第一話 1987年―傷心
「どうした? なんかいいことでもあったのか?」
精彩を欠くという言葉が、その時の僕にはぴたりだった。恋愛ということでいえば、僕は成功した試がなかった。それはなにも珍しいことではない。僕に限らず、世の中は恋愛に失敗した人間であふれているし、失恋話を打ち明けるのに困ったことは一度もなかった。しかし、今回のは特別だった。何がどう特別なのか、食欲がなくなったり、酒をどんなに飲んでも酔えなかったり、友達と遊びに行っても面白くなかったり、そんなものかといわれれば、そんなものだが、それでもともかく僕には特別だった。
「まだ引きずっているのか?」
大迫さんはタバコを加えながらライターを探してジャケットのポケットを上から順番に手で探る。僕はオイルライターに火をつけて大迫さんに差し出した。大迫さんはズボンのポケットに手を突っ込みながら口でくわえたたばこに火をつける。
「あー、わりい。あれ、ライターどこやったっけなぁ……」
「タバコの箱の中に一緒に入ってるとか?」
「あっ!」
ジャケットの胸のポケットからマイルドセブンを取り出すと、タバコの箱の中からピンク色の100円ライターが出てきた。
「これからは探し物があるときは真っ先に風間に聞くことにするよ」
「自分で探しているうちは見つからないものです」
「なんだよ、ずいぶんと詩人じゃん」
「そんなんじゃないですよ。いつまでも引っ張ろうとは思ってないんですけどね」
「合コン、途中で帰ったんだって?」
「だって、あれはほら、人数的にも男のほうが多かったし」
「気ぃ使いすぎだと思うけどな」
「気は使ってませんよ。それにあまり好みのタイプが違うというか……」
「年上がいいか?」
「あ、あのですね。僕はお姉さま至上主義とかじゃありませんから」
「ボーイッシュな?」
「もう、そんなことまで覚えてるんですかぁ!」
「だって、聞かれてもないのにしゃべるからさ。こっちだって覚えるわ」
「そんなに話しましたっけ?」
「それにお前、風間のそれは俺の好みとかぶるからな」
実際、大迫さんにはいろんなことを話していた。ほかの連中とはともかく、大迫さんとは二人きりで飲む機会が多く、そういう時は大体恋愛に関する相談というよりも、恋愛観について語り合うようなおいしい酒の飲み方だった。
「神は乗り越えられる試練しか与えないって、あれは嘘だな。神様なんて言うのは、だいたいがもっと大雑把で……」
「いじわる?」
「そうそう。意地悪。風間、いいか。この大学に通っているやつで、成功者なんて一握りしかいない。俺の知る限り、お前くらいのものだ。ほとんどの奴ら、1回や2回受験を失敗してここにきている。それもほとんど望まない形でだ。そうなるとここには神に愛されたものばかり来ていることになる。でも、同じ時間軸、違う場所では有名私立大学に受かって青春を謳歌しているやつらがいる。奴らはキリギリスのくせに、いざとなるとアリよりも勤勉で、しかも勝利の女神に愛されている。世の中の不平等は、平等に俺たちの頭の上にあるのさ」
「言いたいことだけ言いますね。僕だって現役で受かったことがラッキーだったってことはわかってます。でも、一握りの成功者の側には入ってないと思いますけどね」
「現役で女がいて、それがボーイッシュで年上で、何が不満だ」
「で、ですからもう、別れたわけですから」
「それがどうした! たった数か月でもいい思いをしたんだろう?」
「ま、まぁそれは否定しません」
「何もなかった奴に比べたら、どれだけましか」
「僕は悪いものと悪いものを比べて、どっちがいいって論法は好きじゃないですね」
「なるほど。それは一理あるが……」
大迫さんはタバコをけし、大きく煙を吐いた。
「吐き出すものを、吐き出さないと、次のものは食べられないぞ。胃にもたれる」
大迫さんの言わんとしていることは何となく僕にはわかった。
「しっかりと消化して、腹の中をすっきりさせないと、次にって気分いは、なかなかなれないですかねぇ」
「そういうこと。じっくり消化するのもいいし、胃液と一緒に吐き出すのもいい。それに酒の力がいるというのなら、またいつでも付き合うからさ。じゃぁ、次の講義いくわ。風間はどうするの?」
「せっかくの失恋です。部室に行って曲でも書こうと思います」
「なるほど。それもいいだろう。でもあまり講義サボるとあとで苦労するぞ」
「はーい。その時はいろいろとお願いしますね」
「ふん!おごれよ」
「生ビール一杯でノート一冊コピー」
大迫さんは、席を立ち、僕も学食を出て部室に向かった。彼女を失ってから2か月。いまだにあなたのことを忘れられそうにない。街の中を歩いていても、駅のホームで電車を待っていても、雑誌のグラビアを見ていても、僕はあなたの影を探してしまう。不意にあなたと同じシャンプーの香りが風に流れてきたりすると、その日一日あなたのことが頭から離れない。夢の中で見るあなたは、いつもつれなくて、はかない。
気が付くと僕は、夜中に家を抜け出し、君の住むアパートへと足を運んでしまう。最初は理由があった。それは悪友からのエアメールである。ロンドンに行っている柏木からきた手紙をあなたの部屋に忘れていたことを思い出した僕は、それを口実に何度か電話をし、2度ほどあなたの部屋まで訪ねて行った。今にして思えばそれはストーカーのような行為だったと思う。数日後、その手紙は郵送によってあなたから僕の家に届けられた。これで僕とあなたの接点は何もなくなってしまった。それ以来、僕はストーカー行為をやめた。
あなたと再会をしたのは、そんな折の不意な出来事だった。




