娼館潜入
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「ねえ、マリエルの居場所が分かったのは良いけれど、あなた達、私の見ていない所で彼らに何をしたの?」
「秘密」
「君は知らなくて良いんだ。汚い仕事は俺達に任せておけば良い。そんな事より、あの女に逃げられる前に早く捕まえに行くぞ」
ハワードとテッドは男達からいとも簡単にマリエルの居場所を聞き出した。どうやって吐かせたかは秘密だと言って教えてはくれなかったが、ろくでもない方法である事は間違いない。アナスタシアが見張りで路地の入り口に立っていると、ものの数分でテッドが呼びに来たのだが、男達は特に暴力を受けた形跡も無いのに何故か白目を剥いて気絶していた。
「こいつらは大通りを巡回中の誰かに任せよう。マリエルを匿った咎で罰を受ける事になる」
「わかった。俺が呼んで来るから、君達はここでそいつらを見ていてくれ」
テッドはそう言って二人にこの場を任せ、サッと走って大通りに出て行ってしまった。
「気のせいかしら、随分慣れてるようね二人共。今まで長期休暇の間にどんな事をしていたの?」
「さあ? 家の手伝い位はしたと思うがな。あとはお前も知っての通り、鬼団長にしごかれにランスウォールへ行ってただろ」
ハワードはあまり家の事を話したがらない。クレーマン侯爵家は王家の裏の仕事を担っているとも言われており、現在の侯爵は外務大臣の職に就いているが、昔から一族の者は国内外で諜報活動をしているという噂なのだ。アナスタシアは一度、噂は真実なのか聞こうとしたが、ハワードに上手くはぐらかされて、それきり聞けないままで居た。
「それにしても、せっかくお前とリサが温情をかけてやったってのに、マリエルはもう、一生外の世界を見る事は無いな。あの時、あの女はリサへの不敬で処刑するのが妥当だったんだ。それを陛下はお前達の言葉を真に受けて、処刑どころか息子と一緒に無罪放免にしたってんだから驚きだ。それでも誰かに監視させていたのなら話は違ったんだがな。ミンス男爵の事もそうだ。あれだけの事をした奴等を野放しとか、普通に考えて有り得無いだろ。団長の言いたい事も理解できる」
「ハワード、こんな所で不用意にする話じゃないわ。あなたも不敬罪に問われてしまうわよ?」
アナスタシアが周囲を気にして路地の前後を確認していると、大通りを巡回中の騎士数人を連れてテッドが戻って来た。騎士達は道すがらテッドから事情を聞いていたため、捕らえていた男二人を引きずって裏道から人目に付かないよう騎士団本部へ連行した。
「団長へ伝言を頼んだから、後で応援が来るだろうが、俺達でマリエルを捕まえておこう。こちら側の動きはまだ向こうには伝わっていない事だし、今がチャンスだ」
「行くぞ、アナ。俺達から離れるなよ」
「ええ、急ぎましょう」
三人は娼館や飲食店が軒を連ねるメイン通りを進み、薄着の若い女が角に立って客待ちをしていた狭い路地に入ると、その先にあるマリエルが所属する店の裏口に到着した。そこには目つきの悪い大柄の男が数人たむろしていて、店の用心棒なのか、突然現れたアナスタシア達を睨み付け威嚇してきた。
「お兄さん達、こっちは裏口だ。客なら表から入りな。だが今は準備中でね、午後にまた出直してくれ。それとも、それだけの美少年を連れてるって事は、そいつは売りものか? へへへ、女より綺麗じゃないか、売りに来たならこのオレ様が……ぐぅっふ」
「失礼な! 言葉に気をつけなさい!」
