第9話
そのようないざこざがあった後、今、役所では、知的生命体四種類における、知的な話し合いの場が持たれていた。
ちなみに、知的担当者はキエルただ一人であり、残りの面子は、よーし、分かったの獣人アーベラ、アーベラを溺愛するキュイ、そして、エルフ特有の高い魔力の才能をあろうことか筋肉的パゥワァーへと返還してしまった狂人エミーリエである。余談だが、この場において、エミーリエは身体強化魔法を解いているため、美少女の体でいる。キエルは何とか外見上は、斧馬鹿たちに囲まれなくて済んでいたりする。
話し合いは、そもそも、エミーリエがこの地へ何をしに来たのかというところから始まり、途中、エミーリエをこの場で最も憎んでいるキュイがイライラして物凄い速さで貧乏ゆすりをしたせいで木製の床のもろい部分が打ち砕かれるという通常のレッグではありえないハプニングを巻き込みながら進んでいった。
強靭なレッグを持つキュイがそれ以上役所を破壊してしまうよりも前に、キエルはこの話し合いの場を終結させる必要があると感じる。
「で、ここ、バラウォンの田舎で、何かが起こっている、それの調査のために、来ているというのは分かりましたよ。でも、何かというのはあまりにも漠然とし過ぎじゃないですか?」
「う~ん、と、言われまして、私、これで色々な事を解決してきてますからねぇ~」
何とも感覚的過ぎる物言いである。
「あー、もうそんなことはいいから! あたしともう一回勝負! 倉庫にある斧持ってくるから!」
「僕も手伝うよ、アー姉。このクソエルフを叩きのめそ?」
アーベラはともかく、キュイの目は本気である。元来、エルフとドワーフはあまり仲が良くないというのもあるにせよ、きっとそんなことをかけ離れた敵対意識である。
「はー、オルトロスさんはともかく、そこの、ガキ、は黙っていてくださいな」
対するエミーリエもこんな調子なので、この場を何とかとりつくろえるのは、キエル他いないのである。
「あー、はいはい! はい! もういいでしょ! ね! エミーリエさんだって遊びに来てる訳じゃないんだから! えぇと、話を戻して。その、そもそも連合正常化運動の活動に、俺たち、勿論、オルトロスやキュイを含めた三人が協力する義務はないんですよね?」
「ええ、勿論。私は私でやりますし、皆さんの手を煩わせる訳にも参りません。猫の手も借りたくない、ってやつですね」
「多分それは違いますね」
エルフは古来より伝わる知識を多く伝承している種族と聞くが、どうやら、エミーリエに関してはそれが当てはまらないようだ。
「いや、でも待ってよ」
それに口を挟んだのはアーベラである。
「この街で何か連合にとって不都合なことが起きてるってことだろう? いやいや、そんなはずないよ。これでもバラウォンで起きてる大きなことは大体把握してるんだ、あたしは」
曰く、ここ最近で街自体におかしなことはないはず、というのがアーベラの主張であった。
「えぇ~そう言われましても~。言ってるんですよ、この辺りに何かある、って。私の勘が、いえ、もっというならば、エルフ族三千年の歴史からくる勘が!」
「よーし、分かった!」
アーベラがそのセリフを吐いた後に起こることはろくなことでないと思い、キエルは身構えるが、続くアーベラの提案は意外にも普通であった。
「あたしたちも協力してやる! 一度こぶしを交えた仲だ!」
どうやら、彼女の中ではこぶしを交えたら友達らしい。なんともアーベラらしいといえばアーベラらしい。ちなみに、キュイはギリギリと歯ぎしりをしており、どうじに、彼女座る椅子の縁を握りしめているため、ギシギシという木の悲鳴も聞こえている。
そんなキュイはさておき、けれども、アーベラが納得しようが、キエルはまだ納得できていなかった。何となく、で役人が動いていいものか、いや、いいはずがないのである。
「といってもな、アーベラがそれで動くというのなら構わないけど、俺は動く気にはなれんな。だって、何となくでしかないんでしょう? その情報、とやらもなしに、役人が動く訳にはいかないですし」
「おう、お前、珍しくいいことを言うじゃないか」
