婚約破棄されたって平気です。
授業にも姿を現さないトラヴィスを探しに、侍従や護衛を引き連れて国王自ら寮の息子の部屋を確認しに来た。
そこへ丁度、前日から事実確認をするため聞き取り調査に出ていた者達が、息を切らして侍従の元へと集まって来た。侍従は護衛にその場を任せて少し離れて報告を聞き始めた。
国王はトラヴィスの部屋の前に立ち、暗い表情で学園長にドアを開けるよう命令した。
「学園長、私が許可する。直ちに鍵を開けなさい」
「はい、ただいま」
カチャンと小さな音を立てドアの鍵はあっさり開けられた。年頃の少年の私室へ無断で入る事は普段ならば絶対にしない事だが、今はそんな事を言っている場合ではない。
静かにドアを開け部屋に入ると、中はカーテンが掛けられたままで薄暗い。王族のみ許された居間と続き部屋の寝室、広いバスルーム付きと言う間取りの最初の部屋には王子の姿は無かった。服を脱ぎ散らかして床に放り投げたままになっていたが、国王は今度は隣の寝室の扉を開けた。床には丸まった小さな布がコロンと一つ落ちていた。
「マリエル……」
こちらの部屋も薄暗いがカーテンの隙間から漏れる光で、天蓋付きベッドに下ろされた薄いカーテンに映る影から、中で動く人影を確認できた。おまけに悩ましい息子の声も聞こえる。
国王はベッドに近づき一気に天蓋のカーテンを引いた。
「きゃっ、何? 誰?」
「うおっ、ち、父上!?」
実に間抜けな体勢のトラヴィスと久々の親子の対面を果たした。
「ど、どうしてこのような所に父上が……」
国王は深く溜息を吐き、冷え冷えとした目で二人を見下ろす。
「さっさと服を着てこっちへ来い。そこの女もだ」
低く威厳に満ちた声でそれだけ言うと、踵を返し隣の居間へと移動した。
部屋は学園長の手で、何とか見られる程度には片付けられ、カーテンも開けられていた。
寝室では場の空気を読めないマリエルがグチグチと文句を言っている。国王が居ると知っているにも関わらず、小声ではなく隣の部屋に余裕で聞こえるボリュームで喋っていた。
「何なの勝手に鍵を開けて部屋に入って来て。それにノックもしないで寝室のドアを開けるなんて非常識だわ! おまけに中で何をしてるか分かってて天蓋のカーテンを捲るなんて、信じられない! 私の体を見られちゃったじゃない! トラヴィス怒ってよ。お父様でしょ!」
「マリエルちょっと黙ってくれないか。隣に居る父上に全部聞こえる……」
トラヴィスは部屋をウロウロしていたが、どこかへ行ってしまったパンツを諦めて、チェストから新しい物を取り出し身に着け始めた。一応制服を着たが、手が震えてボタンがはめられない。モタモタしていると国王から催促の声があがった。
「服を着るだけに何分かかるんだ! 早くしろ!」
トラヴィスはビクッと体が跳ね、ブラウスの小さなボタンを諦めて父の元へ向う。制服の胸元をだらしなく広げた息子の姿に、もう溜息しか出なかった。
マリエルも下着を探してウロウロしていたが、諦めて制服のワンピースを着るだけにしてトラヴィスの隣へ行った。
「お前達が探していたのはそれじゃないのか」
国王が顎で何かを示すと、寝室のドア横に、丸まったそれは落ちていた。
「きゃっ、やだー見ないで下さいよー」
マリエルは小走りにそれを拾いに向うと一度寝室でゴソゴソして戻って来た。
国王は自分の息子の愚かさに、頭が痛くなった。
マリエルはトラヴィスの隣に立つかと思えば素通りして国王の向かいのソファにちょこんと座った。
その行動には国王もトラヴィスもギョッとした。
「マリエル嬢、国王の許しも無く席に着くのは無作法ですよ。殿下を見なさい」
さすがに見ていられなくなった学園長は注意する。が、マリエルはその意味を理解出来なかった。
「あら、トラヴィスも座ったら? 席なら空いてるじゃない。ここはあなたの部屋よ? 遠慮する事無いと思うわ」
さすがにこれは駄目だと思ったトラヴィスは、無言でマリエルの腕を掴んで、引きずるようにソファの後ろに立たせた。
「ゴホン、トラヴィス、今回の顛末は学園長から聞いた。お前はこの学園で何をしているのだ? 大切な婚約者を貶めるような事をしたあげく、勝手に婚約破棄まで宣言したそうじゃないか。私は最高の相手をお前に与えたつもりだったが、何が不満だ? アナスタシアの事はお前の兄達も気に入っている。昨日一緒に知らせを聞いて、お前が辞退するなら第二王子セーファスと第三王子クレメンスが是非自分と添わせて欲しいと言っている、本当に良いのだな?」
トラヴィスに聞いたところで相手のアナスタシアは見限っているのだ。一応確認のため聞いただけだった。
「お父様ったら酷いわ。トラヴィスには私がいるのに、まだアナスタシアさんの事を言うなんて、意地悪です。ね? トラヴィスもそう思うでしょ?」
マリエルはトラヴィスの手に指を絡ませ、ニッコリ笑って繋いだ手を国王に見せつけた。
「なっ、何を……!」
咄嗟にその手を振り払い、トラヴィスは目を細めてマリエルを睨み付けた。
「学園長、その女が居ては話にならない、男爵に引き取らせて学園は除名処分としろ。これに国の金を使う訳には行かないからな。目障りだから早く連れて行け」
我慢の限界を迎えた国王はさっさとマリエルを切り捨てた。トラヴィスにも異存は無いようだ。
