第十五話 捕縛
ロズを背負い、パキーズ領土内の村落に足を踏み入れたのは、それから数刻後の事だった。
旧カムラ王国の言葉が通じる商家があり、そこで一夜の宿を借りる事が出来た。
とは言え、寝台一つの客間一部屋だけしかないと言う事で、ロズを寝台に寝かせ、私はドアの前に胡坐をかいて眠る事にした。
翌朝には、少ないが貨幣は残っていたので、飲料水や酒、それに保存食を買い求めパキーズの中央都市を目指す事にした。
少なくとも、この村落ではハルパーなる若武者の事は分からなかったからだ。
去り際に商家の男に託された鋼の剣を見せて、ハルパーの名を問うてみたのだが、何分田舎なのでと、そう告げながら首を左右に振る商家の男になるほどと頷き、勧められるままにさらに南下する事になった。
寝台で身を休めたロズも、疲れを癒せたのか足取りはしっかりしている。
村の外れで土を食らい、言葉が分かるか試した所、旧カムラ王国の言葉を知らない子供が何を言っているのか把握できた。
生活が営まれている場所の土ならば、良いのか……。
それにしても、旧カムラ王国の土と違い、此方の土には滋味が溢れている気がした。
いや、旧カムラ王国の場合は戦場跡地の土など食った所為かもしれない。
少ない例でその土に善し悪しを判断するのは間違いであろう。
ともあれ、これならば、然程の苦労も無い旅路になるだろう。
だが、物事とは上手く行かないものだ。
南下を続けて中央都市へは明日の夕刻にはたどり着けるだろうと言う頃合いになり、問題が起きた。
私達が泊まった宿が夜半に正規の兵たちに取り囲まれてしまったのだ。
ずかずかと部屋までやって来た正規の兵は、私に向けて羊皮紙で作られた格式ばった書状を見せた。
そこには、パキーズの英雄の持ち物を奪った窃盗犯として逮捕すると書かれていたのである。
心当たりは、託された鋼の剣しかなかったし、確かにそれが彼等の言う窃盗物だと言う。
ロズが抗弁してくれたが、生憎と彼等は聞く耳を持たず、また気が立っている。
致し方なく、彼らに護送される形で中央都市へ向かう事になった。
ロズは付き添いと言う形で同道を許された。
最悪、遺体を引き取る相手と言う事らしい。
窃盗と言うが、盗んだ物が物らしく、かなりの刑罰が予想されたが、私は一先ず彼等に従う事にした。
切り抜ける事は、可能であろう。
だが、切り抜けた先に何が在ると言うのか。
複数の兵士を切り捨てて、その先に何が残ると言うのか。
それに鉄砲放十名、槍持ち十五名の大所帯相手では、流石にロズが無傷とはいくまい。
また、ハルパーとの約定を果たせず、徒にパキーズとも敵対関係に入るのは得策ではない。
羊皮紙に書かれていた逮捕状に気になる文言もあった。
『決闘裁判』。
何とも不穏な言葉ではあるが、戦いに勝てば自由が得られる可能性もあるのならば、素直にその裁判を受けるのも吝かではない。
少なくとも計二十五名の兵を斬り捨てるよりは被害も少ない、双方ともに。
中央都市への旅路は、快適とは言い難かったが楽は楽であった。
竜馬に引かせた車輪付きの檻の中、身包みを剥がされ半裸で座しているのだから。
屈辱と思いはするが、それ以上にロズの扱いが不安でもある。
が、彼女は比較的小柄な竜馬に乗せられ、同性の小柄な兵士が竜馬を引いている。
その様子から、一応は大丈夫だろう。
ガタガタと揺られる檻の中で、私は静かに双眸を閉じて座して中央都市に付くのを待つ。
その間に、これから死合うかもしれぬと言う思いからか、剣の師である方喜大佐との日々を思い返していた。
私が師事を受けた方喜大佐の剣は、天真正自顕流である。
祖国が昔、東西朝に分かれ内戦に明け暮れる直前に、西方の武家島津に仕える東郷重位が相伝し、元より修めていたタイ捨流と組み合わせて示現流を立てた事は有名だ。
東の自顕か、西の示現か、等と講談などにも謡われている。
最も、何方も大元を辿れば神道流に行きつくのだが。
双方の剣は二百六十年という長きに渡る東西朝時代の中で、更に独自の進化を遂げている。
剣においては互いに初太刀を重んじるのは有名だが、それ以外となると示現流は良く知らぬ。
