第三話 メロウ3
恋愛というものについて、僕が語れることはそれほど多くはない。だが二十歳そこそこに若造に聞かせるくらいの話の種はいくらでもある。それでも僕は君とのことを語ることはほとんどなかった。僕がするのは、およそその前か、そのあとのことで、せいぜい年上と付き合ったことがあるかないかの話のときにするくらいだった。
僕が君の話を誰かにしたがらないのは、やはり僕の中で君との物語はどこか完結してないのではないかという思いがあるからに他ならない。そう思えるようになっただけ、僕は大人になったのかもしれない。
君と別れてからというもの、僕は山崎まさよしの唄のように、会えるはずもない君の姿を、町の片隅、急行待ちの駅のホームで君の姿を探し続けていた。不意に胸の鼓動が高まり、君がそばにいるのではないかとあたりを見回してみる。しかし、一度としてそのようなことは起きやしなかったし、きっとこれからもおきないだろう。
人は未熟だから恋をする。恋をするうちはまだまだ未熟なのである。恋をすることは敗者の側に身を置くことであり、どんな負け方をするかという違いだけで、敗者には変わりはない。それでもあえて敗者の側に身を置くことができるのは若さの証明であろうか? それとも愚者の戯れだろうか?
僕は敗者の側に身を置くことを嫌い、妻を娶り、子を授かり平凡で安寧な暮らしを手に入れた。でも、ときどき――そう、不意に目が覚め、まだ夜が明けきらぬ彼そ誰どきに、窓の外をのぞくと、そこにぼんやりとした青白いつきが、今にも消えてしまいそうにはかなげに浮かんでいるのをみると、君の事を思い出す。あるいは、雨が降る町の中で螺旋階段を見上げると、そこに君がいるような気がしてしまう。狂っていた頃の自分の影を水溜りに映してため息をつく。
僕は老いてしまったのだろうか?
あるはずもないもうひとつの物語に思いをはせるとき、僕はまた、君に会えるような気がしてならない。そのとき、僕は君に何を話しかけよう。どんな言葉を君に用意しよう。そうすれば、君への思いは消化され、僕の中で一冊の本として、いつでも手にとって読むことができる思い出の本棚に収納されるのであろうか?
あの日の僕は、どうしようもなく未熟だった。そして、今でもそれは変わらない。僕はきっと、君を目の前にした途端に、あの頃の未熟な自分に戻ってしまうに違いない。そして心無い言葉で、あなたを困らせたり、あなたに甘えたりするのかもしれない。それをあなたは許してくれるだろうか。拒んでくれるだろうか。
終わらない物語を歌い続ける吟遊詩人よ
ぼくもまた、まだ揺れているような錯覚の中で、重ねてきた年月を振り返りもせず、ただ、螺旋階段を昇り続けている。決して終わることのない君の螺旋の中で。
終わり




