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第四話 『行方』

金泉霰華(かないずみせんか)視点》


 あれから三十分後、まずは大体の居場所が分かっている海鉾さんを捜すため、私たち四人は野外音楽堂に来ていた。野外音楽堂にはその外周部分だけで先ほど私たちがいた場所の何倍もの人がおり、会場内に入ればその数はさらに増えるのだろうということは想像に難くなかった。


 私からしてみれば、こんな暑い日にこんな人混みの中へ、わざわざ外出してまでコンサートを見に行きたいと思う人たちの意図が理解できない。


 ただ単純に有名人が歌っている姿とか踊っている姿を見たいだけなら、家の中でそれを可能にする方法なんていくらでもある。私はアイドルとかアーティストとかそういうことにはあまり詳しくないけど、詳しい人からしてみれば、実物を見たいとでも思っているのだろうか。改めて、私には理解できない世界なんだと思った。


 夏の暑さに人口密度という名の熱気が後押ししているからなのか、さっきから気分が悪い。車酔いとか、そういうものとは少し違う。何と言うか、人に酔ったとでも表現しておくのが適切に思えてくる。ようは、私の気分が悪いということを伝えられればそれでいい。


 水科さんが『野外音楽堂に行こう』と提案したときに、こうなることは薄々分かっていた。もしかすると、そのときに私が別の案を提示していれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。後悔先に立たずとはいうけど、やはり少しは後悔せざるをえない。


 そもそも、人混みになれていない私がこんなところに来れば、気分が悪くなるのは明らかなのだ。いや、人混みに慣れていないのは天王野さん、折言さん、水科さんだって同じはず。それなのに、この人たちは何で平然と歩いていられるんだろう。今すぐどこか涼しくて落ち着ける場所に腰掛けて休憩したいと思っているのは、私だけなんだろうか。


 ふと、私は私の左手を握り締めながら、その隣を歩く小さな影を見下ろした。


「天王野さん、大丈夫ですか?」

「……だ、大丈……夫……」

「見たところ、顔色が優れないように見えますわよ?」

「……そ、そんなこと……ない……。……ちょっと、人混みに疲れた……だけ……」


 さっきから一言も発していなかったから、てっきりこの人混みを前にしても平然と歩いていられる精神を持っているのかと思っていた。しかし、どうやら実際にはそうではなかったらしい。私同様、天王野さんも暑さと人混みで心身ともに疲弊し切ってしまっている。


 天王野さんの様子を見た限りでは、今すぐにでも休憩させるべきだというのは明らかだった。でも、私が心配して声をかけても、辛そうに『大丈夫』と言った天王野さんは、おそらくそれを受け入れないだろう。どういう信念かは分からないけど、地曳さんと再会するまでは倒れるわけにはいかない。そういう思いを抱いているのは間違いない。


 私だって一刻も早く遷杜様と会いたいし、それは折言さんや水科さんも同じこと。自分にとって最愛の人がどうしているかが心配で、早く捜し出したい。この場にいる私たち四人だけでなく、私たちを捜しているみなさんもそういう思いを抱いていることだろう。


 ……小さな体の天王野さんでも、こんなに頑張っているんだ。私も、もう少しだけ頑張ろう。私は心の中でそう呟くと同時に、軽く気合を入れたのだった。


「それにしても、本当に人が多いね……アイドルのコンサートって、いつもこんなに観客が来るものなのかな?」

「普段がどうかは知りませんけど、今回のコンサートでは会場の観客動員数や出演するアーティストの人数が破格だという話は耳にしましたわ。加えて、入場料が基本無料だということも影響しているのではないかしら?」

「へー、そうなんだ。入場料無料ってことはもしかして、私たちも自由に出入りしていいってこと?」

「そう解釈してもいいと思いますわ。おそらく、今回のコンサートの企画者はこれによって人を集め、街全体で莫大な利益を生み出そうとしているのでしょう」

「まぁ、そうでもしないと、入場料無料の大規模なコンサートなんて開けないよね」


 世の中には、森羅万象全てのものがビジネスになるという話を聞いたことがある。むしろ、今まで誰も見向きもしなかったものに目を付け、一台ビジネスに飛躍させたという例も後を絶たないらしい。もっとも、今回のコンサートは町興しとかそういう類のものであり、今挙げた例とは少し違うけど。


