第十四話 旅路
ロズを伴い森を抜けると、そこに広がっているのは不毛の大地だった。
本当に、境界線でもあるかのように、木々がまるで育たぬ不毛の地が広がっている。
いや、よく見れば小さな草木はまばらに生えている様だが、ここまで一気に景観が変わる物なのか? そっと隣のロズを伺い見ても、彼女はいつも通りの様子だった。
「パキーズは南方の雄、幾人かの軍閥が国の政治を取り仕切っているが、大きな混乱は今は起きていない。余が思うに、聖王国と真面にぶつかれるのは、このパキーズを置いて他にはないだろう」
「軍事力ではな。しかし、軍閥同士が権力を分け合うとなれば……場合によっては割れるぞ?」
私の言葉にロズは肩を一つ竦めて、否定も肯定もしなかった。
語りながらも不毛の大地を踏みしめると、何とも乾いた音が響き渡る。
それに、旧カムラ王国の王都を南へと進んでいる筈だが、相変わらず風は寒々しい。
南は暑いかも知れないと、身構えていたがあまりそう言う事も無いのだろう。
しかし、骨馬で如何程走ったのか定かではない以上、あまり決めつけるのも良くないな。
何せ馬が揺れるたびに傷が広げられるような痛みに耐え、南下したのだから如何程走ったのか等当てにならない。
正直言えば、数刻は痛みに耐えていた気になっているが、実は半刻と満たない時間しか経っていないかも知れない。
まあ、そこまで近ければ斥候が我らを見つけて、今頃捕まって居る頃合いだろうが。
そんな訳で、パキーズまで如何程かかるかもさっぱり分らない上に、この様な不毛な地に足を踏み入れなくてはならないとなると……生きて帰れる保証はない。
森に引きこもれば、食い物も水も確保できる。
乾いて冷たい風とて生い茂る木々が遮ってもくれる。
生きるだけならば、森に籠っているのが無難だ。
だが……だが、私の旅路はそれではない。
ただ生き長らえるだけでは意味がない。
聖騎士を全て討ち取り、その背後にいる敵を討たねばならん。
その為には、奴らに対抗できる戦力のある連中と手を結ばねば、目的は達成できないだろう。
水はたっぷり汲んである、食い物もまあ、余裕はあるように思える。
そも、装備は今よりマシだが、凍てつく寒さの中冬季攻勢に参加した事がある私だ、この程度で根を上げる事は無い。
万が一踏破できずとも、ただ屍を晒すだけである。
ここでの問題はただ一つ、ロズだ。
私は彼女の同道を許した。
許した以上は、彼女が己の意思で離れるまでは、その生死に責任がある。
その確認を含めて、私はロズを見やりながら問いかける。
「この地を往くのは中々に難儀だな。装備も無い。それでも私は往くが、君は如何する、ロズ?」
「命が惜しくば取って返せか?」
「かなりの術を行使した後だ。体にまだ障りがあるのだろう?」
「万が一余が倒れるならば、捨てて行け」
……。何を甘い事を言っているのだろうかと思わず黙り込んだ私は、足を止めて彼女へと体ごと向き直り、告げる。
「ロズワグン・エカ・カムラ、そんな覚悟では困る。万が一この不毛の地で倒れれば、屍となっても街までは同道する、そう言う心意気でなくては。……私は連れて行くぞ、その身体が腐り果て、骨と成ろうともな。その醜態を晒す覚悟はあるのだろうな? そして、その醜態を見届ける覚悟もあるのだろうな?」
「……いざと言う時に、死んで迷惑を掛けぬと言う手段は使えんな」
「当然だ。……これでも、この道行きを同道するか?」
私の問いかけに、ロズは流石に即答はしなかった。
言葉を吟味するように双眸を細めて私を見据え、じっと思案をしていた。
世話になった彼女と離れたい訳では無い。
ただ、死の危険性から遠くにいて欲しいとは思うのだ。
「……余の考えが甘かった。余の骸を決して離してくれるなよ。余は貴公の骸を決して離さぬ故な」
