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ふと見せた笑顔

 大泣きする男の子をあやしながら厨房の洗い場で患部を冷水で冷やしていると、メイドの一人がアナスタシアのドレスの袖が裂けてしまっている事を指摘した。


「お嬢様、どこかで引っ掛けたのですか? お袖が裂けてしまっています。お怪我をされたのでは?」

「え? 本当? 全然気が付かなかったわ。大丈夫よ。どうせびしょ濡れになってしまったし、後で着替えるから構わないわ。教えてくれてありがとう」


 肩から胸にかけて軽度の火傷を負ってしまった男の子は、泣き疲れてぐったりしていた。ヒックヒックとしゃくりあげ、悲しそうにアナスタシアを見上げる。アナスタシアは優しく笑って大丈夫よと声をかけた。


「もう良いかしら。ぼく、良く我慢したわね、偉いわ。すぐに対処したから、治癒魔法を使う程でもなさそうだけど……」

「ママ……ヒック、ママ……」


 薬を塗っておけば自然に治る程度の火傷ではあるが、折角治癒魔法が使える自分が一緒なのだからと思いなおし、治療する事にした。


「ママとは後で会えるから、今は私と、この痛い所を治しましょうね。すぐに治してあげるから、そしたらお部屋に帰りましょう。ほら、キャリーが心配しているわよ?」


 アナスタシアの隣には、男の子を探し回ってやっとここへたどり着いたキャリーが、ゼーゼー言いながら泣きそうな顔で立っていた。部屋でかくれんぼをしていたら、いくら探してもみつからず、ドアが開いていた事から勝手に部屋を出てしまったのではと探しに来ていたのだ。


「すみません、お嬢様。ゲルダ様がドアをきちんと閉めずに部屋を出ていたとは知らなくて。坊ちゃんは、またお母さんに置いていかれたと思って探しに行ったのだと思います。ゲルダ様は私には出かける事を伝えて行きましたが、坊ちゃんには黙ってこっそり行ってしまわれたので。連れて行けないから仕方なかったのかもしれませんが、この数日は泣いてばかりで可哀想でした。それに屋敷に戻られたゲルダ様は、なんだか少し冷たくなった気がします。子供部屋で私と三人で居るときは、坊ちゃんを構いもしないんです。旅の疲れのせいなのでしょうか」


 キャリーは男の子を心配そうに見つめていた。


「ゲルダ様が冷たいと感じた時は、あなたが優しくしてあげると良いわ。ねぇキャリー、体が冷えてしまったから、この子にお風呂を用意してあげてくれる? 治癒魔法をかけるから、すぐに温めてあげてちょうだい」

「はい、承知しました」


 キャリーを子供部屋に向わせて、洗い場に男の子を立たせたアナスタシアは、深呼吸して火傷の治療に取り掛かった。子供の体に治癒魔法をかけるのは初めてで、緊張しながらも慎重に治療を始めた。ポウッと光に包まれたかと思うと、赤くなった箇所が徐々に消えていった。背中の方まで治癒をかけると、火傷の跡は綺麗に消えた。男の子は何が起きたのか理解できずにキョトンとしている。


「治ったわよ。いい子ね。あら? おでこから血が出てるわ。きっと落ちてきたカップが当たってしまったのね」


 火傷にばかり集中していたが、実は跳ねた破片であちこち小さな切り傷が出来ていた。血の出ているところにも治癒魔法をかけると、後ろで待機していたメイドに目配せして毛布で包ませ、子供部屋に連れて行かせた。その時、男の子はアナスタシアに向けて小さな手を振り、ようやく笑顔を見せてくれた。


「お嬢様も、このままでは風邪を引いてしまいます。お風呂は準備できていますから、旅の疲れも癒してください」


 メアリはアナスタシアに毛布をかけて、部屋へと連れて行った。部屋は暖められていて、トランク二個分の荷物も既に解かれて片付いていた。


「メアリ、一人で出来るわ。下がって良いわよ」

「お嬢様、お怪我をなさってますね。皆の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せませんよ。裂けている肘の部分が切れてしまっているのではありませんか? バレないようにしたつもりでも、陶器の破片にかまわずあの勢いで抱き上げたのです、怪我をしても不思議ではありませんでした。立ち上がった時に落ちた破片には血も付いておりましたし。覚えたてではありますが、簡単な治癒魔法をマスターしましたから、私に治させて下さい」


