たのは騎馬民族の用いる言葉であるが、如何やらこれは一部族の言葉でしかないようだ。
街道らしき場所を見つけ、そこを進む最中、私と然程変わらぬ姿の……いわゆる人間と出会い、彼らに声を掛けても訝しがられ、そして気味悪がられた。
何回目かに声を掛けた商人らしき老人と片言のやり取りができただけである。
そこで金銭について知ったわけだ。
いやはや、参ったぞ、これは。
街道を伝いトボトボと歩いて居ながら物を食わないと言うのはきつい。
渇きは道々にあった小川の水を飲んで凌いだが、あまり生水を飲みたいとは思わない。
清流ではあったが、もしかしたら、腹を下すかもしれない。
あれは水分と体力を奪う、大変危険だ。
ともあれ、水をがぶ飲みできぬとなれば、空腹を誤魔化す術はない。
参ったと街道の外れにぽつんと生えた木の下で座り込む。
そして、自身の衣服にようやく気付いた。
御所に赴く為に被った正帽、血と土で汚れた近衛師団の礼服と雪避けのマントと言う姿は、気味悪がられるのも当然だ。
こんな格好の者は誰一人としていないのだから。
暑い訳でもないが、正帽を手に取り軽く仰ごうとする。
が、何やらへばりついて取れない。
何事かと思いながら苦労して外せば、正帽の裏地にべったりと血がこびり付いていた。
頭にも一撃を食らっただろうか? 覚えがない。
傷は既に癒えてしまったから何処をどう怪我したのか、皆目わからない。
「困った物だ」
陽がゆるりと沈んでいくのをぼんやり眺めながら、思わずそう呟いた。
今日はここで野宿か? 腹が減ったな……そんな風に考えた矢先の事だ。
陽が沈むに連れて、何やら怪しげな気配が立ち込めてくるのが分かった。
街道を通る者も無ければ、明かりなど当然無く、闇がひっそりと忍び寄ってくる。
そして、その闇に紛れて奇妙な物音が響くのだ。
何かが這いずる様な奇怪な音、昨夜に聞いた亡者めいた呻き声。
そして、強烈な死臭。
完全に陽が沈むまで特に動かずに様子を伺っていると、ぼんやりと一つ明かりが灯った。
ゆらゆらと揺れるその明かりを鬼火の類かと思ったが、如何やら人がランプを持って居るのだと言うことに、遅まきながら気づく。
明かりはゆらりと揺れながら、まっすぐに此方に向かってくるようだった。
黙って明かりを見ていると、カツカツと足音が響く。
その足音に続いて這いずりながら呻く声も近づいてきた。
……この地は夜になると変な物が湧くな。
それにしても、こんな状況に現れ出でるは何者か。
まさか狐でもあるまいが……。
思案する私の前に姿を現したのは……狐であった。
正確には狐の耳によく似た耳を持つ女性であるが。
冷たくそれでいて興味深そうな声で何かを語るが、相変わらず分らん。
「私が知るのはこの言葉だけだ」
「……ほう、北方の騎馬民族の言葉か? 人にしか見えぬがな。しかし、土の匂いを感じて来てみれば……騎馬民族の言葉を喋る人か。……よもや、ラギュワン・ラギュの使いではあるまいな?」
「知らん。いや、待て……顔を覆う両目と口を縫い合わされた老いた騎馬民族の呪術師の事か?」
女は私の言葉に反応して、流暢に騎馬民族の言葉で話した。
そして、短い問答であったが、女は目を見開いき驚きを露わにした。
緑色の瞳がランプの明かりに照らされて煌めいた。
……いや、ゆったりとしたローブを纏い銀色の髪に緑色の瞳、そして狐の耳を持って居るこの女それ自体が、私には輝いているようにも一瞬見えた。
……案外、この様な姿の女が私には好みだったのだろうか?
ふむ、それでは嫁のなり手などあちらでは無かった筈だ。
妙な事を考えていると狐耳の女は口を開く
「正に。そ奴こそラギュワン・ラギュ、稀代の呪術師だ」
「その呪法を継ぐとは如何なる意味がある?」
「……何れは大陸に名だたる呪術師となる事を意味する。まさか、契約を交わしたのか?」
「……ああ」
「…………よもや、使いではなく弟子であったかよ。」
暫し、女は私を見据えていたが、少し経って大きく息を吐き出した。それから、私に片手を差し出したのだ。
「腹が減っていると見える。我が家に来れば飯くらいは食わせてやろう。ラギュワン・ラギュの弟子よ。……名は?」
「神土征四郎、其方は?」
「ロズワグン、死霊術師のロズワグンだ。」
奇妙な響きの名前に首を傾いでから、その手を取って立ち上がった。そして、周囲を軽く見渡してみれば、既に何かが這うような物音は消えていた。
「先程のアレは何だ?」
「女の一人歩きは物騒だからな」
平然と告げやり、狐のような耳を動かす女を見ながら、さて、この世界とやらは如何なっているのかと小さく息を吐いた。