第20話
ヴェストール自治区で大きな大きな事件が起きた。
職員たちは皆、その出来事がキエル・メーセンの手によって行われたということを知っていた。そして、彼らは噂話をした。それらの噂話は独り歩きをして、徐々に大きくなっていく。
「地方に飛ばされた職員が仕返しに来たらしいぞ」
「どうやら、その人はとても頭がキレる人物らしい」
「かつて同僚だったが、その時は才能を隠していたのか」
「飛ばされた職員のクーデターが成功したらしいぞ」
そんな噂はあっと言う間にヴェストール自治区の中央の街中に広がっていったが、しかし、その噂は噂に過ぎないという事実は、その僅か数日後に全自治区民が知ることとなる。
彼──キエル・メーセンは大出世を遂げた。キエルは、再びヴェストール自治区へと戻ってくることができた訳である。それも、勿国家公務員として。中央政府公認で。
キエルの功績は高く評価された。キエルの抜擢が、彼の噂を消し飛ばすことに繋がる。
エミーリエが所属していた連合正常化運動の働きかけにより、キエルの目論見通り、ジーグルト・ゼールバッハはヴェストール自治区から姿を消すことになる。彼の行方がどうなったのかということについては、正確には不明であったが、遠くの地へ飛ばされたとか、何とか、そういった風の噂が飛び交った。
さて、一方で、その功績、つまり、ホーマ連合国家の腐敗防止についての功績が高く評価されたキエルの立場であるが、彼は、何と、今、ヴェストール自治区の長として、かつてジーグルト・ゼールバッハが座っていた席に座っているのである。
キエルの横にいるのは、かつてのゼールバッハの秘書。彼女もまた被害者の一人であり、キエルは、前、ゼールバッハの下で働いていたからといって彼女を解雇することはしなかった。それをしてしまえば、不都合な人材を飛ばすというゼールバッハのやり方と何も変わらないと感じたからだ。
「お疲れ様です、代理」
キエルが役所へ出勤し、彼の部屋に着き、まず声をかけてくるのは、その秘書である。少し物足りなさを感じるが、しかし、彼女は優秀な秘書であった。彼女の言葉通り、キエルは、ヴェストール自治区の長──その代理のポストに着任し、今日もまたその責務を果たすべく仕事を開始しようとする。
「代理、か」
「……」
代理──あくまで代理である。
けれど、それは当たり前とも言えよう。キエルはまだ自治区一つを収めるほどの職歴を持っていない。では、何故、彼がこんなポジションにいられるかというと──。
ガチャ、と部屋の扉が開く。入室してくるのは、エルフの少女──エミーリエ。
「あ、おはようございます、代理」
「エミーリエさんまでそんな風に呼ぶのは……」
「あら、ではなんと呼べば?」
「うぅん」
キエルが代理とはいえ自治区の長のポジションにいられる理由、それは、ほかならぬエミーリエ──ではなく、エミーリエが所属する組織、連合正常化運動にあった。
「はぁ、それにしても、やっぱり、連合にはまだまだ闇とも呼べるべき層があるようですね」
「そうなんですね」
「そうですよ、でも、その層を抑えるために、メーセンさんにも一役買ってもらわないといけませんからね」
「一役、といってもなぁ……」
キエルにはそのつもりはない。けれど、彼がこのポジションにつけたのは、彼が連合を正常化する、腐敗から守るための重要な人物になると連合内の一部の上役などから密に支持されていたからだった。ゼールバッハの悪事が表沙汰になったことによって、エミーリエ曰く、闇の派閥の力が弱まったこと、そして、それに貢献したキエルを大きく抜擢することによって、それらの派閥を抑え込もうという考えのもとに、キエルが抜擢されていたりする。
そのつもりがないとはいえ、地位やら権力やら、そういったものをほんの少しは、前程ではないにしても、ほんの少しは重視しちゃう性格のキエルからすれば、その活動に協力をせざるを得ない訳だ。
そんな三人がいる部屋の扉を思いっきり蹴り開けてヒーローよろしく駆け込んでくるそれはそれは騒がしい者たちが現れる。
「うわぁ!」
「なっ……」
秘書が何も対処できずにおろおろしているのをいいことに、キエルの目前に迫る二つの陰──アーベラとキュイだ。かつて、この二人を止められなかった秘書が、ちょっと悔しそうな顔をする。
「えっ!?」
驚くのはキエル。
「なんで!? 二人とも、バラウォンに帰るって言って帰ってったんじゃないの!?」
そう、彼女たちには職がある。責務がある。キュイはまだしも、アーベラはバラウォンの役所に居なければならないはずなのだ。居なければならないはずなのに、こんなところで何をしているのか、それが問題だ。
しかし、キエルのその問いに、アーベラは実に豪快な答えを叩き出す。
「なんでって! こっちのほうが楽しそうだろ!」
楽しそうというハツラツワードが飛び出て若干ひるむキエルであったが、負けじと追撃する。
「いやいやいや、待って、オルトロスさん、君、バラウォンの役所は!? ほら、あそこ職員君しかいないし、あ、キュイもいるけど、いや、でも、どっちにしても、キュイもついてきてるし」
「……うん」
「うんじゃないし!」
キエルの再び発せられた問いに、アーベラは、しかし、あ~、なんて呑気に言いつつ答える。相も変わらずマイペースに背伸びをしながら、
