2―2 月下の祈り
シヴァとフラウとセレナは戦いを彼らに任せることにしたので、運転席に座ってハンドルを操作している。
三人で座るには些か狭かったが、三人は然程も気にせず窓から流れてくる草原を駆け抜ける風を肌に感じていた。――シヴァを挟んで。ちなみに、サティはシヴァの頭の上に乗っかり、タレて寝ていた。
サティを紹介する時、ひどく驚かれたがエリオスが守護聖獣について他のメンバーより知っていたので、彼が慰める形でサティについての話題は落ち着いた。
もっとも、サティのような人型は初めてなので瞠目していたが。
今、彼らは先程の戦いについて反省会を開いていた。
「今の戦いについてだが、そう悪いものではなかったぞ。連携については拙いところがあるが、それはこれから時間を掛けてやっていけばいいことだ。俺も含めると前衛が多いが、お前達四人ではバランスはいい方だろう」
師に褒められて悪い気はせず、アタルとアーブは顔を緩め、マーテルは照れているが、一人だけ憮然としている表情の者がいた。
「さて……」
エリオスは一息をつくと、レイアの方を向く。レイアは憮然とした表情を改め、己の失態を恥じているのだろう真剣な表情で向き直る。
「豪獣種を攻める基本は、まず奴の攻撃手段である腕を攻撃して使い物にならないようにする事。こうすれば、奴は攻撃手段が著しく劣ってしまうため倒すのが楽になる」
「はい――」
「次に止めを刺す場合は、心臓よりも頭や喉の方がいい。胸部では筋肉の鎧に阻まれてしまい生半可な攻撃では止めを刺せない。……ノエシスを集中させるのも一つの手だ」
「はい――」
「ところで……君には師はいるかな?」
「いえ……ほとんど自己流です」
レイアは頭を横に振る。そう、彼女は基本的な事は学んだのだが、両親、特に母親が彼女が武術を学ぶ事を嫌がっていたので、街の警備員に通って教わったり、武術道場を覗いたりして独自に学んでいたのだ。
「ふむ……よければなのだが、君の面倒も見ようか?」
「――え?」
一瞬、何を言われたのか分からず、惚けてしまった。彼女はてっきり、叱責を受けたり、戦線から外れるようにと言われるのかと思っていたのだ。
「なに……いつまで共にするかは分からないが、暫くは行動を共にするのだ。君の戦力を上げることは、こちらにとって決してマイナスにはならない。二人と同様に訓練を受けてみてはどうかなと思ったのだ」
「ぜ、是非お願いします!!」
レイアは降ってわいた幸運にすぐさましがみついた。彼女にとっても足手纏いは嫌なのだ。自己流では限界であったし、すぐさま強くなれるわけではないだろうが、せっかくのチャンスを逃したくなかった。
「よかったね! レイア」
「これから同じ弟子同士よろしく!」
「よろしくたのむぜ」
アーブは慣れ慣れしく妹弟子であるレイアの肩に手を置く。
「気安く触るな!」
レイアは軽々しく触れる兄弟子のアーブの手を払いのけるが、アーブは全く気にした様子はなく、撥ね退けられた事を嘆いた。
「なんだよ~。いいじゃねぇか~」
「お前みたいなのに気安く触られるほど、あたしは安くはない!」
「ひでぇ!」
馬車の中は笑いに包まれ、和気藹々とした雰囲気になっていった。
その後は快進撃とは言わなくても、レイアも穢魔に対する戦術を学んだ故か、無理をすることなくサポートに徹し、穢魔との戦いを肌に感じ、己の血肉として取り込んでいったのであった。
昼の帳が降り始め、夜の舞台が幕開けようとしていたため、シヴァ達は野宿をすることとなった。
穢魔は夜間よりも昼間の方が盛んに活動する。火を焚けば寄ってこないというわけではないが、野宿する場合は襲撃に備えて火は絶やさずにいるのが常識だった。
だが、シヴァ達は魔導車があるためそれは必要ない。火の代わりに電灯器具や空調を整える機能があるからだ。
しかしながら、それでも監視役は必要だ。シヴァ達は大型の魔導車があるため、その中で寝泊まりが可能ではあるが、外装などの外部からの情報を妨げるものを取り除くために、誰か一人でも外にいる必要があるのだ。シヴァ達が持つ大型の魔導車は、上部が監視台を兼ね備えているので、シヴァ達はそこから周囲を監視する事になっている。
夜の静寂が、月夜に照らされる草原の背景音となっている。
