第三話 目覚めは、骸の只中で
空は赤く染まっていた、綺麗な物であったが目覚めは最悪だ。
一体何が起きているのか、分らないまま私は体を起こそうとして、途端に激痛が全身を走り抜け、そのまま力無く横たわる。
体の方々にある傷から、再び血が流れ始め、急速に熱が奪われて行くようだ。
ここが何処であろうとも、死ぬのだなと小さく息を吐き出す。
私は首だけを動かして周囲を探ると、既に日は沈みだしていた。
……沈むただの一つ夕日……一つ?
その大きさに二つ陽の片割れとも思えず、私は目を瞠った。
これが黄泉の国か? 混乱をきたしたが、体が思うように動かぬ事を思い出した。
……冷静になるように努めると、あの夢のような出来事を思い出す。
黄金の瞳を持つ男との邂逅を。
本懐を遂げて死ぬばかりであった私を、異界に流すとあの男はそう言った。
並行世界とも口にしていた。仏の教えで言う所の三千世界か? いや、そんな事があるのだろうか? 分らない。
分らぬままに見知らぬ地で死ぬのかと、夕日を追って視線を更に横に向けて、ぎょっとした。
そこには恐ろしき姿の何者かの白骨死体があったのだ。
白骨死体ならば、いや、腐乱死体とて何度となく見てきた。
それだけならば、然程驚きもなく、私もここの骸の仲間になるのかと思っただけだろう。
だが、この白骨死体は尋常ではなかった。
人と変わらぬ上半身と馬のような下半身が一体化しているのだ。
正確には馬の首より上から、人の上半身が生えているようなものだ。
これは、異国の神話に出てきたケンタウロスを思わせた。
見世物の小屋のミイラ造りを思い出して、何処かつなぎ目が無いのかとしげしげと見つめたが、特に見つからなかった。
……余計な事を考えていた所為か、再び意識が朦朧としてくる。
痛みすら然程感じないような感覚は死が近い事を思わせた。
良い、本懐は果たした。
このまま異形の骸に囲まれて死ぬのも悪くない。
然程感じないとは言え痛みはある、家族を思えば悔いだって全くない訳ではない。
そも、結婚して家庭の一つでも持ってみたかったのは事実だし、何より剣の修練は道半ばだ。
それでも、このにじり寄ってくるしと言う奴を受け入れようと私は双眸を閉じかけた……が、黄泉路に旅立とうとした私を、引き留める者が不意に現れた。
陽が沈み、周囲を夜の帳が覆い始めた頃、不意に声が聞こえたのだ。
それも一つではない、十重二十重と亡者の呻きのようなものが聞こえだした。
黄泉路への迎えか? そう考えたのだが、如何にも違う。
それに、何を言っているのかさっぱり分らん。
「……分らん」
あまりに煩いので、思わず声を出した。
掠れてはいたが、まだ声は出せた。存外にしぶとい物だ。
さて、声に反応したのか、何かを訴えかける声はぴたりと止んだ。
……代わりに草むらから響くのは聞きなれない甲高い何かの声のみ。
はて、虫の物か、リルリルリル、そのように聞こえる。
その澄み切った音を聞きながら、再び双眸を閉じかけたが、不意に虫の声が途絶えて、私は再び意識を失う機会を逸してしまう。
傍らの草むらを踏みしめるような音が、不意に響いたのだ。
そちらに眼球だけ動かし視線を転ずると、薄闇の中で四足の巨体が佇んでいた。
目を凝らせば、四肢は馬の物でありながら、人の上半身がくっついた姿が見える。
正にケンタウロスだ。
その顔は文楽の黒子の様に、白い布で覆われ表情はおろか性別すら分らぬ。
顔を覆う布地には、見た事もない梵字に似た文字が描かれており何某かの呪術を思わせた。
衣服は異国の聖職者が纏うようなゆったりとしたローブを羽織り、馬の下半身部分もすっぽりとローブが覆いかぶさっている。
異様な形である。
その異様なケンタウロスは、四肢を折り曲げぐぐっと私に顔を近づけた。
そして、不意にその手に土を掴めば、あろう事か私の口にねじ込んだ。
窒息するほどの量ではないが、何を考えているのか皆目わからない相手と言うのは恐怖そのものだ。
とは言え、怯える体力も無い私はされるがままに土を食む。
私に土を食わせながら何か短く一言告げたその声は、老いた男の物だ。