アナスタシアは自分が男娼かと問われた事に腹が立ち、スキンヘッドの大男に一撃を食らわすと、ハワードとテッドもその勢いに乗り、音も立てずに次々と男達をなぎ倒した。裏口に居た男達を片付けるのに3分もかからなかったが、アナスタシアがドアを開けようと丸い金属のノブを回すと、残念ながら鍵が掛かっていた。
「当然よね、鍵が掛かってるわ」
「ああ、俺が開けるから、ちょっとどいてろ」
ハワードはアナスタシアを下がらせると、ドアノブに手をかけ、鍵穴を人差し指でチョンと触り、簡単にドアを開けて見せた。
「ちょっ……ハワードあなた、今何をしたの?」
「秘密」
「良いから、行くぞ。あいつらが言うには厨房の地下に隠し部屋があって、そこにマリエルは隠れてるはずなんだ。自分の置かれた状況を察して大人しくそこに居てくれると良いな」
裏口から店内に潜入すると、途中いくつかドアがあり、さらに進むと天井の高い広い空間に出た。店内はシャンデリアの明かりが消えていて、いくつかある細長い窓から朝の光が差し込んでいた。テーブルと椅子が並び、見た感じはちょっと高級な酒場のようだが、カウンター横の階段から二階に上がれば、ズラリと女達の生活する部屋があるのだ。彼女達はそこで男性客の相手をする。今は仕事を終え、自分の部屋で泥の様に眠っているに違いない。二階からは物音ひとつ聞こえてこなかった。
「ん? 誰かが残って掃除してるな。あいつらに聞いた話だとあの向こうに地下に続く階段があるはずだが」
従業員が掃除でもしているのか、奥からシャカシャカとブラシで床を擦る音が聞こえて来た。テッドが見ている先には厨房がある。ハワードは何の躊躇いも無く西部劇の酒場のドアのようなスイングドアを押し開け、デッキブラシを持った男を取り押さえてしまった。彼は驚いてはいたが特に抵抗もせずハワードに従った。
「何だお前達、金が目的か? だったらここには無い。売上金はお頭が持って行ったばかりだからな。裏には強い奴等がたくさん居ただろう。鍵も掛けてたはずだ、どうやってここに入った? まさかあいつ等を全員倒して鍵を奪ったってのか?」
男は三人を見て金目当ての強盗だとでも思ったようだ。だがそれにしては妙に落ち着き払っている。こんな事は日常茶飯事だとでもいうのか。
「マリエルはどこだ? 俺達はあの女を迎えに来たんだ」
「あ? おお、その襟巻き、バッカスの船の奴らだったのか。早かったな。何だよー、だったら冗談でもこんな手荒な真似しないでくれ。紛らわしいな、強盗かと思ってもう少しで反撃するところだったぜ。そりゃ、お前達のようなひょろっとした奴等にあの屈強な男達を倒せる訳が無いよな。こっちだ、ついて来い。結局あの女はミナージュに置いておけないとお頭が判断して、厄介払いすることになったんだ。うちは一応優良店としてやってるから、貴族を巻き込むような面倒事は御免だとよ。調子に乗ってやり過ぎなけりゃ、もっと稼げたのによ。残念だが、騎士の捜査が入る前に早く連れて行ってくれ」
バッカスと言う男の仲間だと勘違いしたのか、マリエルを連れて行けと言われ、地下へ続く階段の案内までしてくれた。どうやら偶然似た様なアフガンストールを巻いた少年が仲間に居たようだ。
相手の事をきちんと確認もせず引き渡そうとする位だ、よほどマリエルは扱いにくい女なのだろう。とにかくここから追い出したいと顔に書いてある。
階段を下り地下に行くと、そこにマリエルが居た。
隠し部屋に隠れて身を潜めて居るものと思っていたが、隠し扉は開け放たれたままで、なんと倉庫に保管されていた食べ物を物色して腹を満たしている最中だった。
アナスタシアは予想に反してマリエルを簡単に見つける事が出来てしまい、拍子抜けしてポカンとしてしまった。