 メアリは有無を言わさずドレスを脱がせ、下着も剥ぎ取った。するとアナスタシアの肘から下5センチほどが切れていて、勢い良く男の子の背中の下に腕を滑り込ませたせいで、手の甲から手首にかけて赤く擦り剥けていた。メアリは呆れながらも傷口に陶器の破片が残っていないか確認して、治癒魔法をかけた。


「我慢強いにも程があります。痛かったでしょうに」

「あの子の事で夢中だったから、全然気が付かなかったわ。逆に、今傷口を見たせいで痛いと感じるくらいよ」


 アナスタシアは笑って湯船に浸かった。メアリは香りの良いオイルを数滴お湯に垂らして、リラックス出来る様、主の肩をマッサージする。華奢に見えても剣士としての訓練を積んだその体は、意外に筋肉質だ。肩から背中にかけてしっかりほぐすと、うつらうつらと船を漕ぎ出した。


「お嬢様、髪を洗うのでまだ寝ないで下さいね」

「んー。メアリに髪を洗ってもらうの、久しぶりだわ」


 首を湯船の縁に乗せて、アナスタシアは目を瞑った。メアリの洗髪は心地よく、軽く夢の世界に旅立ってしまった。夢の中には何故かリサの兄で、あの無愛想なジルが出て来て、仏頂面で馬車から手を振っている。しばらくそれを見ていたアナスタシアが戸惑いながらも手を振り返すと、ジルはふと笑顔を見せた。そこでハッと目を覚ました。


「何でよ!」

「は? 何がでございますか? 力が強すぎましたか?」


 アナスタシアは自分が夢を見ていた事に気が付いて、ドキドキする胸の鼓動を誤魔化す為に頭までお湯の中に沈んだ。先ほど男の子が手を振って笑顔を見せてくれた場面が、リサとの別れの場で見たジルの笑顔と重なったのだろうか。あの意味ありげな笑顔の意味が分からずに、心に引っかかっていたのは確かだが、夢に見るほど気になっていた訳ではない。なぜ急に夢に出て来たのだという思いと、突然笑顔を見せた事への疑問がそのまま口から出た様だ。

 ザバッと顔を出したアナスタシアは、平静を取り戻してメアリに謝った。


「ごめんなさい、一瞬変な夢を見てしまったの。せっかく洗ってくれた髪を台無しにしちゃったわね」

「クスクスクス、お嬢様でもこんな事があるんですね。珍しい場面を見せていただきました。後は流して終わりでしたから、構いませんよ。一体どんな夢を見ていたのですか?」

「……意味深な微笑みを見せる……石像の夢よ。ずっと無表情なのに、ふと笑顔を見せるの」

「へぇー、何か意味があるのでしょうかね?」


 入浴を済ませたアナスタシアはメアリに髪を整えてもらい、ディナー用のドレスにも着替えた。夕食の時間まではまだ余裕があったため、メアリからの質問攻めにあい、どんな石像だったのかと色々詮索されてしまった。


 

 夕食の時間、改めて伯爵は男の子をアナスタシアに紹介した。男の子の名前がリックだということを、この時初めて知った。


「リック君、私はアナスタシアっていうのよ。さっき会ったわね」

「……アナシュターシャ」

「ふふ、言いにくいなら、アナって呼んでね」

「パパと呼ぶ前に、アナスタシアの名を呼ぶとはな。リックが先ほど私と遊んだ時、やけに機嫌が良かったのは、アナスタシアのせいだったのか。ぬいぐるみに一生懸命治癒魔法をかけるマネをして遊んでいたんだ」


 和やかに親子の会話を楽しみながら食事をしているが、この場にはゲルダも一緒に居るのだ。アナスタシアに恥をかかされた事を根に持っているらしい。会話に入らず黙々と食事をしていた。そして時折チラっとアナスタシアを見て、ニヤ付きそうになるのを必死に堪えていた。

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