第4話
酒場の空気は、キエルが知っている一般的な酒場とはあまりにもかけ離れていた。店内には常に怒号が響き渡っていたり、下手をすれば酒瓶が飛んでくる。酒場にいる人たちはどこを見ても、筋肉だるまの男ばかり。言うなれば、ここは筋肉連邦国家である。筋肉がなければここにいる資格なぞないとでも言わんばかりの筋肉の集団たちがひしめく中で、せめてもの頼みということでキエルはアーベラに頼み、店の端の端で酒を飲むことにしたのである。
それにしても、昼間から大盛況というこの状況。一体彼らは普段何をしているのか。答えは簡単、冒険である。モンスターを狩り、その副産物で生計を立てる集団。仕事はホーマ連合国家の各部の都市から山ほど来る。モンスターの副産物は薬にもなれば、技術発展の研究の材料にもなるし、日常生活にかかせない魔法技術の燃料、設備その他様々な技術を運用するために必要なのだから、依頼が途絶えることはないし、報酬もかなりの額だ。命の危険がすぐそこに迫っているような状況で行うのだ。
であるからして、彼らのように、仕事に行かない日はこのように飲んで遊んで騒いでいる連中も多いのだろう。気軽なものである。人生を謳歌しているのである。それに文句を言える者など誰もいない。
そんな刹那的な生き方に対しては賛同的ではない立場に立っているキエルであるが、今日この日については、一日であまりに多く溜まってしまったストレスを吐き出すために、昼間から酒を飲んでいた。
「かんぱぁ~い!」
と、アーベラとキエルの二人だけで始まった酒の席。
キエルは真面目な国家公務員であるが、それ故に、酒の席にはそれなりに慣れている。生まれつきさほど酒に強いという訳でもなかったが、それでも、接待の席で鍛えた飲みニケーション力にはそれなりに自信があった。
そこで、ああ、そうだ、ここでアーベラ・オルトロスという人を完全にこちらの味方につけてしまおう、そう考える。
ゴクゴクと一気にビールを飲み干すアーベラに合わせるようにして、キエルも一杯一気に飲み干す。量は多いが──いける。後5杯、いや、7杯はいけるはずだ。さて、しかし、そんなにペースを上げすぎるのも良くないと考えたキエルは、自分から話題を提供することにした。
「オルトロスさんは、ここに勤めだして長いの?」
アーベラは相変わらずの笑顔でそれに答える。
「オルトロスか、アーベラでいいよ。ああ、大体四年、五年くらい、かな?」
「なるほど──では、俺よりも勤務年数は長い訳か……。それなら、俺のこともメーセンやキエルで構わない、オルトロス。大体、というのは……?」
「親しみを込めてキエルと呼ばせてもらおうかな。そう、それでね、大体と言ったのは、あたしは元々傭兵的な立場で役所に雇われたからね。それが今じゃ、中央の役人は逃げ帰っちゃった。だから、あたしが代わりに役所の業務を代行してる、ってワケよ」
何とも無茶苦茶なことである、が、しかし、一方で、その逃げ帰った役人の気持ちが分からないこともないと考えるキエル。キエルも、もし、彼が、十二分に出世欲があり、富に溢れた生活をこの先望んでいるということもなければ、もうさっさと逃げ帰ってしまっていたに違いなかった。彼がここで何とか責務を果たし遂げようとする理由は、ひとえに、再び中央付近の地へと舞い戻るためであり、名誉挽回、汚名返上、臥薪嘗胆、である。
酒を飲むペースが相変わらず早いアーベラになんとかついていくように飲むキエルに、次はアーベラが問う。
「そっちは? なんでここに?」
それは実にシンプルな質問であったが、今のキエルにとって、その質問はつもりにつもったキエルの不満をぶちまけるために最適な質問であった。同時に、そのような質問をしてくれたアーベラは、キエルにとって、優しく包み込んでくれる母のように思えた。
キエルはそれなりにプライドが高い。それは、彼をここまで仕事熱心にする原動力でもあったが、同時に、彼が自分のことに気づけない原因でもあった。
今、まさに、キエルは、今自らが最も投げかけられたかったであろう問いを投げかけられたことに気がつく。彼は聞かれたかったのたが、その事実にさえ気づいていなかったのである。
