第15話
目の前にいるのが、普通のドラゴンではないということをキエルは知っていた。そして、けれども、だからといって──何か、自分ができる特別なことがあるかといえば、答えはNOであった。目の前にいる巨大な敵を倒さなければいけないことに何ら変わりはなく、これは不法な行為だ、いけない行為だ、あるまじき行為だと罵ったところで、その言葉は誰にも届かない。
キエルが力を発揮できる場所ではないということが痛い程胸に刺さる瞬間であった。彼は、法の支配する下でしか、真価を発揮できないという己の無力さを噛みしめた。
しかし、キエルがどう思おうが、モルタル製の建物を破壊した巨悪は目の前に差し迫っていた。建物のあった庭で、アーベラ、キュイ、エミーリエが斧を手に、巨大な生物を向き合う。
三人は、まるで長い年月共に戦ってきた同志であるかのように、互いに視線を交錯させると、コクリと小さくうなずいて、駆け出す。
三人は、ドラゴンへ向かって、アーベラは正面から、キュイは右、エミーリエは左、というように戦力を分散させて戦うことを選択した。ドラゴンは、しかし、目の前の小さな小さな人類に何も怯えることなく、まずはアーベラに向けてその巨腕を振り下ろす。
巨大な腕がアーベラ目がけて飛んでくる。
しかし、巨大であるからこそ、動きは音速とまではいかない。キエルにも見えるくらいの早さで振り下ろされたその腕を、アーベラは転がりながら回避し、続いて繰り出されるもう一本の巨腕による攻撃を、今度は二本の斧を使用して受け止める。
「うあぁああ!!」
叫び、受け止め、しかし、弾き飛ばされる。
当たり前だ。相手はアーベラとは比較にならない巨体の持ち主。純粋な力でかなう訳がないのだ。けれども、斧による攻撃重視の受け止めは、同時に、ドラゴンの腕にもダメージを与えたらしい。ドラゴンは、グォオ、と小さな声を上げ、アーベラを突き飛ばした腕をブンブンと振る。
一方のアーベラは、弾き飛ばされつつも、うまい具合に受け身を取り、そして、にやりと笑った。それは、ドラゴンへ、次なる一撃が加えられるからに他ならない。
アーベラの反撃で腕を振るわせるドラゴンに、更なる攻撃が襲う。
「やぁああ!」
「これでどうです!」
キュイとエミーリエによる側部、脇腹への痛烈な二撃。二人の体に対してあまりにも大きすぎる斧は、いかにドラゴンが巨体であるといっても、ドラゴンの両脇腹へ深々と突き刺さり、両名が勢いよく引き抜けば、そこからドラゴンの血液であろう赤黒い液体がじわりじわりとにじみ出る。
ドラゴンが暴れまわる。尻尾を振り回し、体を振り回す。その光景は、ドラゴンが、人を狩る側から、人から狩られる側へと移った瞬間だと言ってもいい。
キエルは思う。いける、強い。あの人たちは強いんだ、と。これまでの相手は、あの三人にとってはほんの序の口だったんだという確信と共に、アーベラと酒を飲んだ時、彼女が言っていた言葉を思い出す。そして、呟く、
「あれでカチ割るんだ、あのクッソ固い皮膚をよぉ──か」
まさに、目の前の光景はそうであったのだ。
アーベラがかつてドラゴンを狩っていたというあの時の話は、全くその通りなのだろうと思った。その時何人の仲間を連れて狩っていたのかということは知らないが、もしかしたら、彼女一人、いや、彼女とキュイの二人で、ドラゴンを狩っていたりしたんだろうか、とまで思えた。
そんなことを考えている間にも、戦闘は続く。
いくら三人が大きな一撃を与えたといっても、ドラゴンは、そんなに生ぬるい敵ではない。しばし暴れまわったのち、再び、ドラゴンは体制を整えなおす。その目の闘志は全く衰えていない。
ドラゴンの脇腹にキュイとエミーリエの一撃は深々と入ったように思えた。しかし、そうではなかったのである。ドラゴンは硬い皮膚に全身を覆われている。そこに外見上深く刺さったからといって、人に例えればそれはかすり傷のようなものに過ぎない。アーベラの攻撃もまた同じ。
ドラゴンはそれらの攻撃によって、ようやく、こいつらはある程度力のある奴らだということを認識するのである。本当の戦いは、まさに、今から始まろうとしていた。
キエルは、必死の眼差しで三人を見守ることしかできなかった。そこに付け入る隙などなかった。
ドラゴンは、三人目がけて、攻撃を繰り出す。突撃、噛みつき。次の攻撃対象となったのはエミーリエだった。理由などないだろう。ドラゴンの怒りは、周りにいる動くものを全て倒すというただ一点に注がれているのだから。
