情報屋
役所内から甲高い女性の声が聞こえてきたかと思えば、バンッとドアが開き、ゲルダが声を荒げて役所の職員からつまみ出された。
「痛いじゃないの! 私はミューラー子爵未亡人よ! 子供の手続きが済んだのか教えてって言ってるだけじゃない。どうして教えてくれないのよ?」
「あなたの言っている事が嘘だからですと、何度も説明したはずです。ここは貴族の戸籍を扱う場所ですから、あなたのお子さんの事をお調べするのは無理なのですよ」
「もう! じゃあ、私はマクダネル男爵令嬢よ! これなら大丈夫でしょ?」
ゲルダは職員に子供の認知の手続きが済んだのか尋ねたらしい。しかし、身分を証明できるものが何も無く、門前払いをされたのだろう。それでもしつこく食い下がり、ここがどんな場所なのかも忘れて大声を上げていた。
「あなたの仰るマクダネル男爵はすでに他界しており、今は別の方が男爵を継いでいるのです。あなたはもう男爵令嬢ではありませんよ。それに、ミューラー子爵も亡くなっていますね。記録によると、ゲルダという名の女性との婚姻はご家族が裁判所に申し出て、離縁ではなく、無効とされています。いいですか、婚姻は、無効です。それはあなたがミューラー子爵未亡人ではないという事です。ですから、お引取り下さい」
「ちょっと待ちなさいよ。裁判て何? あの人達からは離縁するとは聞いたけど、死んだ父親の気持ちを無視して、なんて酷い事するのよ? 信じられない! それなら、ほら、あそこにいるランスウォール伯爵に聞いてみてちょうだい。私は彼の妻になるんだから」
「回りくどい事をせず、伯爵ご本人に直接お尋ねになればよろしいのでは?」
「聞けるわけないでしょう? 信用していないと思われてしまうじゃないの」
役所の職員はゲルダのしつこさに辟易し、ランスウォール伯爵に事情を聞く事にした。
「こんにちは、ランスウォール伯爵。おかしな女性が、あなたとの間に出来た子供を認知したかどうか聞きに来たのですが、本当にお知り合いですか?」
職員は躊躇いがちに質問した。違いますよね、と目が訴えている。ランスウォール伯爵は、職員の男性にだけ聞こえる声でその質問に答えた。
「ああ、あの女性は知り合いから預かった使用人です。夢見がちで、妄想と現実の区別がつかないようで、こちらも困っているのですよ。一度預かった手前、放り出す事も出来ず……ご迷惑をお掛けしました。彼女は連れて行きますので、どうぞ、仕事に戻って下さい」
「伯爵も大変ですね。あの人、元は平民ですよ。あんまりしつこいので、遡って調べたのですが、ここだけの話、16歳で男爵の養女になっていました。それ以前が空白で、こちらでは調べようが無かったのですが、奥様に遠慮せず堂々と家に愛人を入れる方法として、少女を養女にするというのは一時期流行ったやり方ですので、おそらくはそれかと。早めに手を切った方が良いですよ。あの女性は男爵から子爵へ、今度はさらにステップアップして伯爵との縁を結ぼうとしているんじゃないですか? おっと、余計な事を言いました。戸籍を扱っていると、色々と見えてくるんですよ。では、お気をつけてお帰り下さい」
役所の職員は伯爵を心配してさりげなく情報を流してくれた。そして彼はそれだけ言うと、軽く頭を下げて建物に入って行った。ゲルダを見れば、まだドアの前で腕組みをして、膨れっ面で役所内を睨んでいる。伯爵はゲルダを無言で回収し、馬車に押し込んだ。そして車内を見て、ギョッとする。六人は座れる大型の馬車なのに、座席は二人分のスペースしか空いておらず、大きな箱や紙袋が大量に置かれている。この状況を側に居た従者に問う。
「どういう事だ? これは全てアナスタシアの荷物なのか?」
「いいえ、アナスタシア様をお迎えに向う途中で、あの方が少し見たいという店に立ち寄ったのですが、しばらく戻って来ないと思えば店員が次々に商品を馬車に積み込みまして、この状態に。代金の不足分は、後日請求される事になります。どうやらこの馬車を見せて、店員を信用させたようです。そしていつのまにか、薄汚れた幌馬車が後を付いて来ていました」
「ああ、幌馬車の件はテオドール君に聞いた。しかしこれでは娘が乗れないではないか。大体、彼女は手持ちの金を使いきったと言っていたのに、あれも嘘だったのか」
それを横で聞いていたテッドは、伯爵にアナスタシアをランスウォールまで送り届けたいと申し出た。
「宿は伯爵と同じところを使いますし、勿論部屋は別々です。あなた方の後を付いて行きますから、ご安心下さい」
「君の事は信用しているさ。うちの馬車がこれでは、どうにもならない。何を買ったのか知らないが、返品している暇は無い。娘を頼むよ、テオドール君」
「お任せ下さい」
ランスウォール伯爵は国王直々の召喚状を受け取ったため、すぐに帰って男の子を連れて戻り、親子鑑定を受けなければならなかった。小さな子供に長時間の馬車移動は無理と判断した場合に備えて、採血キットも渡された。これで親子鑑定からは逃げられないだろう。
その頃王都の下町では、ハワードがクレーマン侯爵家御用達の情報屋から情報を仕入れていた。ランスウォール伯爵の方では、ゲルダの戸籍や、子爵家を追い出された後の足跡を調べているが、それとは別の角度から調べるようだ。
「この四年の間に、今三歳くらいの年頃の、金髪の男の子が居なくなったという話を聞いた事はないか? それか非合法に養子縁組された子供の中に、そんな男の子は含まれていなかったか? それともう一つ、ゲルダという二十代半ばから後半くらいの女の事を知りたい。容姿は焦げ茶の髪に深緑の目で、見た目は極普通の女だ。自称、男爵令嬢で子爵の未亡人だ。それを自慢して誰かに話している可能性もある」
情報屋はうーんと唸って手下を呼んだ。
「お頭、何か?」
「金髪の男の子が消えたって騒ぎがあったの、あれはいつ頃だった?」
「ああー、三ヶ月くらい前じゃないですか? 旅行中に子守と一緒に行方不明になったって、あれですよね? 川が増水して、あの時は他にも何人か行方不明になっていて。ここにも捜索の手伝いを要請されました。でも後日、川から男の子の靴と、子守の使っていたショールが見付かって、間違って川に落ちて、溺れて死んでしまったんじゃないかって話になってますけど」
手下はポケットから手帳を取り出してペラペラとページを捲り、何やら探し始めた。
「あったあった、トライスから来た豪商の息子でメイリック君、当時二歳と四ヶ月です。子守は二十九歳のマリエラという、どこにでもいる茶色い髪に緑の目の女です。メイリック君が生まれた時から子守として働いていますね。何でもメイリック君はご主人が外で生ませた子だそうで、奥様にはあまり可愛がられてはいなかったようですよ。子供と子守が居なくなった日は、ご夫婦は雨の中、夫婦水入らずでレストランに食事に出ていたのだとか。これは奥様へのご機嫌取りでしょうね。その間に居なくなったんですよ。宿の人間の話では、父親を探して泣く子供と、それをあやす子守が目撃されてます」
ハワードの読みは当たったかもしれない。女の名前は違うが、特徴はほぼ一致した。そのトライスの豪商とやらを、ランスウォールに行かせてゲルダと子供に会わせる事ができれば、問題は早期解決する可能性がある。帰路の途中にあるトライスに立ち寄り、その豪商に会うことにした。