キュイが賛同してくるが、彼女は単にキエルがエミーリエに反対した意見を言ったから賛同しているのに過ぎないのは明らかであろう。
「それだけのはずがありません!」
「いや、え、違うんですか」
「違いますよ! メーセンさん、あなた、もしや、私のことを馬鹿だと思ってますね!?」
まさにその通りなので、キエルはとってもやんわりとオブラートに包みまくって、大体そうである旨を伝えようかとも思ったが、また筋肉アーマーを身につけられてはたまったものではないので曖昧に濁しておく。
「あなた方のような田舎者には分からないかもしれませんが、先日、ヴェストール自治区に巨竜が来襲したんです」
唐突に発せられたヴェストール自治区という単語に、キエルは思わず立ち上がりそうになるくらいの衝撃を受けた。それほどに、キエルの頭には、未だヴェストール自治区、かつての自分の就業場所のことが鮮明に残っていたのである。キエルはその単語に飛びつきたいのはやまやまながら、控えめに、さほど大きく気にしている様子は表に出さずに、
「知ってますよ、それは。相当な被害が出たらしいですね。けれど、それと、このバラウォンと一体何の関係が?」
キエルが大きく動揺した様子を見せないのは、彼がそういう男だからである。特にこれといって理由はないが、初対面の相手にスキは見せたくないと思っていたのだ。心のどこかで、エミーリエのことを信用しにくいと思ってしまっていたのかもしれない。けれど、
「バラウォンの方向から竜が飛んできたんです! それも、ヴェストール自治区へ一直線に。そういう目撃情報があるんです! ……あ、これ、言っちゃだめなことだったかもしれません。わ、忘れてください」
ぺこ、ぺこと頭を下げるエミーリエを見て、あ、この人は多分何も考えてないタイプの人だという結論にいたり、そこまで警戒する必要はないのではないかという思いに至ったりする。同時に、先にエミーリエが話したことに対して、キエルもまた確固たる疑問を感じていた。
「……一直線」
引っかかるのはその一点。そこで、キエルは自分の記憶を掘り起こす。酒場でアーベラに話したあの記憶を。キエルが経験したのは、ある特定の作物──魔力の補助に使う薬草類の豊作。キエルは、それら豊作だった薬草類の名前をエミーリエにただ単語としてぶつける。エミーリエは、首を傾げつつも、
「ああ、それなら、私も使っているものがありますよ。けれど、それと、これと、何か関係がありますか?」
もっともな疑問だが、キエルは、ここで自分の話をしてしまっていいものかどうか悩んだ。本来ならキエルは間違いなく言わないだろう。何とか誤魔化して、うまく話を運ぶ。しかし、である。相手は筋肉一点張りのエルフさんである。そもそも、酒場でアーベラには口を滑らせている。そう考えると、もう言わない理由がない気もしてくる。たまには、一直線に、どんとぶつかって見ようと決心する。その決心は、アーベラの真っ直ぐすぎる生き方を間近で見たことによって引き起こされたものであろう。
キエルは、自分の身の上を話す。
「なんか、変だと思いませんか? やっぱり、魔力関係の──」
「うんうん」
ダンダン。
「薬草であることとか──」
「うんうん」
ダンダン。
「あの」
うんうん、という相槌の正体はアーベラであり、ダンダンという音の正体はキュイが元気に足踏みして役所の床を攻撃している音である。そして、肝心のエミーリエは、
「わ、分かりました。だいたい」
多分分かっていなさそうだった。
どうやら、各人は話し合いの限界時間を越えたようであり、となると、もういっそのこと、キエルは自分が考えるしかないのだという結論に至る。
「あー、じゃあ、こうしましょう! 四人の協力で、この事件を解決する! バラウォンは平和! ヴェストール自治区は救われる! 完璧ですね!」
これまでの話し合いは一体何だったのかというくらい簡潔にまとめるキエルの言葉に、各人はそれはもうにっこり笑顔で肯定の返事をする。そう、彼女たちは話し合いの場が終わってくれるのがとっても嬉しかったのである。
かくして、バラウォンの役所一同は、連合正常化運動なる組織に属するエルフ、エミーリエに協力しつつ、バラウォンの街に訪れているという何かを調査することになった。なってしまった。