この世界には家畜以外に動物は存在していない。野にいたとしても、それは逃げ出した家畜が元になっており、生息数も非常に少ない。そのため、人々が知る動物といえば、ペットか家畜、もしくは物語の中にだけ生息している動物となっている。
よって、夜の静寂を崩す者は、人間と穢魔以外この世界に存在していないのだ。
「アタル達はどうしてウォードに所属したんだ?」
エリオス達との訓練を終え、体の汚れを落とし身を清め、後は寝るだけとなったレイア達は、アタルにウォードに所属した理由を尋ねた。
ウォードに所属しようとする者は、その崇高な使命とは裏腹に実のところあまり多くない。基本的にウォードは戦力の加算と穢魔の侵攻により衰退してしまった経済などの復興を目的としているが、復興に関して言えば外交や内政の分野になるので、ウォードに所属している者ができることといえば、国の使い走りとなって手伝う事だけだ。
戦力の加算に関しては、シヴァ達の行進が前提となっている部分がある。なので、それまで所属している者達がする事といえば、個人的な護衛や源魔石の回収しかほとんどやることがないのだ。
コロニーの陥落は国際規約で禁じられているが、これに関して言えば穢魔の漸減という名目で行う事ができ、罰則もないので実質的にいえば形骸化している。
だが、これまで一度たりともその目論見が成功した事はない。
相手の戦力が常に上回っており防衛に手が一杯であることと、攻略しそうになると、厭魔という穢魔など可愛らしい存在になる今までにありえないほど強力な存在が妨害し、攻略の実が花咲かないという事態に陥っているのだ。最近では、人型の厭魔も邪魔しているとの話である。
また、シヴァ達がコロニーを陥落した後は、穢魔の駆逐や防衛はその国の軍に任せることとなっており、ウォードに所属している者達がやることはあまりない。精々田舎の町や個人からの依頼がある程度である。
ウォードに好んで所属している者は、大抵他国にコネをつくることを目的とした商人や箔を付け、顔を作る事を目的とした者が多い。
また、ウォードには便利屋としての一面がある。国内で困った事があった時や他国へ行くのに護衛が必要な時など、軍の力を借りれない時に手軽に、即座に戦力を補充できる面があるので、そういった仕事がウォードに舞い込んでくる。
だから、ウォードに関してはあまり外聞がよくなく、職に困った者や軍には入れなかった者、軍の肌に合わず止めていった者、そう言った者達が多く所属する事がそれに拍車を掛けている面がある。
レイア達のような救世を目的とした者の方が物珍しいのである。
レイア達がウォードに所属したのは、一般市民という立場であり、コネもなかったことからウォードに所属する他なかったのである。
だが、レイア達の目の前の男――アタルは国に任命された英雄が弟子として連れ回ったという人物――エリオスを師としている事と『双紅蓮』の名を冠する英雄と同じ家名『イグニード』、そしてその英雄の出身国と同じ出身ということから血縁者の可能性は非常に高い。国の軍に所属した方が自然というものだろう。他国の英雄の血縁者と同じように。もしかすると、箔付けと顔を売る為に、国がシヴァ達と同じようにウォードに所属させたのではなかろうかと、レイアはおぼろげながら思った。
「僕は父さんのように『英雄』に……人々を護る者になりたい。そのために、ウォードに所属することにしたんだ」
アタルの碧眼は、まるで青い炎がその身を焦がすように高熱を宿していた。
「その……軍じゃ駄目だったのか?」
「駄目だというわけではないよ。軍も人々を護る手段の一つだと思うんだ。ただ……軍に所属すれば、軍に従わなければならない。軍の指示に従って人々を護れなくなるようなことがあるのが嫌なんだ。だからこそ、僕は『勇者』になりたい。英雄の頂点とされる『勇者』になれば、きっと人々を護れる存在になれると思うんだ」
話しているうちに熱が籠ったのか、聞く者に熱情が伝わるような声色だった。
「だから父親と同じ戦い方なんだな? 銃は使ってなかったけど」
レイアが聞いた噂だと、アタルの父親である『双紅蓮』の戦闘スタイルは、双剣と双銃を駆使した戦闘技法だと聞く。
「ああ……僕は父さんに憧れて剣を取った。父さんの息子である僕が、父さんと同じ戦闘スタイルを目指すのはおかしなことじゃないだろう?」
