4-1 勇者と仲間
シヴァ達は盗賊団を壊滅した後、女性達の保護の依頼、盗賊団討伐を報告するため、市長の元へと訪れた。
市長は冷や汗を暑苦しい顔に満遍なく貼りつかせ、どこか落ち着かない様子で報告を受けた。
シヴァはアメリアに妹の生存の報告と砦にあった顧客の書類・契約書等、彼らの悪行を記されていた物を渡しておいた。
『私が持っている証拠と併せ持って、これで豚を挽肉にすることができます』と実にいい笑顔でその書類を見ていた。
彼女の依頼を受けて、逃げ出そうとしていた豚を縛り上げておいた。
その後どうなったかは、シヴァ達は知らない。
豚小屋に入ったか、挽肉になったかは興味がなかったので、さっさと次の目的地であるコロニーを目指すことにしたのだ。
** *
その後の一行には気まずい雰囲気が漂っていた。
道中の戦闘では、問題が起こることはなかったが、以前僅かながらあった会話はなくなったといってもいい。
シヴァ達とエリオス達の二手に分かれ、戦闘も一対二の割合で行うことにしたのだ。
アタルは彼の世界が揺らいでいるのを感じる。
目の前で起こった現実に打ちのめされ、どうすればいいのか分からなかった。
認めなくないと目と耳を塞いでいたかった。
否定し、非難し、拒絶して受け入れたくなかった。
それは他の仲間達も同様だった。
師がいなければ、今よりももっと酷い状態でいたのは確かだ。
何故、と思う。
何故『勇者』である筈の彼が、僕達が求める『勇者』ではないのか。
人を守るのが『勇者』だろう?
人を救うのが『勇者』だろう?
『勇者』は正義の使者であるべきだろう?
頭からはその疑問が絶えず響き、アタル達を蝕む。
現実を認めたくない逃避からか、アタルは穢魔との戦いに没頭している。
コロニーに近づいている為か、穢魔の数と種類が増してきている。
鳥獣種が身体の倍もある巨大な翼を広げ、鋭い嘴でアタルを貫こうと滑空するが、擦れ違いざまにその翼を斬りつける。鳥獣種が地面に墜落した所を、エイドスの炎で焼き尽くす。
鳥獣種はその素早さの代償か、防御力が低く、胴体部分がほぼ毛皮だけといっても過言ではないので、一撃で決することが多い。
甲虫種が甲冑の様な甲殻を丸め、転がってくる。
アタルはサイドステップで軽くかわし、甲虫種が方向転換しようと、丸めた身体を元に戻すのを待つ。
元に戻ったところを、接近して柔らかい腹を貫く。
甲虫種は黒光りする甲殻が非常に硬く、それを利用した高速タックルは厄介だが、ほぼ一直線にしか進めない。
それに、甲殻はともかく、露出している腹の部分は柔らかいので、そこを攻撃してしまえば、倒すことは容易だ。
屍骨種が鋭く尖った骨を槍のように刺すが、アタルはそれを武器で払い、ノエシスを局部に集中させ、衝撃のエイドスと共に叩きつける。
屍骨種は四本の手が生えた人骨の様な姿をしているが、その手は鋭い槍のように尖っている。
屍骨種の厄介なところは、その数としつこさにある。
動きはとろいが、数が多く、また槍を粉砕した所で、次は噛みつきを行うなど、一部を壊した程度では止まらず、しつこい事この上ない。
だが、ある程度の衝撃があれば、粉砕することは容易い。
だから、屍骨種はその存在ごと粉砕するのが最善なのだ。
「ふう」
アタルは一息つく。
今の彼にとって、穢魔との戦闘の方が気が楽なのは確かなのである。なぜなら、戦闘に没頭していれば余計な事を考えなくてすむからだ。
あの盗賊の一件から、気まずい雰囲気がアタル達に漂っている。
シヴァ達はいつも通りなのだから、勝手に気まずくしているのはアタル達の方である。
それを解消しようと、話し掛けようとはするのだが、シヴァの何も映していない漆黒の瞳を見ると、尻込みしてしまい、何も言えなくなってしまうのだ。
あの日の事が鮮明に思い出されてしまい、シヴァに怯えてしまうのだ。
シヴァは人を殺した事を後悔していない様子で、寧ろ当然の事をしたと言わんばかりに平然としている。
