第一八話 執念
唸りすら切り裂く戦斧の一撃。
ゴルダンが放った一撃は、刹那には私の腹を背骨ごと断ち切る筈であった。
この時、私は何度となく師と初めて相対した時の事を頭の中で繰り返していた。
師――方喜大佐の頭上には、最早避けようのない位置まで木刀の先は振るわれていた。
にも係わらず倒れていたのは私であり、木刀は真っ二つに折れていた。
稲妻の如き打ち込みで、頭上に迫る木刀を叩き折り、同じく電の如き速度で立ち位置を変えられたのだろう。
私は今よりそれを行わねばならない。
師と同じ位置に立てるのか?
分らない。
だが、やらねば死ぬのみだ。
私の思考は刹那より早く、目まぐるしく回ったが、剣の打ち下ろしは刹那より尚早く六徳や虚空に達する速さだった――と言うのも、誇張された感覚か。
今正に、腹を裂かんとする戦斧の一撃が届くか否かという所で、下がりながら打ち下ろした剣は無骨な戦斧の刃を砕き、我が全力で上から叩かれた斧は軌道を大地へと変えた。
鈍い音が響き、鈍らの剣が半ばより折れてしまったが、気にすることなく前へと進み、沈んでいく戦斧を踏み台にして飛び上がれば、ゴルダンの顔面に折れた剣を叩きつけた。
下がった時が六徳や虚空の速さであったならば、前に出た際は更に早い清浄の速さだったかも知れぬ。
無論、主観的な速さでしかないが。
その速さで飛び上がり、叩きつけたのだ。
如何に頑強なゴルダンと言えども、頭蓋を叩き割られ片目を潰される致命傷になった。
食い込んだ折れた鈍らはそのままに、柄から手を放して降り立ち、無手のまま身構える。
相手が聖騎士でなければ私の勝ちであったが、聖騎士はまだ終わりじゃないのだ。
ゴルダンは脳をかき回され死んだのか、戦斧を取り落とした。
その背後に、折れた鈍らの片割れが回転しながら落ちて闘技場の土に深く刺さった。
静まり返っていた闘技場に、驚きの声が疎らに上がった。
徐々にその声は広がりを見せて、最後には大歓声となってしまう。
絶対的に不利な側が勝ったのだから、盛り上がるのは分からなくも無いが、今はこのざわめきが鬱陶しい。
ゆっくりと倒れ込むゴルダンに、再生の予兆は出ていないか。
今の内に武器を手にしなければと思うのだが、ざわめきや歓声は集中力を奪う。
ましてや、一瞬の死闘を制したこの瞬間であれば尚更に。
旧カムラ王国の王都での出来事を思い出して、すかさず周囲を見渡した。
黄衣の兵が、祖国の軍衣を着たあの者が居ないかを探す。
――黄衣の兵は居ないが、複数の殺意を感じる。
途端、歓声に紛れて飛来するのは――矢だ。
匂いに火薬が混じっていないから、鉄砲はまだ準備されていないか、使う気が無い様子。
ゴルダンの戦斧より遥かに遅く飛来する五本の矢を、素手で叩き落しす。
敵がクラッサ聖王国の者ならば、聖騎士を倒した私がこれで死ぬとは思うまい。
ならば、これは時間稼ぎか。
伺うようにゴルダンを見やれば、痙攣するように四肢が揺れている。
不味いな、そろそろ再生が始まる。
その前に何としても止めを刺さねば……。
武器もなく聖騎士と相対するのはあまりに無謀。
だが、武器を探す暇もなく、第二、第三の矢は放たれる。
流石に周囲も狙われている事に気付いて、射手を糾弾し始めるが間に合わない――か。
「セイシロウっ!!」
ロズの声が耳に届く。
其方を見やれば、彼女は片刃の剣を――彼女の弟の剣であったあの剣を私に投げようとしていた。
そこに、邪魔するように男が割り込む。
「退け!」
ロズは癇癪でも起こしたか、鋭く叫んで割り込んだ男の頭に、己の頭をぶつけ、怯ませてから私に剣を投げた。
