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装備武器:斧、斧、斧  作者: 上野衣谷
プロローグ「左遷」
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第1話

 富と権力。それらを手にするのは英雄ではない。ドラゴンを倒し、魔王を倒し、この世界を絶望の淵から救った勇者であれども、そこに与えられるのは名声だけだ。現に、この大陸で魔物を倒し、ドラゴンらを倒す人たちに絶大なる富が付与されているかと言えば、答えはノーである。

 彼らに与えられるのは、正体の分からない権力者たちが貪るあまりにも多すぎる富の内のほんの一部だけだ。この世界のカラクリを知っている人間は意外にも少ない。しかし、それを知っていれば、生まれがどうであれ、ある程度の富や権力を得ることは十二分に可能である。人間に生まれ落ちたキエル・メーセンはそのような考えを持っていた。

 キエルは街に商店を持つ父親の長男として生まれた。故に、この世界がどのようにして動いているか、特に、富に関しては人一倍よく分かっていた。一方で、結局のところ、父親の後を継いだところで商人もまた「権力者」によって支配されている層でしかないのだということも感じていた。


「使うのは頭、それが人間ってもんだ」


 そんなことを一人考えながら、彼が目指したのは国家公務員という仕事。彼が生まれたホーマ連合国家は、かつて、ホーマ同盟と呼ばれたここら一帯の文明を持つ人類が形成した国家群によって築き上げられた同盟であったが、安定の数百年の時を経て国境が形式化。今では、ホーマ連合国家として大陸一帯を広く支配している。国が滅びればこの大陸にもはや文明を持つ人々は生き延びられない。キエルは、そのような中で、もっとも安定して、富と権力を得られるのは国家公務員の中で出世していくことだと考えたのだ。

 キエルは猛勉強した。国家公務員というのはそれなりの難易度の試験に通過することが要求される。ライバルを蹴落とし、その中でも特に優れた能力を発揮しなければ国家公務員にはなれない。何せ、貴族でなくとも、例え、農民の出であったとしても、その人が努力さえして能力を身につけてさえいれば、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、その他このホーマ連合に居住するありとあらゆる種族の人たちにチャンスがあるのであるからして、その倍率は相当なものだ。

 キエルは搾取される側になりたくはなかった。彼の人生プランは平凡といってしまえばつまらないが、それでいて、強く志の高いものであった。十八にして国家公務員となり、二十になるまでにいくつもの手柄を立て出世への階段を上り始める。その道のりは決して楽なものではない。勿論、個人の幸せも忘れない。遅くとも、二十五辺りには結婚を考えていた。できることなら、貴族のお嬢様と、それが叶わないにしても、国家公務員でそれなりのエリート街道を歩んでいけば、きっと、それに応じた女の人に巡り合えるだろうと考え、結婚後は、家庭を奥さんに任せながら、三十になるまでには子供を二人、できれば、男の子と女の子……。そして、四十代になる頃には街一つを預かるくらいのポストもしくはそれに準ずるほどの権力を手に入れ、五十、六十では国の中央で重要な役割を果たす要人となる。そんな人生設計であった。

 キエルは国家公務員の試験に無事受かり、その堅実な夢への一歩を踏み出し、二年間、上司である貴族出身のゼールバッハにもそれなりに認められ、街の生産を管理する要職に就いていた。

 であるからして、キエル・メーセンの夢が叶うのは時間の問題に思われた。少なくとも、キエル自身は、自分の人生を順風満帆なものだと思っていたし、これからもそうなるに違いないとある種確信めいたものを持っていた。




 であるからして、


「力がない奴に用はない。うせろ」


 といったような肉体言語めいた言葉は、キエルにとって全く別の世界の出来事でしか起こりえない、中央付近の都会から遠く離れた辺境の地でしか聞くことのない言葉であった。

 キエルにとっては、頭を使った頭脳労働こそが全てであり、彼の夢はその先にあったのである。即ち、筋肉だの力だのそういった事項については、キエルの正反対に位置していると言ってもよかろう。


「なっ……」


 抗議の声を上げようとする正装姿のキエルに対して、目の前の鍛え上がられた肉体を持つキエルよりも一回り背の低いドワーフの女は、その小柄な体には到底見合わないとんでもない力でひょいとキエルの胸倉を掴み上げ、いとも簡単に宙に浮かせると言い放った。


「力がない奴にここの仕事が務まると思うな」


 物理的に!? いや、それは置いといて、屈辱っ……! キエルの頭に明白に浮かんだのはこの二文字であった!