対してアタルは盗賊達を殺すつもりなどなく、捕縛するだけだと思っていた。穢魔を殺す事は想定していたが、同じ人間を殺す事など微塵も想定していなかったのだ。
人の死に慣れていないわけではない。この御時世、穢魔との戦いで死ぬ人間というのは珍しい事ではなく、現にアタルもその光景を何度も目にしてきた。
だが、人が人を殺す場面に遭遇した事はなく、またそれを何でもない事のように振舞っている事が信じられないのだ。
それは他の仲間達も同様だった。
彼らも仲間内の不和を解消しようとは思ってはいるのだが、アタルと同じように尻込みしてしまうのであった。
だから、アタルはアーブ達と愚痴を言い合う日々が続いている。
どうにかしたいとは思っている。
だけど、彼はどうしたらいいのか袋小路に迷っているのだった。
** *
エリオスは今のままでは不味いと思っている。
コロニーの攻略の為には協力し合うことが必要なのだ。
だから、今夜アタル達が寝静まった頃、見張り番をしているシヴァ達に話し掛けることにしたのだ。
彼の思惑には、コロニーの攻略のためにというより、あの人達の子供である彼らに何があったのかを知りたかった。
「少しいいか?」
シヴァは同行者の一人が話しかけてきたのを煩わしく思ったが、最低限の義理として会話に応じる事にした。
「何だ?」
「俺は君達の両親とも親交があってね……今まで師との約束通りアタルの面倒を見ていたのだが、その……君達はどうしていたのかと思ってね」
シヴァにとっては実に下らない質問であった。シヴァが『勇者』としての訓練を行う事は、世界中に発布されており、目の前の男もそれを知らないわけがないというのに、目の前の男はそれを問うのだ。
「あんた達の知ってのとおり、『勇者』としての訓練を受けてきた。――それだけだ」
「いや……それはわかっているのだが……」
エリオスは言いにくそうに口籠るが、やがて率直に口を開いた。
「どういった訓練を受けたんだ?」
「穢魔を殺すための訓練だが?」
そう穢魔を殺してきた。本当にそれだけである。
時にはそうでない者も殺してきたが、大抵は穢魔を殺す訓練とそれを容易く行う為の訓練をしてきただけなのである。
エリオスは自分がいつになくイラついているのが分かる。
中々核心を得られない回答に業を煮やしているのは否めない。
だから、今までの様な遠回しな質問ではなく、直接的な質問をしてしまった。
「人を殺すことに慣れているようだが?」
言った直後、後悔してしまった。
自分はこんなことが言いたいのではない。ただ、知りたいのだ。あの人達は光り輝いていた。なのに、あの人達の子供である彼らは、何故こんなにも人として堕ちていると自分は感じてしまうのか。そんな筈はないと否定したかった。
あの人達の子供であるのだから、きっとあの人達のような人物だと思っていた。
あの人達は世界を救うことと同じ位、子供達の事を心配していた。出立の際に、国が引き取ったとのことだが、本当は自分達の手で守りたいと。抱きしめたいと。だけど、今はそんなことができないと悲しそうに言っていた。
自分は国が預かっているのならばと、安心して師の子供であるアタルの面倒を見ていた。
アタルは英雄の子供であることに誇りを持ち、自身も父のように『英雄』に、ひいては世界中に認められる『勇者』になりたいといって、日々師である自分の元で修行していた。
英雄の子供である事に重圧を覚え、劣等感を感じ、卑屈に感じ、父とは違い弱い自分の能力に苦悩しないように常日頃から英雄である師と、その子供であるアタルは違うのだと彼が悩む度に真摯に言い聞かせてきた。
幸い、友に恵まれ、周囲に恵まれ、アタルは自然と自身の心の赴くままに『英雄』になりたいと思ったのだ。父がそうだから『英雄』に、『勇者』になりたいと思うのではなく、自身の正義の心に従って『英雄』に、『勇者』になりたいと――。
だから、自然とシヴァもそうだと思っていた。