回転して迫り刃は、少しだけ私の位置より外れているが、如何と言う事も無い。
私に放たれた最後の矢を避けながら、飛び上がれば回転する刃の柄を手に取り、咆哮を上げて起き上がったゴルダン目掛けて着地と同時に振り下ろす。
「聖騎士ゴルダン、斬り捨て奉る……」
切っ先には、決して人の体の中にある筈の無い異物を切り裂いた感触がある。
魂と肉体を切り離したような、感覚すら伝わる。
そうだと言うのに、再度倒れ伏そうとしたゴルダンだが、憤怒の形相を浮かべ、猛然と吼えて刃が欠けた戦斧を振るう。
この執念は何処から来るのか。
これがクラッサ聖王国人の持つ忠誠と言う物かと舌を巻きながら、見る影も無くなった戦斧の一撃を剣で弾く。
ゴルダンの上体は泳ぎ、ふらつく様に大地に倒れ伏したゴルダンは、未だに言え斬らない双眸で私を睨み付けた。
「やらせは――せんぞ、やらせは!」
「眠れ」
「シーズグリア姫に、栄光……あれ」
最後の時まで、己の主への忠節を曲げず恐るべき騎士は逝った。
立場が違えば、シーズグリアは稀代の名君なのかも知れない。
だが、この聖騎士達を……「神呪兵計画」の産物が存在する限り、私はシーズグリアを必ず殺す。
我が祖国で練り上げて、この地で完成させたこの計画は、必ず打ち砕かねばならない。
これは、善悪の話では無い。
人として成さねばならない事なのだ。
魂を縛る宝珠を斬り、その後に喉笛を斬られて、漸く逝ったゴルダンに合掌してから、私は踵を返してロズの方へと向かう。
ロズの邪魔をした男は、周囲の観客につかまって袋叩きにあったようだ。
観客たちは興奮状態で、何とも言えぬ騒がしさで満ちていたが、ロズは私の方へと駆けより、軽やかに闘技場の壁を越えて、私の傍にやって来た。
私は油断なく周囲を見渡してから、神官長に問う。
「行っても良いか?」
「神判は降った。預かった荷物は返すが、ハルパーの剣は返せんぞ?」
「あれは、預かり物だ。父の墓前に供えてくれとな」
しっかりと頷く審判長を見やり、私はロズを伴い闘技場の出入り口へと向かった。
そして、入り口付近には既に私の衣服やらを持って、神官が待っていたので素早く着替えて、その場を後にする。
最後に倒れ伏したゴルダンを振り返り、恐るべき騎士の亡骸を一瞥すれば、再度胸中で合掌し、歩き出す。
しかし、このまま出口に出ると興奮している観衆が群がってきそうだな……。
幾分困ったように立ち止まると、ロズも釣られて立ち止まった。
「何処か痛むか?」
「いや、外の様相がな……。あまり騒がしくされるのは、今はきつい」
その言葉に納得したようにロズは頷いたが、打つ手は特に思いつかない様子。
当然だな、勝手知らない異国の地だ。
そう嘆息を零すと背後から声を掛けられた。
「困って居るな、戦士よ。死体の搬出路ならばあるが使うかね?」
「……確かゾスモと言ったな。私は甥の仇と言う訳だが、良いのかな?」
声を掛けてきた偉丈夫は、赤銅色の髪を掻きながら困ったように笑った。
「ハルパーは拙者を上回った。そのハルパーを倒したお主に立ち向かうのは、戦士としては本懐であるが、肉親としては間違いであろうよ。――聖騎士、死なぬ存在、恐怖よりも哀れが先に胸中にあふれた」
その言葉は、禅寺の僧侶の様に澄み切っているように思える。
死なずに戦えることに喜びを見出すのではなく、哀れむ。
「神呪兵計画」の被験者を見た方喜大佐や、犬縣中佐のような感想だと、私は小さく頷きを返しながら思った。
このゾスモが彼等と似た精神性ならば、騙されたと思い案内を頼むのも悪くない。
そう考えた私は、案内を頼むことにした。