嫌な予感
翌朝、食堂に向う三人が耳にしたのは、前日テッドが目撃したトラヴィスの話題だった。
「聞いたか? 例の元第四王子、昨日宿舎に居ないと思ったら歓楽街で何かしていたらしい。見回りのヤツが見つけて連れ帰って来ていた。いくらまだ正式入団前だと言っても、あんな場所に出入りするとは、彼には騎士としての誇りというものは無いのか」
「今朝副団長に呼び出されていたが、もしや入団取り消し処分になるのではないか?」
「まあ、王籍を外されるほどの面倒を起こした方だしな。一体何をして陛下に見捨てられたのか。近年稀に見る王室の一大事だというのに、誰も理由を知らないと言うのが不思議だ」
トラヴィスが何をして王籍を外されたのか、誰も知らないようだった。ここには新人として配属された同じ学園出の者は数名居るはずなのに、皆口を閉ざして何も語らずにいてくれた。いくら婚約は無かった事にしたと言っても、大勢が見ている前で振られ、辱められたのは事実なのだ。学園側と王家から緘口令が敷かれているとは言え、噂好きの貴族が黙っているのは珍しい事だった。こんな面白い話、誰か一人が口を割れば、たちまち広がり各地を駆け巡るだろう。あの場に居たのは魔法科以外の全校生徒と言って良い。口止めをされていても噂が流れるのは時間の問題だと思われる。
「一緒に配属されたのが口の堅いやつらで良かったな」
「トラヴィス様が王籍を外された理由を聞かれたら何て答えたら良いのかしら」
「知らないと言っておこう、王室からは何も言うなと言われているしな」
三人が食事をしていると、副団長と共にトラヴィスが食堂にやって来た。テッドは身体を傾けて壁になり、アナスタシアは目を合わせないよう視線を逸らした。
少しして朝食をのせたトレーを持ち、マルクス副団長が近付いて来た。
「おはよう、アナスタシア。それにハワードとテオドールも。ご一緒しても構わないかな?」
「おはようございます、マルクス様。勿論どうぞ」
アナスタシアは笑顔で快諾し、ハワードとテッドも微笑んで挨拶し、マルクスを受け入れた。アナスタシアの斜向かいに座ったマルクスは、コーヒーをひとくち飲んでアナスタシアに話し掛けた。
「昨夜は良く眠れた? 君の部屋は一応女性向けに設えさせたつもりだけど、足りない物があったら遠慮なく言ってくれて良いよ。男ばかりで気が付かない事があるかもしれないしね」
「足りない物なんて……もしかして、ああいうのは私の部屋だけなんですか? とても騎士団の宿舎とは思えないくらい綺麗に整えられていたので、幹部の方の部屋は皆そうなのだと思っていました。特別扱いは必要ありませんと事前に伝えていたと思うのですが」
アナスタシアの部屋は団長、副団長と同じフロアにある、昔この屋敷に住んでいた元令嬢が使っていた部屋で、家具等使える物は綺麗に直してそのまま使い、壁紙は落ち着いた小花柄に張替え、リネン類もピンクを基調とした可愛らしい花柄の物を用意されていた。
「上からの指示だよ。初の女性騎士をどう扱うか話し合って決めたから、君は気にせず使ってくれたら良い。君の後に続いてこの先女性騎士が増えるかもしれないからね、女性騎士の待遇は君が基準になるんだ。もっと改善すべき点が見付かれば、これから来る後輩の為にも遠慮無く言った方が良いよ」
そう言われてしまっては突っぱねる事も出来ず、アナスタシアは引き下がるしかなかった。あの部屋は貴族令嬢の部屋そのもので、一体どれだけの予算を組んで設えたのかと思うような豪華さなのだ。上からの指示と言う事は、騎士団のトップであるセーファス王子が関わっているという事だろう。
「ところでキースリング副団長、トラヴィス様は入団取り消しになるんですか? 実は昨日、ここへ向う途中でテオドールが歓楽街を歩く彼を見かけました」
