第一話 死合う(上)
目的地に向かうまでの時間、私は一人つらつらと物思いに耽る。
剣術など戦場では何の役にも立たぬと言われていた時代があった。
甲冑を着こんで力任せに大業物を振るう者が勝者となる、故に斬り合いなど戦場で覚えればよいと言うのである。
その様な時代であれば、私など大して武勲を上げる事も叶わなかっただろう。
だが、時代が降り鉄砲が姿を現すと話は次第に変わる。
重武装の騎馬武者同士が争う時代から、より小回りの利く足軽による歩兵戦が主となる時代に移り変わり槍などの長柄が重宝された。
その時代ですら私が武勲を上げられたとは思えない。
何故ならば、私が剣士であるからだ。
結局、数千、数万の歩兵が入り乱れて争う乱戦が起こるのは、百年は続いた戦国時代も終わりの頃だ。
戦国国司たちがしのぎを削り、最終的には東西に帝が立ち、東西朝が始まる直前の時代。
その時代で漸く剣術が意味を成すようになった。
膂力著しい豪傑すら、何れは息が切れて動きが鈍り、小兵に討たれる。
が、剣術の修練に励んだ者のみ持久力に優れて、息も乱れず、最後まで迅速に刀を振るい続けた。
東西朝の国を二分する内戦時代に突入しても、剣術は名人たちの手で進化を続けて今に至ったのである。
剣に思いを巡らせていた私は、腰の方刃の剣に視線を落としたのちに、自身の服装にも一瞥する。
風に靡くマントの下に垣間見えるのは、祖国の軍衣、つまり、この世界には無い国の軍服に他ならない。
茶褐色の上衣と下衣、焦げ茶色の編上式の靴は舶来品の高級品……高い買い物だったが、頑丈で気に入っている。
今は見えぬが軍帽も茶褐色であり、鉢巻部は緋色。帽章には翼を広げた梟と近衛師団所属を表す梅の枝葉があしらわれている。
正に、この地では鎧一つ着こまぬ軽装の剣士と言った風情か。或いは道化。
鉄砲は有れど火縄では、鎧を着こんだ方が生き残れる可能性はあるのだろう。
……何故、あの廃都にこの装いが用意されていたのかは、良く分からない。
幼き頃より夢によく見た老人が用意しておいてくれた物らしいが……。
取り留めのない思考も、そろそろ終わりだ、目的の村が見えてきた。
彼の地にて討たねばならぬ敵が居る。
ここから先は、油断は禁物だ。
聖騎士は皆、一流のその先に居るのだから。
私が村に足を踏み入れた時に、運が良い事に目当ての相手は幾人かの村人相手に外で話し込んでいた。これは良かった、兵を幾人か斬らねばならんかと思っていたから。
何処か冷たく、それでいながらじりじりと我が身を焼く太陽に照らされ現れ出た私を、村人がざわめきを発しながら伺い見ているのが分かる。
見た事も無い格好の、この近辺では見ない黒髪の三十過ぎの男が現れたのであれば、驚くし、警戒もしよう。
明らかに不審者を見る目で、此方を見ている村娘までいる。
私の双眸を色を見て、老人などはたじろいでいたが、それ等の反応には慣れている。
ここで問題なのは、驚く者達の中に一人、全く驚きもせずに真っすぐにこちらを見据える男がいる事だ。
白銀の要所甲冑、つまり、肘や膝、胴に腰回り、後は手首と足首を守る魔法銀の鎧を纏った恐るべき騎士。
討ち取るべき敵。
「聖騎士殿とお見受けする」
私は、この地方の言葉を流暢に操り確認を取る。
「如何にも」
重々しい、武人らしい言葉を返すのは聖騎士……歳は同じ頃合いの凛々しい男だ。
「お命、頂戴する」
私の言葉を聞いた者達が、不意に笑いだした。
特に笑っているのが、聖騎士が連れてきた兵たちだ。
彼等は知っている、戦場の聖騎士の力を、恐るべき技を。
……そして、その不死性を。
「我が命を奪わんとする、貴公の名前を伺おうか?」
「神土征四郎」
「……お相手致そう」
だが、聖騎士は欠片も笑わずに、真面目に対応している。その様子に周囲の笑いが引っ込み、困惑した空気が広がった。
流石に、聖騎士達には我が名は伝え回っているかと、口元に笑みを浮かべた私は、聖騎士まであと5メートルと言う所まで近づいた。
皆、呆気に取られて私を止める者とてなかった。
風が吹く。
この大陸は、冷たくも乾いた風が吹きすさぶ。
私と聖騎士の間も、荒涼たる風が吹く。
聖騎士の腰に視線を投げかける、奴の得物は……長剣。
正統派とでも呼ぶべき武器、それだけに油断は出来ない。正統は万事にそつがない故に。
一方の私の得物は、片刃の剣。
本来ならば刀の方が良かったのだが、こちらの物は……手に馴染まなかった。
だから、故有って手に入れたこの剣を用いている。
対峙はしたが互いに剣を抜かずにいる状況。
その佇まいを見て、どこから打ち崩すかを算段するが、皆目分からん。
聖騎士はどいつもこいつも一流以上の使い手だ。
ぱっと見て、打ち崩せるわけが無い。
そろり、地を擦るように右足を動かし腰の刃を抜く。
それに合わせて、奴もまた剣を抜き……驚いたことに逆手に持ち替え、逆の肩口までを剣を持ち上げて、切っ先を真っ直ぐこちらに向ける。
武器は正統派でも、構えは異様、逆手に剣を構えた腕が、奴自身の心の臓を守る様に掲げられている。
そして、空いている腕は……今は剣の先に添えられたが、場合によってはナイフなりを抜き、変幻自在に動くことが予想された。
やり難い……まさか、剣を飛ばしたりはするまいな?