エミーリエは、けれどもその攻撃を一撃たりともかわそうとはしなかった。
巨斧を縦に持ち、片腕を柄に、もう片腕を斧の先端部分へ支えるようにして当て、エミーリエを喰らおうと襲い掛かるドラゴンの口を斧の刃の部分で見事に受け止める。歯と刃がぶつかり、ガキンと鈍い音が木霊し、衝撃がエミーリエの体を襲う。
「んんぅう!!」
エミーリエの力が負ければ、その時点で少なくとも彼女の両腕は使い物にならなくなるだろう。エミーリエを支える二本の脚は、大地をジリジリと後退し、エミーリエの体もまたそれに応じて後退させられる。
ドラゴンは、二本の腕を大きく持ちあげ、エミーリエ目がけて振り下ろそうとした。振り下ろされればエミーリエに防ぐ手段は、ない。
が、次の瞬間、声を上げたのはドラゴンであった。
「グォオオ!」
という悲鳴とも取れる叫び。
その原因は、アーベラとキュイの放った一撃。
ドラゴンは、二人を差し置いておくことをさして問題はないと見ていた。確かに、二人は自分に対して攻撃をしてくるだろうという予測くらいはドラゴンにだって出来る。しかしながら、その攻撃はせいぜい自分にとってかすり傷程度の威力しかないだろう、と。その攻撃が致命傷になるよりも前に、ドラゴンはまず一人、エミーリエを仕留められるだろうと睨んで、エミーリエ一人に全力を以て挑もうとしたのである。
しかし、その算段は外れた。
何故ならば、アーベラとキュイは、狙って攻撃したからだ。何を? そう、先の一撃でつけられた斧による一撃、その場所をである。二重の攻撃には十分な意味があった。一撃目によって、その場所は十二分に陥没していたのだ。
斧による一撃、高威力な一撃を狙った場所に思い通りに叩き込むことは難しい。力任せに振らなければ、満足に動かすことさえ難しい重さの武器だ。けれど、二人はそれを達成した。
直後、悲鳴と共に、ドラゴンは本能的に、顔を上げ、両腕による攻撃を、エミーリエではなく、自身に刺激を与えたアーベラとキュイに分散する。しかし、そのような急ごしらえの攻撃では、アーベラとキュイに決定的ダメージは与えられる訳もない。
アーベラとキュイは揃って、今度こそ深々と刺さった斧を引き上げると、すぐに斧を使ってドラゴンの一撃を受け止める。
流石に、ここまで追い詰められたドラゴンの放つ一撃は重たい。命の危機を感じて放たれた一撃は、ドラゴンの、恐らく、全力の一撃。何とか受け止めた二人だったが、その場にとどまることは不可能で、突き飛ばされる。何回転か体を転がしてようやく勢いは止まる。けれども、決して斧は離さない。
「まだまだ、やる気みたいだね」
アーベラが不敵に微笑む。
「アー姉、僕はまだまだいけるよ。そこのエルフは知らないけど」
「あら、失礼ですね。私もまだまだ、大丈夫です」
それぞれ体はあざだらけ。痛む体を抑えつつ、しかし、ドラゴンには着実にダメージが与えらえていた。
アーベラとキュイの放った渾身の一撃は、ドラゴンの硬い皮膚を貫き、そこからは確かな出血が見られる。じわり、という程度ではない、確かな出血。
けれども、一方で、ドラゴンの凶暴性は一気に増す。激しく動き回り、アーベラたちに大量の攻撃を加え続ける。一人を集中して攻撃するということはもうしなかった。一撃受け止められればすぐに周りを腕や尻尾で力任せに薙ぎ払いながら決して一人には集中しない。
ドラゴンは、ようやく、この人類三人は強い存在であると認めたのである。それによって、アーベラたちの攻撃もなかなか当たらない。
アーベラたちの攻撃が成功したり、はたまた、ドラゴンの一撃がアーベラたちに傷を与えるといったような攻防がしばらく続く。
しかし──少し経って、ドラゴンの動きは鈍くなってくる。対して、アーベラたちは、体力をある程度温存しながら戦っているのか、動きにブレはない。徐々にドラゴンは追い詰められていく。一撃加わった場所に更なる一撃が入り、入り、出血、叫び。
「グァアアアア!」
ドラゴンの叫びは徐々に悲鳴に近いものになっていったが、それでも、アーベラたちは攻撃の手を緩めるつもりはなかった。いくら弱ったとはいえ、ドラゴンはドラゴン。油断すれば一気にやられるのである。それほどの力を持っている生物がドラゴンなのだから。
そうして、手に汗握る戦いを制したのは、アーベラたちだった。
ドラゴンが、最後の絶叫らしき絶叫をあげる。
グアァア、という響きは徐々にかすれ──やがて、その巨竜は動かなくなる──はずだと思った。誰もが、勝利を確信していた。アーベラ、キュイ、エミーリエ、そして、キエル、誰もが、戦いに買ったのだと思った。