「あれね、あれさー、結局さぁ、あそこの役所って別に大した仕事してないんだよね~」
「言っちゃったよ!!」
アーベラの衝撃の告白に、堪らず鋭いツッコミを入れるキエルだったが、アーベラの衝撃の告白はとどまることを知らない。
「だからさ、任せてきちゃった! ギルドの人に!」
「えぇえ!? 部外者だよね!? いいの!?」
目を真ん丸にするキエル、横で何がおかしいのか笑い転げつつあるエミーリエと、茫然としている秘書。
「だいじょぶ、だいじょぶ、だってやりたいって言ってたし。ほら、やる気って大切でしょ」
「……アー姉のいう通り」
「あぁ……そ、そうだね」
ついに、アーベラの衝撃の告白を受け止めきれなくなったキエルは、そうだ、今の権限を利用してバラウォンに力自慢のそこでもやっていけそうな職員を一人、中央政府に派遣してもらう依頼を出しておこうとアーベラに何かを要求することを諦める。
「あー、えーっと、オルトロスは、楽しそうだから、来た、と」
無理やりアーベラがこっちに来た理由を自らに落とし込むキエル。うん、と大きく頷いたアーベラから視線を外し、次にちっちゃいドワーフ娘キュイを見る。
「で、キュイ、君は?」
「……えっ」
目を点にしてキエルを見るキュイ。
「あ、もしかして、聞くなって言ってる?」
こくこくと頷くキュイ。もちろん、彼女はアーベラについてきた、ただそれだけなのだ。
「やー、でも──困るよね、秘書さん」
「……?」
何故自分に話が振られたのか全く理解できていない秘書が、首をかしげて説明を求める。勿論のこと、言うまでもなく秘書さんはこの状況にものすごぉく困っているのだが、キエルが言った困るというのは彼女が意図していたものとは全く別。
「いやね、ほら──」
そういうと、キエルは机の引き出しを開けて、中から何かをがさごそと探す。そして、二枚の紙を見つけると、そこに二つの名前を記載する。
アーベラ・オルトロス、キュイ。
「これ、職員名簿に追加しないといけないでしょ。就職理由を、さ」
「……なっ!」
驚く秘書。当たり前である。秘書が困っているのはそもそもアーベラとキュイがいきなり訪れたことであって、就職理由がどうだというのはその上の上の上あたりのステージなのだ。けれど、キエルは容赦しない。
「だいじょぶ、だいじょぶ、二人とも腕は確かだから、衛兵として雇うだけだし! アーベラ・オルトロスは、楽しそうだから──で、キュイは……」
もちろん、秘書からしてみれば、何一つ大丈夫な事項はない。大丈夫どころか無茶苦茶である。しかし、一方で、なるほどそういうことかと事態を理解したらしいキュイが手をピンとあげる。発言許可を求めているらしい。
「はい、キュイさん」
キエルが指し示す。
「思いついた。アーベラは恩人だから」
キエルはアーベラとキュイを交互に見るが、二人からそれ以上の追加説明はないらしい。即ち、
「……? よく分からないけど、細かいことはいっか! はい、アーベラ・オルトロスが恩人だから、と! じゃ、これ、よろしく!」
おおざっぱにわかればいいのだ。これまでの細かいキエルとは打って変わって大盤振る舞い。
キエルは作成した空欄だらけの職員名簿を二枚、秘書へと手渡す。いや、空欄だらけどころの騒ぎではない。手渡された職員名簿に書かれた情報はもう何がおかしいと細かい説明をする必要もないほどに意味不明である。こんなものが仮とはいえヴェストール自治区の長が作った書類だろうかと目を疑いたくなるほどに。
渡された紙を受け取った秘書は当然顔をしかめながら呟く。
「あの──無茶苦茶、ですね……」
あまりにも不安そうな声を出すので、キエルは何か面白くなってしまう。その不安そうな様子は、意味不明なものを目にしたからだろう。彼女にとっては、キエルの行動が、そして、今、唐突に表れた二人の獣人とドワーフの存在そのものが、あまりに意味不明なのである。
意味不明だからこそ、不安になったのである。彼女にとっては、意味不明であり、理解不能なのだ。
そんな秘書の様子を見て、キエルは面白くなった。何故面白くなったかといえば、その様子が、自分がバラウォンに言って役所の中を目の当たりにしたそのときとあまりに似通っていたからだ。
面白くなり、そして、懐かしくなった。さて、ここで、どんな言葉を彼女にかけてやればいいのか悩む。けれど、そんな言葉はないということに気が付く。キエル自身が、誰からも言葉によって説明なんてされていないからだ。だから、言うべき言葉は見つからず、ただありきたりな、どうしようもない言葉をいうしかない。
「あー、そう、無茶苦茶なんだよ、無茶苦茶。力づくってやつだな!」
はっはっは、と笑うキエルと、そのキエルをやはり不思議そうな顔で見る秘書。
これからキエルはこの、ヴェストール自治区の地で生活していくことになるであろう。彼は、彼の宣言通り、ヴェストール自治区に再び戻ってくることができたのだ。
ただし、それは、キエルが考えていたような戻り方ではなかった。
それどころか、このヴェストール自治区には、新たにアーベラとキュイという二人の仲間が楽しく、かっこよく参戦してしまっていたりする。
彼らの活躍がこの国に与えた影響は、決して世の中がガラリと変わるほど大きいものではなかったかもしれない。よくなるかどうか、それは誰にも分らないが、ただ確かなのは、今、彼らは輝いているということだろう。