アタルは畳んでいた服の下から革製のホルスターに入った二つの銃をレイア達に見せる。
その銃は一般的に知られるそれに比べれば、些かフォルムが異なっていた。ナックルガードが付いている拳銃のグリップ、そして短い銃身と細長い銃口。フォルムから銃と察する事はできるが、弾丸を発射するには適していないように見える。
「これはガンブレードって言うんだけど、これに僕のヒュレーを流すと……」
アタルのヒュレーが起動キーとなっていたのか、細長い銃口からは銀の刃が伸び、剣の刀身と銃が一体化した武器となっていた。
「おお……」
「まぁ……」
レイアとマーテルは感嘆の声を上げ、ギミックが仕込まれている双銃を面白そうに眺める。
「父さんはこの刀身部分を付けたり消したりして戦っていたらしい」
「しかし……今時銃なんて珍しいよな」
「まぁね。僕の国では珍しくはないけど、それでも遠距離だと弓を使う人が多くなってきているからね」
アタルは苦笑と共に返答する。
この世界では、銃はあまり歓迎されているものではない。
なぜなら、世界規約で銃の製造が著しく制限されている事や使う度に弾丸を消耗することから資源の無駄遣いであるという風潮。そして、わざわざ実物の弾丸を使う銃を使わずとも似たような事がデュナミスで代用ができることから、銃の使用はユナティア連合国以外では好まれていないのだ。
銃型の魔導器は少ない動作でデュナミスを発動することはできるが、その反面銃口を通して発動しなくはならず、弾丸という小さめの物体を使用する事から威力が制限される。穢魔を退治するには不十分ではあるが、人を殺害するには充分だということも銃が使用される事が憚れている理由の一つである。
「今日銃を使用しなかったのは、やっぱり威力が不十分だからか? それに、そっちのガンブレードだっけ? は使わなかったよな?」
アタルはホルダーに収めているガンブレードの他に、双剣用に剣を二本用意しており、そちらの方を戦闘に使用したのだ。
「ガンブレートの方は、ヒュレーの消費が激しいから控えているんだ。銃の方に関しては威力もそうだけど……」
アタルが言葉を続けようとすると、アーブがアタルを引き寄せるように肩を抱く。
「俺が遠距離で戦うスタイルだからな。こいつの銃の代わりに俺が戦うってわけよ」
「そうか……で、あんたは何でいるんだ?」
レイアがアーブに存外に問いを投げかけると、アーブはなんでこんな扱いなんだと落ち込んでいる。
「俺は……別にこいつのように有名な親の子というわけじゃなくて、ただのしがない商人の子だ。家の商売を継ぐ事が嫌で、無理やり師匠に弟子入りしたんだ。そいで、少しばかり有名になって、うはうはできれば十分だと思ってるよ。商人は顔が広いと有利だからな」
「あんたはそんな感じだな」
「俺ってどういう風に見られているんだよ」
アーブはレイアの辛辣なアーブの人物像に落ち込んでしまい、周囲に笑いを呼び込んだ。
「んで? てめぇはどうなんだよ?」
「あたしか? あたしは世界を見て回りたかったこともそうだが、正しい事のために生きたいんだ。そして、これまで見てきた物語のように悪を懲らしめる英雄になりたいと思っているんだ」
「大層な理由だこと」
「何か文句でもあるのか!」
「別に……」
アーブはわざとらしく顔を背け、レイアを挑発する。
それに黙っていなかったのがレイアで、今にもアーブに殴りかかりそうだった。
「ストップ! レイア、ストップ!」
マーテルは殴りかかりそうなレイアにしがみつき慰めた。
「殴りかかる事ないだろ」
「あんたみたいなやつは躾けておかないと調子に乗るからな。これは躾だ」
アーブは顔を引き攣らせ、レイアから一歩下がった。
「はぁ……二人とも疲れを残すわけにはいかないんだ。さっさと寝るぞ」
アタルの溜息混じりの慰めにレイアは拳を引っ込め、毛布をしっかりと被った。
「そういや、マーテルは?」
「私はアタルさんと似たようなもので、人々の助けになりたい。それだけですよ」
「どっかのやつとは大違い」
アーブのいらぬ一言にレイアはギロリと睨みつけた。
「それにしても……シヴァさん達は私達とは規模が違いますよね。なんたって、世界を救うのですから」
「当然だろう。『勇者』と『聖女』なんだから」
アーブのその一言に誰も反論せず、ただ当たり前の事と四人は認識していた。
