第十六話 決闘裁判
南方には峻厳なる切り立った山々の連なりが霞みがかって見える中央都市の中心部に、決闘裁判の為の裁きの神殿はあるのだと言う。
まるで、市中引き回しの刑のように檻に入れられたまま、半裸でそこまで運ばれて行くのは、控えめに言っても屈辱である。
私の姿をまるで見世物のように見物している連中のなんと多いことか。
「あいつが、ハルパー様の剣を取ったとか言う奴か」
「いやぁ、たまげたな……巌みたいな背中だ。本当にただのコソ泥か?」
「大体、聖騎士って奴になっちまったハルパー様が、剣を盗まれるか? もしかしたら……」
「ある訳ねぇや! ちっと鍛えたコソ泥だろうよ!」
「そうは言うが、ただのコソ泥相手にこの兵士の人数は何だよ……」
「……あれほどの背中の肉は、如何程剣を振ったのか分からん程じゃ。どちらかと言えば、ハルパー様のお父上の……」
がやがやと聞こえる人々の話し声の的は、如何やら我が背の筋肉についての様だ。
剣より重い木の棒を振るい、立ち木に打ち掛かる稽古を日に数千、それも木の幹が摩擦熱で焦げる程の打ち込みを繰り返してきた、体作りには自負はある。
しかし、生まれは何処かすぐに分る、所の話じゃないな。
あの若武者は、この国の英雄の一人だったようだ。
……さてさて、この市中引き回しの結果はどうなるのやら。
見世物になりながら、裁きの神殿とやらに運ばれて行く。
程なくして見えてきた建物は、まるで円形闘技場コロセウムだ。
なるほど、決闘裁判とやらにはうってつけと言う訳だな。
裁きの神殿と言う割には、随分と俗っぽく思えるが風土風習が違えば神前決闘も趣が変わるのは当然か。
出し物の猛獣宜しく、檻に入れられたまま円形闘技場コロセウムの中心部に置かれた。
全く、自分がローマの剣闘士にでもなった心地だ。
嘆息を零しながら、ずっと座っていた為に強張った筋肉をほぐすべく、軽く首を回したり、肩を回したりして時が至るのを待つ。
その間に、円形闘技場コロセウムの客席は、前列から埋まりだす。
如何やら前列は上流階級が陣取り、中流、下流と席は後ろに下がっていくようだった。
身なりを見れば分かる。
客席が埋まるにつれてがやがやと騒がしくなり、中には私を詰る様な声も混ざっていた。
まさか、何の抗弁もできないままに剣闘をやらされるのではあるまいなと、渋面を作っていると、漸く白を基調とした厳かな姿の神官が姿を現す。
それに続き、如何にも王侯と言った風情の四人の男達が現れ、最前列の席で最も華やかな席に陣取る、貴賓席か。
最後に、年若い少年とその母と思しきまだ若い女が現れて、華やかな席の傍らに座った。
神官はそれを見届けてから、円形闘技場コロセウムを埋め尽くす観客と、観客席と闘技場を隔てる壁に、数多描かれた、人身獅子頭の神に一人一人に礼拝してから、私を向いて声高に告げた。
「裁きの神ムルフェの神判を始める。咎人よ、汝は罪を認め、一度の死闘を望むか? 或いは、無実を訴え三度の死闘を望むか?」
「盗んでなど居ない。託されただけだ。彼の若武者の名誉の為にも、私は無実である。幾たびの死闘が与えられようが、それは曲げられない!」
はっきりと告げやれば、歓声と罵声が湧き起る。
私の言を聞き、年老いた神官は目を見開いたが、無言のまま檻に近づき、扉の鍵を外した。
そして、速やかにその場から離れると、入れ違うように大きな体つきの男が入ってくる。
見るからに鍛え抜かれた巌のような体、褐色の肌は日に良く焼けている。
「俺が相手だ。三度と言わず一度の死闘でも変わりなかったって事だ。」
「まずは、お前か。」
軽口を叩きながら、扉を開けて外に出ようとすると、猛然と私に迫る大男。
再び檻に戻れとでも言いたげに右拳を唸らせて殴り掛かって来た。
見かけよりは早いが、聖騎士を相手取って来た私には意外性も特になく、迫る右拳を左腕で払い除けて、右拳を腹部に叩きこんだ。
拳は鍛えられた腹筋を打ち抜き肝臓を直接叩きかねない勢いがあった様に思えるが、流石にそれは誇張した感覚だろう。
だが、大男にはその一撃で十分だったようで、その場で腹を抑えて蹲り、私が横を通り過ぎる頃合いには、嘔吐を始めていた。
「まずは一つか? それともこれは一つと数えられないか?」
歩きながら、闘技場より離れていた神官に問いかける。
途端、わっという歓声が巻き起こり地鳴りのように響いた。
「一発か? 一発だったよな!」
「こいつはすげぇぜっ!」
「アゾンが吐いちまってるぜ! 最近は負け知らずだったのにな!」
……何とも煩い。
神官の言葉を待つ間、知った顔が無いかを……つまりロズの姿を探し求めて観客席を見渡すが、発見できなかった。