 さて、この衝撃的な場面の前に、キエル・メーセンが国家公務員として勤めだしてからしばらくの間の暮らしについて遡って見てみることにしたい。

 キエルの生まれは都会というには少し物足りない街であったが、今、キエルが一人住み国家公務員として勤めていたのは、都会と呼ぶに十二分な規模を誇るホーマ連合のヴェストール自治区の中央都市であった。治安はひどく良い。ホーマ連合の中心からは少し離れているため、キエルとしては何が何でも実績を上げ、中央政府の直轄地で働きたいと考えていた。

 さて、そんなキエルが最も嫌う言葉は何か、同僚との飲み会の時にそんな話題になったとき、決まってキエルは言う。


「それは、田舎と暴力さ」

「なんで?」


 という声に、キエルは得意げな顔で答える。何故なら、目の前にいる同僚たちもまた、恐らく同じような考えを持っているからだ。


「そりゃあ、そうだろ。田舎には金がない。働くのは農民と少しの商人と、それに、落ちぶれた地方の役人だけ。次に暴力だ。あれは、秩序を乱す。秩序の上に、俺たち人類は立っているんだ。いくら人類が肉体的に強くなっても、そこに秩序がなければ動物と変わらない、そうだろう? ワンワン、ってな!」


 ワンワンの声に、周りは堪らず笑いを漏らす。それだけ、都市部には富が集まってくるということだ。

 彼は、確かに、一部の人たちが聞いたら明らかに気分を害するようなことを口に出して言っていた。けれども、これらの言葉を投げかけてはいけないだろうと思われる人たちには決してこのようなことを言わなかった。

 キエルは、それなりに適応力のある男なのだ。上司があのカラスは白いといえば、ええ、白いです、と即座に同意することはなかったが、一方で、確かにそうかもしれませんね、と一応の理解は示した。

 百パーセント従順に何もかもの権力に従うつもりはなかったが、出世や保身のために必要とあれば、それなりに従った。その一方で、これは改善すべきだと思う事項については、それなりに声を上げた。それこそが、彼の上司、貴族出身の男、ジーグルト・ゼールバッハから上の位、上の位へと抜擢されるに至っている、とキエル自身はそう考えていたのである。

 一言で言えば、抜け目のない男、それがキエル・メーセンという人間なのだ。




 さぁ、話を今に戻そう。ここはホーマ連合国家の果ての果ての辺境の田舎の街バラウォン。街の景色は薄暗い。建物の壁や道路には汚れや損傷が目立ち、修復されていない様子が荒廃感を高めている。

 そんな彼は、今、どこにいるか、


「ふっ……! ふっ……!」


 室内に聞こえるこの声は、部屋にたった一人、筋トレをするドワーフの声である。いやいや、待って欲しい、まず、ここはどこかというところから説明しなければ、筋トレが一体何を意味しているのか意味不明過ぎる。

 キエルが入り口に立っているここは、戦士たちの筋トレ室──ではなく、バラウォンの役所だ。国家公務員が勤めている役所だ。いや、勤めているはずの役所だ。建物こそ木造で、部屋も数部屋ほどしかない小さな小さな建物だが、役所だ。役所の周りにはゴロツキがうろついていて、建物の壁には昼間だというのに酔いつぶれたおっさんが二、三人もたれかかっているが、役所だ。誰がなんというと、ここがどういう外観であろうと、中にいるのは筋トレをしているドワーフだけであろうと、ここは間違いなく役所なのである、役所のはずだ。

 えっ!? じゃあ、なんで筋トレ!? 何があったの!? あのエリート街道を突っ走って温かい家庭を持とうとしていたキエルの身に! なんていう声が聞かれるかもしれない。それはキエルも同じ心境である。何故俺はここにいるのだろうか、その問いは哲学的な自問自答ではなく、まさに今、目の前に広がる世紀末のような光景に対して投げかけられている完全なる疑問であった。

 しかし、勤務地としてバラウォンに飛ばされてしまったのだから、仕方がない。これには深い深い事情があるのだが、キエルは今そんなことを考えている余裕はなかった。

 数か月前、酒屋で仲間と話していた時の言葉が思い出される。キエルが嫌いなもの、


「それは、田舎と暴力さ」


 である。その二つが目の前にあるのだ。なんてことだ、絶望だ。

 確かに、ここは辺境の地である。まごうことなき田舎である。それは、受け入れよう。飛ばされてしまったのだから仕方がない。無論! その点において、自分は何一つ悪くなかったと考えている。絶対にゼールバッハを見返し、何とかしてもう一度エリート街道へ舞い戻ってやるという意気込みはある。しかし、これは、その、いくらなんでもひどすぎないだろうか。そう考え、再び、キエルは目の前の現実を受け入れようと努力する。

