第16話
けれども、キュイはまた、その闘志は儚く散るということを知っていた。
いくら気合いがあっても、いくらやる気に満ち溢れていても、できないものはできない。片方の足に力が入らないキュイが、ドラゴンの一撃を受け止め続けるのは無理な話だということを彼女は知っていたのである。
でも、キュイは一言も弱音を吐くことはない。彼女は、その小さな体で、受け止め続けられる限り、ドラゴンの攻撃を受け止めようと覚悟を決めていた。それがアーベラの前で見せなければならない己であると考えていたからだ。
そんな彼女に対して、ドラゴンは容赦することはない。弱い者を倒す、戦力を少しでも削ぐ、ドラゴンは本能的に、まずはキュイを倒すべきだということを知っていたのである。
ドラゴンの一撃がキュイを襲う。アーベラとエミーリエがすかさず攻撃に移るが、だからといって、すぐにドラゴンの攻撃が止まる訳ではない。
キュイめがけて放たれた腕による薙ぎ払いを、キュイは何とか手にする斧で受け止める。押し返そうとする。しかし、力が入らない。突き飛ばされ、体を何度も地面に打ち付ける。全員に痛みが走り、どこを損傷したのかさえ定かでない。しばらくして、まだ、何とか、片足以外は動くということを確かめるが、斧を構えるよりも前に、ドラゴンによる強烈な薙ぎ払いが再びキュイを襲う。
鋭い爪に刺さらないよう、なんとか斧で受け止めようとする。しかし、受け止めきることはできず、結果は、先ほどよりも酷い距離、吹き飛ばされることになる。ゴムボールを床に投げ飛ばしたようにして何度も地面に跳ね返り、けれども、キュイはまだ立ち上がろうとした。
だが──それも、限界。
「クソッ! クソおぉ! 僕は、僕はまだ戦える! ドラゴンめ! こっちだ、こっちに来──」
キュイが叫び終えるよりも前に、ドラゴンは更なる追撃を加え、再びキュイの体が投げ飛ばされる。
あまりに壮絶な光景。しかし、アーベラとエミーリエは、それを守ろうとはしない。彼女たちは冷酷なのではない。彼女たちは強いのである。彼女たちは、キュイがどんな思いで決意を口にしたのか分かっていたのだ。
それは、あるいは、同じ戦士同士だから悟りえたのかもしれない。もし、自分でもそう言うだろうという思い。そして、もし、自分がそう言ったのならば、残りの二人に何を求めるだろうかという考え。それはきっと自分と同じだろうという確信から、アーベラとエミーリエはドラゴンへの攻撃を続けていたのだ。
事実、ドラゴンへのダメージは相当入っていた。
しかし──ドラゴンの咆哮と共に、傷はすぐに完治してしまう。実際は、幾分かダメージを与えていることだろう。エミーリエが言うように、永遠があり得ないというのもまた事実であろう。けれども、だとしても、そこに目に見えた成果はなく、ただ、ひたすらに、アーベラたちは消耗させられ続けていると感じてしまうのもまた事実である。
「……ダメだ」
呟いたのは、キュイでもなければ、アーベラでもない。呟いたのは他ならぬキエルであった。
彼は、キュイが無残に痛めつけられる姿を見て、もうだめだと強く思った。そして、後悔した。こんな場所に来てしまったこと、自分が少しでも名誉挽回などということを志したこと、再び中央の地に戻ってやるんだという野心を見せてしまったこと。あの時、力ずくでも止めるべきだったんだと後悔した。
けれども、後悔したところで現状は何も変わることはない。
「ダメだ……ダメだ……」
呟いたところで、現状は変わることはない。
目の前に広がるのは、消耗したアーベラとエミーリエ、そして、今にも命を奪われそうなキュイの姿だけなのである。
では──どうする。
キエルの思考は停止した。
そして、キエルは走り出した。
「なっ……!」
驚きの声をあげたのは、キュイだった。キエルは、キュイに向かって一直線に駆けてきたのだ。
「馬鹿っ! お前みたいなやつが来たところで何になる!」
叫ぶキュイに、キエルは駆けながら叫ぶ。
「俺にだって出来ることがあるんだ!」
キュイの元に辿り着いたキエル。しかし、目の前にはドラゴンが迫る。
