第二十六話 魔剣、断つ
禍々しく黒光りする剣を振り上げて、空より重力に引っ張られて落ちてくる黄衣の兵久遠中尉。
いや、最早階級は無意味か。
靡く外套、顔を覆う防毒マスク、戦場での日々を思い返さずにはいられない姿だが、唯一私が戦った戦場にない物を持っている。
上段に構える黒光りする剣だけが、異質であり、ここがクルクスでもセヴァストポーリでも無い事を示していた。
(姫様の為に死ね、か)
その忠義は見あげた物と言うべきだろうか?
いや、知った事ではない。
芦屋大納言志津姫に呼ばれたのか、追い縋ったのは知らないが、多くの被験者を糧に得た力を振るって顧みる事の無いその姿に、私は強い憤りを覚えた。
胸がむかつき、奥歯を噛みしめて迫る黄色い影を睨み付ける。
(怒りは腹にため込んでもいけない。剣を振るう四肢に込めるべし)
誰の言葉であったろうか。そんな文言が脳裏を過った直後、実行する機が訪れた。
無念無想の境地には未だに到達しきれない。
だが、師の教えを忠実に守り、創意工夫を重ねて研磨した技が意よりも先に剣を振らせた。
だが、無想とまでは行かずとも、我が渾身の一撃は、再び魔剣に弾かれた。
「くっ!」
凄まじい衝撃が掌で暴れ、剣を取り落とす。
柄を握っていた指指が痺れ、衝撃は肘までに達している。
初めて師に打ち掛かった日よりマシとは言え、こいつはまずい状況だ。
見れば、私が振るう剣は半ばまで断たれたのか、黒光りする魔剣が片刃の剣に半ばまで食い込んでいる。
……いや、ほんとうにそうか? まさかとは思うが……。
「――なんと……。あのドラゴンブラッドを――」
バルトロメが驚愕の言葉を呟くのが聞こえた。
驚いたのは久遠も同じようだ。
双眸を見開き、魔剣に食い込んでいる片刃の剣を呆けたように一瞬見つめた。
しかし、すぐさま魔剣を振るい食い込んだ剣を飛ばす。
回転する片刃の剣は、ひび一つ、欠け一つ見当たらなかった。
「これ程の力を与える剣も、思いの外脆い……」
「あんたより、大将の方が腕が良いんだろう!」
エルドレッドが獣の如く前傾姿勢で久遠に駆けより、投げ掛けた言葉をより鋭く、剣を抜き放った勢いのまま袈裟切りに切り上げた。
「居合だと?!」
驚き叫ぶ久遠だが、何を驚く必要があるのか。
世界が変わっても武と言う奴はそう変わった様子が無い。
似たような、或いは同じ流派があったとて驚くに値しないし、自分が修得した流派に似た物がある事は喜ばしい。
どの世界でも術理を突き詰めれば、そこに行きつくと言う事の証左なのだから。
私の思考を他所に、状況は常に変化している。我が身に迫る疾風の如き一撃を、久遠は魔剣を用いて逸らす。
金属がぶつかり合う甲高い音を響かせ火花が散ったが、エルドレッドの一撃は魔剣に阻まれ宙を斬る。
「死ねぃ!」
短く怒気孕む声を吐き出して、剣を手繰り寄せて体を泳がせたエルドレッドに向け、素早く一歩前に足を踏みだして刺突しようとする久遠。
だが、同程度に素早い刺突の一撃が魔剣を阻む!
