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歓楽街とトラヴィス

 テッドが見ていた視線の先を追ったアナスタシアは、その先にあるのが男性がプロの女性たちと遊ぶ店などが集まった歓楽街だった事に呆れてしまった。

 まだ昼間だと言うのに、そこには既にたくさんの船乗り達が出入りしていた。店の前を通り過ぎる男性を引き止めようとする女性達のいでたちは、まるで下着のような薄手のスリップドレス一枚で、恐らく下には何も身に着けておらず、丈は太ももが露になるほど短いものだった。足元は殆ど爪先立ちのようなキラキラ光るピンヒールを履き、大通りからも見える位置にあるというのに、彼女達はお世辞にも上品とは言えない姿で客引きをしていた。

 

「テッド、何を真剣に見ているの? あなたまさか、あのお店で遊ぶつもりじゃないでしょうね」

「なっ、違う! 俺がそんな事するわけないだろう。遠かったし、すぐに人ごみに紛れてしまったから本人かどうか分からないが、さっきあの店からトラヴィス様に似た男が出て来たんだ」


 テッドは慌てて否定した。勿論そんなつもりで見ていた訳では無かった。


「ああ、あのトラヴィス様の事だ、入団前に遊んでおこうと考えたとしても不思議じゃない。なんせあの娼婦の娘と……」


 ハワードはアナスタシアに睨まれて、その先を言うのを止めた。下品な言葉を使えば、またアナスタシアに叱られてしまう。


「あなたの口から下品な言葉を言わないで、だろ? わかってるよ。テッドが見たのがもし本人だとして、バレたら即入団取り消しだな。良いじゃないか、見回りの騎士にでも見付かれば一緒に働く前にそこでアウトだ」

「そこまで馬鹿だとは思えないけれど、歓楽街の向こうには何があるの?」

「あの向こうは貧民街さ。あの歓楽街で働く女達が産んだ子供が、そこで成長して親と同じ仕事に就くんだ。綺麗に生まれた男の子は男娼にされ、そうじゃなければ港で力仕事をする。あそこで生まれた子供は、あの世界しか知らずに育つ。余程の幸運が無ければ出る事は無いだろう」


 アナスタシアはハワードの話を聞き、胸が痛くなった。子供のうちから夢も希望も無い生活を送り、狭い世界の中で一生を終える人達が居る。ちょっと外へ出れば、他にいくらでも仕事はあると言うのに。せめて将来のある子供達だけでも、まともな仕事に就かせてやりたいとアナスタシアは思っていた。

 

「アナ、あの向こうに居る子供達を救おうったって、一人二人じゃないんだ。お前がどうにかできる事じゃないぞ。そんな顔して、何か出来る事は無いかと考えているんだろうが、止めておけ。彼らには彼らのルールがある。貴族に施しを受ける事を嫌うやつらだっているんだ、裏社会の人間が絡んでいるし、危険な目に遭いたくなければ、手を出さない事だ」

「ランスウォールとは違うんだよ。君が救ったメアリやキャリーの様には行かないから、忘れた方が良い」

「……孤児だった彼女達とは状況が違うわ。何も出来ないのもわかってるから、心配しないで大丈夫よ」


 そんな事を話しているうちに、馬車は門兵の立つ門を過ぎ、騎士団施設の中に入っていた。頑丈そうな塀に囲まれた広い敷地内には、町で見たようなカラフルな建物は一つも無く、まず入り口近くに騎士達の生活の場となる二階建てのアパートの様なものが並んで建っていて、建物は二階部分が全て渡り廊下で繋がっていた。最奥に貴族の屋敷のような石作りの立派な建物が建っていて、そこがミナージュ騎士団の本部であり、幹部の宿舎となっていた。新人ではあるが、魔法騎士であるアナスタシア達三人も幹部候補として含まれている。

