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怪奇抄  作者: fumia
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第一話:玄民、己に刃を突く

​ 今から優に四千年以上前、まだ中国に『夏』という国が栄えていた時代。夏の北方、現代の中国とロシアの境界辺りに『玄』と呼ばれる小国が在った。


 国土も狭く、土地は痩せ細っていて、民は飢えて貧しく、その日の暮らしにさえ困窮を極めていたが、清貧で勤勉な王の下で文句一つ言わず、ただ耐えて日々を凌いでいる有様だった。

​ それでも気候が温暖であったのなら、まだ救いはあったろう。しかし、北国の長く閉ざされた冬は、強烈な寒気と猛吹雪によって、玄の国の国民達の体力と気力を、悠久の時を掛けて容赦なく削り続けていた。


 まだ壮年と言って良いか定かでもない程の若い王は、あまりにも資源と艶土に恵まれない自分の国を憂い、冬の寒さの中でも薄い羊の皮の白い衣たった1枚で過ごして飢えを忍ぶ民を見て、己の不甲斐なさを嘆いていた。が、いつかはきっと、この土地にも食物が豊富に取れるようになり、皆共に飢餓に陥る事もなしに暖かく冬を過ごせる筈だと信じ。彼は日夜常に玄の民の先頭に立ち、彼らを指導していた。

 玄の民達もまた、そんな玄王の凛々しい行動と執政を尊び、彼らの王に従った。


​ そんなある時、王と王妃に初めての子供、王子が誕生した。まともな家屋すらない、国と云うより山村と呼称した方が丁度良いこの地にも、近隣の国々から続々と使者が訪れ、次々と祝いの金品や食料を献上していく。

 お陰で、王と王妃が住まう山の上の青い高原に建つ獣の皮を張り合わせた大きな天幕には、永遠にとは勿論いかないが、今日一日位なら国民皆で贅沢して騒げる程度の食べ物と金が大量に溜まっている。彼は無論、それを民達と分け合い、第一子の生誕を祝して、彼なりに盛大な宴を開こうと部下達に指示を下した。


​ さて、日が傾いて空が橙掛かった赤い色の光で一面に金色に輝く頃、酒盛りの用意が出来た王の住処へ、貴賎の区別なく全ての民が招かれ、一同に集められた。


 真っ黒な煤を沢山吹き出す松明の赤い炎に照らされた、赤茶けた薄汚い土の床の上に敷かれた粗末な藁屑を編んで拵えられた灰色に汚れている敷物に豊かな彩りを添える高価な酒器と豪勢な料理、そしてそれを見つめる老若男女一様に頬がこけ、疲労が顔中に浮かんだ招待客を目の前にし、一度だけ王は咳払いをして彼の国民達を見回した。

​「我が民よ!今宵は朕の招きに応じ、我が息子の誕生を祝う宴会に集ってくれてありがとう。今日は噂を聞きつけた、国々の境目を接する国々から人が大勢参られて、こんなにも素晴らしい物を残されて行った。」

「…………。」

​「そうは言っても、こうして見た通り、太陽と月が何度も交わらない内に食べ尽くしてしまう程度の量しかない。しかし、今夜我々の腹を満たすには十分だ。さあ、我が民よ!宴を存分に楽しもうぞ。今宵は無礼講だ。各々好きなように過ごして構わない。何をしても良いぞ。」


 その時、丁度王の正面に面していた男が、静かにスウッと立ち上がった。

​「我らが王よ……。今、我らに何をしても良い、と言いましたか?」

「朕は今、確かに主等の趣くままに過ごせ、との給うたぞ。」


​ 久々の御馳走の山を見て、現実感を喪失して夢現の中にでも迷い込んだ気になっているのだろうか。そんな事を感じて内心ほくそ笑みつつも、君主らしく威厳さを示したまま鷹揚に王はそう頷いた。

 さあ、民よ。たとえ矢の如し光陰の夢に終わろうと、食い、踊り、宴を存分に楽しもう。王は酒をなみなみと注いだ盃を手にする。

​ そして祝杯の音頭を取ろうと臣民達の方を見渡した途端、思いもよらぬ光景を目前にして彼は凍り付いた。何故なら彼等は申し合わせたように、粗末な衣の懐から刃先がボロボロと崩れた粗悪な黒曜石のナイフを抜き出し、老若男女関係なく、大人も子供も年寄りもそれを己の喉元へと確かに突き付けていたからである。


 狼狽する余り、言葉まで喪ったてただ立ちすくむ王に、最初にナイフの刃先を自分の喉に向けた男は、静謐な暗い水面のように静かな口調で、こう嘆願した。

​「我等が王よ。私達はもう、これ以上このような貧しい暮らしは耐えられません。我が君が、今宵は好きに過ごすが良いと仰せられたので、この命、終わらせて頂き等御座います。我らが主君はこの世に二つとない寛大な心の持ち主であられますならば、どうぞ我らが不義理をお許し下さい。」


 そう言うや否や、男のナイフが動くと同時に、至る所から激しく鮮血が舞踊り、全ての物を艶やかな真紅に染め抜いていった。


​ 国が滅んだ後、玄王とその家族が何処へ向かったのか、記録が喪失しているので今となっては判らない。ただ、暫くは気狂いした民が己に刃を突いた、と後世の人の噂に上ったという話である。


 ……そんな、夢を見た。

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