木工工房あかまつの一階店舗部分
そういやこう言うの、好きだよな。アイツ」
和紙で何枚か、四角く切った木を繋いだ“ぱたぱた”と書いてあるおもちゃ。
仁史君が端を持って持ち上げると名前の通りに
『ぱたぱたぱた……』
と木の板が気持ちの良い音を立てながら、下へと向かってくるくる廻って落ちていく。
和紙で簡単に繋がれた様に見える木の板は、乾いた音を立てながら上から順番にくるくる回り、でもバラバラになったりはしない。
「そうなの?」
「あと、組木細工とかな」
「それはマエストロの専門分野だわ。――元々、桜には素養があったのね」
「それをアイツの素質として考えて良いのか、俺は知らないけどね」
アイツ、こと桜はマエストロと二人、地下の工房に籠もっている。
協会との接触は昨日。
私は仁史君と二人、マエストロの店の中に居た。
今日こそお姉様が桜を帯同してここに来るはずだったのだが、諸般の事情によりまたもキャンセル。
だから通常通り、桜には正規の護衛である私が同行している。
今日は特に魔力を寄越せ、とも言われなかったので。
桜がマエストロと共に、地下に籠もってしまえば。
――店番を頼む。とは言われたものの、することも特にない。
“無料です! ご自由にどうぞ♡”と書かれた紙が貼り付けてあるポットから、お茶を注いで飲むくらいのものである。
木工工房なのだから心が落ち着くような木の香り。それは当然初めからしているが、ドアが開く音と共にそれがいっそう強くなる。
「いよぉ、はなちゃんじゃねぇか。あやめのねぇちゃんは今日は来ねぇのか? ――いずれ、しばらくだったな、元気だったかぃ。……ん? お隣は彼氏かぃ? おとなしいんだと思ってたがやっぱり外人さんかぁ。スミに置けねぇやなぁ、おい!」
「……いえ、あの」
「俺が彼氏じゃサフランが可哀想ですよ。俺、桜の従兄弟なんです。帰りに三人でちょっと寄るところがあって」
工房から上がってきた職人さんに冷やかされ、真っ赤になって言葉を失ってしまった私に、仁史君が助け船を出してくれる。
「桜ちゃん? あぁ先生がお弟子に取ったって女子高生かぁ。俺ぁまだ会ってねぇやな」
「アレが無理に押しかけてるだけなんでしょうけど、ね」
「そっちはともかく、おまえらはおまえらで美男美女、良いカップルだと思うんだけどなぁ。付き合っちゃえよ、もう」
――お茶は飲み放題だ、ゆっくりして行くと良い。四十絡みの職人さんは、がはは……と笑いながら、再び地下の工房へと降りていく。
「その,サフラン。多分悪気は無いんだと……」
「わ、わかってるっ!」
そして登下校時の仁史君の護衛係であるお姉様。
彼女が忙しくなったが故に、今日は彼も私達と一緒に行動していた。
桜の用事が終われば振興会に顔を出してアイリスに引き渡し、彼女が自動車で送る。そう言う段取りである。
誰も居なくなった一階店舗に仁史君と二人きり……。
なんだろう、嬉しいような、逃げたいような。この居心地の悪さは。
なにか言わないと収まりが悪い。
せっかく仁史君と二人きり。会話を、しないと。
「仁史君。……昨日、どうしてあそこに居たの?」
――こうじゃ無い! 私の話したいことはこんなことじゃないのに!
しかも、なんでわざわざ揉めそうな話題を……。私の莫迦!
「いや、それは。えーと、い、戦場先輩が話があると……」
「学内での完全監視は解除になっているのだから、仁史君が学校の何処で何をしようと、それは構いはしないのだけれども」
いや。とても構ってる、非道く気にしてる、凄くひっかかってる。……私が。
「彼女は美人だし、仁史君は男の子だし。その辺はわかっているわ……」
そうか、口に出してやっと気が付いた。私が気にしてるのはそこか!
