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第三話 出会い

 10月になって、店長から話があると言われたとき、僕はうすうすと感じていた。この店は儲かっていない。日々売上を計算して集計を出していればすぐにわかる。これじゃ、アルバイトの給料を捻出するのがやっとじゃないか。今年一杯で店を閉める。レンタルレコード業界は、黎明期には次から次へと新店がオープンしていたが、レコードからCD、著作権料の取り決めなど、様々な初回情勢の中で、衰退していった。自分自身、音楽に対する興味の対象がヒットチャートからは別の分野に移っていた。ここにいる意味があまりなくなってきていた。


 新規のお客さんには事情を説明して、それでも入会してレコードを借りたい人には案内をする。かつては一日に5人は新規のお客さんが来ていたが、最近ではひとりも来ない日も珍しくない。気の知れた常連が、聞き逃したレコードを選んで借りていく。店の雰囲気も少し変わった。新譜は10月の分まででその後は入荷しない。僕も客のことよりも、店の中の音楽資産をなるべく録音しておこうと、そのことばかり気にしていた。そんなときにあなたは現れた。


 最初、あなたを見たとき、僕はドキッとした。理由は簡単だ。あなたはショートカットでボーイッシュ、まるで前に付き合っていた彼女のような雰囲気を持っていた。でも少しだけ大人で、たぶん学生じゃないことはなんとなくわかった。今日は土曜日。午後9時を回っていた。店は11時まで営業だが、この時間、新規のお客さんが来ることは珍しい。この狭い空間にあなたと僕だけ、そのとき僕は店の音楽に山下達郎のアルバム『POCKET MUSIC』を流していた。あなたがその音楽に気持ちをあわせたのがわかった。あなたは少しだけハッピーに見えたし、僕も少しだけハッピーな気分になった。


 僕はあなたを目で追い、あなたはきっと僕の視線を感じていたに違いない。でも、まるで気付かないふりで、何かを探すのに懸命のようだった。思わず、「何かお探しですか?」と尋ねようかと思ったが、そのとき、別の客がレコードの返却に現れた。「いらっしゃいませ」僕はどこか残念な気持ちで一杯になった。とたんにあなたとの距離が離れてしまったような感覚に襲われた。こういうことは、この店でアルバイトを始めて初めてだった。


 店はビルの2階にあり、窓からは通りを一つ挟んで電車が平行して走っている。ともすれば電車の乗客と目が合うような位置関係にあるのだが、普段はブラインドを下げているので気にならない。「はい、検品終わりました」レコード返却の際、盤面に傷がないか、歌詞カードは紛失していないかをチェックする。手早く済ませると、その客はすぐに店から出ていった。再びあなたとの距離が縮まる。何の気なしに、いや、どこか落ち着かない雰囲気になって、僕はブラインドの外を眺める。すると後ろからあなたの視線が感じられた。あなたも僕を気にしているのか?いや、ここには二人しかいない。それは当然のことだろう。つまらない自問自答を繰り返しているうちに、あなたがカウンターにきた。


「あの、初めてなんですけど」あなたは、門あさみの『BELLADONNA』を差し出しながら僕を見つめた。正面からみたあなたに、僕はさらにドキッとした。それは未だに理由がわからないことだけど、もっとも考えられる理由は声だったのかもしれない、或いは瞳だったか……

「あ、始めてのか方ですね、実は当店は年内一杯で店を閉める事が決まっていまして……」

「あ、はい、入り口の案内読みましたから、大丈夫です」

「そうですか、では、こちらが会員規約になりますのであとでお読みください。簡単に言うとレコードを大事に扱ってくださいということと、レコードを傷つけたり、返却が遅れたりした場合の罰則、注意事項が書いてあります」

「あの、門あさみのレコードはここにあるだけですか?」

「はい、新しいものはもう、入荷しません」

「あ、新しいのじゃなくて古いのなんですけど」

「えっと、少々お待ちください」


 そういえば門あさみは女性ニューミュージックのカテゴリーじゃないところにあったような……「あ、すいません、門あさみのコーナーはこちらになりますね、確か過去の作品はすべてあったと思います」当時、ジャンルわけは店長の好み、独自の判断で一般的にニューミュージックと言われていたものでもアーチストによってはジャズフュージョン扱いにしていたりする。返却の際、時々思い込みでニューミュージックの場所に入れてしまう事がある。昼間のアルバイトは、よくそういう間違いをする。

「わー、よかった。昔のアルバム、ちゃんとあるんですね」


 あなたの声、そして笑顔は僕の中の何かを大きく揺さぶった。事務的な手続き、会員証を作るのに多少の時間がかかる。それまでのわずかな時間、僕は探し続けた。あなたにかける言葉、あなたの関心を引くような行動、なんでもいい。何かしなきゃ、早くしなきゃ……「お待たせしました。篠田季久美さんですね。身分証明書をお返しします。はい、どうぞ」だめだ。思いつかない。ふと、一瞬僕は思いつきで自分の目線をあなたからはずして他の方をチラリと見た。するとあなたもその方向を振り返る。

「え?」と、あなたが口に出して言ったのか、言わなかったか、でも、明らかにそういう表情をしたように僕には見えた。

「あ、あの、他にもいろいろありますから、店を閉めるまでの短い間ですけど、宜しくお願いします」

 そんなことを他の客に言ったことなどなかった。どうということのない、業務的な言葉だったかもしれないけど、そのとき、それは僕の精一杯だった。精一杯の好意を示す表現だった。

「はい……ありがとう」

 無駄のない動きで、レコードを小脇に抱え、財布をカバンにしまいこむ。ガマグチの財布、なんでガマグチなんだろう――と思っているうちに、あなたはドアを開けて出て行ってしまった。


 静寂の中で山下達郎のレコードがまるで何かのドラマの始まりかエンディングのように流れていた。また会いたい。返却の予定日は、僕の出勤日ではなかった。




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