スターリア王国がシヴァが『勇者』として、フラウが『聖女』として両親の後を継ぎ、世界を救う旅に出ることを発布した時は、アタルときっと同じだと思ったのだ。
自分はあの時、まだあの人達に比べ弱かったからあの人達に、そして師に、付いていくことはできなかった。
だからこそ、あの人達の代わりに二人の旅立ちに付いていく事に決めたのだ。
違和感は前からあった。
シヴァは戦う時は常に一人だった。
フラウは回復役を担っているが、共には戦わない。
セレナはフラウの傍を、彼女の護衛だからという理由で傍から離れない。
三人が三人ともそれを当然のように受け止めている。
きっと、自分は気づいていた。
だけど、認めたくなかったのだ。
あの人達の子供であるが、自分達を必要としていない事を。
あの人達に付いていった時の自分と今の自分は同じだと。
「仮にそうだとして、そちらに何か不都合はあるのか?」
――ない。
以前の旅から穢魔だけではなく、人間も時には穢魔以上に危険な存在として立ちはだかる事があった。盗賊に襲われたり、内戦に巻き込まれたりすることもあった。
だからこそ、時には人を殺めることもあるのだと知っていた。
そして殺さなければ、殺される事やそれ以上の目に遭う事があることも。
アタル達にとっては、これは鬼門となり得るだろう。
どのような選択をするかは分からないが、旅を続けていれば必ずぶつかる問題だ。
その時に迷っていれば、殺されることも、さらに非道な事もされる場合がある。
だから、シヴァ達が殺す事が出来るのであれば、その時の脅威は凌ぐ事が出来る。
結局、自分は認めたくないだけだ。
あの人達の子供がどのような目に遭っていたかを。
「最後に一つだけ聞かせてくれないか?」
シヴァは興味がなさそうに、エリオスを見る。
その視線が何よりも辛かった。
「あの人達の子供である君達は、望んで『勇者』と『聖女』になったのか?」
「…………それ以外になる選択肢などあると思うのか?」
エリオスはその答えに愕然とした。
「――そうか。邪魔をして、悪かった」
エリオスはふらりとした足取りで魔導車の内部へと向かった。
** *
「お待ちしておりました、『勇者』様。こちらへどうぞ」
一般兵に案内され、他よりも大きい幕舎に入る。
シヴァが幕舎に入ると、そこには使い込まれた鎧を身に纏う将達が居た。
睨みつけられたが、シヴァは涼風とばかりに気にせず、彼らの近くに寄った。
「初めまして、私はジャン=シルドレイ。今回のコロニー攻略の最高司令官を務めている。早速で悪いのだが、作戦の説明に入ってもよろしいかな?」
「ええ」
ジャンはテーブルにある地図を駒を使いながら、視覚的に分かりやすく説明する。
「現状を確認すると、コロニーの周りには五千以上にも及ぶ穢魔の軍団。対して、こちらは二千の軍。数はこちらが圧倒的に不利、しかもコロニーは開けた平野に造られているので、地形を利用することはできない。全方位から取り囲む事はこちらが食い破られることは必至。よって、一方から攻める他ないのだが、左右を奴らに取られるのは不味い。なので、鶴翼の陣を敷くことが決まった」
ジャンはシヴァの方を見る。
「そこでだ、勇者殿には我らより少し先行して、敵を引きつけてほしい。我らは勇者殿が討ち漏らした穢魔や、溢れた穢魔を狭撃で討つ。よろしいですかな?」
「単独でコロニーを陥落したという『勇者様』ならば、簡単な任務でしょうな」
一人の将が皮肉交じりに嘲笑すると、周りの者も囃したてた。
要するに囮なのだろう。あまりにも危険すぎる任務。命が惜しいのであれば、断らざるを得ない任務。
――だが、シヴァは断ることはなかった。
「わかりました。作戦会議は以上ですか?」
「ああ……」
一悶着あると思ったのだが、あまりの呆気ない了承にジャンは瞠目した。
「では、後で作戦時刻を教えてください。では、失礼します」
一礼してこの場を去ったシヴァを、一同は呆然と見送った。
* * *
「無理に決まっているだろ!?」