今夜の監視は、最初シヴァ達が見ることとなっている。
シヴァ達が身を清め終わったのか、それまで監視台で周囲を見ていたエリオスが魔導車の中に入ってきたことで四人は話を終え、眠りに就いた。
** *
シヴァは月が翳り、闇に閉ざされた世界をその漆黒の瞳に収めていた。
本来、野宿するのであれば身を清めることは難しい面はある。
しかし、デュナミスを、専用の魔導器を用いれば、熱湯のシャワーを浴びる程度のことであれば、そう難しい事ではない。
旅の不便さを失くす為の道具は、できる限り魔導車に積んである。
故に快適とはいかぬまでも、不快というわけではないので気にしてはいなかった。
フラウ達が身を清める際、男のシヴァが同行していったのを、一同は唖然としていたが、あまりの自然さにそういうものだと無理やり自分自身を納得させた。
シヴァ達は身を清める際、シヴァかセレナかどちらかが護衛につく。今回であるならばシヴァがつくのが当然なのだが、シヴァ達にはそんな常識は通用せず、シヴァとフラウ、セレナが交互に入ることとなった。
滅多にないのだが、シヴァとセレナが同時に入る事はある。
しかし、護衛の観点から二人はそれを好ましく思っていない。フラウが無理やり勧めた時と安全が確実だと判断した時程度のものだ。
シヴァとセレナは別に一緒に身を清めることに対し、抵抗はない。
シヴァは元々、感情全般がほとんどないため何も感じず、セレナは希薄なものの抵抗は感じてはいるが、四人は断ち切ることはできない縁で繋がっており、セレナも彼らとずっと共にすることは最早決定事項に等しいので、何をされてもかまわないという覚悟で過ごしていた。
自分達の行く末は理解している為、フラウとサティにしてもシヴァに絡み付く糸は厳選するが、多いに越したことはなかった。同時に、少ない方がいいとも判断している。
「ん……」
フラウとセレナがほとんど抱き合うような格好で寝ていた。
監視台の床は当然ながら固い。なので、彼女達の周りはシヴァがデュナミスで覆い、快適な環境で安眠している。
シヴァにとって、この程度のデュナミスならば一晩中使用しても問題ない。
シヴァは交代もせず、一晩中寝ずの番をするつもりだった。別に彼らに気を遣ってというわけではなく、寝る必要性を感じなかったからだ。
些細な音や気配で起きるように彼はできており、また睡眠も必要とあればとる必要はなかった。――そういう風に彼の身体は訓練されている。
星は闇の中で仄かに煌めき、月光が夜の闇を僅かに照らす。
見る者が見れば風情のある光景ではあるが、シヴァの心に生み出されるものは何一つとして芽生えない。
人は闇の中の光に希望を見出し、光こそを至上のものと掲げるが、シヴァはその逆であり、そういった価値観を嫌ってもいた。
シヴァ達は『勇者』と『聖女』に望んでなったというわけではない。ただ、自我が目覚める前から、人々の言われるままに、人々が望んだ存在に成り果てた。選択肢などなかった。逃げ場所などなかった。――いや、逃げられないように束縛された。
光そのものとなったシヴァは誰もいない、見えない、聞こえない、感じない闇の中でこそ安寧を得る事ができる。
『勇者』と『聖女』は人々にとっては希望の証。
『勇者』と『聖女』はシヴァ達にとっては絶望の証。
シヴァにとって、希望の証とはフラウ達に他ならない。
――いや、そうなるように誘導された事は否めない。
だが、拒めない。離せない。失くせない。
それ故に『勇者』という与えられた脚本の道化を演じるしか他には路はない。
フラウを見ると、フラウは安心している寝顔をシヴァに曝け出している。
シヴァ達に安寧の時が訪れるとすれば、それは道化を演じきって、このどうしようもない喜劇を終わらせるほかない。
まだ劇は幕を開けたばかり、終演まで程遠い。
全ての闇は自分が引き受ける。
だからこそ、フラウ達には光でいてほしかった。
それは、身勝手な願い、醜い欲望、傲慢な願望、身を引き裂く呪い。
だが、それ以外に自分は望むことはできない。抱けない。
死こそが終焉でもあり、祝福の時でもある。
だが、選ぶことはできない。抱くわけにはいかない。
願わくば――道化を演じきることができますように。
少年は光の中、闇の中から二極の業深き深淵故に、頂に立つ者、底に沈んだ者にしか覗けない虚無の幻の中から祈る。