……なんて狭い女なんだろう、私というヤツは。
戦場 乙女。彼女の、いかにも白人の血の入った女らしい容姿、そして理由はどうあれ二人で密会していた事実。これに嫉妬していたらしい。
なんていやらしい女であることか。
――こう言うことは、口に出す前に気が付かないと。
「いや、なんかお前。……事実と違うことまでわかってないか?」
空気が悪くなる、と表現するのだったな。
私は今。あからさまに空気を悪くし、環境を汚染しつつある。
空気を変える、とか。いったいどうするものやら全く見当がつかない。
「あ、あのさ、サフラン……」
「いいの。――でもね、昨日、危なかったのは本当、そして私達も心配したの。……柊先輩が、自分で作っていた容疑者リストを仁史君に公開しなかった。と言う事にそもそもの原因があるのだけれど」
そうだ。あの人が悪いなら。それなら全てが丸く収まるじゃないか。
私の中で、そう言うシステムがここ暫く構築されつつある。
「そう言う理由で柊先輩を虐めないでくれよ?」
「あの先輩を虐めたことなど一度もないわ」
彼とはいつも全力でぶつかることになる。
魔法ならともかく口ではかなり勝率が悪い。頭が良い上に弁が立つ。
いや。柊先輩如きは。――今、この時にはどうでも良いことだった。
「でも本当にみんな、心配したのだから。そこは汲んで貰えると嬉しい」
みんなが。……違う。
自分を誤魔化すのは止めよう。私が、だ。
伝わるだろうか、私なんかの言葉で。
仁史君のことを本当に心配していたのだと。
「……私だって。心配、したのだから」
けれど口に出してしまった後でなんだが。
これは伝わってはいけない部分……、ではないだろうか。
私は。の部分は伝わらない方が良いのでは無いか。
私が好意を持っているなど、彼は知らない方が絶対に良いはず。
「サフランも、心配してくれたのは良くわかってるよ。……ごめん」
「別に謝ることでは無いけれど、一応アルバイトの扱いとは言え振興会に籍があるのだから、何かあれば。……お姉様に言いづらい様なことだったら私に一言で良いから。相談してくれると。その、……嬉しい」
なんかエラく上からになってしまった。凄くイヤなヤツだ。
嫌な女なのは否定しないが、それを宣伝する必要なんか何処にも無いと言うのに。
「あ、ありがとう」
「大事な友達なのだもの、当然でしょう?」
そう自分で言った直後、何故だか急に泣きたくなった。意味も無く泣き出すわけにも行かず、俯く。
変な事は言っていないし悲しくなるような事実は無い。
むしろ大事な友達だと思って居る。と、ここ数ヶ月来、伝える事が出来なかったことを。
ついに口に出して言えたのだ。ここは本来喜ぶべき場面。
元々ポンコツだった私は、ついに壊れてしまったらしい。
「さ、サフラン! ……どうした? 大丈夫? どっか痛いのか? ……腹、とか」
「何でも、ない。ちょっと。頭が……」
悪い、とは流石に言えない。本当のことだが。
それにちょっと、では無いけれど。
イタい、と繋げても。まぁ、合っては居るが。
それは内緒でも良いだろう……。
「まずは座ろう。……お茶、居るか? それともジュース買ってこようか?」
「お茶を。……貰っても、良い?」
仁史君は紙コップにお茶を注ぐと、そっと私の肩を抱き、たった四歩分の長いすまで付き添ってくれて、そのまま二人並んで座る。
「無理はするなよ? 見てる限りお前は特に、だ。――疲れてるのに、桜にも隠してるんだろ? 後で言っておいてやる。……俺から見たらお前だって大事なんだからな?」
急に頭の上から日が差した気がして、心が一気に軽くなる。
なんでだろう。
「ううん、誰にも。……なにも言わないで」
「いや、あの。……でも、さ」
おかしな事は言われていない。仁史君の台詞も態度も普通だったはず。
やっぱり私は壊れたのか。
但しこんな心楽しい壊れ方なら、それも良い。
ならば。言動も多少壊れようが良いのでは無いか?