が、天真正自顕流は合戦組手や柔の技を吸収し、無手技にも力を注いだ。
まだ、軍人になる以前の私は、祖父の縁にて当時大尉であられた方喜盛且先生に剣を習った。
初めて道場に赴いた時の事はよく覚えている。
まずは打って参れ、そう先生に木刀を渡され告げられた私はその頭上を狙って、木刀を振るった。
躊躇が無かった辺り私もどうかしているが、先生は更にどうかしている
最早、木刀の切っ先がどう足掻いても頭を打つと言う間合いまで迫っても、八相に構えていた先生は、尚動かなかった……様に見えていた。
だが、突如私は両腕が抜け落ちるかと思われるような力を感じて、前に倒れ込み、気付けば腹ばいになっていた。
意味が分からぬ上に、腕が痺れて暫く起き上がる事は出来なかった。
いや、痺れどころではない。
思わず苦悶の声を漏らしてしまうほどの重い痛みが、両腕に感じられた。
暫くその場で蹲っていたが、漸く起き上がり自身が振るっていた木刀を見ると、真っ二つに折れて、先端部分が道場の端の方へと吹き飛んで所在無さげに転がっていた。
それからは、修練の日々である。
腕の痛みでその日の夜は寝付けなかったが、膨れ上がった両拳の訴える痛みと発熱によるだるさを凌駕したのが、一体何をされたのかと言う好奇心であった。
それほどの痛みとなれば一両日で癒える訳はないが、その痛みが引く前から私は道場に通い、痛みを押して剣の修練に励もうとした。
何故ならば、私はすっかりその力強い剣に魅了されていたのだ。
それは先生に窘められ、痛みが治まるまではその型やその理を教えられた。
そして、拳の痛みが癒えると、実際に木刀を握り打ち受けを行う日々が始まる。
武家の生まれと言う事もあり、元より軍人志望であったので体を鍛えていた心算だったが、私の今までの修練は単なる遊びに過ぎなかった事が良く分かった。
だから、後に軍人となり、士官学校に推挙される程になったのは、全て先生のおかげである。
道場に通う事が出来なくなったのは、戦地に赴く事になったからだ。
その戦地でも、剣の腕を上げたければ研鑽せよと先生の言伝を受け、私はひたすらに技を磨いた。
同じ多神教国家である露帝軍の要請に従い、一神教連合国と戦うべくクルスクに赴いた私は、前線配備の際には銃弾飛び交う戦場を生き抜き、後方に待機中の際は付近にあった森林に赴き、一人木の棒を振るい、立ち木に斬りかかっていた。
東郷重位は示現を立てるに当たり、朝に三千、夕に八千と言う常人では考えられないこの修練を行ってい居たと言う。
ならば、より非才な身である私は如何ほど打てば良いのか。
そう意気込みはするが、軍務の事もあり日に四千も打てれば良い方であった。
そんな私を同僚や同盟国の者達は、奇異な物を見るような眼で見ていた。
が、何処の国にも私の様な者はいる様で、露帝軍の荒くれに気に入られたり、ハン軍の騎兵部隊の長からは、葦原の軍人は六百年前と何も変わっていないと歓迎されもした。
軍務期間を終えて戻った私は、先生にその旨を報告すると、先生は認可状を与えてくれた。
そして、奥義を得たくしたければともかく基礎を繰り返すべし、さすれば自ずと奥義の方から歩み寄るとの言葉を頂き、道場には通わずとも良いと言われた。
戦地にて銃剣突撃の際に、軍刀で幾人か敵を切ったが、自分がそれほど強くなった気はしていない。
武勇の誉れ足る銀鴞勲章を頂き、中尉に昇進した際にもそう感じた事は無かった。
方喜大佐を通じ、伊田中将に推挙されて軍大学に入った後も、少佐となった後に方喜大佐付き副官になった今も、自分の強さと言う奴が今一つ分からなかった。
この異界の地にて、私は初めて自分の強さと言う物を理解できるのかも知れないと言う、漠然とした期待と、兄や姉、それに妹など残してきた家族や国の行く末を思い、未練混じりの悔恨が胸中にせめぎ合う中、漸くパキーズの中央都市が見えてきた。
ちらりとロズを見やれば、何とも言えぬ愁いを帯びた瞳でこちらを見ている。
何、心配はいらんさと声を掛けてやりたいが、それも彼女に不利益になっても困る。
だから、深く頷くに留めて、決闘裁判とやらを待つことにした。