けれども、それは大きな間違いだった。
弱くなっていくはずの咆哮は、弱くなるどころか強くなり、そして、キエルは感じた。
「な、なんだ、これ……! 魔力の感覚……!?」
ドラゴンから強大な魔力が漏れ出ている。
ドラゴンは、叫び続けたのち、再び、戦闘態勢を整えて、アーベラたちをギリリと煮えたぎった眼で睨みつける。シュワァとドラゴンから漏れ出る魔力はまるで煙のようにドラゴンの周囲を包み、そして──大きな変化が起きていることに誰もが気がついた。
「傷が、消えてる……!?」
その言葉を発したのは、全員だ。
確かに与えた攻撃、ドラゴンに加えられた斧による複数の傷。一撃一撃が相当に重たい斧による攻撃を無数に加え続けてようやく体力をそぎ落としたドラゴン、のはずだった。そこにいたのは、もう絶命寸前の満身創痍の巨竜のはずだったのである。しかし、今、アーベラたちの目の前にいるのは、傷ついた巨竜ではなかった。
傷は消えていた。
ドラゴンの体にあったはずの無数の傷は、綺麗に消え去り、そこには新品そのもののドラゴンの体があった。まるで時間が戻ったように蘇ったドラゴンは、再び大きく唸り声をあげる。そして、何事もなかったかのように、続ける、アーベラたちへの攻撃を。
「そんな! そんなこと! あり得ない! ダメだ! 逃げよう! 逃げよう!!」
キエルは後方からありったけの声で叫んだ。アーベラたちに、もうこの敵にはかなうはずがないということを全力で伝えようとした。何せ、あれだけ必死に戦ってようやく勝ち取った勝利を目の前でなかったことにされたのだ。はい、さっきのは練習です、と言わんが如く、ドラゴンは再び容赦のない攻撃をアーベラたちに浴びせているのだ。それを見て、冷静でいられるはずがなかったのである。
けれども、キエルと違ってアーベラたちに逃げるつもりなど毛頭なかった。
「なぁに言ってるんだ! 敵が回復するなんて当たり前のことでしょ? でもね、それが何回も続くか、といえばまたそれは別の話……!」
「そうですね、オルトロスさん。世の中に存在するのは有限なんです。永遠なんてものはあり得ない。いくら回復しようとも、このドラゴンが弱っていることには変わりありません。いいですね、楽しいですね、さて、何回倒していいんでしょうか? うふふ」
彼女たちは体感的に知っていた。ドラゴンの魔力がいくらあろうとも、それは必ず有限であるということを。
だから、キエルの忠告を無視して、彼女たちは戦う。
激戦は、優しくなるどころかどんどん勢いを増していく。ドラゴンが攻撃を受け、アーベラたちが攻撃を受け、互いに体力を消耗していく。けれども、また、再び、しばらく攻撃を受けたドラゴンは、大きく叫んだかと思えば、傷が癒える。
いくらドラゴンに有効な攻撃をしているといっても、アーベラたちにも衰えが見え始める。徐々に、徐々に、けれども、確実に、アーベラたちの体力は削られていき、攻撃を受ける頻度も増していく。
もうだめなのかと思った。少なくとも、キエルはそう思った。
「……ぁぁあ!」
キュイのこれまでとは明らかに違う叫び声。かけよるアーベラに、キュイは言う。
「足、骨、やられたかも……!」
「……くっ!」
それでもドラゴンは容赦などしない。動かない目標はドラゴンにとって格好の的となる。繰り出された一撃を、アーベラが受け止める。二撃目はエミーリエが何とか受け止める。
「くっそぉ!」
「なんてしつこいドラゴンなんでしょう、ねっ!」
ゴッとエミーリエが強く一撃を跳ね除ける。しかし、ドラゴンはそのくらいでは諦めない。再び繰り出される攻撃。何とか弾き返すアーベラとエミーリエ。
しかし、時間の問題だった。
これまでは、三人で動きまわることによってかなりのダメージを分散することが出来ていたのだ。一点に留まるということは、それだけドラゴンと正面から戦わなければならないということ。アーベラもエミーリエも強い。しかし、いくら強いといっても限界がある。人には人の戦い方というものがある。
削られる二人の体力を見て、キュイは、叫ぶ。
「僕のことはいいから! 二人は今まで通り戦って! 僕だって、動けなくても攻撃を受け止めることくらい、できるっ!」
キュイは、そう言うと、座ったままの姿勢で斧を構え、ドラゴンを睨みつける。
その目には、まだギラギラと闘志が宿っていた。彼女は、決して捨て身で言っているのではなく、本気で、その両腕で、ドラゴンの一撃をその場で受け止めようとしているのである。