キエルは頭を悩ませていた。
役所の隅の隅の埃がちらつく卓上で、メモ帳にメモ書きを走らせる。
「魔力の元となる薬草、ドラゴンがバラウォンの方面からヴェストール自治区に一直線に向かった……」
事実となる情報はこれだけ。エミーリエがここに来た理由としては十分ではある。何せ、このホーマ連合国家の果ての地において、調査の拠点となりうる街といえばここバラウォンくらいであるからだ。
では、これらの事実から何が分かるかと言えば、それも考えるまでもなく簡単。魔力の篭った薬草があまりに多く貯められたヴェストール自治区の地にドラゴンがおびき寄せられた、ということ。
しかし、それから先を推測するには、あまりに情報が少なすぎた。そもそも、これは偶然? いや、けれど、そうであれば、もっと別の地もドラゴンによって襲われているはずなのである。そういった話を聞かない訳ではないが、それにしても、そうであるとすれば、まず間違いなく言えることは、その対策をすべきだということだ。今回であれば、魔力の元となる薬草を一か所に貯め過ぎない、等々、対策ができるはずなのだ。
では、どうすればいいか。
キエルは、ここで、中央政府に協力を仰ぐべきではないかという結論に至ろうとした。いや、一度は至った。けれど、その結論は、頭に過った一抹の不安によって、もしかして、それは踏み入れてはいけない領域なのではないかという思いにより、思いとどまることになる。
「あの、エミーリエさん」
キエルは、役所の中で、何とまぁ無警戒にベンチで寝ているエミーリエに話しかける。
「…………はい?」
しばらくして、上体を起こしたエミーリエから返答。
「あなたは、中央政府の指示で動いていますか?」
すると、エミーリエは潔く返答する。
「いいえ、私はあくまで監視者であり、正常化させる役割を持つ組織の人間です。なので、中央政府の指示は一切受けていませんよ」
……であるならば。
これを信じるとするならば。まだ。まだなんとかやりようはあるぞとキエルは考える。
キエルの脳に過った一抹の不安とは、まさに、中央政府のことであった。いや、中央政府というと、言い過ぎなのかもしれない。ヴェストール自治区。そして、たどり着くのは、ジーグルト・ゼールバッハという男、かつてのキエルの上司のとった行動の不自然さ。
ジーグルトはキエルを左遷した。
キエルが、前々から、ずっと、胸の中に秘めていた、憤り。何故、万が一の事態に備えて、騎士団の派遣を要請しなかったのか、そうでなくとも、ヴェストール自治区の軍を都市部へと集めなかったのか。それらの無念。自分は指示を飛ばしたのにという無念。それらが爆発した。
と、同時に!
閃光が走る。
こんなものは、最初から分かり切っていた事実であったのだ。気持ち悪いくらいに、話はうまくつながっていたのである。
恐らく──何の証拠もない。何の証拠もないが、ジーグルトが何らかの手段で、ドラゴンをヴェストール自治区に呼び寄せた。何を狙ってのことなのか、そんなことはキエルにはまるで分からない。しかし、それはもうキエルの前に圧倒的な事実としてようやく姿を見せたのだ。あまりに近すぎて、その姿に気づくことができなかった事実。
同時に、気づく……!
圧倒的な敗北に。キエルはもうとっくの昔に敗北していたという事実に、ようやく、今、この時、この瞬間、気づくのである。
「クソッ!!」
いきなり机を叩きつける音。キュイと違って、木の悲鳴こそ聞こえないが、それでも、役所にいる三人の視線を引き付けるには十分過ぎる音量であった。
「どうした!?」
筋トレをしていたアーベラが慌ててキエルに問う。キエルはその問いかけに答える訳でもなく、悔しそうに、歯をギリギリと唸らせながら言う。
「遅すぎたっ! 遅かった! 愚直過ぎた! 俺は、権力に愚直過ぎたんだっ!」
キエルの前の机にある魔導通信機は壊れている。中央政府との連絡を取るには、馬を走らせるのが最も早い連絡手段となるだろう。さて、その後どうする? キエルは中央政府の中央都市にでもいって、そのどこかでこう叫ぶのか。ジーグルト・ゼールバッハはヴェストール自治区にドラゴンを呼んだ、と。
そんな馬鹿な話があるものか。