風は乾き冷たいと言うのに、額に汗が滲む。
私は最も得意とし、自信のある構えを取る事にする。
何があろうとも切り捨てる絶対の意思の表れ。
我が流派の特徴を最もあらわしている、八相にも似た構えをとるべく、剣を立てて右手側に寄せようと動き出した、その途端、聖騎士は動き出した。
「聞いておるぞ! カンドなる者、剣を立てれば、その打ち込みは電光を上回るとっ!」
叫び、地が足を蹴ったと思えば、縮地でも使ったのかと見紛う恐るべき加速で、瞬きの間もなく既に眼前に迫り、我が胴を貫こうと逆手に剣を握るその腕に力を込めるのが分かる!
流星の様に尾を引き、胴目掛けて放たれた異形の突きを、左前へと足を踏み込見、体を逃がす事で辛くも避ける!
そして、気付けば、持ち上げかけていた剣を横薙ぎに振り抜いた後だった。
意よりも先に、振るってこその剣。
手元に返る感触から分る、まだ浅いと。
一瞬の攻防を経て、素早く背後を振り返る。
それにつられてマントが風に煽られはためく。
風には、血の匂いが混じっている……我が片刃の剣の切っ先に赤く滴るそれだ。
脇腹を魔法銀の鎧ごと裂かれた聖騎士は、しかし、未だに戦意は衰えて居ない。
いや、むしろ、傷をつけた事でぞわりと戦慄を覚えるような殺気を湛えだした。
遠くで聞こえるざわめきは、他の連中の物だろう。
どうも狼狽している風だが、気にする余裕はない。
溢れ出る殺意、殺気は紛い無き本物のみが放つ殺気。
飲まれれば、手足動かす暇も無く、黄泉路を渡る事になる。
額で生まれた汗は、風に吹かれながらも頬を通り顎先へと伝い、落ちた。
「剣を立てずともその速度……。それにその服装は魔人衆の……やはり、恐るべき相手か」
鉛のように重い言葉を戒めのように口にしながら聖騎士は、再度構える。
虚を突かれ、生き残った事は僥倖だが、相手は更に奥の手がある筈。
それを出させる前に勝ちきるか、打ち破るか。
前者は最早厳しい。
ならば……。
重苦しい時間に身を置き、互いの双眸を睨み、腕や足運びを気に掛け、そして、絶対の時を図る。
こいつが盾持ちで無かったのは幸いだ、奴らはペースを掴ませず突撃してくるからな……。
……最も、その場合は盾ごと切り裂いてやるが。
一層深く腰を落とした私は、そろりと右足を前へ滑らせる。
だが、その機先を制するように、聖騎士は徐に一歩踏み込もうと動き出す!
切っ先が大地を擦る位に下がっていた私の剣は、武の根幹たる足を斬り飛ばそうと刃で弧を描き、切り上げていた。
だが、私の剣の軌道上には……そこには足などなかった!
狼狽しかけた私が見たものは、踏み込むと見せかけて背後に倒れこみ、左足の脚力だけで宙を飛び、体を横転させながら、高速に回る風車のごとく刃を振るう聖騎士の姿だ!
このままでは、斬られる!
時間の流れが凝り、緩やかになるのを感じながら、私は如何なる手段を取るべきかを無意識に選んでいた。