であるからして、キエルは、パァッと目を輝かせた。冷静であれば、まだ知り合って間もないアーベラという人に対して自分の弱みを晒すことにもなりかねない、彼が何故この地に来たのかということについて適当に誤魔化し核心には至らない程度の理由を述べることができた。しかし、今のキエルはあまり冷静ではなかった。故に、思っていることを嘘偽りなく、そのままアーベラに話すことになった。
「それは──長くなるんだが、いいかな?」
「ああ、もちろん。あー、でもあんま長いと眠くなる」
あはは、と笑うアーベラに、キエルは言う。
キエルは毎日生産管理の仕事に追われていた。生産管理といっても、役所のすることであるからして、直接民衆に指示を飛ばすのではない。キエルの仕事はあくまで管理。どの品目がどのくらい生産されているか、また、それに伴って来年度、再来年度はどのように生産計画を立てていくか。厳密なものではない。農家やその他生産者には相当な自主性が認められていたが、あくまでそのサポートとしてキエルは働いていた。
キエルの働きはかなり評価されていた。彼が生産管理の責任者として着任してからは、ただ管理するだけでなく、学生時代に培った知識、書物で得た知識、それらと生産者本人らからえた情報を併せて、的確なアドバイスをしてくれるすごい役人ということが地元に知れ渡り、生産者たちからの信頼も高くなっていった。
「へー、へー」
と分かっているのか分かってないのか分からない返事を返すアーベラは、酒をごくごく飲みながらキエルの話を聞いている。あまり上手な話の聞き方とは言えなかったが、それが逆にキエルの語りを加速させた。あまりに親身になられるよりも、それくらいの方が話しやすく感じたからだ。
さて、そんなキエルがある日、生産の異変に気づく。ある品目の生産高が何故か異常に多くなっていたのである。それも、一品目ではない。それらの品目をピックアップするとある共通点に辿り着く。それは、ヴェストール自治区の特産品である、魔力の補助に使う薬草類ばかり豊作なのだ。
豊作なのはいいことだ、だが、おかしい。何も特別なことをしていないのに、示し合わせたかのように、それらばかり豊作になるというのは、何かがおかしい。
「……それで、俺は気づいたんだ。ヴェストールの自治区の魔力が高まっている、ということに」
「でも、それと、左遷と何が関係あるの?」
アーベラの疑問はごもっともである。キエルは答えるように続けた。
「だから、俺は申請したんだ。中央から騎士団の派遣、あるいは、近隣から傭兵、警備兵の増員を、上司に。上司であるゼールバッハに……!」
キエルの表情が険しくなる。
「だけど、彼は、それに耳を貸さなかった。中央に近い地であるこのヴェストールにそんな軍備を敷いて何になる、と。兵を集めなんてしたら、反逆の疑いがかけられる危険性さえあるじゃないか、と」
「なるほど。それで?」
「来たんだ──」
キエルは、大きなため息をついた。大きな大きな、まるでドラゴンのブレスのようなため息を。
「ドラゴンが来たんだよ。恐ろしい強さだった。勿論、ヴェストール自治区はそれなりに大きく、兵力もそこそこ持ち合わせている。けど、決して一点に集中させている訳じゃない。街から人を避難させるといっても限界がある。それでも、俺がいた街の人たちはそれなりに避難してくれたはずだ。だけど、どうしても、人は逃げられても、建物は逃げられない……!」
ダンと机を叩く。
「結果、街の被害は相当なものになったんだ。何年もかけて復興しないといけない……それで、俺は──家を失った民衆たちの不満を収めるために、責任を取らされて、左遷、ってな」
少しの空白。酒屋の騒音がすぐに二人を包み込むが、すぐに、アーベラが声を上げる。
「え!? あれ……おかしい、よねぇ?」
そして、もう一度少し考えた後、やっぱり、と言って、
「おかしい! だって、君は指摘したんだろ? なら責任を取るのはむしろその上司のゼー、ゼーハ、ゼーハなんとかなじゃないか!」
ゼールバッハだ、とキエルは付け加え、しかめっ面をして、
「それが、政治の世界、ってことだ」