 役所に入ってすぐ、虫けらを見るかのような目でキエルを一瞥したドワーフの女性。キエルが、新しくここにきて、君の上司になるキエル・メーセンだ、と自己紹介したところ、彼女は胸倉を掴み上げ、キエルに怒鳴り散らした。およそ、キエルの二倍、三倍、いやそれどころではない、それ以上の力で掴みあげられたゆえに、キエルは満足に抗議さえできなかった。

 ここは最果ての街だ。日々、魔物たちと戦っている街である。キエルがそのような野蛮な行為に関して何とかギリギリ接点があるとすれば、学生時代に、就職に少しは有利になるだろうと考えて取得した治癒魔法の資格くらいなものである。キエルは一生、このような辺境の地とは無縁なものだと思っていたし、そうなるために頑張ってきたのだから、当たり前といえば当たり前であろう。

 そのようなことを入口の前で悶々と考えていたキエルであったが、いよいよ覚悟を決める。泣こうが喚こうが、自分はここで生きていかなければならないのだ。部下にどんな人がいるのか、それさえも知らされずに来た土地であるが、生きていかなければならないのである!

 そうと決まれば話は早い。相手が部下であれ、挨拶は大切だ。この右も左もわからぬ土地において、この土地をよく知るであろう彼女との連携はエリート街道へ戻るために必要不可欠といえるし、利用しない手はない。そうと決めたキエルは、木製の簡素な椅子にすわって両手でダンベルを上下させる例のドワーフの元へと近寄ると、可能な限り顔に笑顔を浮かべて、話しかける。


「あー、えーと、こんにちは、初めまして。俺は、キエル・メーセンといいます。えぇと、その訳あって、ヴェストール自治区の役所からここバラウォンの役所へと転属になったんです、よろしくお願いします」


 最後まで話し終えて、ようやくドワーフの女はキエルを見る。鋭い目、ドワーフ特有の低めの身長、髪は金髪を少し濁したような色で、ポニーテールにまとめてある。年は相当若そうで、キエルよりも年下だろうということは予測できる。とにかく、キエルはせめて彼女の名前、そして、正体を知りたかった。そのため、彼女が言葉を発するのを待つ必要があった。ジトっとした目で見つめられること数秒。見つめられる、というよりは、睨まれている。まるで、さっさとここから去れ、去らなければダンベルで脳天勝ち割るぞと言わんばかりの威圧感であったが、そこはデキる社会人のキエル、一歩も引くことなく相手の言葉をひたすら待った。

 そして、ようやく発せられたのは、


「キュイ」


 というたった約三文字の音のみ。さぁ、これが何を意味するのかキエルには必死に考える必要があった。さらなる追加情報を待とうとしたが、もうそれだけ言うと彼女は目線を空に戻し、筋力アップに励み出す。ああ、一体どうすればいいのか、キュイってなんだ。キエルは必死に頭の中の辞書をたたくが、そこにキュイなどという言葉は存在しない。鳴き声か? ううん、鳴き声、それとも、バラウォンの方言……。もしかして、おはよう、という挨拶? ドワーフ特有の表現だったりするのだろうか? ここで返答を間違えることはコミュニケーションの失敗を意味すると考えられる。そして、ただ沈黙し続けるのは、きっとバッドコミュニケーションの結末を与えられるに違いない。そう判断したキエルは、よしと意気込んで思い切って言葉を返してみる。


「キュイ!」


 元気よく! 朗らかに! キエルの陽気な言葉に対して、けれども、彼女はものすごくいやそうな顔をして、これまでの、どっかへ行けという程度のにらみから、お前を排除するからそこを動くな、というくらいの殺意がこもった目でキエルをにらみつけ、ダンベルを床に置き、そろりと立ち上がろうとする。

 ああ、間違えた!? なんか、間違えちゃった!? キエルは焦った。どうすればいい、どうしたらいいんだ。残念ながらキエルはこれまでこんなに戦闘力の高そうな女性とお付き合いをしたことはなかった。何を言ったら正解なのか分からなかった。わからなかったが、何かしないといけない! よし、ここは──! 意を決して言う。


「可愛いですね! これからどうぞよろし──」


 手を差し出そうとしたキエル。けれども、いつの間にかキエルの体は転倒していた。その答えは簡単、キエルの二本の足がものすごい勢いの目の前の女の子の蹴りによってへし折られるかと思わんばかりの威力で薙ぎ払われたからだった。

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