シヴァ達が行う作戦内容を話したのだが、誰もが渋い顔をしており、アーブは死ねと言わんばかりの作戦に腹を立てた。
「その……断れなかったのかい?」
アタルとしてもやはり許容できないのだろう。作戦の拒否はできなかったのかと尋ねるが、
「無理だな。断ろうとしても、難癖をつけて強行させたに違いない」
一蹴され、肩を落とした。
シヴァは落ち込む一行を見て、こう切り出した。
「囮になるのは俺だけでいいだろう。お前達はあいつらの軍に入れてもらえ」
シヴァの突然の事に一行は瞠目した。――フラウ達を除いて。
「そんなの無茶だ! 君は死ぬつもりなのか!?」
「死ぬつもりはないし、無茶は言っていない。はっきり言ってしまえば、お前達は邪魔だ」
『なっ!?』
シヴァが斬り捨てる様に、無慈悲に事実を告げる。
シヴァにとっては邪魔にしかならないと冷徹に判断していた。
「何を言っているんだ!? あたし達は仲間じゃないのか!?」
レイアはシヴァの冷淡な物言いに激昂する。
「仲間? 俺はお前達をそんな風に見た覚えはないし、これからもする気はない。お前達がいようがいまいがどちらでもかまわない」
シヴァにとっては、それは厳然たる事実だった。彼にとって、アタル達の存在は邪魔にしかならなかった。戦力として期待してはおらず、いようがいまいが同じなのである。彼は元々、一人で穢魔を殲滅するつもりなのだから。
シヴァの言葉に一同は愕然とし、
「くそ!」
アーブとレイアは与えられた幕舎から飛び出していった。
アタルとマーテルは慌てて出ていった二人の後を追った。
「――それでいいのか?」
エリオスは心配そうにシヴァに問うが、
「ああ」
答えは変わらなかった。
「そうか……二人はどうするんだ?」
フラウとセレナを見遣る。二人はシヴァの言に何も変わった様子は見せなかった。シヴァがこう言いだすのを分かっていたのだろう。
「私は兄様の傍にいますよ」
「私はその護衛」
エリオスはそっと目を閉じる。
自分の推測が正しければ、シヴァの邪魔にしかならない事が分かる。
「俺達は俺達の好きにするが構わないか?」
「ああ。好きにしろ」
エリオスは弟子達の相談に乗るべく、場を去った。
レイアとアーブは、軍の拠点から程よく近い小川で二人佇む。清涼な風が二人を慰めようと包むが、荒れている心の慰めにはならなかった。
「何で……付いてきたんだ?」
「放っておく訳にもいかないだろ。――仲間なんだから」
「――そうか」
二人は何をするでもなく、佇み、小川の水の流れを見ていた。透明な水の流れは、澱んでいる自分達のそれとは違う。このようにあればいいのにと願うも、現実は清流のような流れをしていない。泥流こそがお似合いだった。
アタルとマーテルも程なく二人に追い付き、四人は合流した。
「その……これからどうするんだい?」
「――分からない。どうしたら、いいか迷っているんだ」
アタルの問いにレイアは苦悶の表情を見せる。
「俺も、だな……正直に言っちまうと、怖くて仕方がないんだ。だって、五千の穢魔に突っ込んでこい、だぜ。自殺しろって言われてる様なものじゃないか」
アーブの手は震え、脚もまたそれに劣らず震えていた。
「俺みたいな平民には土台無理な話だし、囮に参加しなくていいって言われて情けない事にホッとしてるんだ」
「アーブ……」
アタルとしても今回の作戦は無茶極まりないと分かっているので、何も言えずにいた。彼の親友ほど臆面もなく出していないが、それでも心中は似たようなものだった。
「――あたしは」
沈黙する三人にレイアの声が響き渡る。
「あたしは力不足なのが悔しい! 仲間と見られなかったのが悔しいんだ!」
涙交じりの声で己が心中を吐露するレイアをマーテルは胸に抱く。
それが、彼女がこの旅路で蟠りとなっていた悩みであった。彼女は英雄の子であるアタル、そして英雄の弟子であるエリオスの弟子となっているアーブとは違い、ただのしがない平民の子。