 何にしても、たとえ入場料が基本無料だとしても、私がこの野外音楽堂の中に入ることはないだろう。ここから見ても分かるように、入場ゲートに行くまでですでに数十分は待つであろう列ができているし、会場内に入れたところで、コンサートというものに興味がない私からしてみれば、楽しめる可能性は低い。とはいっても、実際にはその場の雰囲気に呑まれて、多少は楽しんでしまうのだと思うけど。


 それに、天王野さんの体調を考えても、あんな人混みの中に入るわけにはいかない。いくら本人が『大丈夫』と言っていても、そんなものはアテにならない。地曳さんという天王野さんの事実上の保護者がいない今、天王野さんの体調を客観的に観察し、どう行動するべきかを判断するのは私しかいない。


 だから――、


「とりあえず、会場の中に入ってみようか」


 不意に、水科さんがそんなことを口走り始めた。今の今まで私が心の中で呟いていたことが水科さんに聞こえていないのは当然だけど、まさか、それをまとめて無効化するような一言を発するとは思いもしなかった。


 あまりに衝撃的なことだったため、私は数秒間だけどう返事をするべきか躊躇ってしまった。折言さんと水科さんが私のことを見ているのが伺える。この二人は天王野さんの体調に気づいていないのだろうか。いや、気づいていて、まだ大丈夫と思っているのだろうか。私がその真偽を知る術はない。


「……それは、やめておきましょう」

「え、どうして? せっかくここまできたんだし、みんなを捜すためにも――」

「お二人は、天王野さんの体調が悪くなっていることに気づいていないのですか?」

「もちろん、さっきから気づいてるよ」

「だったら何で――」

「でも、そうしないと、みんなを見つけられないでしょ?」

「そ、それはそうですけど……」

「それに、体調が悪くなったり、疲れているのは、みんな一緒なんだよ」

「……っ!」


 ふと、私は折言さんと水科さんの顔を確認した。二人とも額から汗が滴り落ちており、よく見てみるとその表情には疲れの色が見え始めている。心なしか、息が上がっているようにも思える。その様子は、今の私や天王野さんとほとんど変わらなかった。


 折言さんも水科さんも、私と天王野さんが疲れていることに気づいていた。しかし、野外音楽堂の会場内に入り、みなさんを捜そうと言った。それは私たちを苦しめようとしたからではなく、疲れているのは一緒で、だからこそ一刻も早くみなさんを見つけ出そうという思いがあったからだった。それなのに、私は人の気持ちも考えずに、自分の考えだけが正しいと思い込んでしまっていた。


 私はバカだ。


 こんなに暑い日差しの下、人混みになれていないために疲れているのが、私や天王野さんだけだなんて思ったこと事態が間違いだった。何が『平然と歩いている』だ。折言さんと水科さんは私たちに心配をかけないように、そう振舞っていただけではないか。


 後悔というよりは罪悪感を覚えながら、私は俯きながら小さく呟いた。


「……申し訳ありません。私、お二人の気持ちも考えずに……」

「いや、謝らなくてもいいんだよ。明らかに僕たち三人よりも疲れている葵聖ちゃんを連れて、会場の中に入ろうって言った僕に非はある。実は僕も丁度休憩したかったところだし、適当に木陰で涼んでいくことにしよう。あの列の長さだと、最低でも三十分は待たないといけないだろうしね」

「ええ……分かりましたわ」


 明らかに気を遣っている水科さんの台詞の後、私は天王野さんの手を引いて、適当な木陰を探し始めた。相変わらず辺り一帯は大勢の人で賑わっており、条件に該当する場所はないかと思われた。でも、しばらく探し続けていると、丁度木陰から立ち去った数名の大人の姿を発見でき、私はそこに急いだ。


 背後にある人工樹木に天王野さんの体をもたれかけさせ、ホッと一息吐く。案の定、天王野さんは相当疲れていたらしく、眠ってしまったのか、すぐに可愛らしい寝息が聞こえてきた。