イェレの刺突剣だ。
細身ながらも重き一撃は、久遠の持つ魔剣の鍔を撓り避け、その腕を刺し貫こうとした。
途端、久遠は刺突を止め、魔剣の剣先を下に向けて柄で刺突を受けて防ぐ。
刺突剣を引き寄せ、更に一撃を放とうとするイェレから素早く転がり離れたエルドレッドと入れ違いにキケが久遠に迫る。
手に持つのは短剣、明らかにリーチの差があるが、久遠は剣先を下に向けてしまっている。上段はがら空きだ。
其処に迅雷の如く短剣を振るうキケ。
狙うは首か。
久遠は必死の形相を浮かべ、体を仰け反らせて逸らし、一撃を避けながら更に一歩下がる。
――そして、その様な状況下でありながら魔剣を無理やり振り上げて、イェレの刺突を切り払い、尚且つ更なる追撃しかけ様としたキケをけん制した。
一歩下がったのは剣を振るう間を欲したためだ。
振り上げられた魔剣が天を指し示した刹那、小柄で素早い影が久遠の脇に迫った。
そして、裂ぱくの気合いと共に戦斧を水平に振るう。
マウロだった。
一連の四人の動きは見事なまでに連携が取れている。
現にマウロの戦斧が振るわれる瞬間だけは、キケもイェレも久遠中尉から離れていた。
如何に手練であろうとも、休む暇もなく鋭い攻撃を繰り出されては多勢に無勢。
久遠はそれでも諦めずに、回避するべく後ろに飛んだ。
だが、黄色い外套が、制服が断たれ、その身も……腰の高さで体の半分ほどを肉厚の鋼に断たれた。
迸ったのは、異様な事に黄色い体液であった。
「んだ、こりゃ!」
マウロが慌てて飛び退ったのは正解だったのかも知れない。
何故なら、黄色い体液が荒れ地に触れると奇妙な物音を立てて地面を溶かすのだから。
さて、漸く弾き飛ばされた剣を手にすれば、私は久遠を見据える。
「どうせ、終わらんのだろう?」
そう告げやると、くぐもった声で笑い声をあげて久遠は魔剣を構える。
私もまたトンボに、剣を握る拳を耳辺りまで持ち上げ、左手をそっと宛がう天真正自顕流における絶対の構えを取る。
「……神土征四郎三厳……その命――もらっ!」
久遠の言葉は途中で不意に止まった。
我が意よりも尚早く、我が右腕は刃を振り下ろしていた。
そうだ、私は自身が剣を振り下ろしていた事に今更ながら気づいた。
そして、剣を振り下ろしたと自覚した今も、先程の一撃を凌駕する一撃を、それだけを求めていた。
遠くで、何か重い物が落ちる音が響いた。
久遠は私の一撃に反応は示していたのだ。
圧倒的な速度で迫る刃を魔剣で受け、そして断たれた。
黒光りする禍々しい魔剣は、その異様さをもう示す事も無く、半ばより切断されている。
断たれた事で魔剣としては死んだのか、今はただの折れた剣でしかない。
「戦場帰りを侮らない事だな。私も、連中も。一人で来るとは自信過剰だったな、魔人衆」
私の剣の速度にか、或いは名も知らぬ傭兵に後れを取ったことにか不明だが、顔を上げて驚愕に双眸を見開く久遠に私は微かな笑みを浮かべて告げた。
貴族の近習となれば出世の道は開けよう。ただの士官学校卒業生よりも、安全に。
それだけに戦場を知らず、諸事が疎かになる。
地獄を知らないから、容易に粋がり、慎重を臆病と嘲る。
友の死、敵の死、数多の骸と血、汚泥と腐敗、鳴り止まぬ砲声……そしてそんな中でも研磨し続けた剣の業、その全てが私だ。
それらが私を形造る血肉である。
「魔人衆、確か旧カムラの総督がそんな事を言っていたな。なれば、戦場を碌に知らず、他者の犠牲の上に成り立つ力ばかり肥大化した貴様ら魔人衆は、皆、一様に、息絶えよ」
ゴトリと再び物が落ちる音が響く。
久遠の口元を覆っていた防毒マスクが縦に割れて落ちる。
その端麗な顔立ちが露になった次の瞬間に鼻梁に朱筋が走る。
体液は黄色くとも、血肉は別か。
後方へと飛び退り、着地すると同時に久遠は崩れ落ちた。
これが魔人衆が一人、久遠浩越の最後……となれば良いのだが。