マリエルは階段を下りてきたこの店の男と、一緒に来たアナスタシア達を見て、もごもごと口いっぱいに林檎を頬張ったまま文句を言い始めた。下品にも咀嚼した欠片が口から飛び出してしまうのも構わず、身振り手振りを交えて話す姿は、とてもじゃないが元貴族令嬢などと呼べるものでは無かった。
学園を追い出されてからの短い間に、ミンス男爵に仕込まれた礼儀作法は記憶から綺麗に消えてしまったのか、この土地の空気がよほど肌に合うのか、まるっきりここを出る前の状態に逆戻りしてしまっていた。
「何よ、マネージャー、ここで客を取れって言うの? こんな汚い部屋じゃ嫌よ、私は男爵令嬢なのよ? それを忘れないで! 大体、せっかくトラヴィスが私を探しに来てくれたのに、どうして隠れなきゃいけないの? 私の噂を聞いて会いたくなったに決まってるじゃない。あんな酷い別れ方はしたけど、私無しじゃいられない体にしてあげたんだから、うふふふっ」
相変わらず頭のネジが2、3本緩んでいるとしか思えないマリエルの言動に、三人は呆れてものが言えなかった。更にはもう一人、マリエルにマネージャーと呼ばれた男もまた呆れているようだ。深く溜息をつき、マリエルに今後の事を話し始めた。
「お前はこいつらに付いて行け、バッカスの船で別の土地に移ってもらう事になった。ここより規模の小さい店だが、自業自得だ。お前が調子に乗りすぎたのが悪い」
「はあ? 何でよ! 嫌よ、ここは王都の次にお金持ちが集まる土地なのよ? 私はもう一度お金持ちに身請けしてもらうんだから! じゃなきゃ、あの女に復讐できないじゃないの! 私の邪魔をした憎いランスウォールのメス豚をギャフンと言わせなくちゃ気がすまないわ!!」
マリエルの発言はとても現実的とは言えなかった。この店で子供の頃にミンス男爵と出会えた事は一生に一度の幸運以外の何者でも無かったが、そんな事がまた起きる程この世界は甘くない。
「あのな、お前は身請けしてくれた義理の父親に、当時の半額以下の金貨10枚で返品されたんだろ? その返済が終わるまでの部屋代、食費、服飾費、化粧品代、その他にもお前がいつまでも貴族気分で贅沢を止めないから、借金は増え続けてる。ちょっと人気が出たからって勘違いするなよ、完済するまでお前に自由なんか無いんだ」
「ふざけないで! ここに来てからどれだけ働いたと思ってるの? 半分は返したはずよ! 増えるなんておかしいわ!」
マリエルとマネジャーの言い争いは放っておけば暫く続きそうだったので、マリエルを背にする形でテッドが止めに入った。
「もう良いだろう。時間が無いんだ、マリエルは連れて行くぞ」
「ちょっと、邪魔……! あら、あなた素敵ね。でもどこかで会った事無い?」
マリエルは母親と男の趣味が似ているようだ。自分の前に立ちはだかる逞しいテッドの背中から下に向けて舐めるように見て、次に顔を見上げると、急にうっとりとした表情に変わった。あの日顔を見たはずだが、アナスタシアとリサの顔以外はあまり記憶に残っていないようで、軽い変装中とは言えこの場に居るハワードの事も気付かなかった。アナスタシアは地下に下りる時にストールで顔を隠していたため、何とか気付かれずに済んでいた。
「俺達も忙しいんだ、マネージャー、そこの麻袋を貸してくれ。この煩い女は袋に詰めて持って行く」
ハワードは倉庫にある大きな麻袋をズボッと一気にマリエルに被せ、袋詰めにすると、暴れるマリエルを無視して袋の口を縛り、それをテッドに担がせた。
「じゃあ、よろしく。元気でな、マリエル。お前の荷物はそのうち送ってやるから心配すんな」
マネジャーに見送られ、まんまとマリエルを捕まえる事に成功した三人は、裏口に向いドアを開けた。
しかしそこに転がっているはずの、来た時に倒した男達の姿は見当たらなかった。




