卒業式
卒業式当日の朝を向え、アナスタシアは念入りに髪を梳かし、身支度を済ませた。化粧台の鏡越しに、壁に掛けられたテッドのコートが目に入る。彼に好意を持たれている事は気付いていた。何かに付け気を配ってくれるテッドはリサの次に一緒に居る事が多い。だからと言って今まで恋愛的な意味での好意の示し方はされた事が無く、友情のちょっと先、位の関係をキープされてきたのだ。抱きしめられた事は何度もあっても、それは友達へのハグ以上のものでは無かった。
「あれは酔っていたせいよね? かなり飲んでいたみたいだし、気にするのは止めましょう。テッドとは研修先も一緒なのだし、気まずくなるのは困るわ」
食堂へと向うと、男性陣は二日酔いになった様子も無く、元気にアナスタシアに声をかけた。
「おはよう、アナ。結論は出たのか?」
ハワードは開口一番にそれを聞いてきた。アナスタシアはテッドに目をやると、彼は口の端を微かに上げて微笑んでくれた。まるで昨夜の事は無かったかの様に、いつも通りの反応だった。やはりあの時はかなり酔っていて、記憶に無いのかも知れないと思った。
「卒業式の後、陛下に宣言するわ。心配かけてごめんなさい。皆、ありがとう」
「何だか少し吹っ切れたみたいね。一晩考えて、納得できたの?」
アナスタシアは頷いて微笑む。皆は納得できてはいないようだが、本人の決定に口出しはしないと決めていたらしい。黙って手を繋いでくれるリサと、順番にハグしてくれる皆に感謝して卒業式に臨んだ。
講堂は卒業生と在校生代表数名、卒業生の父兄で満員だった。ザワザワ場内がざわつく中、最後に講堂入りした魔法騎士科を拍手で迎えた。先頭を歩くアナスタシアは男子生徒達から声をかけられ、それに余裕の笑みで答える。やっと髪が伸びてきたトラヴィスも懲りずに声をかけるが、冷たい視線を向けただけでその前を通り過ぎる。後ろを歩くリサや男子達もそんな調子で、まるでアイドルのコンサートのような歓声が場内に響き渡った。
「皆さん静粛に! 静かにしなさい!」
興奮に沸く講堂内では教師の言葉も聞こえなかった。アナスタシアは席に座る前に後ろを振り返り、講堂内を見回して人差し指を立て口に当てる。生徒達は彼女が何をするのか気になって、ピタリと黙って注目した。
「皆さん、お静かに。先生方が困っていらっしゃるわ。この学園の生徒として恥ずかしくない最後を飾りましょう」
ニッコリ笑って場内が静まった事を確認し、彼女が椅子に座ると卒業式は始まった。学園長の挨拶、来賓の祝辞などが済み、在校生からの送辞まで滞りなく進んだ。アナスタシアは壇上に呼ばれ答辞を読み始める。優等生らしい完璧な内容で、ランスウォール伯爵は目に涙を浮かべそれに聞き入っていた。
アナスタシアは父兄席に居る父親を見つけた。しかし隣にはゲルダの姿は無かった。答辞を全て読み終えたところで、中央最前列に座る国王を見る。
今、この場でランスウォールの後継者になる事を放棄すると言えば全て終わる。そんな考えが頭をよぎり、アナスタシアの鼓動は早くなった。目の前に居る国王から目が話せない。もう壇上から降りて席に戻らなければならないのに、足が動かず、視界が歪み、呼吸が苦しくなった。
「何だか様子がおかしいわ。どうしたのかしら? 視線の先は陛下だけれど、まさか今あそこで宣言するつもり?」
「いや違う、まずいぞ、顔色が真っ青だ、あのまま倒れるかもしれない。テッド、アナを壇上から下ろそう。一緒に来い」
ハワードとテッドは急いでアナスタシアの元へ行き、ハワードはまるでお姫様をエスコートするかのように優雅に壇上からアナスタシアを連れ去った。彼女の手は冷たく、顔面蒼白で過呼吸を起こしかけていた。
「失礼しました。彼女はああ見えて意外と繊細なので、国王陛下を前に緊張したようです」
「キャー、テオドール様ー!」
女の子達の黄色い声に答えて手を振り、笑顔で壇上から降りたテッドは衝立の裏に運び込まれたアナスタシアの元へと駆け寄る。
「大丈夫か、アナ」
ハワードに抱えられたアナスタシアは放心状態で、いつもの自信に満ちた表情は完全に抜け落ちていた。先ほど興奮する生徒達を一瞬で収めた時の彼女と同一人物とは思えない。
「吸ってばかりじゃなくて息を吐け、アナ。このままじゃ過呼吸を起こすぞ」
口元をハワードの大きな手で覆われながら深呼吸を繰り返す。数回繰り返す内に徐々に落ち着き、顔色も良くなってきた。
「もう大丈夫だな。一体どうしたって言うんだ?」
「……ああ、もう、馬鹿みたい。何やってるのかしら……陛下の顔を見たら、この場で宣言したら全て終わるって考えてしまって、そうしたら体が動かなくなってしまったの。息をするのも苦しくて、二人が来てくれなかったら、あの場で気を失っていたわ。異変に気付いてくれてありがとう」