その実力差は、この旅路で明白となって彼女の心の澱みとなっていた。これでマーテルのように回復役を担っていればまだ矜持を保ててはいたが、彼女は前線役。実力が浮き彫りになる場所であった。
平民である事も、弟子入りした事が遅くなった事も彼女の慰めにはなりはしない。実力が不足している彼女に現実が合わせてくれるはずはないのだから。
これはそう――今まで誤魔化しに誤魔化していた現実が彼女の前に壁として立ちはだかったのだ。
途方に暮れるアタル達の後ろで、叢が踏みしめられる音がした。
「先生!」
「こんな所にいたのか……」
どうすればいいか迷っているアタルは、いつも正しく導いてくれた師にどうしたらいいかと尋ねてみることにした。
「俺の意見を聞いたからといって、自分の意見にするんじゃないぞ……俺はシヴァ達に付いていくつもりだ」
「え? ……でも、彼は邪魔だと」
エリオスは以前、不確かな噂を聞いた。良識ある者ならば、耳を疑うことだ。
その時は単なる噂だと聞き流していた。
だけど、今のシヴァを見ると、その噂には信憑性があった。
後悔している。何故、彼らの元に行かなかったのだと。
だから、これは贖罪の意味も込めている。
かつて果たせなかったことを果たしたいとも思っている。
「そうだな。確かにあいつにとっては邪魔なだけだろう。だが、あいつはこうも言った。『好きにしろ』と――だから、俺はあいつの邪魔にならない範囲で付いていくことにした。いや、例え迷惑をかけるとしても付いていく事にした」
迷いはなかった。
かつて果たせなかった願いを。
あの人達はいないけど、あの人達の代わりに見守ろうと――。
レイアは恥を忍んで師に尋ねる。
「先生、あたしは力がありません。だけど、そんなあたしでも付いていってもいいでしょうか?」
「レイア……確かに力の有無は物事の成否にかかわる。だからといって、力がないからといって、諦めることはない。初めは、力がなくともいいんだ。進みながら、力をつけていけばいい。英雄と呼ばれる者は――いや、上を目指そうとする者はそうやって歯を食いしばって前へと進んできたんだ」
そうだ。自分はあの時、力はなかった。
だけど、今も夢に見ている。あの人達と共に歩んでいける事を。
だからこそ、自分はここまでの道程を歩いてきたのだ。
もう彼らはいない。
だけど、彼らとの絆は確かにここにある。
「はい!!」
エリオスの励ましを聞いて勇気が出たレイアも腹を括った。諦めずについていくと。平民である事を理由にはしないと。
「傷ついたら治してあげるから」
覇気が出てきたレイアに嬉しくなり、マーテルは自分もついていくと決めた。彼女は思い出した。この旅路を行くのは、世界中の人々の助けになりたいからだと。
「僕は父さんの様な英雄になれるまでは諦めるつもりはないよ」
胸の中に燻る炎が燃え上がる。
この胸に燃え上がる情熱に従って、『英雄』に『勇者』になると決めた。
一度くらい躓いたからといっても、諦めるつもりはない。何度でも立ち上がって、いつかはなって見せる。
――父さんのような英雄に。
――仲間と共に。
アーブは次々と参戦を表明する三人を、眩しい様な物を見るような眼で見ていた。
彼らは強い。
自分は弱い。
――だけど。
だけど――そんな自分でも彼らと居れば、自分も強くなれるのではないかと思う。
手は震えている。足は震えている。
だけど――歩ける。
彼らの元まで――。
今はまだ、虚勢だけど。
引っ張ってもらっているけれど。
いつかは俺が引っ張ってやるさ――。
「仕方ねぇ。そこまで言うなら、俺も付いて行ってやるか」
「いや、誰もおまえに付いてきてほしいといってないぞ」
「嘘だよね!?」
アーブはマーテルを見る。顔を逸らされた。
アタルを見る。露骨に目を逸らした。
「そんな……」
アーブは落ち込みざまを身体全体での表現で表している。そんなアーブに アタルは肩を置いた。
「一緒に行くんだろ――親友?」
「おうともさ!」
満面の笑みを張りつかせ、肩を抱き合う。