「イヤ! トラヴィス! 助けて! 私達離れ離れにされちゃうわ! さっきまで愛し合っていたじゃないっ。私の事、愛してるでしょ? 何度もそう言ってくれたわよね?」
トラヴィスの足元に縋り、彼の目を自分に向けようと必死に語りかけるが、もう完全に心が冷めた彼はチラとも目をやらなかった。
学園長に引きずられ部屋を出されたマリエルは、今まで出していた鼻にかかる甘ったるい声では無く、地を這うような低い声を出して叫んだ。
「お前ら絶対許さない! 覚えてろ! 私を切捨てた事後悔させてやる!」
「トラヴィス、お前には失望したよ。4人兄弟の末っ子のお前を甘やかし過ぎたみたいだな。お前達が昨日暴言を吐いた魔法騎士科の者達は、それぞれがこの国を背負うべく勉強している。
その中に隣国の姫君が居ただろう。彼女は休戦延期の条件として留学を受け入れた大切な方だ。何かあればまた戦が始まる可能性もあったのだ。お前と話をしたら、アナスタシアだけでなく、巻き込んで不快な思いをさせてしまった彼らにも謝罪せねばならん」
国王は息子に真実を伝えた。本来一国の王が他人に謝るなど有り得ない話だ。しかしそれをするという事は自分がどれだけの事をしてしまったか、馬鹿なトラヴィスにも理解できた。
「申し訳ありません、父上。私も謝罪に行きます。行かせて下さい」
殊勝な事を言っているようだが、本音はアナスタシアの身代わりをした少女に会いたいだけである。思わずニヤつきそうになる口元を手で覆い隠して誤魔化した。
「その汚れた体で連れて行ける訳が無いだろう。あの女の匂いがプンプンするような奴を、謝罪の場に出せると思うのか? 恥ずかしくて無理だ。お前の顔を見せたら相手を怒らせる可能性が高いしな。風呂で清めて謹慎していろ、帰ってから皆と話し合って処分を決める。追って沙汰を待て」
国王は反論される前に部屋を出て、外側から鍵を掛けた。
「父上! 待ってください! 体を清めたら彼女に会わせて――!!」
トラヴィスは懸命に訴えたが、国王は早足で魔法科へ向かっていてこの声は届かなかった。昨夜から調べさせていた男爵とその娘の調査報告を聞きながら専門棟へ向う。
専門棟への出入りは国王ですら許されない。学園長に頼み込み、建物の外にある魔法騎士科専用テラスまで入れてもらい、彼らを呼んでもらった。
「おお、来たか。アナスタシア、益々美しく成長したな。息子トラヴィスの事で不快な思いをさせてしまった。本当にすまなかった。リサ皇女にはいくら謝罪しても足りないほど無礼な事をしたようで、申し訳ありません。今回の件、私の顔に免じて許してはもらえないか。この通りだ」
国王は深々と頭を下げた。
「あ、頭を上げて下さい。もう昨日ほど怒ってませんから。私は殿下との婚約さえ初めから無かった事にして頂ければ十分です。リサもあの程度の事根に持つ子ではありませんし、陛下の謝罪は受け取りました」
「私も気にしませんから、気になさらないでください」
二人の気遣いに国王は目の端に涙を溜めるが、ぐっと堪えて王子達の処遇について話し始めた。
「我が馬鹿息子は暫く寮で謹慎させる。反省の色がまるで見えないのでな。城に戻り次第奴の処遇を決める。取り巻き達はその場に居て止めもしなかったと聞く。今後息子との交流は控えてもらう。やつらの対処は親に一任するが、恐らく皆廃嫡となるだろう。そして問題のミンス男爵の娘だが……今朝、息子の寝室に居る所を見たのだが……酷いものだな。とても貴族の娘とは思えぬ、教養も無いただの娼婦ではないか。アレは学園を除名処分とした」
集まって国王の話を聞いていた面々は、国王に同情した。
あらら、見ちゃったわけですね? 現場に突入して息子達を叱ったという事ですか。ご愁傷様です。
「それからミンス男爵は監督不行き届きで爵位剥奪。領地没収とする。どうやら陰で娘に指示を出していたようだ。あの娘の被害者は息子だけでは無いらしい。リサ皇女への不敬で、あの女の首を刎ねても良いが……」
不安そうにこちらを見る国王に、なんと答えるべきか。国の面子を考えれば処刑もやむなしと言えるが、個人的には命を奪う程の恨みは無い。
「……いいえ、そこまでは望みません。私達のために国王自ら有難うございました。ただし、私を侮辱した事が外部に漏れないよう、徹底して下さい。国に知れたら、さすがに黙っていないでしょうから」
リサの言葉に皆で頷き、この騒動は手打ちとなった。
「ところでアナスタシア、トラヴィスとの婚約は無くなったが、セーファスとクレメンスがお前と結婚したがっている。考えてはくれないかな」
「お断りします」
若干くい気味に断りの返事をする。もう王家の人間とは関わりたくない。絶対に。
「何故だ? あの二人は魔法騎士科の卒業生だ。よくお前に会いにここへ来ていただろう? 伯爵領を引き継ぐ伴侶が必要ではないか。相手は騎士でなければいけないのだろう。騎士団を率いるセーファスはピッタリだと思ったのだが」
国王は鼻息荒く他の息子達を薦めてくる。
「はい、私が魔法騎士として領地を継ぎます。伴侶となる方は騎士であれば王族である必要は無くなりました。ですから私が騎士団へ入団後、そこで好きになった人と結婚するつもりです。伴侶を自分で選べるだなんて、素敵だと思いませんか? 世界が広がったみたいで、ワクワクします!」
アナスタシアの恋の話はいつかどこかで。
キーワードにR15入ってますが、念のためです。
2話完結です。