ハワードに抱き抱えられていたアナスタシアは、自力で立ち上がり二人に礼を言った。まだ顔色の悪いアナスタシアを動かしたくは無かったが、あまりこの場に留まって居ても変に思われる。二人は手を貸してアナスタシアを席まで連れて行った。リサは心配で顔を覗きこみ、ニコリと笑って見せるアナスタシアの手を握る。何があったか聞きたいだろうに、リサは何も言わず黙って寄り添ってくれた。
壇上では国王からの記念品の授与が行われている。学園のエンブレムが刻印された指輪はこの学園を卒業した証しとなる。内側に卒業した年と名前が彫り込まれていて、これが卒業証書の代わりなのだ。魔法騎士科が最後に受け取り、ラストがアナスタシアだった。アナスタシアは国王の前に跪き、手を差し出す。その手の上に指輪の入った箱を乗せた時、小声で国王に話しかけた。
「陛下、大事なお話しが御座います、卒業式の後、お時間を下さい」
国王はトラヴィスの一件以来アナスタシアに頭が上がらない。それに加え、処分が甘いと責められる様な事をしてしまったのだから、今この時、内心ビクビクしていた。
「ああ、わかった。後で控え室に来なさい」
アナスタシアは国王との約束を取り付けて、いよいよ後に引けない状況に自分を追い込んだ。すでに心は決めている。先ほどの様に無様に怖気づいて過呼吸など起こすものかと自分に喝を入れる。
これでもう後には引けない。これは大好きなお父様のためなのだから。女の身で騎士の道を目指す私を応援してくださったお父様への親孝行だと思いましょう。
卒業式終了後、叙任式へと向う前に国王の控え室へと通されたアナスタシアは、ドアの前で一度深呼吸して、一緒に付いてきた友人達に見守られながら、国王の前に進み出た。
「話とは何だ、トラヴィスの処分が不服という話であろう?」
アナスタシアはポカンとして国王を見た。国王もこんな反応を見せるとは思わず驚いた表情を見せた。
「いえ、トラヴィス様の事は何のわだかまりも御座いませんが? もしや私が不服を申し立てる為にお時間を頂いたと思われたのでしたら、それは杞憂にございます」
国王はホッとしてゆったりと椅子に座り直した。
「では何だ?」
「わたくし、アナスタシア・ランスウォールは、ランスウォール伯爵家の後継者となる権利を放棄いたします」
「な!?」
国王はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「何を言っておるのだ、お前が放棄して、他に誰が継ぐというのだ? 大体、そのために苦労して魔法騎士になるのだろうが。どんな理由があるのか知らぬが、それは聞き入れる事は出来ん。他に正当な後継者が居るというならば、ここに連れて来い」
アナスタシアは躊躇したが、この問題は今言わなくてもいずれ国王の耳に入る事だと思い、話す事にした。
「陛下、実は父には3才になる息子がおりました。長男は生まれてすぐに亡くなりましたが、次男が居たのです。私はその子に後継者となる権利を譲ります」
国王は目を細め、不服そうにアナスタシアを見る。
「その子供、どこから湧いてきた? あやつに愛人の噂など無かったぞ。おおかた、これはあなたの子供だと言って女が突然現れたのだろう? そんなもの、嘘に決まっておろう。馬鹿正直に認知でもしたものなら、金を取られて家も乗っ取られるぞ。王宮にはな、毎日の様にそんな女がやってくる。見たことも無い女が、王族の誰それとの間に出来た子だと言って子供を連れて来るが、これまで本物だったのは一人だけだ。お前には借りがある、特別に良い物を貸してやろう。親子鑑定が出来る魔道具だ。その子供を王宮に連れて来るか、少量の血を持って来い。すぐに調べてやろう」
まさかそんな道具が存在するとは知らなかった。アナスタシアは目を輝かせる。父の子供かどうかが不確定なせいで気持ちが揺れてしまうのだ。この期を逃す手は無い。
「はい、是非お願い致します。父に話して鑑定を受けさせるよう伝えます」
「うむ。後継者問題は子供の血筋がハッキリするまで保留とする。あくまで保留だ。伯爵に何かあれば、迷わずお前を後継者とする。私としては、このままお前が継ぐのが一番だと思うがな。王宮からランスウォール伯爵と、息子かもしれないと言う子供に召喚状を出す。この問題はお前たちだけの物ではないのだ。あの地におかしな人間が入り込んでは困る」
国王は王宮主体で親子鑑定をすると約束してくれた。血を採って調べるという事らしいが、そんな事を母親が許すのだろうか。その事を聞いてみると、やましい事がある女は拒否するからその時点で偽者だと言われてしまった。
国王は侍従に伯爵を呼ぶよう指示を出した。
「ランスウォール伯爵を呼べ。まだ校内に居るだろう。アナスタシアは先に叙任式に向うがいい。私はお前の父と話してから向う」
「はい、では失礼いたします」
アナスタシアは廊下で待つ友人達と王宮に向った。
5~11話を差し替えました。