となんとか言葉をひねり出す。キエルとしても、決して納得していない。こうして、改めて、はっきりと言われると何ともやるせない気持ちになるのである。
「そんなどうしようもないやつの下で働くのなんて面白くないだろう! 良かったじゃないか、こっちに来れて」
勿論、アーベラは、キエルを傷つけようとして言ったのではない。全くの逆。彼女は心の底からそう思っている。貶めようとするつもりもなければ、同情しているのでもない。しかし、キエルにとって、アーベラの言葉はひどく厳しいものに聞こえた。キエルは、今、この時でさえ、元の位置に戻れるのなら戻りたいと思っていたからである。けれど、ここでキエルは怒鳴り散らすようなことはしなかった。
「そんなことはない。俺は、今でも、戻りたいと思っている。……価値観の違い、ってやつだろ」
「価値観の違い、ねぇ」
「なんだ、不満気だな」
「いーや、そんなことはないよ」
アーベラは、キエルのグラスが空になっているのを見ると、追加でビールを注文する。
「難しいことはわからないけどさー。ああ、そうそう、そうだ。こういうときはこういうセリフがぴったりかな、そんなことより!」
ぽかんとするキエルにアーベラは運ばれてきたビールをごくごくと飲んでから言う。
「その、ドラゴンとやら! 強かったのかい?」
「……ほぉ」
キエルは思わず関心の声をあげてしまった。政治、権力、そんな言葉、この目の前に座るアーベラという女にはまるで興味がないのだろう。そんなことより、ドラゴンの話をせよ、ということなのだから。いやはや、とんでもない人である。
「強かったのか、強くなかったのか、ということはよく分からない。何せ、俺は、こと戦闘という面においてはまるで素人だからね……」
「あっはっは! そりゃ、そうだ! うーん、ドラゴンかぁ~いや~、いいねぇ、最近言ってないなぁ、ドラゴン狩り」
それにキエルは驚きの声をあげる。
「なっ……や、野蛮な!」
「野蛮んぅ? あー、そうさね、野蛮さね。ドラゴンみたいなでっけーやつを倒すのが私の本来の仕事さ、生きがいさ、悪いか? 文句あるか?」
「ぐぬぬ……」
キエルは抗議の声をあげられないでいた。野蛮とは言ったものの、そうしてドラゴンを狩る者がいなければ、ドラゴンから採れる副産物的なものの恩恵を受けることができない。キエルの服の一部だってドラゴンの皮を使っていたりするし、他にも、都市部でよく使われている魔力源の作成にもそれらは必須だ。ドラゴン、そして、それを狩る者も、文明の恩恵を受けるために、なくてはならない存在なのである。
酒が回ってきたのか、アーベラは普段のテンションよりもさらにテンションを上げて気前よく話かけてくる。
「あたしはな~、斧が好きなんだよ~! わかるか~、あれでカチ割るんだ、あのクッソ固い皮膚をよぉ。剣なんて軟弱な装備じゃ貫けないぜ。あんなもんは、なよなよした勇者に憧れてる甘ちゃんが使うのよ」
「えー、ああ、そうなんですねぇ」
頭に浮かぶの筋肉バカの四文字。斧をぶんぶん振り回すアーベラの姿も同時に頭に浮かぶ。うん、実に似合っている。
「キエルぅ、あのなぁ、いいか? 酒を飲め!」
もうむちゃくちゃである。普段からむちゃくちゃであることは何となく察しがついていたが、酒が入ることによって会話にまとまりがない。しかし、キエルはこんなことで折れる男ではない。持ち前の飲みニケーション能力は、こんなところでは、折れないっ!
「飲みますよ、はいはい、ほら~」
そういって、グラスを一気に空にする。飲み会を好き好んでバンバン開くという身ではなかったキエルであったが、過剰なストレスというのは時に人を変える。キエルは今、ストレスの原因を忘れ去ろうと必死であったのだ。
「それにしてもな、キエル。お前、キュイに何か言ったのかァ~?」
そう言われて思い出す、キュイというドワーフのこと。
「なにって……なぁ~んにもしてない! あの子は、キュイというの名前の子は、一体全体何者だっていうんだ。あの子も役人なのか!?」
若干の憤りを込めながら放たれたキエルの言葉に、アーベラは笑顔で返す。
「いやぁ? あたしが勝手に連れ込んでるだけだよぉ?」
まさに衝撃の一言であった。