第十三話 雪中の夢
王都よりどれ程離れたのか、定かではない。
私自身の意識は朦朧とするたびに、太腿に走る激痛に起こされると言った具合で、正直距離を測る所の状態ではない。
痛いかと問われれば、痛いに決まっているだろうと怒鳴りたくなるこの痛みは、誰の所為かと言えば己の所為で負っているので、八つ当たる所は何処にもない。
骨馬がぱからと揺れる度に痛むのだから、堪らない。
それも、漸く終わりを迎える時が来た。
街道も何もない荒れ地をひた走り、終いには森の中にまで走っていく骨馬の大群。
揺れが一層激しくなり、私の太腿に突き立てられた剣が傷を押し広げる。
もう耐えられん! 前方に泉があるらしいと気づけば、渡りに船と行動を開始する。
私は右の太腿に突き立てた剣を引き抜き、投げ捨てると吹き出る血はそのままに片腕に抱くロズをきつく抱きしめて、飛ぶ。
危うく、木の幹に頭をぶつけそうになりながらも、大地を転がる私達。
骨の馬は全く止まる素振りも見せずに、ただ、私達を避けて一心に先へと向かっていった。
片足を引きずり、ロズの身体を抱き寄せて、ノロノロと泉に向かう。
何度となく転びかけ、息を乱しながらも泉に辿り着くと、私はそのまま崩れ落ちた。
再び立ち上がり、ロズを横たえて怪我が無いかを確認する。
……が、流石に衣服を脱がして検める訳には行かず、さっと体に触れて痛みを訴える様子が無いかを確認したのみだが。
それから、漸くローブの裾を千切り、自身の傷口に巻き付けて止血を行う。
……太腿の傷は酷い。
止めどなく傷から溢れ出る血液、程なくして失血死するだろうと思えた。
……だが、死んでなど居られない。
何としても、聖騎士は全て打ち倒し、怨敵の生まれ変わりとやらを討たねばならん!
あの黄衣の兵は、まるで祖国で見た『神呪兵計画』の実験体のようであった。
秘匿呼称は『黄衣兵団』である事を思い返せば、どう考えても繋がって居る。
必ず、クラッサ聖王国の女王は討たねばならん……。
そう強く思うも、私は意識を保ち続ける事が出来ず、気を失ってしまった。
そして、傷の為に出てきた熱に浮かされながら過去の夢を見た。
大きな牡丹雪が降りしきる夜の事だ。
私は円筒状のわげものをその両の手で大事そうに抱えながら、御所への道行きを歩いていた。
我が上官にして、反乱の首魁とされた近衛第一師団長である伊田中将の首が納まる首桶である。
誇り高き我らが反乱など起こす筈は無い。
だが、我ら以外がそれを信じれば、その虚偽は事実になる。
そして、討伐軍が編成されるとなれば、中将は全ての責任を負い、反乱者としての汚名を着たまま自刃なされた。
私は、ある理由で伊田中将を介錯する役回りを得たのである。
中将の遺言通り、介錯を二度失敗してから、首を落としてある。
私が、首を一刀で切り落とせる使い手である事は悟られてはいけない。
それが為だけに、私の剣の腕を偽装する為だけに、中将は腹を割りながらものたうち苦しむ道を取った。
情報を活用せぬ者は勝利を逃すと語って居られた生前の言葉通り、最後の最後まで敵に偽の情報を掴ませようと言うのだ。
その恐るべき決意を前にすれば、我が命もまた惜しくはなかった。
伊田家の奥方や使用人たちに見送られ、私は雪中を征く。
中将の首を土産に敵に近づき、身命に変えても打ち倒すのだ。
敵は御所にて、帝の傍に侍る芦屋大納言志津姫。
東西の宮家を相争わせんと画策した奸臣にして、恐るべき計画の実行者。
陰陽の術に秀でた恐るべき毒婦とて、まだ慣例に従わざるえまい。
首魁の首を持って行けば、必ず首対面が行われる。
左大臣、右大臣共に御所に居らず、東西の宮家の姫も居ない。
まさか帝にやらせるか? 如何に君側の奸でもそれは出来ない、出来る訳がない。
そんな事を行えば、御所内の全てが敵に回るのだ。
それは、公家達の世界では全てを失う事を意味している。
今宵であれば、志津姫自らが首対面をせざる得ないのだ。
無論、警戒はしているだろう。
だが……だが、それが何だと言うのだ!