「そうか。……待て、死霊術師ならば私が死んだとて歩かせれば良いだけでは無いのか?」
「おお、そうだな。すっかり担いでいく気になっていた」
ロズは存外にそう言う所があるようだ。
その答えが僅かばかり可笑しく、私は思わず笑みを浮かべていた。
そんな問答をしてから二日が過ぎる。
水は……持ってあと二日か。
食い物はこれでも節約して三日分はあるか、無いかと言う程度。
見渡す限りの不毛の大地はまだまだ続いている。
照り付ける太陽は、何処か寒々しいが、それが返って体力を奪う結果にも繋がる。
冷めきった荒れ地は、まばらに生えていた草木すら生存を許さぬようで、昨日以降は緑を見ていない。
それでも、私は弛まず歩き続ける事は出来た。
成すべき目的がある、それ以外に理由などいらない。
だが、ロズは大いなる術を行使し体力が回復しきらない内に、この旅路に同道している。
その足取りは大分怪しく、このままでは倒れてしまいかねない。
だが、弱音一つ吐かず、歯を食いしばり私に合わせて歩こうとするのだ。
それは健気にも思えるが、その命を削る行いでもある。
「ロズ、ここからは私が背負おう」
「ば、馬鹿を言うな、セイシロウ! 余はまだまだ己の足で歩ける!」
「それは知っている。死の間際まで君は歩くだろう。それに私が耐えられない、故に背負う」
本来ならば、私とて大分疲れている筈なのだが、ひと眠りすると、疲労の殆どが消えているのだ。
今までにない感覚に戸惑いを覚えるが、これが呪術と言う物なのか。
ともあれ、私は強い口調でロズに言いやれば、背を向けて大地にしゃがみ込む。
前に抱えては、いざと言う時に剣を抜く事は叶わぬが、背負えば剣は抜けるし、走る事も可能だ。
ロズがどの程度の重さかは分からんが、野戦用の背嚢と比べても、然程の差はない筈だ。
「む、無理はするでないぞ?」
「……ああ」
暫し迷った挙句に、ロズは私の肩に両の手を回して摑まれば、背にその身を預けてきた。
立ち上がり、歩き出してすぐに私は自身の計算違いに気付く。
そう、気付いてしかるべきだったのに、私はその事を計算に入れてなかった。
背に当たる柔らかな感触。
体力を温存すべき時に、何を考えるのかと余人は言うだろう。
だが……だが、男とはそう言う物なのだ! きっと。……多分。
このような時は如何するべきかと思いを巡らせ、心頭滅却すれば……そう何度も口には出さずに唱え続けていた。
それから然程時間が経たぬ内に、その光景を見た。
円形に抉れた不毛の大地と、粉砕された竜馬の骨の大群。
ロズが呼び出し使役して、王都脱出に使った骸たちが無残にもバラバラとなって散らばっていた。
「魔術師の対軍団用の攻勢魔術だ。二十名からなる相応の魔術師が詠唱を組み合わせ放った天よりの光」
「一撃でこれか?」
「さよう、だが、数日は詠唱に参加した魔術師は使い物にならんがな」
ロズの説明に背筋がゾッとするのが分かる。
そして、背中に意識が向くと、また柔らかな感触が……。
ええい! 今はそれ所ではないわ、我が煩悩め!
「国境を超える前にケリを付けたのだろう。パキーズに進軍の意志ありと考えられても困るしな」
「今はクラッサ聖王国はパキーズと事を構える気はない?」
「現状では勝っても相応のダメージが残る。戦は聖騎士ばかりで行う訳では無いからな」
なるほどな。
外交上の問題に発展する前にケリを付けたか。
……すると……?
「パキーズの国境は近い?」
「そうだな……そういう事になる」
それは喜ばしいと感じると同時に、僅かに、ほんの僅かに惜しいと思う気持ちが胸中に浮かび、消えていく。
……何が惜しいのか、気付かぬふりをしながら、私はロズを背負ったまま歩き続けていた。