ハワードは直球でマルクスに質問した。周りの騎士達がハワードの言葉に反応し、動きを止めた。どうやら気になっているのは自分たちだけでは無いらしい。
マルクスは自分に注目している周囲の者達に聞こえるようその質問に答えた。
「入団取り消しは無い。本人は店には入ったが直ぐに出て来たと言っているし、彼を連れ帰った者が店側に確認したところ、その通りだった。ただし、罰則はある。彼の行動は我々騎士団の品位を落とす行為だからね」
マルクスは不敵に笑い、食事を始めた。そのため、もっと詳しく話を聞きたかったハワードも、それ以上質問できなかった。周りで立ち止まって聞いていた騎士達もマルクスはこれ以上話さないと知っていて、再び動き始めた。
噂の的であるトラヴィスはと言えば、食堂のど真ん中の席で悪びれもせず堂々と食事をしていた。ここでも僅かではあるが、短期間のうちに取り巻きが出来たようで、彼の周りには三名ほどの太鼓持ちが侍っていた。腐っても元王子という事なのだろうか。
「アナスタシア、食事が終わったら団長室に来てくれるかい? 君達も、団長に挨拶するつもりなら同席して構わない。僕は先に行くけど、君達はゆっくり食事を済ませてからで良いからね」
マルクスはあっという間に食事を済ませて席を立ち、トレーを持って行ってしまった。
「どうして呼び出されたのかしら? どちらにしても団長室に行くつもりだったけれど、何か用があるという事よね」
アナスタシア達はマルクスにゆっくりで良いと言われたものの、急いで食事を済ませて食器を返却口に持って行った。すると、その時を狙っていたかのようにトラヴィスが近付いて来て声をかけて来た。
「おはよう、我が麗しのアナスタシアよ。今朝も相変わらず美しいな。まさか俺に挨拶もせず行ってしまうつもりなのか? これからはこうして毎日顔を見る事ができるのだな。……おい、お前達、邪魔だ。俺が今、彼女と話をしているのが分からないのか、無礼な。さっさとそこをどけ」
テッドとハワードはトラヴィスが近付いて来た事に気が付くと、スッとアナスタシアを囲い、それ以上近づけない様に壁を作った。トラヴィスは隙間からアナスタシアを見ようと顔を動かすが、ハワードはその動きに合わせて壁になり、邪魔をした。
「貴様……どけと申すに! 何故邪魔をする。俺が誰なのか知らないとは言わせないぞ。分かっていてその様な無礼を働いているのか? ん? その顔、見覚えがある。そうか貴様らも魔法騎士か。俺のアナスタシアに纏わり付いて邪魔な奴らだな」
セーファス王子が言っていた通り、彼にはまったく反省の色が見えない。国王の慈悲で自由の身でいられるだけだというのに、あれだけ迷惑をかけておいて、よくその相手に平気で話しかけられるものだと逆に関心すらしてしまう。
「まったく、呆れるな。まだ王子のつもりなのか。たとえ侯爵家の養子に入ったとしても、ここでは実家の力は使えないんだ。あんたは魔法騎士の俺達よりも、ずっと下の立場なんだよ。無礼なのは自分の方なのだと早く気付くべきだ」
「行きましょう、ハワード、テッド。団長をお待たせしてはいけないわ」
ハワードが言いたい事を全て言ってくれたので、アナスタシアはトラヴィスと一切目も合わせずにその場を立ち去った。
「あ、おい! アナスタシア、話をさせてくれ。団長との話が済んだらで良い、ここに戻って来て欲しい。お前が来るまで待ってる。絶対だ」
アナスタシアはトラヴィスとの関係性を誰にも知られたくないと言うのに、トラヴィスがお構い無しに声を張り上げたお陰で、勘の良い何人かは二人の間に何かあったのだと勘付いてしまったのだった。