逃げるゲルダ
親子鑑定を拒否したゲルダは、男の子を抱き抱えて子供部屋に引きこもった。伯爵はドア越しに、彼女の行動が意味するところを指摘して、出てくるよう説得を始めた。
「ゲルダ、これは国王陛下からのご命令なのだ。リックに召喚状が届いている。そのように鑑定する事を拒否した場合は、残念ながら血縁関係無しと即判断される。君はそれでいいのかね? 鑑定を嫌がるのは、私の子供ではないという事だ。君達にはすぐに屋敷から出て行ってもらうよ」
子供部屋のドアがガチャリと開いて、ゲルダが顔を出した。親子鑑定を迫られて弱い立場に立たされたはずなのに、まだ強気に出るつもりらしい。伯爵を恨めしそうに睨み付け、唇を噛んでいる。
「出て行けだなんて、自分の子供に対して冷たすぎるわ! 私は、小さな子供に王都までの旅は無理だと言いたかったの。実際私が辛かったから、この子にはまだ無理よ。バルシュミーデからここへ来るまでの馬車の移動だけでも大変だったのよ? 忘れてしまった? この子は高熱を出して三日間寝込んでしまったでしょ。だから鑑定は諦めてちょうだい」
この屋敷に着いた翌朝から2~3日高熱で寝込んだのは本当だった。しかし、バルシュミーデのどこから来たのか知らないが、隣の領と、ランスウォールの距離はそれほど遠くはないはずだ。普通に走ってきて二時間あれば町から町への移動は出来る。たとえ中心地ではなく田舎の方から来たにしても、休憩しながらであれば別に無理ではない。
「あの高熱は風邪のせいだと医者が判断した。君が風邪で体調の悪いリックを馬車に乗せて来たから悪化したのだと思うが? 折りよく今は元気なのだし、様子を見ながら移動すれば大丈夫だろう」
「母親の私が駄目だと言っているのよ! それに、私が無理やり具合の悪いあの子を連れて来たみたいな言い方するなんて、どうしたらそんな考え方が出来るの? 母親がそんな事するわけ無いじゃない! 伯爵は私を悪者にしたいのね」
何が何でも親子鑑定は受けさせない構えだ。風邪気味の小さな子供を、まだ寒い時期に乗り合い馬車に乗せて来たのは事実なのに、その事で責められる自分は弱い立場であると主張し続ける。そんな事する訳無いと言っているが、実際そうしてこの屋敷にきたのだから、彼女の主張は完全に矛盾している。
「君を悪者だと思わせないで欲しいのだが。あの子が私の子供であると実証出来なければ、君との婚姻は考え直さなければならない」
「え、ちょっと、どうしてそうなるの? 鑑定を受ければ良いんでしょ? その代わり、あの子は王都に行かせないわよ。連れて行けない時の事を言っていたわね。ほんの少しの血を提出すれば良いんなら、是非そうして」
伯爵は鑑定を受ける許可を得て、満足気に笑った。そして大事な事を一つ付け加えた。
「君が親子鑑定を拒否し続けたら、王宮から役人が来て君たち二人を詐欺の罪で連行することになっていたんだ。本当に考え直してくれて良かったよ。では早速、採血キットでサンプルを採らせてもらうよ」
「待って!」
ゲルダは慌てて伯爵を止めた。たった今良いと言っておいて、すぐに気が変わったとでも言うつもりなのか。
「あの子がビックリするから、それは私がやります。夜寝ている時にこっそりやるわ。そのキットを渡しておいてくれる?」
伯爵は一瞬考えて、ゲルダに採血キットを一つ渡した。針で指先を突いて出た少量の血液を、木枠にはめ込んだ小さな魔石に吸い込ませるだけの簡単なものだ。失敗した時の為にいくつか持たされているので、間違って壊してしまっただとか、失敗したなどの言い訳は出来ない。
「これだ。あの子の血をこの石に吸わせてくれ。明日、早馬で王都に送る。結果はすぐに出るそうだから、鑑定結果を持って早馬が戻って来たら、君との事も進める事にしよう」
「うふふ、待ち遠しいわ。正式に家族になれるのね、私達」
ゲルダの自信に満ちた態度からは、親子鑑定に対する不安は無さそうに見えた。あれほど王都に連れて行くことを拒んだくせに、採血には割りとあっさり応じた。他の誰かの血では代用できないのだ。もう逃げも隠れも出来ないはずだ。
伯爵は子供部屋を後にして、溜まった仕事を消化するため執務室に向った。
居間では使用人達が集まってアナスタシアを囲み、楽しくお喋りしていた。勿論そこにはメアリも居る。アナスタシアの為に用意していたお気に入りのお茶と、料理長が腕によりをかけて焼いたケーキを美味しそうに食べて、正式にランスウォールの後継者に決まったと報告した。皆は喜び、メアリは涙ぐんだ。
「良かったです、お嬢様。あの男の子が来た時は、お嬢様の立場はどうなるのかと皆不安を感じていたのです。旦那様を信じていない訳ではありませんが、男の子と戯れる姿を拝見すると、もしかしてと言う気持ちがふつふつと湧いてきてしまって……。でも旦那様はお嬢様を第一にお考えなのだと分かって、ホッと致しました」
「メアリ、皆も、不安にさせてごめんね。私もお父様を信じきれずに間違った行動に出てしまったけれど、お父様自らその間違いを正して下さったの。あら? 皆して私が何をしたのか分かるって顔をしてるわね」
この屋敷の使用人達はアナスタシアの行動パターンを大体把握していた。伯爵が王都に向けて出発した翌朝、何も言わず居なくなり、何故か伯爵の馬車に乗って帰って来たゲルダを見て、男の子の存在を自ら教えに行ったのだろうなと直感した。それを聞いたアナスタシアならば、断腸の思いで跡継ぎを辞退するだろう事も読めている。おそらく、間違った行動とはその事だろうと皆考えていた。
「お嬢様の事ですから、腹違いの弟に後継者の座を譲るという選択をしたのでしょう?」
「どうして分かるの?」
「わかりますよ。お嬢様は人の事ばかり考える方ですもの、旦那様のお気持ちを考えて、そうなさったのではありませんか? 旦那様は男児に継がせたがっていると思い込んでいましたよね」
「その通りよ。怖いわね、あなた達。私の事を理解し過ぎだわ」
こんな会話を楽しんでいると、どこか場違いな空気を纏ったゲルダが、ひとりで居間にやって来た。