 馬車を降りた三人は最奥の本部に足を踏み入れた。古い屋敷を改装して利用しているようで、外観とは異なり、優雅さを取り払われた実用的なものとなっていた。


「団長に挨拶を済ませて荷解きをしなくてはならないな」


 テッドがそう言ったところで玄関ホールの左側の扉が開き、二十代後半と見られるスラリとした男性が現れた。襟のバッジを見る限り、上官であることは間違いなかった。


「あ、君たちは新人だね。女性が一人混ざっていると言う事は、君がアナスタシア・ランスウォールか。後は……体の大きいのがテオドール・バルシュミーデで、こっちの君はハワード・クレーマン。で、合ってるかい?」

「はい、その通りです。……マルクス・キースリング様。お久しぶりです。今は副団長、ですよね」


 アナスタシアは見覚えのある彼の名前を思い出した。新人時代に暫くランスウォールに居た彼とは面識があり、まだ小さかったアナスタシアは遊び相手になってもらった事もある。出発前に師匠からマルクスが今年ここの副団長に就任したと聞いていて、会うのを楽しみにしていた。

 

「僕を覚えていてくれたんだね。十年ぶり位かな? すっかり大きく……いや、女性に大きくなったは無いな。見違えたよ。綺麗になったね、アナスタシア」

「マルクス様は、あまり変わりませんね。ブルゲン団長からミナージュの副団長に就任したと聞いた時からお会いするのを楽しみにしていました」

「嬉しいな。僕も、リストに君の名があるのを見た時から楽しみだったさ。あの頃は絶対に無理だと思ったけど、本当に魔法騎士になってみせるとは、恐れ入ったよ」


 テッドとハワードは思い掛けない伏兵に焦りを感じていた。自分たちには無い大人の余裕とでも言うのか、彼は落ち着いた物腰で、トラヴィスの一件以来、親しくない男性に対しては特に気を許さないアナスタシアが、嬉しそうに笑みを浮かべ、まったく警戒せずに話をしている。


「団長は今、この町の会合に出ていて不在だから、君達は荷解きを先に済ませた方がいいかな。夜には戻ると思うけど、何時になるかはわからない。挨拶したいのなら明日の朝がお勧めだね。今日は三人で施設の中を見て回ると良い。あ、っと、僕が今出て来た扉は宿舎に通じているんだ。女性は入れない事になっているから、アナスタシアはこの向こうに行ってはいけないよ」


 扉の横には汚い字で女人禁制と書かれた張り紙がされていた。マルクスはニッコリ笑って頷くと、階段を上って行ってしまった。


「ギード・ケーニンガー団長とマルクス・キースリング副団長か……去年汚職で捕まった前任の団長を二人で摘発したおかげで、ミナージュはそれに関わっていた古株の団員も居なくなり、人員整理が出来たわけだ。トップがどちらも二十代なんて、前代未聞の事だぞ。それだけやり手という事なんだろうな」

「俺達も頑張らなければ、急に出て来た好青年にアナを掻っ攫われてしまうぞ。見たか、アナの嬉しそうな顔。俺たちが知り合う前の彼女を知っているようだな」

「アナの初恋の相手とか、そう言うやつか?」


 テッドはハワードの言葉に答えなかった。彼女がまだ恋をした事がないと聞いたのは、自分が告白をした時の事だ。そんな話をいつしたのかと聞かれても困る。


「どうかな、アナに聞いてみたらどうだ?」

「もしそうだとしたらキツイ。ペーペーの新人と、頼りになる副団長、お前ならどちらを選ぶ?」

「頼りになる副団長」


 アナスタシアは二人がコソコソと話をしている後ろに回りこみ、聞き耳を立てていた。しかし聞こえたのは最後のテッドの言葉だけだった。


「副団長がどうしたの? マルクス様はとても良い人よ。時間が有ればもっとお話ししたかったわね。さぁ、二人共、部屋を片付けて敷地内を探検するわよ」


 この後三人は、先に届いていた荷物を整理して施設内のどこに何があるのか確認して回った。当然かもしれないが、ここには若い女性はアナスタシア一人しか居らず、働いている女性は居ても、孫の居るような年齢の人達ばかりだった。

 

 

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