「馬鹿っ! 早く逃げろ。お前が来ても何もできない」
「だったらキュイこそ逃げろよ」
キエルはそんなことを言いながら、魔力をすぐに練る。幾年前にちょっとした資格を取っただけの回復魔法。就職に有利になるかもという理由だけで学んだ回復魔法。それをキュイに対して試そうというのだ。
「僕が逃げないのは、ただ、アー姉の前で、逃げることは許されないってだけだ!」
差し迫るドラゴン。腕を振り上げ、グルルル、と唸り声をあげる。
「だったら、俺が逃げないのは、お前の上司って理由でも十分だろっ!」
「馬鹿なことっ!」
繰り出されるドラゴンの腕。無論、キエルは防御なんて手段は知らない。ありったけの力で回復魔法を放つ。成功するかは分からない。キエルが出せるだけの力を、そして、思えるだけの思いを込めて、魔力をぶち当てる。見た目上、キュイの傷は治っているように見える。
目の前に迫るドラゴンの巨腕。キエルは何も考えず、腕を顔の前に運び、目を閉じる。一撃くらいなら、まぁ、一撃くらいなら何とか耐えられるんじゃないか、なんていう浅はかな思いを胸に。
しかし──キエルの体がキエルの予期した衝撃で襲われることはなかった。代わりに、ガキンと凄まじい衝突音が鳴ったかと思えば、ジャリジャリ、という地面をこする音が聞こえる。それは、キュイがその両足で大地を強く踏みしめた音。
即ち、キエルの回復魔法はそれなりの成果をあげたという証明。キュイは力の限り、ドラゴンの攻撃を受け止めると、それを思い切り弾き返す。誰もが驚く出来事に、目の前で見ていたキエルもまた驚きの声をあげる。
「はっ! 見直したよ、えぇと、なんだっけな──キエル」
そう呼んだのはキュイ。
「どうも」
言葉では軽く言うが、キエルは心の中で、不思議な達成感を覚えていた。何か状況が決定的に変わった訳ではない。好転した訳でもない。以前、敵の魔力は底が見えず、苦戦を強いられていることには変わりない。ただ目の前で自分が引き起こした出来事に感動したのだ。自分が、自分の手で、自分の力によって、引き起こした出来事に。
そこへ、アーベラが駆け寄ってくる。その姿を見て、けれども、キエルは現実に引き戻された。
彼女の体はひどく傷ついているのが見ればすぐわかる程に疲弊していた。そして、それは、良く見れば、エミーリエも、そして、キュイもまた同じだった。
そして、アーベラは、キエルに斧を一本手渡すと、無言でドラゴンへ向けて再び走り出そうとする。
「何──」
何のつもりだ、と問おうとした。けれども、アーベラはその言葉を聞くことなく、キエルに向かって叫んだ。
「メーセン! ここはあたしたちに任せといて、メーセンは、村に戻って──そうだな、応援でも呼んできてくれ!」
それは、唐突な、アーベラの敗北宣言。
あまりに唐突な宣言に、キエルの頭は混乱する。何故、アーベラは、自分に斧を渡した? 村に戻って、応援? 一体誰を呼ぶって言うんだ? そもそも、村に行って再びここまで戻ってくる間にどれだけの時間がかかると思っているんだ? 訳も分からぬまま、キエルはアーベラの背中に向けて問う。
「訳の分からないこと言うな! 俺一人が逃げる? いや、待てよ、お前らも──」
しかし、アーベラは再び、キエルの発言を聞き終えることなく、ドラゴンへ駆け寄って攻撃をし、防御をしながら、叫ぶようにして言う。
「カッコイイだろ! なぁ、あたしたちはカッコイイだろ? カッコイイっては、いいことなんだ! キエル・メーセン! 行け! さぁ、斧一本あれば、村くらいまでなら戻れるだろ! キュイを助けてもらった恩、無駄にする訳にはいかないんだ!」
「馬鹿な──」
「私も同意です!」
「行けっ、キエル!」
キエルの抗議の声をかきけすように、エミーリエ、キュイが叫ぶ。三人とも、ボロボロの体で、ドラゴンに立ち向かう。倒しても倒しても、三人の意志を砕かんと蘇る不死身の亡霊を相手に、三人はその意志を折られることなく立ち向かっている。
そんな中で、キエルが一人背中を向けて逃げられるだろうか──いや、逃げられる訳がない。
では、どうする?
