大親友 リサとの別れ
リサを待つザイトブルクの馬車まで行くと、先頭から二番目の馬車の扉が従者の手で開けられ、中からリサと同じ黒髪に黒い瞳、精悍な顔つきのスラリとした青年が降りて来た。不思議な魅力を持つ異国の美形だ。衣装はザイトブルクの王族特有の、肩の部分に雪豹の毛皮を使った豪華なマントを羽織っており、中には丈の長いワンピースの様な服を着て、黒いズボンとブーツを履き、そして腰のベルトには王族を現す紋章の付いた短剣が挿してある。この人がリサの兄であることは間違いなかった。
「お兄様、お久しぶりです。お迎え有難う御座います。この方が私の親友、アナスタシア・ランスウォール伯爵令嬢よ」
リサに紹介され、アナスタシアは貴族令嬢らしいお辞儀をしてみせる。他国の王族を相手にする際、基本的にこちらから声をかけてはならない。にこやかに微笑んで、ジルから話しかけて来るのを黙って待つ。が、一向に話し始める気配が無い。
「お兄様、どうなさったの? アナが困っているわ」
ジルはアナスタシアをジッと見ている。その表情からは感情が読めず、アナスタシアは微笑を維持しながら目を逸らすべきか迷う。何故か皇子と見つめ合う形になってしまった。この状況で今更こちらから目を逸らすのも印象が悪い。
リサからは何も聞いていないけれど、もしかして男性と目を合わせてはいけないとか、何か決まりがあったのかしら? 国によっては目を伏せていなければならない場合もある事をすっかり忘れていたわ。無礼な娘だと思っているのかしら? リサのお兄さんだと思って油断してしまったわ。
すると、やっとジルは口を開いた。最初の言葉は独り言の様に小さく、アナスタシアには聞き取れなかった。
「……妹の手紙に書いてあった通りだ。わが国と同じ艶やかな黒髪を持ち、宝石のような青い瞳を持つ、美しい少女、か……。申し訳ない、予想以上に美しく、その光り輝く甘やかな微笑に見惚れてしまった。俺の名はジル。ジル・ヴァール・ザイトブルクだ。会えて嬉しいぞ、アナスタシア」
リサとアナスタシアは、思いもしないジルの発言に目を瞬いた。特にリサは、今の発言は本当にあの無愛想な兄が発したものかと、信じられないといった表情だ。
ジルは終始無表情で、その褒め言葉にも感情は乗っておらず、社交辞令にしても無愛想過ぎる。名を名乗ってアナスタシアを見下ろした。
「アナスタシア・ランスウォールと申します。本日はジル皇子にお目にかかれて光栄にございます」
アナスタシアはもう一度お辞儀をして、スイッと視線を逸らす事に成功した。ジルはそれでもアナスタシアを見続ける。そんな兄を見てリサは眉間にシワを寄せた。
「影武者ではなく、本当にお兄様よね? 私、お兄様が女性を褒めるところを初めて拝見しました。それに私を迎えに来るだなんて、私の知るお兄様にはありえない行動です。何かあったのですか?」
ジルは妹にチラと視線を向け、微妙に呆れた顔をした。ここにきて初めて表情を変えた。
「……俺だって褒めるときもある。それに、お前を迎えに来たわけではないぞ」
「では何をなさりに来たのです? まさか、アナに会いに来たのではありませんよね?」
ジルは肯定も否定もせず目を逸らした。リサの手紙は一度学園長が目を通してから送られる。内政に関することなど、下手な事は書けないが、友人がいかに素晴らしいかは幾ら書き綴っても引っかかる事は無い。アナスタシアが読めば恥ずかしさに耐えられないほどの褒め言葉で埋まった手紙は、兄達の興味を引くには十分だっただろう。一番興味を持ちそうな長兄ではなく、次兄が来た事には驚いたが、しかしそれだけでここまで来るだろうか。
「会いに来たと言ったら何だと言うのだ。ランスウォールの女騎士は将来女伯爵になるのだろう? 興味深いではないか」
明らかにそんな理由では無さそうだが、本当の事は言うつもりは無いらしい。
「アナスタシア、また何処かで会うこともあるだろう。今日は会えて良かった。では、行くぞ、リサ。お前の友とはここで一旦お別れだ」
ジルはそう言って馬車に乗り込んでしまった。
「意味が分からないわ。何なのかしら?」
「あんな事を言っていても、単純にリサを迎えに来てくれたのじゃなくて?」
まるで不気味なものでも見るかのようなリサらしからぬ表情に、アナスタシアは思わず吹き出してしまった。そして、弟が生きていれば自分もこんなやり取りが出来ていたのだろうかと、少しだけ感傷的になる。
リサと最後のハグをして、別れを惜しみながら馬車に乗り込む後姿を見ていると、奥に座るジルは意味有り気な視線をアナスタシアに向けた。
それに気がつき、何か伝えたい事でもあるのだろうかと、ほんの少し首を傾げると、ジルは不意にフッと笑顔を見せた。アナスタシアはドキッとして目を逸らす。
ずっと仏頂面だったのに、急に笑顔を見せるなんて反則だわ。ビックリするじゃない。
リサが馬車に乗り込み、従者によってドアが閉められた。窓から顔と腕を出すリサと手を繋ぐ。
「アナ、絶対にまた会いましょうね。今度はあなたに私の国を案内したいわ」
「ええ、是非お願いするわ。元気でね、リサ。手紙を書くわね」
アナスタシアは、危険だからと従者に下がるよう言われ、別れを惜しみつつ後ろに下がった。繋いだ手は離れてしまい、リサは大粒の涙を流して手を伸ばしてきた。アナスタシアも手を伸ばす。
すると馬車は無情にも走り始め、アナスタシアとリサの手はもう触れることは無かった。従者は深く頭を下げて、走り出した馬車に駆け寄って御者台に乗った。
「またね、アナ! 大好きよ。あなたが居たからこの国で寂しい思いをせずに過ごせたわ。辛い事があったら、絶対誰かに相談するのよ?」
「わかってる、心配しなくても大丈夫。私もリサが大好きよ!」
馬車は軽快に寮の敷地を抜け、行ってしまった。待機していた黒い護衛騎士が馬車の周りを取り囲むために移動を始める。騎士達はアナスタシアに敬意を払い、その前を通り過ぎる時、皆胸に手を当て軽く会釈して行った。アナスタシアもそれを返し、ザイトブルクの馬車を見送った。