仁史君と二人きり……。
「そういや昨日、障壁削られて割られたんだもんな。結構ダメージあるんだろ? あれ。前に月夜野先輩に聞いた。……ごめんな、俺のせいで」
――お茶、飲めるか? そう言って仁史君は紙コップを差し出してくれる。
のどがカラカラだ。緑茶ってこんなにおいしいものだったろうか……。
「座ったらだいぶ楽になった、ありがとう。……内緒にしてね? 頭痛持ちなの」
仁史君に嘘は吐きたくないのだが。
頭が“イタい”女の子。大きく間違ってはいないだろう、嘘は吐いていない。
「内緒にする必要性が……。まぁ良い。わかった、誰にも。桜にも言わない」
「二人だけの秘密で」
「了解、わかった。秘密な。――それより後ろは板だし、ほれ。寄っかかって良いぞ?」
誰かと秘密を共有するのは、こんなにも楽しいことなのだな。
しかも仁史君は私が“イタい子”。である事を内緒にしてくれる。最高だ。
そして彼の肩に顔を寄せる。顔が熱い。
どうやら私は今現在、人として故障している。つまり何でもあり、なわけだ。
そしてその原因は、いきなり横から出てきた戦場乙女。
彼女に、大事な仁史君の気持ちをもてあそばれたことにある。
少なくともあの様な輩が相手だというならば、それなら私の方が何倍も良いはず。
戦場乙女が相手だというなら。それならば私の方を見て欲しい。
そして、そこまで思うなら。
なにもせずに黙ってみている法は無いのではないか。
なんでもあり。拡大解釈は何処までなら許されるだろうか……。
「やっぱお前、熱、……あるんじゃ無いか?」
そう言って仁史君はそっと頭を撫でてくれる。
「直ぐ、収まるから。……ごめんなさい。ちょっとだけこのままで」
収まるどころかきっと非道くなる。考えるまでも無い。
戦場乙女に、せめて一矢報いてやる。みたいな気持ちから始まった事ではあるが。
それはもう、どうでも良い。
それより、こんなチャンスはもう二度と来ない。やってみたいことは全てやるのみ!
ぎゅっと目を閉じると彼の腕にしがみつく。
「サフラン! ちょ……む、むね、いやその、そう! 身体、身体が触ってるからっ!」
桜ほどでは無いが一応、形だけでも胸はある。しがみつけば当然ぶつかるだろう。
そしてそのささやかな膨らみを、仁史君は触覚を持って認識してしまった。
恥ずかしいことこの上ないが、私はその辺を気が付かずに、どうでも良いこととしてスルーしてしまうくらいに、(設定上は)具合が悪いのだから仕方が無い。
彼に気遣わせるだけでそこは申し訳無い限り。
もっと大きければ、すなおに嬉しかったかも知れないけれど。
「ごめん、なさい。……でもちょっとだけ。掴まらせて」
更に力を込める。
細身の仁史君だが、男の子の腕と言うものは。これほど太くてたくましいのか……。
「お、お前が良いんなら、……い、良い、のか。な? あはっ、はは、は……」
頭が痛い、と、とっさに出任せを言って良かった……。
防犯カメラがあったはずだが、それがどうした。
熱っぽくて頭が痛いのだから、これくらいは許容範囲内だ! ……と思う。
これで、後で誰かになにか言われたときの言い訳。その用意は一応出来たわけだ。
なので。そうそうこう言う機会があるとも思えないから。
仁史君の肩口に頬を寄せ、たくましい二の腕の感触と、そしてワイシャツの匂い。
しばし、堪能させて貰うことにする。
「華ちゃーん! 出来たぁ! 見て見てぇ! 私の初の魔法道具だよっ!」
桜がそう言いながら、階段を駆け上がってくる3分ほど前まで。
私の生まれて初めての至福の時間は続いた。
神様は居るのかも知れない。