 ここなら直射日光が当たることはないだろうし、一般的な樹木とは異なる人工樹木の近くだから、空気も比較的綺麗なはずだ。三十分も休めば、また行動できるようになると思う。


 目蓋を閉じている天王野さんの姿を確認し、立ち上がる。すると、そんな私の様子を見ていたらしい土館さんが話しかけてきた。


「天王野ちゃん、大丈夫かな?」

「おそらく、軽い熱中症か何かでしょう。涼しい場所でしばらく休んでいれば、そのうち良くなるはずですわ。最悪、水科さんに背負ってもらわないといけなくなるかもしれませんけど」

「水科君も結構疲れていたみたいだから、天王野ちゃんにはできる限り元気になってもらわないとね」

「それが最善ですわね。ところで……その、水科さんはどこに?」


 土館さんとの会話に水科さんが登場したにも関わらず、いつの間にかこの場から水科さんがいなくなっていた。土館さんの周囲を見渡してみても、それらしい姿は見当たらない。


「ああ、水科君なら天王野ちゃんの体調を心配して、飲み物を買いに行ったよ」

「そうだったんですか。でも、この人混みでは飲み物一つ買うだけでも一苦労するのではないかしら?」

「それは私も思ったけど、水科君に言う前に行っちゃったから」

「まぁ……私たちの居場所は分かっているはずですし、このままここで待機しておきましょう」

「そうだね」


 その後、私と土館さんは適当な会話をして、水科さんの帰りを待った。それから約二十分後、ようやく水科さんが私たちの前に姿を現し、その両手には500mlのドリンクが四本抱きかかえられていた。


「水科君、おかえりー」

「うん、ただいま。はい、ジュース買ってきたから、好きなの選んでね」

「随分と時間がかかっていたみたいですけど、やはり混雑していたのかしら?」

「正直、想像を遥かに上回るほど混んでたよ。一応、こうして飲み物は買えたけど、順番待ちの列で時間がかかっちゃったんだ。あ、そういえば。ふと通りすがりに聞いた話だと、出演者の一人が行方不明になったとかで、コンサート全体の進行が遅れているんだって。それで、余計に観客がフードコートに集まっていたみたい」

「出演者の一人が行方不明……?」

「あくまで通りすがりに誰かが話しているのを聞いただけだから詳しくは知らないんだけど、そういうことらしいよ。何でも、本当は明日出演するはずの人で、今日はその宣伝に来る予定だったとか」

「へー、そういうこともあるんだね。この人混みだから、来る途中で迷っちゃったのかな」

「そうかもしれないね」

「何にしても、見ず知らずの人とはいえ、無事を祈るばかりですわ。実質的に七人の行方不明者を捜している私たちからすれば、こんな人混みで誘拐でもされたら、もうどうしようもないですもの」

「確かに、あっちこっちに監視カメラがあるとはいえ、その死角を狙って誘拐しようとする人がいないとは言えないからね。僕たちも用心するに越したことはないよ。もちろん、誘拐じゃなくて道に迷っただけっていうのが真相の方がいいんだけどね」

「そうですわね」


 とはいっても、今時誘拐なんてバカな真似をする輩がいるとは思えない。もし誘拐されたとしても簡単に特定できてしまうし、そもそもそんな考えに及ぶ機会なんて滅多にないのだから。


 いくら死刑が廃止されたからといって、それを恐れずに何でもかんでも好き勝手にできるわけではない。無論、それに変わる刑法がいくつも制定されているし、その最たる例が……えっと、うまく思い出せない。とにかく、悪事を働いたものに罰が与えられるのは当然のことなのだ。


「あれ?」


 不意に、土館さんが何かに気づいたらしく、そんな声を上げた。私と水科さんは一瞬だけ顔を見合わせて、そのまま土館さんが見つめている方向を見た。その方向とは、つい先ほど私が天王野さんを人工樹木にもたれかけさせた場所であり、今も天王野さんが可愛らしい寝息を立てて眠っている……はずだった。


「金泉ちゃん、水科君……天王野ちゃんがどこに行ったか、知らない?」


 そこには、天王野さんの姿はなかった。

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