第十七話 ムルフェの裁き
厳つい戦斧を構える白銀の要所甲冑を纏う大男と、半裸で鈍らの剣を構える普通の背丈の男では勝負にすらならない。
相手が聖騎士であるのならば尚更だ。
そんなため息交じりの声すら響く決闘裁判の場であるが、多くの民は困惑して何やら囁き合っていた。
「ムルフェの神前決闘に異国の騎士が何故居るんだ?」
「聖騎士が言われているように強いのならば、何故コソ泥相手にこんな事を?」
「いや、やはりあの男は、ただのコソ泥ではないな。思った通りだ」
ざわめきが円形闘技場を包んでいたが、私の前に立ったゴルダンと言う聖騎士が、一喝した。
「黙れぃっ! ハルパーは我が友なれば、このコソ泥はこの手で殺さねば気が済まん! それだけだっ!」
何と言う大音声か。
近くで聞いてしまった私の耳が少しおかしくなったぞ……。
私の耳がおかしくなっただけではなく、その大音声に気圧されてか、一瞬ざわめきが消えかけた。
だが、私の前で伏せていた……ゴルダンと挟まれる形になっていた神獣が不快げにあげた唸りのみは、やたらと響いた。
「グルルルッ!!」
そして、あろう事か私に背を向けて聖騎士ゴルダンを威嚇したのである。
これが獣の本能が成した事であれ、この場で行ってしまえば意味がついてしまう。
「うるせえぞ、クラッサの犬! ムルフェの使いもお怒りだ!」
「何が友だ! 俺は見たぞ! 三年前にお前等クラッサの連中が人質を取ってハルパー様を捕らえたのを!」
「何だって! そうなってくると話が違う!」
その神獣の動きを見た観客達の中から、ぽつぽつとゴルダンに罵声が飛び、嘘か真かハルパーが捕らえられた時の様子を見たと言う声が上がれば、一気にざわめきは広がった。
神獣は周囲の喧騒に煽られてか、或いは本当にこの地の神の使いで自国の英雄を奪った国の者に怒りを向けているのか……。
ともかく、牙を剥いてゴルダンに向かって吼える。
「静まれい!!! ムルフェの神前である! 異国の騎士は下がりおれ! 三番目の神判の相手は既に決まっておる!」
老いた神官は、双眸を見開き、ゴルダンに負けぬ大音声で叫んだ。
両手を広げ、純白のローブが風になびくままに、私を見やって告げた。
「神判が下るまでは、咎人に一指たりとも触れさせん。神判が下らねば無罪も、量刑も定められん。……だが、三度の決闘の後に、そこな聖騎士と戦えと申すのは酷。故に、儂をその剣で切り裂き、その一事をもってムルフェの裁きとしようぞ」
「待たれよ、それでは貴方は何の咎もなく私の剣を受ける事になる」
「この様に政情に左右され、神判が行えぬでは我が神に対して申し開きが出来ん! それに……神獣が既に意を示しておる」
これが信仰の道に生きてきたと言う事か、そして無茶な裁判かと思ったが……もしかして神の何かが確かにあるのか?
神獣が意を示したと言うが、奴は敵意なく私の元に座り込んだだけだ。
この宣言に静まりかけたざわめきが、また大きくなりかけたが、その前に慌てたような声が上がる。
ダセーヌとか言う軍閥の長の物だ。
「おい、誰かゴヌ神官長を取り押さえよ! 乱心であるぞ!」
「誰が乱心などするか!」
軍閥の長と神官長の場外乱闘でも始まりかねない勢いで事態が混沌としていく。
その間にも、ゴルダンは私が隙を見せれば襲いかかろうとしていた。
それを抑えているのがゴルダンに吼えかかる神獣である。
思いもかけない事態であり、思いもかけない援軍。
しかし、このままで済むのかどうか。
ゴルダンが一度決意すれば、如何にパキーズと軋轢が出ようともムルフェの神獣を殺して、私をも殺そうとするだろう。
神獣がいかに強力でも聖騎士相手では……。
「待たれい!」
そして三度の大音声である。
誰かと声の主を探すと、円形闘技場の観客席から大柄の男が闘技場内に入り込んできた。
一目でわかるほどの偉丈夫、腕も足も太くゴルダンと比較しても遜色はない。
鈍色の胴鎧に具足と籠手、手には槍斧と言う厳つい見目に反して軽やかな身のこなしで我らの方にやってくる偉丈夫。
「おお、ムルフェの戦士ゾスモよ」
「神官長、戻りましたぞ。」
ムルフェに仕える戦士と言う所か。
一流の身のこなしは、ただ体格に恵まれただけでは届き得ない域に達しているように見受けられた。
この偉丈夫もまた、武芸を切磋琢磨してきたに違いない。
そのゾスモと呼ばれた偉丈夫は、私を一瞥して
「咎人とされておる男は、甥のハルパーを倒した強者。連れのお方は旧カムラ王家の王族、今すぐ解放するべきですぞ。」
「しかし、ゾスモよ。その話が真実であればハルパーを倒した相手だぞ。素直に解放するのか」
「拙者はハルパーが自らの意思でクラッサ聖王国の騎士になったと思っておりました。故に、連れ戻すために旅の許しを請い、甥を探しに出たのです」
ゾスモなる戦士の言葉は思いも掛けない物であった。
あの時の状況を、ロズの家での死闘を見ていたのか?