キエルは考えた。
先ほどは、無我夢中で飛び出してキュイを治療した。結果を見れば、良かったと言えるだろう。しかし、それも一時凌ぎに過ぎない。ドラゴンの魔力の底が見えぬ今、それを繰り返したところで勝機が訪れるとは限らない。
では、アーベラの言う通り、村に戻って応援を呼んでくるか? いや、それにはあまりにも時間がかかる。けれども──それが唯一の手段だとしたら。
ここで、自分が逃げずに、立ち向かって、全滅してしまえば、その先に待っているのは自分たち四人がいなくなったというそれだけの虚空の事実のみ。それで事態は何か進むだろうか? いや、進まないだろう。単に、冒険に出てやられてしまった冒険者というだけの話で終わりだ。
それでは、それではあまりにも、悲しい。虚しい。やりきれない。目の前にある巨悪の正体はずっと謎のままとなり、せっかく入手した証拠も無駄になってしまう──と、そこまで考えて、キエルは、
「あ……」
と絶望の呟きを漏らさざるを得なかった。
「……ないっ! ないっ!!」
叫ぶ。
何がないのかといえば、その決定的な証拠となる資料がない。
そう、彼は紛失していた。彼の手には、もうその決定的な証拠となる冊子が握られてはいなかったのである。建物を崩落させたドラゴンの攻撃、その攻撃を建物の中で受けたキエルは、建物から危機一髪で脱出する際に、資料を落としてしまっていたのである。その事実を知ったと同時に、キエルは建物を見るが、そこに残されたのは、中から僅かな煙をあげ続ける崩壊した建物のみ。恐らく、魔力弾の残力で小さな火災が発生しているのだろうと思われた。それは即ち、証拠の完全なる喪失を意味している。
キエルを襲うのは絶望。
こうなってしまえば、キエルがたとえここで一人で村に戻ったところで協力を要請することさえ難しくなる。どこへどう訴えようとも、誰が、ドラゴンを操る者が良からぬことを企んでいるなどと言う話を信じようか。信じる訳がない。冒険に出て、仲間を三人失った男が気をおかしくしてしまい、たわごとを言っていると受け取られるのがせいぜいだろう。
「──待てよ」
しかし、この絶望への歩みを進めるための思考のさなか、キエルの頭に何か小さな疑問点が浮かび上がる。
目の前で繰り広げられている戦い。そこから一歩一歩遠ざかりながら、キエルは呟いた。
「ドラゴンを、操る……!」
疑問点は徐々に様々な事実に結びついていく。そして、辿り着いたのは、目にしかと焼き付けた、あの一文。
「ドラゴンを完全なる兵器として扱うにはまだ時間がかかるが、その試作段階として、ドラゴンを疑似的に再現することによってある程度コントロールの効く兵器として利用することが可能になる……」
キエルは早口に呟く。そして、辿り着く。もしかしたら、という可能性に。
キエルは駆ける。それは、そのもしかしたらという可能性に掛けるための行動。
「ど、どこへ……!?」
驚きの声をあげたのはアーベラ。キエルが走っていったのは逃げるための方向ではなく、屋敷の方向であったからだ。
キエルはそんなアーベラに向かって言った。
「オルトロス! 君がカッコイイからという動機で動くのは分かった。でも、それは君だけじゃないってことだ!」
崩れ去った屋敷目がけて──いや、正しくは、崩れ去った屋敷の横の茂み、その辺り一帯に何かを求めて走り続ける。
「どこだ! いるのは分かってるんだ!」
叫びながら、木を、茂みをかき分けながら、やみくもに走り回る。
その様子は必死そのもの。当たり前だ、ここを乗り越えなければキエルの未来どころか、他三人の未来もないのだから。
キエルが探すのは、ドラゴンを操っているはずの人物。影でドラゴンを操っている人物は近い位置にいる可能性が高いとキエルは考えていた。勿論、百パーセントの確率ではない。ただの推測でしかない。しかし、ドラゴンを兵器として運用するために乗り越えなければならない課題があるのだとしたら。もし、それが、ドラゴンの近くにいないとドラゴンを完全に制御できないという要素だとしたら……。
その可能性は決して低いものではないと考えられた。何故なら、ヴェストール自治区へドラゴンをおびき寄せるためには数値として明らかに異常な薬草の生産というあまりに大規模すぎる下準備が必要であったから。それは、建物にあった薬草の類の量とは比較にならない規模。であるならば、この建物を破壊させるというあまりにピンポイント過ぎる目的を達成するには、誰かがドラゴンを操作するくらいのことをしなければ不可能と言っても過言ではない。
キエルにはそれに加えて、もう一つ、そこへ繋がる事実を握っていた。それは、キエルが屋敷の中に人影を見たという事。であるとするならば、その人物は、キエルたちが訪れることを察知し、ゴーレムが時間稼ぎをしている間に、ドラゴン、あるいは、ドラゴンに見えるナニカを呼びに行ったという可能性はあるまいか。だから、全ての部屋を回っても、誰もいなかった。
それらの事実から、キエルは近くに誰かがいて、そして、その人物こそが、この事件の真相を握る人物であるということへ発想を繋げた。
後は、探すだけ! 探す、探す、叫ぶ!
探して、どうするか、そんなことは、今のキエルの思考に及んでなどいなかった。がむしゃらに、走り回る。草木をかき分け、走り回る。そして、捉える、ついに、その人影を。