これは逸れかけた彼らなりの再結成の証であり、絆の確かめ合いだった。
「それで、先生? 邪魔にならないように付いて行くって具体的にどうするんですか?」
エリオスはニカっと笑った。
「――考えてない」
四人は揃ってずっこけた。
実は何も考えていなかったのである。
** *
今夜は新月のため月は見えず、淡く光る星が天を覆い尽くす。
風も穏やかで、夜の世界は幻想的なまでの光景を彩っている。
「いよいよ、幕が開けるのだな」
シヴァ達しかいない魔導車の中、サティは本来の姿に戻っていた。
すらりと伸びた足が、シヴァの足に絡む。綺麗な半球を描く胸の膨らみは、シヴァの胸に押しつけられる。彼女の身長は、シヴァの隣に密着しているフラウとほぼ同じ程度だった。
彼女は元から守護精霊ではなく、人間を守護精霊にした存在。
シヴァ達と同じように造られた存在で、シヴァがエンテレケイアに至るために、シヴァの役に立つ事を生きがいとし、命と魂を捧げるシヴァのためだけに存在する少女。
彼女はそのことを不満に思わない。そういう存在であるからだ。
シヴァとフラウにとってこの少女は大切な存在だった。
出会いから育まれた感情まで全て、目的を果たさせるために仕組まれていたとしても、この少女は大切だった。
シヴァが『勇者』という道化に甘んじる理由の一つとして、少女達の延命がその一つに挙げられる。
ある意味、サティを思う心までも仕組まれていたが、シヴァとしては、少女はフラウと同様に大切な存在故に、見捨てるという選択肢はない。
彼女はシヴァのヒュレーを元に生きている。
今現在のシヴァは刻一刻と、命を削られている。それは、彼女がシヴァが蓄えているヒュレーの器に多大な負荷を掛けているためである。
このままいけば、ヒュレーの枯渇によりシヴァもサティもフラウもセレナも死ぬことになる。それを阻止するには、シヴァは穢魔の大量虐殺、及び魔晶門を破壊すること(正確にはそれに伴うあるものが必要)などして、今以上のヒュレーの器を手に入れるしか道はない。
故に、大切な存在を守るためには『勇者』という道化を演じるしかないのだ。いや、それ以外にさせてもらえないという方が正しいだろう。
「ああ、ようやく始まる」
彼らには生まれた時から選択肢などなかった。与えられた事を、言われた事をするだけの日々。
世界を救うという大義の元、そして古より紡がれし、いまはもう知る者は少ない本当の『勇者』の役割を果たす為だけに造られた人形。
人としての意思など微塵も与えられず、世界を救う為だけに捧げられる生贄。
それがシヴァ達だ。
辛いと思ったことはない。
それが日常だったのだから、シヴァ達にとってそれが正常だからだ。
この身を悲観している訳ではない。
与えられたのは役割を果たすために必要なものだけだ。そこには、人の感傷などない。仮にあったとしても、そういったものは捨てられ、壊され、消された。
「兄様……」
置いていかないで、離さないでとばかりに密着しているフラウは、シヴァの首筋に顔を埋めた。
「どこまでもついていきます」
「我もだ」
彼らの――『勇者』の終幕はエンテレケイアを極めていけば、誰でも知ることはできる。
エンテレケイアには、この世界の秘密が隠されている。
彼らの知る秘密はまだ一端。
だけれども、終演は知っている。
シヴァとしては、三人は付き合う必要はないと思っている。
幕引きに必要なのは、『勇者』であるシヴァだけである。
「私の命は貴方のものです。だから、貴方に全てを捧げるのは当然です」
「うむ。我らは異魂同心同体。そして、我が身はお主と共に生き、共に果てる存在だ。ならば、共に行くのは当然だろう」
「――そうか」
何も言わず、シヴァは二人を抱きしめた。
「やっぱり、私は空気なんでしょうか?」
セレナの哀愁漂う呟きをサティが拾った。
「ならば、セレナも混ぜるしかあるまいて」
「え、ちょ……」
「よいではないですか、よいではないですか」
四人仲良く寝ました。
――シヴァは息苦しそうでしたが。