全く意味が分からん。
だが、吐き出そうにも吐き出す体力すらない私は、仕方なく咀嚼して土を嚥下した。
なんなんだ、こいつは……そう言いたげに視線を向けると。
「土には記憶が宿る、数多の成長と死が。これで聞こえるだろう、我らの怨嗟が」
唐突に老いたケンタウロスの言葉を理解した。
訳も分からずに驚きに目を見開きながら、口内で蠢く柔らかな虫を歯で砕き飲み込む。
口内に残っていたのだ、今更吐き出したとて遅い以上は食うだけだ。
それに吐き出してその姿を見たくはなかったのだが……以外にも牛の乳にも似た味がした。
今の虫は非常食に成り得るのか……。
馬鹿げた事を考えながら顔を覆ったケンタウロスを見ていると、彼はさらに告げた。
「この地の記憶を見よ。そして決めよ、受け入れるか否かを」
その言葉の真意を問いただす前に、私の視界は失われ、脳裏に映るこの地の記憶を見せられた。
この地での種族としての名称は不明だが、ケンタウロス達は北方の騎馬民族と呼ばれていた。
騎馬民族を他の文明国は恐れてきた。
なるほど、正に人馬一体の彼らは恐るべき猛者であり、弓に槍を用いて戦う様は、さながら大嵐だ。
並の兵士達では相手にならないだろう事は予想がつくし、それが正しい事は脳裏に映る映像が教えてくれた。
人の部分は人が纏うような鎧を纏い、下半身は馬甲を纏う。
馬よりでかい大きさの者が、数多の金属で武装した戦装束で凄まじい速度のまま徒党を組んで駆けてくるのである、敵陣にとっては恐怖そのものだろう。
が、彼等の繁栄は不意に終わった。
恐るべき軍勢が攻めてきたのである。
勇猛果敢に戦った彼等だが、恐るべき軍勢、クラッサ聖王国には敵わなかった。
いや、更に言えば聖騎士達に敵わなかった。
彼らは劣勢の中、如何にか戦い抜いていたが、遂には力及ばず滅び去った。
その最後は凄惨足る物であった。
一方の、聖騎士と呼ばれる者の挙動もおかしかった。
大半は武人らしく戦っていたが、中には獣染みた戦いをする者が混じっていた。
そして、理性亡き者の様に振舞う獣の騎士たちが、凄まじい地獄を作り上げていた。
男は言うに及ばず、子供も殺し、女は犯して殺すのだ。
異類とは言え女を、姿だけは立派な騎士達が、獣の如く群がり嬲り殺す様まで見せられた私の憤懣は何処にぶつければ良いのか。
そして、全ての骸が討ち捨てられ徐々に白骨と化す場面を最後に、再び私は視界を取り戻した。
「異邦者よ、我らを受け入れよ。復讐を成すために……」
老いたケンタウロスの声が響く。
私は傷に寄らない冷や汗をたっぷりかいていた。
あの獣の如き振る舞いの聖騎士とやらにぞっとする……。
その戦慄の中、不意に気付いた。
なるほど、先程響いた声は、騎馬民族の無念か。
ぼやける視界に気付き、知らずに涙を流していたのだと悟りながら私は告げた。
「断る……復讐を他者に手渡すは惰弱だ……と、そう言いたいが、アレを見せられては言えぬ。それに、あの連中は何だ? 高潔な武人の如き連中に混じり、獣染みた化け物が同じ部隊に所属しているだと?」
「あれぞ、邪法にて生み出された聖騎士団。死を繰り返す事で理性無き動く骸と化す。」
その言葉に、眩暈に似たものを感じて私は呻いた。
「それは……それはっ! 神呪兵計画の……っ!」
答えはない。
だが、私はそのような兵士を作り上げようとした邪悪な存在を知っている。
祖国に巣食った獅子身中の虫。
私が、切り捨てた筈の……っ!
「……我が祖国で生まれた呪法が……。ならば受け入れよう! 真に彼奴がこの世界に輪廻転生しており、無道を振り撒くならば……私が止めねばならない!」
私は最後の力を振り絞り、此方を見下ろす半人半馬の何者かに右手を伸ばす。
「契約は結ばれた。汝は我が呪法を継ぐ者なり。大いなる滅びし都の主より賜りし我が呪法の」
その言葉を最後に私は意識を失った。
意識を失う直前に、冷たく乾いた風が吹き、老いたケンタウロスの顔を覆う布をめくりあげた。
そこに在ったのは、両目と口を縫い合わされた老いた男の顔であった……。