否、あの時は私とロズ以外は若武者二人のみ。
そこまで思考して気付いた、このゾスモなる者、見た事がある。
確か……。
「先日遂に甥を探し当て説得致しましたが……およそ正常の精神とは思えぬ有り様。強く呼び止めれば、剣を抜き斬りかかってくる始末。致し方なく戦いましたが、拙者には迷いもあり打ち倒す事出来ず……。その腕を斬り飛ばした際に、手痛い反撃を喰らい痛み分けとなりました……が、彼奴の腕は早々に再生を果たしており、結果を見れば拙者は老いに負け申した」
「なんと! 腕を斬り飛ばしても治ると? それでは……聖騎士とは――?」
「そこなゴルダン殿然り、傷を受けても再生を繰り返す恐るべき存在である事は確実――いや、ゴルダン殿は咎人と呼ばれておる男に致命傷を与えられておりました。旧カムラ王国の王都にて」
その言葉が響けば、ただでさえ騒がしい周囲が一層に騒がしくなった。
ゴルダンから視線を外さず、周囲の状況の変化に耳をそばだてる。
如何やら、ゴルダン自身も同じように私に視線を向けたまま、状況を耳で確認している様だ。
神獣だけは相変わらずゴルダンに向かって吼えている。
「世迷い言を申すでない、ゾスモよ!」
「ダセーヌよ、我らはお主のこそそう告げやりたいが……?」
騒ぎ立てようとした軍閥ダセーヌだが、他の三名に睨まれ、押し黙った。
「なれば――」
「なれば、この男は釈放だな。だが、ワシはこの男生かして置く訳には行かん、この場で殺す! さあ、神獣とやらを下げろ。さもなくば、その獣も殺す……!」
神官長が私を見やり言葉を継げようとしたが、即座にゴルダンが口を挟む。
そして、その決意のほどを露わにしたのだ。
そこに秘められた殺意に、騒がしかった円形闘技場は水を打ったように静まり返った。
「神官よ、ムルフェの神獣とやらを下がらせろ。危険だぞ?」
私は遠巻きに私達を見ていた神官にそう声を掛けた。
慌てて、駆け寄って来た神官は神獣を宥めながら、私達の間から下がらせる。
これで良い。
神官長もゾスモも事ここに至っては、口を挟む事が出来ずに状況を見守る様だ。
「武器が鈍らの今ならば、勝てぬ道理はない……」
「ここで貴様が斃れれば、聖騎士の声望は地に落ちるな……」
互いに構えながらも、挑発の言葉を投げ合う。
――さて、私は先程から同じ構えのまま――子供が右手で棒打ちでもするかのように剣を握る拳を耳辺りまで持ち上げ、左手をそっと宛がうトンボと呼ばれる構えのまま、小動もせずに立っている。
――――常人なれば、好い加減疲れも出る頃合い。
ゴルダンが敢えて、騒ぎの中、無理に襲い掛かって来なかったのは、その様な算段でもあったのだろう。
確実に私を殺す、その為だけに動いているのが良く分かる。
無骨な戦斧をその力強い両腕で握りしめて、半ば担ぎあげる様に背後へと斧の刃を向ける構えは、戦斧の間合いを相対者に悟らせず、尚且つ凄まじい一閃で、私を切り裂くための構えと見た。
対する私は先程から変わらぬ構えで、ゴルダンが迫るのを待つ。
そして、にじり寄るゴルダンが戦斧を振るう瞬間が来た……。
荒れ狂う暴風の如き唸りを上げて迫り来る戦斧を視認しながら、私は絶対の時を計っていた……。