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激怒するアナスタシア

「やだ、どうしたの皆さん? 私が来たら急に会話をやめてしまうなんて、感じが悪いわよ。そこのあなた、私にもお茶をくれる? 私が王都で買って来た高級な茶葉を使って頂戴ね」


 まるでこの屋敷の女主人にでもなったつもりなのか、つんと澄まして偉そうに居間に入って来たゲルダは、伯爵がくつろぐ時に座る、窓際に設置された若草色のソファに腰掛けた。そこは伯爵以外はアナスタシアしか座らない特別な席。亡くなったアナスタシアの母の指定席であり、嫁入り時にわざわざ母国から持ち込んだお気に入りのソファである。


「そこに座らないで!!」


 それを見たアナスタシアはスックと立ち上がり、凄い剣幕でゲルダに向って怒鳴りつけた。そしてスタスタとその前まで行くと、腕を掴んで無理やり立たせて自分とゲルダの位置を交代させた。ソファを守る形でその前に立ち、静かにゲルダを見下ろす。


「何するのよ! 痛いじゃないの!」

「この席には座らないで下さい。誰かに説明されませんでしたか? ここは亡くなった母の指定席なのです。あなたが座る場所ではありません。椅子なら他にもたくさんあるのですから、今後これに座る事も触れる事も、止めて下さい」


 アナスタシアがゲルダを睨むその目は、騎士の戦闘時のそれだった。殺気さえ伝わるその眼差しに見下ろされ、ゲルダは恐怖を感じ、小刻みに震えた。アナスタシアの放つ声は初めに怒鳴りつけた時とは対照的に、落ち着いていて丁寧なのに、どこか冷気を纏ったかのような冷たさで、その場に居た使用人達ですら初めて聞く彼女の怒気をはらませた声に反応し、ピンと背筋を伸ばした。 


「あ……殺される……」


 ゲルダはアナスタシアから離れようと、ガクガク震える覚束ない足取りで数歩下がり、腰が抜けてそこでしりもちをついた。彼女のドレスは床に着いたところから徐々に濡れていき、異臭を放った。


「あなたはもっと相応の覚悟を持ってこの屋敷に来たのだと思っていましたが、どうやら少し買いかぶり過ぎたようですね。わざと私を怒らせようと喧嘩を売るようなマネばかりして、一体何がしたいのですか? 私はただ、母の椅子に座らないでと言っただけなのに、そんな反応をされてしまうと、まるで私が意地悪でもしたみたいではありませんか」


 いつのまにかアナスタシアから殺気は消えていた。使用人達もホッと息を吐き、床掃除のためのバケツと雑巾を取りに数人がその場を離れた。


「知らなかったのよ、この椅子にそんないわくがあるなんて、聞いてないわ」


 弱弱しくゲルダは訴えるが、それに使用人達は反論した。


「言いました! 四年前にも言いましたし、ひと月前にまた現れた時にも。それから何度も説明しています。この方はわざとこのソファに座って私たちに注意させて、旦那様にはそれを捻じ曲げて説明し、使用人が意地悪すると告げ口するんです。もう旦那様も呆れています」

「ここの使用人は教育がなっていないわ。伯爵夫人になる私の事を見下して、意地悪ばかりするもの。今度は娘のあなたまで加わって……」


 この場に居る全員が呆れてものが言えなかった。箱入り娘だと侮っていたアナスタシアの迫力に気圧されて失禁したくせに、ちょっと時間が経てばそれを忘れて反論してくる。自分は常に被害者で、そうなる為に色々と仕掛けてくるのだ。使用人達は本音ではゲルダに屋敷を出て行って欲しかった。伯爵は彼女の被害妄想的な声に反応こそしないが、いちいち悪者にされるのは決して気分の良いものでは無い。


「ママ、ママ!」


 男の子が母親を探して居間にやって来た。やはり「ママ」以外の言葉は出ない。失禁した恥ずかしさで立ち上がれないゲルダを見つけて、走りだした。

 

「リック! 何しに来たの、早く部屋に戻って。今日は部屋から出ないでって言ったでしょう。子守は何をしているのよ、まったく。役に立たないわね。首にするわよ」

 

 男の子に対しては母親らしい優しい声音で話しかけるが、子守への文句を言う時はまるで別人の様だ。どちらが本物のゲルダであるかは、説明する必要もないだろう。

 男の子はトボトボと部屋を出て行こうとして、先にゲルダが頼んでいた、高級茶葉でいれたお茶を運んで来たメイドとぶつかってしまった。男の子はぶつかった衝撃でコロンと転がり、お盆の上で倒れたティーポットの中身と、落ちてきたカップをまともに食らってしまった。倒れた男の子を避けようとしたが、メイドの健闘むなしく、お盆の上の物は全て落ち、ガシャーンという音を響かせて室内は騒然となった。


「大丈夫? 火傷してしまったんじゃない?」


 アナスタシアは熱いお茶を被った男の子を勢い良く抱き上げると、急いで一番近い水場に向った。

 その場に居た使用人達もアナスタシアに続き、居間にはお茶を持って来たメイドとゲルダだけが残された。


「どうしよう、お嬢様にお怪我をさせてしまったみたいだわ……」


 メイドは床に散らばる陶器の破片に血が付いている事に気が付き、オロオロしたかと思うと、持って来たお盆を床に置いて慌てて部屋を出て行った。

 一人残されたゲルダはのそりと立ち上がり、濡れたドレスの裾を摘んで、割れた陶器を見に行った。そこには血の付いた破片がいくつか落ちていた。その一つを手に取って、ほくそ笑む。


「あら、簡単にあの娘の血が手に入ったわ。うふふ、やっぱり天は私に味方するのね。これでリックは伯爵自身の手で彼の子供だと実証されるわ。あの方に再会できたお陰で、つまらない子守からは開放されたし、幸運続きね。私があなたの仇を討ってあげるわよ。ふふふ、あははははは!」

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