必ず、仕留める……必ず。
そう自らに言い聞かせながら、肩に積もる雪を払う事無く、私は御所へと歩み続けていた。
パシャリと言う音は、泉の音だっただろうか? その音のおかげで目を覚ますと、森の中は、大分日が陰っていた。
ただただ、上を見上げていると、森の中であり泉の傍だと言うのに、寒々しく乾いた風が頬を撫でた。
……奇妙な事だ。
再び水の音が響くので、そっと其方を伺えばロズが屈みこんで何かをしている。
ローブが濡れるのにも構わずに、彼女は布を濡らして絞っていた。
立ち上がり、此方を見るその顔は、焦燥の色が濃く、その心情を狐の耳も表しているのか、力無く垂れ下がっている。
そして、私の傍に屈みこめば、漸く私が意識を取り戻した事に気付き、微かに笑みを浮かべた。
「そのまま、眠ってしまうかと思ったぞ?」
「……道半ばでは……死ねんよ」
そうは言うが、歯と歯を打ち鳴らしながらの言葉では説得力は皆無だな。
熱は未だに引かないし、どうも頭より肩や腿の傷付いた部分が異様に熱い。
「貴公、無理をするな。だが、目を覚ましたのならば傷口を洗っておかねばな。そこから病が入り込んでも不味い」
そう告げて彼女は自身の荷物から革袋を取り出した。
水を入れる革袋とそう遜色の無い大きさの其れの蓋を開けて一言告げた。
「……傷を酒で焼くぞ」
……待て、私が纏うローブを脱がさずに……って、既に脱がされていた。
太腿の傷口が垣間見えたが……思ったより酷くないな。
いや、おかしい。
私は気を失う前に傷に巻き付けた布地にべったりと付着する血液に比べ、傷の規模が小さい様な……。
そんな思考を吹き飛ばす痛みが傷口から全身に走り抜ける。
焼かれるような痛みは、高濃度のアルコールが傷を消毒している証だ。
ぐっと堪えながら、肩の傷もアルコールで消毒されて、布を巻かれる頃合いに漸く気付く。
私は、彼女の前で全ての衣服を脱ぎ去った状態で居たのだ。
…………きっと、私が彼女の身体を確かめた様に、彼女も私の体を確かめたのだろう。
思い切りの良さは、ロズの方が上だなと妙な事を感心しながら、彼女に感謝の言葉を投げかけていた。
怪我の療養に勤めるべくそのままここで休む事になったのだが……。
この大陸の夜はそこそこ寒い。
季節は一定で、時々雨季があるだけと言う気候らしいが、ともかく野宿をするならば相応の装備は居る。
だが、私達はそこ迄の準備はしていないのだ。
街道沿いにはそれなりの距離で村落があり、宿屋もしっかりあったからだ。
「互いに暖め合うしかないな」
「如何するのだ?」
「だから、余と貴公で互いに抱き合って寝るより無かろうと言っているのだ」
「……そうか」
私も男であるので、嬉しくない訳では無いが。
こんな場で勢いあまって、その、一線を越えたら流石に申し訳が無い。
自分自身に自制を呼びかけながら、その日は互いに抱き合って眠る事になった。
私の鼓動が煩くは無いか不安ではあったが、如何やら気付く前にロズは眠ったようだった。
……その日は少しばかり寝付けなかったが、何事も無く日は明けてくれた。
さて、翌日の朝になった。
傷を改めると信じ難い事だが、信じられない速さで癒えていた。
刺傷や聖騎士が放った破片の裂傷は、もう気にならないレベルだ。
唯一問題だったのは、右足首の痛みだがこれすら昨日に較べれば痛みは薄かった。
結局、そこまで回復したならと私たちは南方の国パキーズを目指して歩き出したのだった。