無事なんだろうかと頭を悩ませていると、神官が声を張り上げた。
「静粛に! 第二の神判を開始する! ……だが、その前に第一の試練を乗り越えた咎人に武器を渡そう」
与えられる武器程、危険な物は無いのだがな。
そんな事を思いながら、下位の神官が運んできた剣を受け取る。
その間に、大男は他の神官に付き従われて闘技場より去った。
ずっしりと重い剣、鞘より抜いてみれば、鈍なまくらも良い所だ。
だが、これで十分と子供が右手で棒打ちでもするかのように剣を握る拳を耳辺りまで持ち上げ、左手をそっと宛がう。
これが、これこそが天真正自顕流てんしんしょうじけんりゅうにおける絶対の構えだ。
使い慣れた武器でなくば、基礎に立ち返るのは当然の事。
私自身の業はまだ未完成。
命を捨てる場所でもない以上は、この場では使えない。
さて、この構えは左はまるで使わず、右のみで剣を振るう。
左舷切断と呼ばれるこの教えに潜む恐るべき意味を知るのは、自顕流と示現流の剣士のみだろう。
ただの上段ではない、剣を握りながら石礫いしつぶてでも投げるかのように腕を振るう事で、尋常ならざる速さの一撃を放つのだ。
作り込まれた背中と腕、そして腰回りが備わればその一撃で、鎖骨から腰骨まで一息に切り裂く事は可能だ。
例え得物が鈍らであっても、致命打にはなろう。
そう腹を括り、何十、何百万と打ち込み続けた構えをとれば、如何な武器であろうとも全くブレる事なく相手が出てくるのを待っていられる。
私が構えると、再び老いた神官が大音声で第二の神判の開始を告げた。
闘技場の奥から現れ出でたのは、人ではなかった。
無論、フォクシーニでもホースニアンでも、その他の種族でもない。
獅子の頭を持ち、蝙蝠めいた翼をはやした奇怪な生物である。
「裁きの神ムルフェの神獣よ、神判を示せ!」
老いた神官の言葉に従い、観客たちすら威圧するように一声吼えた神獣。
だが、私は全く臆することなく構えを崩さずに時を計る。
如何に丈夫な獣であろうとも、例え神の祝福を受けているのだとしても、必ず斬り捨てる。
その思いを抱き、小動こゆるぎも無くただただ構え続ける。
獣が猛然とでも、不用意にでも撃尺の間に入れば、即座に斬る……!
神獣は、私の意を酌んでいるのか一向に近づかず、当初は間合いの外で唸るのみであった。
一向に襲い掛からぬ神獣に、周囲も騒然とし始めるが、私は変わらず構えを解く事は無い。
丸太よりも尚太い四肢には、鋭い爪が付いている。
獅子の顔、その口元には私の肉を容易く食い千切る牙が生えている。
不用意に恐れはしないが、だからと言って、何の恐れも抱かないのは愚か者だ。
このまま、殺し合う事無く神判とやらが終われば良いのだが……。
真っすぐに神獣を見据えると、神獣も真っすぐに見つめ返してくる。
そして、不意に四肢を伏せて私の前に座り込んでしまう。
私は一向に構えを解く事は無かったが、神獣が尻尾をパタパタと左右に振るに至っては、戦意を喪失したと思わざる得ない。
「……これは……」
「ムルフェの使いが……」
神獣と言う宗教的な意味合いが強い獣の振る舞いに、皆が小さく騒めいている。
老いた神官は目を見開いたまま、暫く言葉を放つ事が出来ない様子であったが、絞り出すように告げた。
「裁きの神ムルフェの意を受けし神獣が戦わぬでは、第二の神判も突破したと言わざる得ない……」
その言葉に、事の成り行きを見守っていた貴賓席の者の内、一人が立ち上がり私を指さして猛然と言葉を放った。
「ムルフェは其処なコソ泥に恩寵を与えようと言うのか!」
「控えよ! 神前であるぞ!」
「諸君らは……諸君らはここまで虚仮にされて何も感じぬのか!」
「虚仮? そうは思わん。いや、何故ダセーヌ殿は虚仮にされたとお考えか?」
如何やらあの四人が軍閥の長か。その内の一人が私を亡き者にしたいと……何故だ?
他の三人はそれに気付いてか、同調することなく冷静に対応している……。
あのダセーヌとかいう奴は何を焦る?
まさか……。
私がある事に思い足ると同時に、闘技場の奥から巨躯の男が現れた。
白銀に輝く要所甲冑、無骨な戦斧、そして……聊か曖昧な視線。
「……ゴルダンとか言ったな、聖騎士。ここは貴様の国ではないぞ?」
「全てを捨て、お主は殺さねばならん、異郷の戦士よ……魔人衆と同じところから来た剣士よ、全ては女王の為に!」
虚ろな視線が一気に理性を取り戻し、憤然と私を睨み付けた。
……あのダセーヌとか言う軍閥、クラッサ聖王国に脅されたか通じているな。
さぁて、武器は鈍ら、相手は聖騎士か……こいつは生き延びる事すら難しい戦場だ。
そう思うと言うのに、私は微かに笑っていた。